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姉妹冒険者物語  作者: 並野
クルムトゥの黒き怪物
141/181

05

 いきなり襲いかかってきた黒衣の人影。

 彼が振り降ろした右の巨腕をピエールが手斧でなんとか押さえ込み、柄による鍔迫り合いの形で防いだ。


「ひっ……う……嘘……いやっ……!」

「アイヴィー、早く中へ!」

「早くし、ぎっ」


ピエールの体勢が崩れた。

 鍔迫り合いに持ち込めこそしたものの突然の奇襲に驚き戸惑いが残る彼女に対し、黒衣は奇襲が防がれるやいなや足を振り上げピエールの右足を蹴り飛ばしたのだ。

 人力を超越した魔物の蹴りによってピエールの右膝は一撃で常とは真逆の方向へ折れ曲がり、怯んだ所へ再度加えられた右腕の打撃で彼女の身体は後方へ吹き飛んでゆく。

 吹き飛んだ先にいたのは、馬車を捨てた商人と護衛の一団。


「うげうっ!」


一団の中の一人、よく肥えた商人の腹部が緩衝材代わりになって地面に転がったピエール。

 痛みを堪え即座に上半身を起こして斧を構える。


 既に黒衣の人影は右腕を大きく振りかぶり肉薄していた。


「ひえっ」

「た、助け」


回転しながら大振りで右腕を振り回す黒衣の人影。

 人の腕とは思えぬ太さと長さの為、風切り音は鈍く重い。

 しかしその風切り音は、反応が遅れた周囲の護衛たちの肉と命が薙ぎ払われる水音で塗り潰されていた。

 ぶおん、ぐおん、と黒衣の人影が右に一回転、左に一回転腕を振るっただけで、近くにいた護衛四人が、ある者は頭の前半分を吹き飛ばされ痙攣しながら即死、ある者は内臓ごと背骨を叩き潰され白目を剥いて呻きながら死を待つばかりの状態へと変えられる。

