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姉妹冒険者物語  作者: 並野
クルムトゥの黒き怪物
145/181

09

 影と化していた黒衣の存在が姿を現すと同時に、不死者特有の強烈な存在感と異物感が一瞬にして場の空気を支配した。

 その場の殆どの人間が硬直し身体を震わせ、運が悪かった何人かは竦み上がった隙に野犬に集られ貪られる。


 そんな中、ウウワウに突き飛ばされてぺたん、と尻餅を着いていたプリシラ。

 眼前にはおぞましい黒衣の怪物が、自身めがけて長い右腕を振りかぶっている。

 突然のことに、何の理解も追いつかない無力な少女。

 故に次に起きた光景も、何一つ理解することが出来なかった。


 自身を庇ったケアリーが、胴を薙ぎ払われ真っ二つに断裂する光景を。


   :   :


「かああああっ!」


最前線の五人の中で、真っ先に駆けつけたのはやはりピエールであった。

 身軽な身体とそれに見合わぬ異常な筋力によって幌馬車の上に飛び乗り、一直線に黒衣の元へ飛び込んだのだ。


 馬車を乗り越えたピエールは間髪入れず得物を構えて迫り、手斧の背を黒衣へと振り下ろした。

 がぎゃっ、と硬い物同士がぶつかって擦れる音が掻き鳴らされ、右腕で受けた黒衣の人影とピエールが鍔迫り合いの格好になる。


 直後ピエールが姿勢を崩した。

 かと思いきや遅れて姿勢を大きく崩したのは黒衣の方。

 漆黒の身体をくの字に曲げて後方へ吹き飛んでゆく。


 鍔迫り合いに持ち込んだ直後、やはり黒衣の人影が先手を取って蹴りを放っていた。

 しかし鍔迫り合いから即座に蹴るのはもう二度目。ピエールは足をひねって蹴りを避け、足を突き出した直後の無防備な黒衣に反撃の蹴りを加えたのだ。

 黒衣の人影は吹き飛んで地面に転がり、焚かれていた焚き火へ直撃していた。

 煌々と燃える焚き火の炎が、漆黒の人影を炙る。


「……っ」


その隙に、ピエールは顎を引き横目で視線を投げた。


 すぐ側では、全身を鮮血で汚したプリシラが呆然とした顔でへたり込んでいた。

 へたり込むプリシラの膝の上には、人間の上半身。

 胴から両断された魔法使いケアリーだ。

 胴体を刃物で切断、ではなく腕で引き裂くように両断されたケアリーは派手に血肉をまき散らし、骨片が数メートル離れた位置にある野犬の死骸に突き刺さるほどであった。


「……ぅ……」


上半身だけになったケアリーが、何か言おうとした。

 しかし言葉は出ない。

 辛うじて頭を持ち上げて、プリシラの顔を見上げる。

 自身が守ろうとした相手の身体が無事であることを、自身の身を挺した行為が無駄ではなかったのを確認してから。


 所在なさげにふらついていた下半身がべしょ、と血溜まりへ倒れるのと同時に。

 ケアリーは死んだ。


「最後の防御陣形! 集合して!」


ピエールが焚き火の中から這い出そうとする黒衣を睨みながら、大きな声で叫ぶ。

 前衛四人が、彼女の元へ駆け寄り集まった。

 更にウォルト、ディーン、アイヴィー、プリシラの生き残り四人とウウワウも自分たちの馬車と馬の元へ集められる。


 黒衣の人影が姿を現した瞬間から、既に場は総崩れだ。

 半狂乱になった者たちが絶叫しながら方々へ逃げ出し、孤立した所を野犬に貪られ周囲に血肉と断末魔を散らかすだけの存在と化している。

 最早他の者たちを守る必要も余裕もない。

 故に自分たちの仲間と馬だけを集中して守る陣形へと移行したのだ。


「ケアリー姉ちゃん……」


集まったチュチュが、すぐ側で両断され地に伏せるケアリーの亡骸に目を降ろした。

 うつ伏せの彼女の死に顔は窺えない。

 しかしきっと痛かっただろう。苦しかっただろう。

 チュチュの目尻には涙が、心には大切な人の思い出が溢れ出して――


「うがあああああっ!」

「待て犬ころ! 止まれ!」


絶叫しながらチュチュが駆け出した。焚き火から這い出したばかりの黒衣の人影へと一直線に剣を振り下ろす。

 黒衣の人影はどこか胡乱な態度で迫るチュチュへ頭を向けると。


 しゅぱっ。

 長い右腕をまるで指揮棒のように軽妙に振るって、チュチュの剣を弾いた。

 彼女の幅広な水色の剣が右手を離れて後方へ飛び、一行にぶつかりそうになったのをピエールが掴み取り地面に刺す。


「わ……がぎゅっ」


翻す腕は鞭のようにしなやかに、チュチュのがら空きの右肩を強打した。

 ケアリーに叩き込んだような渾身の一撃ではない為潰されこそしなかったが、肩の骨を折られたチュチュは苦悶の表情で地面を転がっていった。

 素早く立ち上がり隣にいた野犬の脳天を盾と踵で叩き潰し、息荒く皆の元へ戻る。


「この馬鹿犬が! 感情のままに動くなと何度言えば分かる!」

「ぐううう……!」

「ケアリーがいない以上もうその肩は戦いが終わるまで治らんぞ! お前はケダモノどもの相手をしていろ! ネイト! 馬鹿犬の面倒を見とけ! ケダモノどもからウォルトとお嬢を守るのはお前らの仕事だ!」

