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姉妹冒険者物語  作者: 並野
クルムトゥの黒き怪物
146/181

10

 夕暮れのクルムトゥ盆地の一角は、炎と煙の焦げ臭さ、それに濃密な血肉の臭いが埋め尽くす死の空間と化していた。

 肩で息をしながら、戦闘員五人が非戦闘員たちの元へ合流する。

 が。


「……ウウワウは?」


戻ったチュチュの一言によって、ウォルトやディーンは慌てて周囲を見回した。

 しかし見渡す限り、視界内に白髪の耳人(プッチェル)の姿は見られない。


 男二人の様子から、ウウワウの行方が知れないということに気づいたチュチュ。

 彼女の顔がどんどん青くなっていく。


「チ、チュチュ、落ち着いて」

「ウウワウ! ウウワウはどこに行ったの! ウウワウッ!」


ネイトが慌てて宥めにかかるが、チュチュは落ち着きを取り戻すどころかどんどん気が動転していく。

 戦闘中より遙かに慌てた様子で、足をもつれさせながら駆け出して行った。

 ネイトが彼女を一人にしないよう必死でついて行く。


「ウウワウっ、ウウワウっ……ああ、分からない、分からないよネイト! ウウワウの臭いが分からないっ! 血と煙の臭いしかしないっ!」

「チュチュっ……!」


血肉と焚き火で埋め尽くされた盆地の一角を、チュチュが悲痛な顔で駆け回る。

 地面に転がる赤色の残骸。野犬のものと人間のものが混じり合った屠殺場で、緑の髪と耳を振り乱しながら死体の顔を確認していくチュチュ。


 不意に。

 彼女の耳が一つの音を捉えた。

 少女の小さな呼吸音、そして何か硬い物が打つ音。


「ウウワウっ!」


きっとウウワウだ。

 ウウワウに違いない。

 そう信じてチュチュが音の源へ駆け、辿り着いた草地の中には。


「……っ、……っ」


白髪の耳人、ウウワウの姿があった。

 仰向けに倒れ、腹部を食い破られた状態の。


「あ……ああ……ウウワウ……」


どさっ。

 チュチュが地面に広がる血で汚れるのも厭わずに膝を突き、ウウワウの顔を見つめる。


 目を大きく見開き、歯をかちかちかちかち激しく鳴らしながら高音でか細い呼吸を繰り返すウウワウ。

 彼女の腹部は鮮血に染まり、破れた腸がまろび出ている。

 致命傷だ。


「ネ……ネイト……手当を……呪文を……」


震えながら呼びかけるチュチュ。

 しかしネイトは顔を歪めながら、目を閉じ首を振った。


「……僕の呪文の能力じゃ、この傷は治せない」

「な、なら、おじじ……ケアリー……姉ちゃん、あ、ああ、あ……」


二人は死んでいる。

 もう治せない。

 ウウワウは死ぬ。


 チュチュが絶望に目を見開いたまま呆然とウウワウを見つめていると。

 死に体の彼女が言葉を紡いだ。


「ウウワウっ!」

「ごめん……なさい……ごめん……なさい……ごめん……ごめん……ごめん……」