 生き残ったのは手斧で薙ぎ払いを受け流しながら転がって距離を取ったピエールと彼女が下敷きにしていた商人のみ。


「お、おい待て、待ってく」


商人の喉元に突き立てられる黒い右腕。

 注意はピエールに向けたまま、黒衣の人影は地面に杖でも突くかのような気安さで商人の喉に腕を突き立て殺害した。

 商人の顔に、死して尚消えない恐怖の表情が刻みつけられる。


「……ぐっ」


距離を取ったピエールが逆関節と化した右膝の激痛を堪えつつ片足で何とか姿勢を整えるが、一瞬呻くと同時に黒衣の人影が再度距離を詰めてきた。

 満身創痍の状態で、ピエールが迎撃を試みた所で。


「ぎゃおおお!」


 横から緑色の髪と犬耳が飛びかかった。

 前傾姿勢で疾走し吶喊したチュチュが、左手の盾で黒衣の肩を殴りつけたのだ。

 人影は斜めに倒れ、受け身も取らず洞窟の地面に強かに頭をぶつける。

 人間なら確実に脳や頭蓋が傷つく勢いだが、動きが鈍る様子は無い。


 その間に、護衛たちがピエールに合流した。


「わううう……!」


喧嘩っ早い中型犬のようなうなり声を上げながら、相対する相手を睨むチュチュ。

 もう黒衣の人影を直視しても怯むことはないようだ。

 ネイトも彼女に負けじと、武器を持つ手に力を込めて黒衣を見つめる。


「姉さん」

「ちょっとこれじゃ、戦えそうにない。……治して欲しい」

「大丈夫よ、任せて」


ピエールが片足で後退し、ケアリーが呪文による治癒に回ったところで。

 チュチュとネイトが黒衣へ飛びかかった。


「がううっ!」


やや獣のような雄叫びと共に、チュチュが一息に黒衣の頭部へ剣を突き入れんと駆ける。

 が、黒衣の人影は両腕をおもむろに開くと。


 剣を真正面から受け入れた。


「わっ……うぎっ!」


チュチュの放った突きは寸分違わず黒衣の人影の顔面、人であれば鼻の下か口であろう位置を貫き後頭部から刃が露出していた。

 しかし黒衣の人影は余裕綽々のまま、開いた両手でチュチュを抱き締め骨を砕きにかかる。


「うぎぃいああああ!」

「チュチュっ!」


併走していたネイトが剣を黒衣の人影の左腕の付け根、腋の辺りへ突き立てるとチュチュへの拘束がやや弱まった。

 しかし未だに腕はふりほどけない。

 チュチュの悲鳴がどんどんと甲高く悲痛なものへと変わっていく。


 ジョッシュが横合いから飛びかかった。

 上段に構えた剣を一直線に振り下ろす。

 しかし彼の縦斬りは振り向いた黒衣がこれ見よがしにチュチュを盾にした為直前でぴたりと停止する。


 が、代わりに反対側から迫っていたアーサーが黒衣の人影の左肩へ背中から剣を振り下ろした。

 がすっ、という肉か骨かも分からない曖昧な手応えと共に、十分な速度と勢いの乗った縦一文字の切っ先が黒衣の人影の左肩を半ばまで断ち切り、その隙にようやくチュチュは黒衣の人影の腕の中から脱出した。


 行きがけの駄賃とばかりに渾身の力で黒衣の人影の胴体を蹴り飛ばしてから、前を向いたまま後退し他の前衛たちと合流するチュチュ。

 荒く肩で息をしている。しかし大きな怪我は負っていないらしくまだ余裕のある顔だ。


「チュチュ、大丈夫?」

「まだ動ける。……助かった、妹」

「いえ」

「犬ころ、奴は突くより切断しろ、と昨日あれほど相談していただろうが」

「知ってる。……でもちょっとくらい怯むだろうと思ってた。……ごめん」

「後で反省会だ」


前を向いたまま真剣な顔で言い合うチュチュとジョッシュ。

 黒衣の人影は両腕をだらりと垂らした姿勢で、じっと一同を見つめていた。

 左肩を深々と斬られているが、流血は当然のこと、動きすら鈍る気配が無い。

 会話が一段落ついた辺りで、右腕を静かに前面へと構える。


 再度攻撃を仕掛けようと、黒衣の人影が右足を一歩踏み出した瞬間。

 後方にいたアントンが手にした短杖の先から光を迸らせた。


「散れ!」


彼の言葉によってアーサーを含めた前衛たちが素早く左右へ散開し、開いた射線からアントンが呪文を放った。

 矢より更に細く鋭い光の針が四本、黒衣の人影の足下めがけ飛来する。

 黒衣の人影は飛び跳ねることで四本を避けたが、追撃の三本のうち一本が右足を捉え、黒一色の右足が凍結により白く染まった。


 片足が凍り不格好な着地となった黒衣の人影。

 そこへ更に発光する含み針のごとき光弾が射かけられた。

 三発を右腕で受けて凍結し、二発を避け、更なる二発が股間に直撃して関節が凍てつく。


「行くぞ!」


十分な妨害が出来たと見たジョッシュの宣言によってアントンは一旦呪文の手を止め、代わりに前衛四人が四方から黒衣へと迫った。

 身体の節々を凍結させられた黒衣の人影は動きが鈍り、満足な回避行動は取れそうにない。

 四人の構えた剣が、ほぼ同時に黒衣へと襲いかかる。


 しかし黒衣の人影。

 右の巨腕を真横へ伸ばし。

 上半身だけを回転させた。


「うおおっ!」


下半身は回っていないにも関わらず上半身だけが渦を巻くようにぐるぐると回転し、盾で受け止めた筈の護衛三人を膂力で押し飛ばし、受け流したアーサーへは回転を止め真上から右腕を振り下ろした。

