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姉妹冒険者物語  作者: 並野
クルムトゥの黒き怪物
137/181

01

-クルムトゥの黒き怪物-

東大陸北部にある、クルムトゥという名の盆地地帯を通過する姉妹たち旅の一行。

彼女たちはクルムトゥを根城とする黒い人型の怪物の襲撃を受けた。

何度倒しても蘇り襲い来る黒き怪物。一行に出来るのは怪物を撃退しては逃げることのみ。

クルムトゥ盆地における、艱難辛苦に満ちた戦いと逃亡の物語。

「――明るい光の道を歩きなさい、おぞましいものを避けられるから

暗き闇の道を恐れなさい、おぞましいものに捕まるから――」


 ぱかぱかと土を踏み歩く馬の足音に混じって、若い娘の歌声が聞こえる。

 明るい晴天の空によく響く、素朴な、だがどこか聞く者を不安にさせる旋律。


 歌声の主は一台の馬車の御者台に腰掛ける、十代半ばほどの少女だ。

 顔つきはややあどけなさが残るものの、年の割には大人びた表情と雰囲気を帯びている。

 何よりも特徴的なのは腰まで届きそうな長い赤髪で、非常に丁寧に、やや神経質なほど整えられている。


 御者席の中央に陣取る彼女の右隣には、中年の男性。

 少し灰がかった髪に痩けた頬、知的さと気の弱さを両立する雰囲気の彼は、御者席の右側でやや窮屈そうに馬車を引く馬を操っている。

 しかし表情は穏やかで、さながら昼下がりの休憩時間に茶を啜って一息ついているかのようだ。


 少女の左隣にはこれまた窮屈そうに、二人の少女が座っていた。

 片方は鮮やかな茶髪を立派に編み上げた、垂れ目で穏和そうな顔の少女だ。優しく柔らかい印象の垂れ目を更にふにゃふにゃに緩めて、右隣の赤毛が奏でる歌声を聞いている。

 編み上げの左隣には、くすんだ金髪の少女。

 こちらは右二人よりも幾分座高が高く、右端の中年男にも迫るほど。編み上げとは対照的に目つきは釣り目で鋭く堅い印象を醸し出し、今は至極つまらなさそうに周囲の景色に視線を投げている。


 金髪が投げ出す視界の先には何台かの馬車と、並んで歩く武器を提げた男たち。

 更にその先には、広大な平原地帯が地平線の先まで一望出来る。


 垂れ目の茶髪の少女はピエール。姉だ。

 釣り目の金髪の少女はアーサー。妹だ。

 二人は男性名だが姉妹であり、冒険者でもある。


 姉妹は現在商人の馬車に同乗し、東大陸をゆっくり北上していた。

 目的地は東大陸の北部地域。

 クルムトゥと呼ばれる盆地地帯を経由する馬車旅の真っ最中であった。



   :   :