かちかちかちと激しく歯を鳴らしながら、辿々しくウウワウが紡ぎ続ける言葉は全て謝罪であった。

 何を謝っているのかチュチュには分からない。

 しかし、せめて。

 せめて死の間際には。

 チュチュはウウワウの手を無事な左手で強く握りしめた。


「ウウワウ、ウウワウが謝る必要なんてない。ウウワウはいっぱい頑張った。ウウワウは偉いやつだ。あたしには分かる。ウウワウはっ……」


言葉の途中で、感極まったチュチュが目尻に涙を滲ませ始めた。

 滲んでからこぼれるまでは一瞬で、あっという間に滝のような涙の濁流に変わる。


「ウウワウは、いつまでも、あたしの大事な友達だから……、あたしの、優しい、勇敢な、親分だからぁ……!」


泣きながら感情のままに言葉を搾り出すチュチュ。

 ウウワウは最期に一度、表情を悲痛に歪め大粒の涙を流してから。

 動かなくなった。


「……ウウワウっ……!」


顔をくしゃくしゃに歪めて、チュチュは嗚咽を漏らし続ける。


 チュチュは何も知らない。

 ウウワウが黒衣の人影を前に誰にも伝えず一人後ずさりをしたことも、プリシラを突き飛ばしてまで逃げようとしたことも、それがケアリーの死のきっかけに繋がったことも。

 チュチュは何も知らない。

 幼少期のウウワウはチュチュに打算的で利己的な想いしか抱いていなかったことも、今は過去と現在の差違でチュチュに劣等感を抱いていたことも。

 チュチュは何も知らない。

 ケアリーの死の原因を作り、黒衣の人影の出現後も恐怖と罪悪感から恐慌状態に陥り無言で逃げ出した結果、野犬に集られ無駄死にに終わったウウワウ。

 彼女が死の瞬間に想っていたのは、臆病者と(そし)られることよりも、それを叱られず、理解して貰えない。それがこの瞬間、罵られることよりも辛く、自分の心を苛んでいたこと。

 死の瞬間、ウウワウが本当に望んでいたのは慰めではない。最期の醜態を、臆病で駄目な自分を、誰かに分かって欲しかった、ということを。


 ウウワウは最期の最期まで心を誰にも理解して貰えないまま、その生涯を終えた。

 チュチュの心に、魔法使い二人に飽きたらず更なる心の傷を刻みつけて。



   :   :



 姉妹がせっせと黒衣の身体の断片を極限まで細かく砕き穴を掘り、黒衣の人影の後始末を終えた後。

 一行は他の馬車から物資を回収してから血と煙の臭いが届かないぎりぎりの場所まで馬車を進め、改めて野営の準備を始めた。


「……」


会話は全く無い。

 保存してあった食料をただ水と塩で熱しただけの味わいも何もない食事をもそもそと胃に納めた一行は、重い空気の中ただ黙々と時を過ごしている。


 ウォルトはその腕の中に娘を抱え、優しくその背を撫でている。

 プリシラはケアリーが死んだ瞬間と、黒衣襲撃時の地獄のような光景が頭から離れないのか呼吸はまだ激しく、視点の定まらない目を見開いたまま浅く早い呼吸を繰り返していた。