 どごぉっ。

 丸太罠がぶつかったかのような衝撃音と共に、アーサーが頭上に構えた盾めがけ叩き付けられる右腕。

 アーサーは辛うじて両手を沿えることで強打を受け止めたが、黒衣が右腕に更なる力を押し込めたことで文字通り押し倒されてしまう。


 仰向けに姿勢を崩したアーサー。

 なんとか目を向ければ、眼前には巨大な右腕を大きく振り上げる黒衣の人影の姿。


 護衛三人は薙ぎ払われた直後で遠い。

 姉は治癒こそ終わったものの三人より更に遠い。

 故に助けが来ることはなく。


 黒衣の人影渾身の打撃が、避け損ねたアーサーの左腕を盾の上から叩き潰した。

 地面が震え、壁が慄き、天井から塵が散る。


「あぐっ……!」


腕が土の地面にめり込み、骨が砕け肉が潰れる。

 もしも受けたのが盾の上でなければ、もしも下が比較的柔らかい土でなければ、叩き潰され千切れ飛んでいてもおかしくない威力だ。

 しかし盾と地面という二つの幸運により潰されながらも千切れることはなく、少女のか細い左腕を瀕死で繋ぎ留めた。


 押し殺した悲鳴を洩らしつつもアーサーはすぐに左腕を引き抜き退避を試み、黒衣の追撃の右腕で踵を打たれた程度で辛うじて黒衣の右腕の射程外へと逃れた。

 黒衣はすかさずアーサーに止めを刺そうと追い縋ったが、その間に最も離れていた筈のピエールが最も速く駆けつけ両足を使った跳び蹴りで黒衣を蹴り飛ばした。

 即座にアーサーを引き起こし、後方に控えるケアリーの方へ地面を滑らせるように投げ飛ばす。


 挫滅によって骨が砕け肉が露出している左腕を抱え、どうやら打たれた踵も骨にヒビが入っているらしく歩行も覚束ないアーサー。

 彼女の元へケアリーが駆け寄ったのを見届けてからピエールは黒衣へと向き直った。


「……肝が冷えたわん。しかしあの盾、随分丈夫わんね。見た感じただの革の癖に」

「中にそこそこいい金属仕込んであるから。普通の金属だと多分勢いが乗った一撃は防げないから気をつけて」

「そこそこ、って……」


小声で護衛とピエールが会話する中、黒衣の人影はゆらりと朧気な雰囲気で立ち上がりピエールを視た。

 ぼろ切れを纏った状態では顔を窺うことは出来ないのだが、それでも確かに彼女を視ていた。

 膝を蹴り砕いた筈の彼女が、既に無傷同然の状態まで癒えている。その事実に意識を向けているのだと、戦闘員たち全員がうっすらと察していた。


「次だ! 煌めけ!」


相手が凍結を砕いて動き出す瞬間を見計らい、機先を制してアントンが呪文を放った。

 三本の呪文の針を放ち、足を踏み出そうとした瞬間の黒衣の出鼻を挫く。


 たたらを踏みつつも難無く呪文を回避した黒衣。

 しかし放たれた光弾の、三本のうち一本。足下やや手前に刺さった光の針は着弾と同時に強烈な白光を放った。

 目眩ましの閃光呪文だ。

 薄暗い洞窟内が陽の下より遙かに強い白光に塗り潰される。


 至近距離で目すら潰しかねない光を浴びて、半歩仰け反る黒衣の人影。

 前衛たちは光を直視しないよう隠しながらも、一瞬の内に散開して滑るように黒衣を包囲する。


 その最中。

 黒衣の人影の後方に回り込んだピエールだけが、それをはっきりと捉えていた。


 至近距離で白光を浴びている筈の黒衣の人影。

 その足下に、一切の影が存在しないことを。


「ウオオオオッ!」


真正面からジョッシュが切りかかる。

 黒衣は押されながらも右腕で剣を受け止め、右足で蹴り返す。

 ジョッシュは真正面から胴を蹴られたが、ピエールの時とは違い苦し紛れの反撃なので重傷を負うことはない。後方へ吹き飛んだだけだ。


 ほぼ同時に、両側面からチュチュとネイト。

 右手側から迫ったチュチュは袈裟斬りをジョッシュの一撃ごと纏めて巨腕で止められたが、左側のネイトは剣で足首を正確に突き抉り、黒衣の人影の左足を踝の辺りで切断することに成功した。