「了解! チュチュ、剣は一応鞘に納めておいて!」


ネイトが剣を拾ってチュチュの鞘に納めてから、自身の剣で野犬たちを次々と切り捨てていく。

 殺到する野犬たちの波は黒衣の襲撃までに相当数を蹴散らした上、何割かは方々へ逃げた他の者たちを追った為ようやく翳りを見せ始めていた。

 守る対象が非戦闘員五人と死期を悟ったのか最早動きすらしない馬二頭のみとあって、ネイトと右腕を使えないチュチュの二人でも十分守れる範囲内にあった。


「ああっ、くそっ、わあああああっ!」


チュチュが怒り露わに絶叫しながら盾と両足を振り回し、野犬たちの脳天や内臓を叩き潰していく。

 力任せに振り下ろした盾の縁などは、骨を砕くに飽きたらず足を根本から吹き飛ばすほどの威力を有していた。

 右腕は動かすことが出来ずぶらぶらと垂れ下がっているものの、野犬の撃退には支障は無いらしい。

 そんな彼女の様子を横目で心配しつつ、ネイトは迫ってきた野犬の首を撥ね追加で右足を前後ともに落とす。

 頭部を失い左足だけになった半死体は激しくもがくものの、流石に立ち上がって人を襲うことは出来そうにない。

 数が減ったことで、ある程度安定して完全な無力化を狙えるようにもなっていた。

 少なくともチュチュとネイトが健全な限りは、非戦闘員五人は野犬に襲われることはないだろう。


「……さっきの、見た?」


一方。

 姉妹とジョッシュの三人が、眼前の黒衣の人影と相対し睨み合っている。

 黒衣の人影は完全な棒立ちだ。余裕を通り越して挑発にすら思えるほど。


「ええ。明らかに狙って弾いていました」


姉妹二人は前を向いたまま、小声で小さく語り合う。

 先の瞬間、チュチュの剣を弾き飛ばした黒衣の人影。その時の腕捌きは闇雲に振り回した偶然の結果ではなく、狙い澄まされた一つの技であった。

 先日の戦いでは全く見せなかった技術。


「隠していた……というよりも」

「少しずつ調子を取り戻している」


黒衣が動いた。

 左半身を前に出し、右腕を振りかぶった状態で音もなく三人へと飛びかかる。


 迎え撃つのは姉妹だ。

 既に剣を鞘へと納め、両手を添えて盾を構えるアーサーが黒衣の右腕一閃を真正面から全身の力で受け止める。


 どぐっ、という大きな衝突音。

 勢いの乗った黒衣の右腕は、その太さに見合わぬ丸太のような威力と打撃音を発揮してアーサーの盾を打ち据えた。

 しかしアーサーは両手で構えていたこともあり何とか受け止め、続けて放たれた二撃目を後方へ半歩飛び退いて避ける。

 眼前で避けた黒衣の右腕は強い風圧を放ち、汗でしっとりした彼女の前髪を大きく巻き上げていた。


 黒衣が二打外した隙に、ピエールが横から迫る。

 迎撃の為右腕を前面に構え、防御からの反撃を狙う姿勢を取ったところで。


 ピエールの左手から冷気が迸った。

 魔法の巻物による攻撃だ。


 彼女の左手に掲げられた巻物から絶え間無く白い冷気の波動が迸り、黒衣の頭部を白く凍てつかせる。

 黒衣は一度仰け反ったがすぐに冷気を無視して踏み込み右腕で足を払いにかかった。

 ピエールは左手の巻物で黒衣を固めつつ、素早く飛び跳ねて足払いを避け着地後の追撃に備える。