 身体は赤子のように丸まったまま、縮こまって固く動かない。

 南の洞窟に入る前はあんなに几帳面に整えられていた赤髪も、今では血と土埃で汚れてしまっている。


 ジョッシュは武具の手入れも済ませ、横になって目を閉じている。

 しかしその表情は今までとは比べものにならないほど険しい。チュチュやネイトですら声をかけるのを躊躇するほどだ。

 時折ちらりと目を開き、横目でプリシラの様子を窺っている。


 チュチュとネイトは身体を寄せ合い、ネイトの腕の中にチュチュがすっぽりと丸まり入っていた。

 チュチュの折られた右肩は、既にネイトの治癒の呪文によって元通り手当を施されている。

 しかしネイトの呪文技術は殺された二人とは比べるべくもなく、回収してあった魔法石を使い、丸一時間近くかけて何とか治せた、という程度。

 加えて飲み水を出すのも彼の未熟な呪文によって行われた為、ネイトは肉体もさることながら精神的にも疲労が嵩んでいた。

 ネイトは未だ啜り泣いているチュチュの後頭部を優しく撫でながら、自分も脱力してチュチュの頭に頬を乗せていた。

 洗っていない耳人(チュチュ)の獣の匂いは、臭いが彼にとって嗅ぎ慣れたものでありどこか落ち着く。


 ディーン、アイヴィー夫妻も二人身体を寄せ合って、何をするでもなくじっとしていた。

 アイヴィーは夫の肩に頭を預け、小声で何やらぶつぶつと呟き続けている。

 彼女もプリシラほどではないにしろ精神的消耗が激しく、目は虚ろで暑くもないのに額には汗の雫を浮かべていた。


 最後に姉妹。

 武具の手入れと小柄な身体に見合わぬ量の食事を済ませ、並んで無言で座っている。

 ピエールはプリシラやチュチュの様子を時折窺いつつ、下唇を緩く噛んで悲痛な顔をしていた。

 一方アーサーは仏頂面で視線は胡乱に、心の中ではこれからのことを考えていた。


 今回ケアリーが殺害されたのは一行にとって致命的な影響と言っていい。

 彼女は非常に重要な治癒の呪文の使用者であり、彼女がいたからこそ姉は膝を逆関節にされようが左腕を平たく潰されようが構わず戦うことが出来たのだ。

 彼女がいなくなった以上、もう重傷を負ってしまえばその戦闘中にはまず復帰出来ないだろう。

 それどころか、致命傷を負えばそのまま死にかねない。今までのような戦い方は慎む必要がある。

 その上、ケアリーは一行の手当だけではなく馬の疲労すら呪文で癒していた。彼女の呪文があったからこそ、二頭の馬は十人近い人間を乗せた馬車を朝から晩まで引いて走り続けられたのだ。


 彼女の存在は、この逃亡行においてある意味前衛たちより重要な存在であった。

 今になって思い返せば、黒衣の人影の余裕は技術を取り戻したからではなく、魔法使い二人を殺すことに成功したからだったのではないか。

 そのような想像すら浮かぶほどである。


「……」


先のことを考えれば考えるほど、不安と恐怖が脳裏を過ぎる。

 が、一筋の光明も残されている。

 悪夢の盆地行も終わりが近いのだ。

 クルムトゥの町跡は盆地のほぼ中心地点にあり、町跡を越えた一行は既に盆地を八割以上進んでいる。北の洞窟は最早目と鼻の先だ。

 加えて、北の洞窟は南側に比べると小さく、通過にかかるのはおよそ半日。

 馬を酷使すれば明日中に北の洞窟を抜け、クルムトゥ盆地を突破出来るだろう。

 あの怪物がクルムトゥ盆地を根城とするのなら、北の洞窟さえ抜ければ逃げ切れるかもしれない。


 しかし。

 これはあくまで、黒衣の人影がクルムトゥ盆地の外まで追いかけてこない、という仮説ありきのものだ。

 もし奴がどこまでも追いかけてくるなら振り切るのは困難。

 結局黒衣がクルムトゥ外に出てこないことを祈る他無く、万が一のことを考えれば考えるほどやはり不安が心を苛むのを避けられない。

 アーサーは余計な精神力の消耗を避ける為、思考を強引に打ち切りただ隣の姉の体温に意識を集中させ始めた。

 彼女の不安を顔を見ずとも察したピエールが、そっと妹の背中を撫で続ける。



   :   :



 前例通り夜に黒衣の襲撃が発生することはなく、襲撃時の惨状が再び脳裏を過ぎったプリシラが何度も叫び声を上げた以外はつつがなく夜は過ぎていった。

 そして始まる盆地行、四日目。


「……」


ろくな会話が発生しない、重苦しい空気で朝を迎えた一行。

 夜間プリシラが叫び声を上げ、どこからか泣いて鼻をすする音が響き、眠りを妨げられた者も多い。

 昨日までは意識してムードメーカーを務めていたチュチュすらも唇を固く結んで口数乏しく、空気はどろりと重く粘ついていた。


 一行は料理とすら呼べない簡素な食事を済ませてすぐに出発し、盆地の道を北へ進んでいる。

 昨晩は日が暮れていた為気づかなかったが、目の前には既にクルムトゥ山脈北部が左右どこまでも長く広がっていた。現在の位置関係なら、もう暫く進めば北の洞窟に入ることが出来るだろう。


 山脈の真下へ向かい、まばらな石の道を足早に駆けてゆく馬車。

 馬車を引く二頭の馬たちは傷こそないものの、どこか馬の顔がやつれているかのような、そんな錯覚を覚える。

 馬たちとて、昨晩他の馬たちが逃げることも叶わず野犬たちに群がられ生きながら食われたのを目の当たりにし、目の前で暴れる黒衣の人影をも近くで直視していたのだ。精神的負荷は半端なものではないだろう。