「――光を貴びなさい、闇を疎んじなさい

その先にあなたの道があるから――」


最後の言葉が細く伸び、赤毛の少女の歌が終わった。

 歌の終わりと同時に、ピエールが笑顔で小さな拍手を送る。


「お粗末様でした」


少しだけ頬を赤らめながら、同じように笑顔を返す赤毛の少女。

 名前をプリシラという。


「声を長ーく伸ばすところがすいーっと滑らかで聞いてて気持ちいいね! 私が同じように伸ばそうとしてもきっとふにゃんふにゃんになっちゃうよ」

「ありがとうございます」

「プリシラは歌が好きだからねえ。小さい頃から暇があれば髪の手入れと歌ばかりなんだよ」

「ああ、髪もねー、確かに」

「……分かります? うふふふ」


二人の会話に、右端に座っていた中年男も混ざった。

 彼の名はウォルト。

 プリシラの父親にして、姉妹が乗る馬車の主でもある。

 クルムトゥ盆地を挟んだ南部へと北部の特産品である巨大花の糖蜜を出荷した帰りだ。

 その帰路に姉妹が同乗させて貰っている。


 ちなみにこの旅路におけるウォルトの馬車は一台のみである。

 行きでは大量の蜜を運ぶ為多くの馬車を動員したが、全て南部で捌き終えた為行きで用いた馬車は一台を残して荷物ごと売却されている。身軽な帰路だ。

 同行している他の馬車は全て他の商人のものであり、安全性を高める為集団で行動しているだけ。

 お互いの関係性は他人と言うほど浅くはないが、隊商を名乗るほど深くはないだろう。


「先ほどの歌はこの辺りの民謡ですか?」


周囲の景色に目を向けたまま、アーサーが静かに問いかけた。

 プリシラは左手で髪を優しく、決して乱れないよう丁寧に撫でながら答える。


「ええ、この辺り、というよりクルムトゥで歌われてきた昔からの歌だそうです。いつからある歌なのかは定かではありませんが……」

「あれ、そのク……クル……クルムトゥ盆地? って人住んでないんじゃなかったっけ?」

「どうしてそこで言い淀むんですか」


妹の突っ込みを満面の笑顔で聞き流し、プリシラとウォルトへ疑問を振る姉。

 プリシラはそんな二人のやり取りに小さく笑みをこぼした。


「今はもう誰も住んでいませんが、昔はあそこにも町があったそうですよ。大体……何年前くらいだったっけ? お父さん」

「そうだなあ、私もあまり詳しくはないんだよ……なあアントン、アントン!」


馬に繋がる手綱を引きつつ首を捻ったウォルトが、御者席の後ろ、幌馬車の内部へと呼びかけた。

 嗄れた男の返事がしてから、馬車の窓が開く。


「なんじゃいウォルト、私ゃ眠いんだ」


窓から顔だけを覗かせたのは頭髪が一本も無いつるりとした頭の中年男性だ。恐らくウォルトと同年代だろう。

 頭髪と反比例して長く豊かな眉毛を低く下げ、訝しげな半目でウォルトを見据えている。

 男の名はアントン。ウォルトの旧友にして馬車を守る護衛の魔法使いの一人だ。


「おっちゃんよく眠れるね、動いてる馬車の中で」

「どんな状況、場所でも気にせずのが私の一番の特技だからな、がはは」

「お前の一番の特技は呪文だろう……」


ピエールに笑顔で返すアントンと、彼の代わりと言わんばかりに半目になって返すウォルト。

 少し笑ってから再度アントンが視線で話を促すと、ウォルトが口を開いた。


「なあアントン、クルムトゥに町があったのって何年前のことだったかな? さっきの娘の歌の発祥の地のことなんだが」

「クルムトゥに町? ああ、ええと……千年くらい前じゃなかったか?」

「ええ、いやそこまでじゃないでしょう……?」

「そうだったか? 最近物覚えが悪くなってなあ……」


プリシラに指摘され、つるつる頭を撫でながら記憶の中から答えを引っ張り出そうとするアントン。

 しかし彼が思い出すより先に、


「大体二百年くらい前よ」


馬車の中からまた別の人間の声が放たれた。

 次いでひょこりと顔を出したのは二十半ばほどの若い女性。

 アーサーとは似て非なる鮮やかな金髪を後ろで大きな一本の三つ編みに纏めている。

 穏やかな大人のお姉さんとでも言うような雰囲気だ。

 彼女の名はケアリー。アントンと同じく護衛の魔法使いの一人だ。


「ありがとうございますケアリーさん。……でも二百年って、古いのやら新しいのやら」

「あら言うわねプリシラ。あなたまだその十分の一も生きてないじゃない」

「そうなんですけど、なんだか大昔って言っていいのか迷っちゃって」

「そうだねえ……大昔、と言うとそれこそアントンが言った千年近い時間を想定してしまうかもね」


各々がクルムトゥという土地に思いを馳せる。

 約二百年前に消失したという町のことを。


「……そのクルムトゥの町ってなんで無くなっちゃったの? よく人は通るんだよね? 今回みたいに」

「通過するだけならいいが、定住するには向かんのだよ、あそこは。雨季になると盆地が水浸しになるほどの大雨が降ることもあるし、人は襲わないとはいえ大がらすの被害も少なくない。私は定住なんか絶対にしたくないな」