 が、黒衣は足払いの勢いのまま上半身だけを回転させ、姉が仕掛けた隙に後ろから迫っていたジョッシュの振り下ろした剣を右腕で止めていた。

 着地したピエールが追撃にかかるがそれより早く黒衣は地面を蹴り、なんとその場で後ろ宙返りをしながらピエールの顎を軽やかに蹴り上げて見せた。


 黒衣の人影の漆黒の身体が、くるりくるりと軽やかに回転しながら夕暮れ空を舞う。


 さながらスーパースターの如き華麗な月面宙返りを披露する黒衣の人影。

 顎を蹴り上げられたピエールは意識が途切れ膝から崩れ落ちそうになったところを、援護に回っていたアーサーに抱えられ後退した。

 無意識か戦士の意地か右腕の手斧だけは手放さなかったものの、巻物は左手から滑り落ち地面に転がっている。


 黒衣は腕を畳み美しい姿勢で回転しながら三人から離れ、四、五メートルほど後方へ跳んで音も無く着地した。

 着地した後も、上半身の向きを戻し余韻を残すかのように両手を軽く広げ立ち尽くしている。


 アーサーは姉の半開きになった口に懐から出した治癒の薬を突っ込みつつ、黒衣の人影を睨む。

 ピエールは治癒の薬の効果と突然口に押し込まれた粘度のある強烈な苦味に驚いたことですぐに意識を取り戻し、妹とジョッシュ、三人で再び黒衣と見つめ合う。

 一方、黒衣はまだ動かない。


「……余裕の態度」

「取り戻した技術の調子を確認している、もしくはまだ慣れていないか……」

「ただ見せつけたいだけだったりして」

「馬鹿抜かせ」


姉妹の小さな呟きをジョッシュが締め、小声で少し作戦会議を行ってから三人は横並びの陣形に戻った。

 三人が再び構えたことで、黒衣も姿勢を整え右腕を構える。


 先手はアーサー。やはり武器を持たず、右手に巻物を一巻握っていた。

 黒衣は真正面から、悠々とそれを迎え入れていた。

 彼女は静かな呼吸と緊張した面持ちで摺り足でゆっくりと近づき、巻物を使おうと留めを外す。


 瞬間。

 黒衣が鋭く踏み込んで右腕を突き出してきた。

 踏み込みは常人には目視すら叶わぬ神速。側にある焚き火が、風圧でほぼ真横に靡くほど。


 だがその一閃は当たっていない。

 盾を構えたアーサーの左肩付近を通過して、左耳に甲高い風切り音を注ぐに留まっていた。


 元より彼女の狙いは、巻物を使うと見せかけて相手の後の先を取ることであった。

 黒衣の全力の突きは身体を逸らし盾を使って斜めに受け流されて。


 巻物を手放したアーサーが。

 黒衣の右上腕を両手で掴んだ。


「せゃああああっ!」


伸ばされた右腕を両手で掴み。

 身体を逸らした勢いのまま黒衣に背を向け。

 背負って。

 側の焚き火へ叩きつける。


 見事な一本背負いであった。

 黒衣は驚きか見惚れか衝撃か、炎が飛び散る中一瞬動きを止めてしまう。


 叩きつけられた剣が左腕と首を切り潰した。


「おおおおおっ!」


間髪入れないジョッシュ全身全霊の追撃だ。

 いつも険しい仏頂面だった中年男の顔は、これまで見たことのない憤怒の表情に染まっていた。


 頭と左腕を落とされた黒衣の元へ、更にピエールの手斧が迫る。

 しかし黒衣は腕と頭を落とされつつも素早く跳ね上がり、更なる追撃を回避し三人から数歩離れた。