 それでも、恐怖で暴れ逃げることもなく馬車を引いて走ってくれている。

 一行は苦難の盆地行の陰の功労者である彼らに感謝すると同時に、これから先、恐らく使い潰してしまうことに少なくない罪悪感を覚えていた。


「すみませんアーサーさん、お任せしてしまって」

「いえ」


アーサーの返答は実に簡潔で、その上表情も視線も一つも寄越さない。

 ディーンは暫し申し訳なさそうにしていたが、すぐに隣の妻へ意識を戻した。


 御者席に座っているのは今まで通り姉妹とディーン夫妻の四人だ。

 昨日までであれば馬を駆るのはディーンであり姉妹は護衛兼警戒役であったが、今日はアーサーが御者として馬を制御している。


 というのも、アイヴィーの調子が未だ優れないのだ。

 今も彼女は身体をひしと夫に密着させ、俯いたままぶつぶつと何かを呟いている。

 ディーンは彼女の身体を抱き寄せ、ずっと背中を撫で続けていた。


「……お二人は強いですね」


妻を撫でながら、不意にディーンが口を開いた。

 ぼけっと口を半開きにして空を眺めていたピエールが、視線をディーンに向ける。


「妻がいる手前僕も何とか頑張れていますけど、目を閉じると途端に昨日の光景が浮かんできて、怖くて叫び出しそうになりますよ。……あれは本当に、人が味わうには……」


馬を駆りつつ、ディーンは力を込めて目を閉じた。

 脳裏に浮かぶのは、飛び散る血肉、半狂乱で襲い来る欠損した半死の野犬、黒衣襲撃前まで一緒にいた筈の仲間たちの断末魔の絶叫、ぬるりと姿を現す黒衣の人影の強烈な存在感。


 一晩経って尚つい今し方のことのように脳裏に浮かぶ惨劇に、ディーンは顔を苦渋に歪めたまま頭を振って記憶を意識の外へ押し出した。

 同じように想起して息を詰まらせるアイヴィーを撫でさすり、合間に姉妹へ視線を向ける。

 しかし二人が、昨日のことを思い出して苦悩する様子は無い。


「そうだね……」


ピエールが静かに、実感の籠もった声音で返事をした。

 再び満天の青空に目を向ける。


「あの光景が辛くない、って言ったら嘘になるけど、慣れてるのは確かかもね。……強い魔物に普通の人が襲われると、ああいうことになるのは珍しくない」


姉妹の脳裏に浮かぶ、いくつもの惨禍。

 人の惨死の記憶など、もはや数え切れない。


「慣れてしまうほど沢山の辛い光景を見てきたのに、未だ折れずに戦い続けられる、というのは本当に凄いことだと思います。……自分のことが、少し情けなくなってしまうくらい」

「そんなことないよ、それが普通だもん。……それに、昨日はディーン君もアイヴィーちゃんも沢山頑張ってたよ。二人も頑張ったからこそ、今の結果があるんだよ」

「……ありがとうございます」


ピエールの慰めに、ディーンは控えめながら笑みを浮かべピエールへ笑いかけた。

 前へ向き直り、遙か前方を眺める。

 それから暫くして、ぽつりと呟く。


「……最初、あの黒い奴の目の前で護衛に見捨てられた時は絶対に死んだと思った。でも、結局生き残ったのは僕たちで、他の馬車に乗り込んで逃げた僕の護衛は昨日皆死んでしまった。……人生、どうなるか分からないものだよ……」

「雇い主を見捨てて逃げる奴らなんて、死んで当然。清々した。ざまあみろ……」

「アイヴィー」


ストレスを紛らわせようと過激なことを口走るアイヴィーを、ディーンが優しく窘めた。

 窘めつつも背中を撫で続けると、また小声で何かぶつぶつ呟き続ける状態へと戻る。


「すみません、普段なこんなことを口走ったりはしないんです、け、ど……」


苦笑いを浮かべて隣へ視線を向けたディーン。

 しかし彼が見たのは、揃って顔から表情が抜け落ち、恐ろしいほどの真顔で前方を睨む姉妹の顔であった。

 二人の手も、既に腰の武器にかかっている。

 気づいたアイヴィーの顔が一瞬にして青ざめた。


「……あ……あの……二人とも……もし、か、して」

「前方、何かいる。昨日の犬より強い。数もそこそこ」

「位置関係からして、恐らく洞窟の入り口に控えていると思われます」

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