「そもそもどうしてあんなところに町を作ろうと思ったのかも疑問なのよね。確かに中継地点があると便利だけど、無くてもこうやって通過出来るのに……」

「当時の人間が商機でも嗅ぎ取ったんだろう。結果は今知っての通りだが」


細々と言い合いながら、アントンとケアリーは顔を引っ込めて馬車の内部へと戻っていった。

 ピエールが納得したのかしていないのかよく分からないため息を吐き、アーサーが何やら物思いに耽ったところで。


「ああ、そろそろ見えてきたよ二人とも」


前方を見上げたウォルトが声を上げた。

 釣られて姉妹が前方へ目を向けると。

 川幅三十メートルは下らない巨大な川と、その上に架かった石造りの非常に古く、しかし未だ頑強で立派な橋が現れる。

 その先には西から東へ高く聳える山々と、その根本付近にぽっかりと開いた大穴。


 クルムトゥ南の洞窟。

 一行はこれからこの洞窟を抜けてクルムトゥ盆地を横断し、同じように開いたクルムトゥ北の洞窟を抜けて東大陸北部へと向かうのだ。



   :   :



 一行は橋を越えたところで各々停止し、休憩と食事の準備を始めた。

 ウォルトの馬車も動きを止め、馬を簡素ながら地面に留める。


「それじゃ、一旦休憩にしようか。食事の準備を……」

「あーもー疲れた! わんっ!」


ウォルトが合図をしようと手を叩いたところで真っ先に一つの影が割り込んだ。

 ずざあっと腹で地面を滑ってプリシラの足下へ滑り込む。


「わんも馬車に乗って楽したいわん! 歩きたくないわん!」


その人影、頭に獣の耳がある。

 緑色の犬の耳だ。


「ずるいわん! 憎いわん! 恨むわん!」


彩度の高い新芽のような緑色の髪を丸くボブカットに切り揃えた、姉妹やプリシラより更にもう一段階年若い少女。

 しかし胴体や手足には革製の防具を着込んでおり、腰には剣と盾を一組提げている。

 うつ伏せになった状態で手足をばたばた振り乱す勢いに併せて、頭髪と同じ緑色の犬耳がふるふると震える。


 獣の耳を備え、筋力、聴覚、嗅覚に優れる耳人(プッチェル)という種族の少女だ。


「……だから昼からはわんも馬車の中がいいわん? プリちゃん?」


ちらっ。

 一頻り騒いだ緑色の犬娘は、顔を上げてプリシラの顔を見上げた。

 キラキラに光る眼差しでプリシラの眼を見つめている。


 しかし彼女の視線は足下の彼女へは向かわない。

 向かう先は。


「俺たち護衛が馬車の中でごろごろしていい訳ねえだろう、犬っころ」


彼女から遅れてプリシラたちの元へやって来た中年男だ。

 やはりウォルトやアントンと同年代と思しき、全身くまなく筋肉に覆われた出で立ち。

 とはいえ横幅は意外にすらりとしており、よく引き締まった無駄の無い筋肉だ。

 彼も耳人の少女同様武具を装備している。

 彼の名はジョッシュ。

 アントン、ウォルトとは見た目通り同年代で、古くからの旧友である。

 彼がウォルトの護衛たちのリーダーだ。


 軽量金属の篭手越しに腕を組むジョッシュに冷たい視線で見下ろされ、耳人の少女は不満顔で唇を尖らせた。

 ジョッシュの顔は明らかに堅気ではない雰囲気なのだが、気後れした様子は一切無い。


「でもケアリーとかくそじじは馬車の中じゃん!」

「二人は魔法使い、僕らは前衛。何も問題無いよね」


耳人への口撃を引き継いだのはジョッシュから遅れてやって来た青年だ。

 年は耳人の少女と同年代。黒に近い焦げ茶の髪はわずかながら癖があり、緩く曲がりくねっている。

 格好も耳人とほぼお揃いの、前衛らしい青年だ。


耳人の名前はチュチュ。

 青年の名前はネイト。

 二人ともウォルトの護衛メンバーの一員で、前衛を任されている。

 前衛にジョッシュ、チュチュ、ネイト。後衛にアントン、ケアリー。