 よろめいて体勢を崩しかける黒衣の人影。


 しかし倒れることはない。

 断たれた左足の断面で地を踏みしめ、またも上半身だけで回転した。

 ごうっ、と風が鳴り、チュチュが盾ごと突き飛ばされ、ネイトは左肩の骨にヒビを入れられ両者地面に転がった。


 上半身で回転した黒衣の人影。

 下半身は前を向いたまま、上半身だけがぐるんと後ろを向いてピエールを迎え撃った。


「きえあッ!」


姿勢を低く取り、雄叫びと共に手斧で胴へ横薙ぎ。

 当然のように右腕で止められるが、間髪入れず止められた斧を支点に下半身を振り上げた。

 曲芸めいた空中機動で少女の身体が空中で回転し、突き出された足の踵が黒衣の側頭部を強かに抉る。

 蹴りが直撃した黒衣の右側頭部は踵一つ分陥没し、左側が肩と密着するほど仰け反る。が、手応えは異常に浅い。もし人間であれば、頭蓋を砕き脳を散らす確かな感触があったことだろう。


 続けて空中で斧をも振り上げ一閃、着地後二閃。

 彼女の連撃は全て右腕によって防がれ、ただ硬質な金属音を響かせるのみに留まった。


 だが今は好機。相手は左足首が欠け下半身は反対を向いているので足技も難しい。

 ピエールは攻め手を緩めず手斧を振りかぶり、黒衣の人影も同時に右腕を構えて。


 先手を取ったのは黒衣の人影。

 風を唸らせ振り抜かれた右腕が、ピエールの左腕を強かに捉えた。

 妹同様骨が折れるに留まらず粉砕させられて、肉の中で飛散し神経を掻き毟る。


 しかし彼女は怯まない。

 平時からは想像も出来ない、目だけが極限まで見開かれ感情の一切が削ぎ落とされた無表情を顔に張り付かせたまま。


 手斧を袈裟に打ち込んだ。


「がアアアアっ!」


小さな少女の決死のカウンターによって、またも斜めに両断される黒衣の人影の上半身。

 そこに内容物の感触は無く、何かの不思議な感触があるばかり。


 初戦同様最後はピエールの一撃によって、今度は頭部と右腕、左腕と下半身、で二分割された黒衣の人影。

 やはり初戦同様、更なる追撃で完全に破壊しようとピエールが試みて。


 残った黒衣の左腕が、切断された右腕側の頭を掴んだ。


「っ……!」


その行動だけで全てを察したピエールが、早急に完全に破壊しようと再度斧を振るうが一手遅く。

 黒衣の左腕が切断された頭部右腕側を放り投げた。


「守ってええええっ!」


振り下ろした手斧で既に役目を果たされてしまった左側を破壊しながら、ピエールが目を剥き喉を絞り上げて叫んだ。

 前衛たちは全速力で宙を飛ぶ頭部側を追うが、ピエールの援護の為近くで待機していたので間に合わない。

 治癒途中のアーサーが跳ね上がって防御に動こうとするも、まだ潰れたままの腕の痛みで身体がよろめく。


 飛来する黒衣の頭部と右腕。

 その標的は馬車。

 恐怖に震えて縮こまる馬か、中で怯える非戦闘員たちか。

 いずれにしろ無防備で、袈裟に断たれているとはいえ黒衣の怪物ならば容易く殺めることが可能で――


「任せろ!」


間に立ちはだかった者がいた。

 禿頭の魔法使い、アントンだ。

 魔法使い用の短杖を両手で構え、飛来する黒衣の断片を堂々と迎え撃つ。


 間に入られ、標的をアントンへと定めた黒衣の頭部。

 空中で、大きく右の巨腕を振りかぶっている。

 彼は短杖を斜めに構えて腕を受け流す体勢を取った。


 風も切らずに無音で振り下ろされる巨腕。

 アントンの短杖と斜めに接触して。


 するり。

 あまりにもあっさりと、振り下ろされた筈の巨腕は斜めに逸れてしまった。

 逸れた巨腕に、ある者は一瞬の安堵を。

 またある者は絶望を。


 右腕はフェイント。

 アントンがそのことに気づいた時には、眼前に迫った漆黒の顔面が大口を開けていた。

 黒衣の人影は口内も等しく黒く、舌も喉も窺えない。

 唯一存在するのは、いやに綺麗に揃った黒い歯のみ。


 その黒衣の大口は、次の瞬間アントンの喉を咬み破って鮮血に染まっていた。

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