 姉妹二人が、切断された後焚き火内に転がったままの左腕と頭を細かく裁断する。

 腕も頭も切断されておきながらまだ動いていたが、細切れにされたところで動きを止めた。


「……今のはいい(やわら)だった」

「相手が油断していたから狙えました。恐らく二度は通じないでしょうし、もうやりたくない」


小声で話しつつ、アーサーは視線を黒衣に張り付けたまま屈み込み地面に転がっていた巻物を拾い上げた。

 隣ではピエールも腰のベルトポーチから巻物を一巻取り出している。


 黒衣が跳ねた。

 頭部と左腕を失った身体で棒立ちの状態から空高く三メートルは跳躍し、三人のうち中央にいたアーサーめがけて右腕を振り下ろす。

 三人は素早く散開し、黒衣が着地したところへ姉妹が巻物で炎を浴びせかけた。


 巻物から噴射される炎が黒衣の胴体を激しく炙り、ぼろ切れの端を少しずつ灰に変えていく。

 やはりと言うべきか見た目はぼろ切れにも関わらず、炎で直接炙られようと燃え上がる様子はない。


 黒衣の人影は左右から炎で激しく炙られながらも、右腕を構えアーサーへ襲いかかろうとする。

 しかし彼女はすかさず地を蹴って後退し、間にジョッシュが割り込んだ。


 ぴったり息を合わせてアーサーが巻物の炎を黒衣から外し、素早く割り込んだジョッシュが剣を振り入れる。

 黒衣は足めがけて振るわれた剣を右腕で止めたが、右腕を防御に使った瞬間がら空きの胴体へ盾が叩き込まれた。

 ジョッシュの盾は全長一メートルはあろうかという大型の金属製で、突き飛ばされ地に転がった黒衣が上半身を起こせば再び姉妹からの炎が浴びせかけられる。


 執拗な火攻めに遭う黒衣。

 炙られ続けながらも、足に力を込めて立ち上がろうとして。


 ぼろっ。

 炙られ盾で殴られた胴体が崩れた。


「炎を外せ!」


姉妹が巻物の炎を外し、ジョッシュが吶喊した。

 黒衣の胴体が焦げた焼き菓子のようにほろほろと崩れ、右腕と下半身だけがその場に残っている。

 辛うじて腕と下半身が繋がっている状態で、右腕を振りかざし迎撃の姿勢を取っていた。


 しかし横合いから飛んできたのはピエールの手斧。

 彼女が巻物を投げ捨てると同時に投擲した手斧が回転しながら黒衣へ向けて飛来し、黒衣の腰に柄の部分が直撃する。


 仰け反る黒衣の下半身。

 当然迎撃など出来よう筈も無く、苦し紛れの右腕の反撃を盾で受けつつジョッシュが振り降ろした剣が今度こそ黒衣のわずかに残った胴体を切り落とした。

 返す刃で足も切り捨て、地面に転がった右腕を踏みつける。


「……っ!」


憤怒に染まるジョッシュが漲る怒りを剣に込め、一直線に黒衣の右腕を突き砕こうとした。

 しかし直前で思い留まり、切っ先で小突く。

 やはり返ってくる感触は他の部位とは違う硬質な手応えであった。


 黒衣の人影、三度目の襲撃を何とか討ち取った一行。

 ピエールが静かに妹の隣へ歩み寄り、彼女の震える右手をそっと握った。

 未だ身体を緊張で震わせながらもアーサーが顔を上げると、野犬の波もようやく途絶えたようだ。


 一行以外の生存者は、もうどこにも見当たらなかった。

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