 この計五名が、ウォルトの護衛メンバーだ。


「でーもー!」

「はいはいプリシラさんに構って貰えなくて寂しいんだよねー、チュチュちゃんは寂しんぼわんこですねー?」

「おいネイト! 今あたしを馬鹿にしたな!」

「あらチュチュ? "わん"はどうしたのかしら?」

「……わんを馬鹿にしたなわん!」

「事実を言っただけで全然、ええ全然そんな意図はありませんとも。ほらチュチュ、いいから行くよ。……じゃ、僕らは水汲んで来ますんで」

「くそー! わーん!」


忌々しげに叫びつつ、不自然に語尾を付け足しつつ、チュチュは立ち上がった。

 ネイトから投げ渡されたバケツを受け止め、二人並んで川へと歩いていく。


「私は馬を診てからくそじじいと一緒に昼食の準備をするわね」

「……ケアリーや、師をくそじじい呼ばわりとは私は悲しいぞ」

「チュチュから見たあなたがくそじじいなのは間違いないでしょう?」

「それはそうだが……いやあくまであの子から見た場合であってお前には関係あるまい?」

「誰から見てもあなたは実際くそじじいよ」

「それもそうだが……」


軽口を叩き合いながら、竈や食器の準備を始めるケアリーとアントン。

 その様を見送ってから、ジョッシュは腕を組んだままウォルトに視線を向ける。


「俺は馬に秣をやって来る」

「ああ、助かるよジョッシュ」


朗らかに微笑むウォルトに頷いてから、馬車へと戻ろうとするジョッシュ。

 を、ピエールが呼び止めた。


「私たちも何か手伝おっか?」


笑顔で尋ねたピエールだったが、ジョッシュは背を向けたまま振り向かない。

 ややあってから、


「お前たちは客だ、雑用をする必要はない。余計なことはしなくていい。……戦闘でもな」

「え、ええと……」

「勿論、そうさせて頂きます。……この辺りは、魔物も少なく平和なのでしょう?」

「ああ」


言い淀んだピエールの代わりにアーサーがすげなく答えると、ジョッシュもそれ以上何も言うことなく馬の元へと去っていく。


「ジョッシュおじさんたら、もう」

「すまないね二人とも。ジョッシュは僕たちの護衛という仕事に誇りを持っているから」

「ううん、大丈夫だよ」


へにゃりと笑みを浮かべたピエールに、ウォルト、プリシラ親子も笑顔を返す。


「さて、我々は精々気楽な馬車旅を満喫しましょうか」

「……もう、またそうやって嫌味っぽい言い方するー」


一瞬苦笑いを見せたが、すぐに明るい笑顔に戻るピエール。

 妹と並んで、二人して大河の流れに視線を巡らせていた。



   :   :



 遙か二千年もの昔。

 クルムトゥの地に巣くうとある恐ろしい怪物を、人々は多くの苦難と犠牲の末封じ込めることに成功しました。

 その偉業により、クルムトゥは人が住むことも、通ることも可能な中継地としての確立が叶ったのです。


 しかし時は流れて。

 クルムトゥに築かれていた人の営みは、時の流れと共に一人去り、また一人去り、封印から千八百年で消滅してしまいました。

 クルムトゥから人の住む所は喪われ、ただの通り道と化してしまいます。

 人こそ通りますが、クルムトゥの、封じられた怪物の曰くを知る者は減少の途を辿ります。


 そして封印から二千年後の現在。

 最早、この地にかつて怪物が潜み、怪物が封じ込められたことを知る者は誰一人いません。

 故に、怪物の封印が人の手が入らなければ年々綻んでいくことを知る者も誰一人いません。

 故に、封印が限界を迎え、かの怪物が既に解放されていることを知る者も誰一人いません。


 解き放たれた怪物は。

 既に一行の存在を、(しか)と捉えていました。

 自身の領域に踏み込んだ、獲物たちの存在を。

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