39
ニネッテとサミーに続きエドワードも用を終えて去り、応接間にいるのは夫妻二組、姉妹、ルーベンの七人へと戻った。
おばけかれきの件、サミーの件と話が済み、ルーベンが最後の話題を切り出すべく口を開く。
「……さて。最後に、尋ねたい。内容は言うまでもなく、パウル君と娘のことだ」
「お、お父様! その話は今日はもう」
「ルアナ」
ルーベンに優しく、だがはっきり言い含められ、ルアナは何一つ納得していないが口を閉ざした。
本来ならばこの程度では引き下がらず血気盛んに父へ食いついているが、今は隣にパウルがいる。
彼に自分の本性を見せる訳にはいかないと、ルアナは大人しく引き下がっていた。
当のパウルには、ルアナの本性など当初からおおよそ察知されているのだが。
「まずは、パウル君。共に暮らして、ルアナはどうだね? 君の、迷惑になっていないか? 負担になっているのでは、ないかね? 正直なところを、聞きたい」
「いえ! ルアナさんは僕にとても良くしてくれています! 何も負担なんてありません! 僕なんかには勿体ないくらいです!」
背筋をぴんと伸ばした、何の淀みも無い即答だ。
だがそれが逆にルーベンに疑念を抱かせる。
彼は少し悩み、師のマリウスではなくアーサーに尋ねることにした。
出会ったばかりの間柄だが、アーサーが良くも悪くも周囲に対し極めてドライな対応を徹底していることに彼は気づいていた。
姉に対してはそういったドライな面を見せないことまでは気づいていないようだったが。
視線で話を振られたアーサーも、パウル同様すぐに口を開く。
しかし内容は大差あった。
「ルアナは食事の用意も洗濯も出来ず、日常生活での些事は全てパウルに任せきりのようです」
「あっ、アーサー様っ!」
「パウルが腕を折られた際も食事は我々が外で買い求めましたし、洗濯も手伝いに来ていたヴァレンティナに一任していたとか」
「……」
「鍛冶仕事に関しても、呪文面での補助は出来るようですが相槌を打つには腕力が足りない、とこちらのマリウス夫妻が仰っていました。普段の生活の中でも、外聞無くパウルに甘える様は個人的に不愉快です」
「ね、ねえアーサー……ちょっと」
「加えて今日の、ネリリエル家長女という立場にありながら武具屋だから、誘われたから、という軽薄な理由で戦場へ自ら向かう蛮行。更に、間接的ながら彼女が嫁いだからこそのパウルが受けた被害。我々が初めてパウル武具店に赴いた際に見た、ルアナの発案による不快な武具の数々。客観的に見て、二人の関係は肯定出来ません」
「……」
空気が重い。
アーサーの言葉はあまりにも遠慮が無さ過ぎて、問いかけたルーベン含めその場の全員が押し黙ってしまった。
ピエールが周囲に気づかれないよう必死で妹を諫めていたが、効果は見られない。
「ですが」
その重い空気を。
もたらしたのがアーサーであれば、打ち払ったのもアーサーであった。
「裏を返せば、多少の問題があっても共同生活が円滑に続く程度には互いに深い繋がりがあるようです。今現在は家事も鍛冶もまるで駄目な箱入り娘の典型例ですが、改善の意志は強く抱いている様子。その愛情が続く限りは、二人の関係を認めていてもよいのではないかと」
「アーサー様……」
「ただし、家事に関しては手伝いとルアナへの教育を同時に行える者を招致する必要があるでしょう。彼女を一人家に放り出していても改善などしよう筈がない」
「アーサー様……」
ルアナの二度の呟きは全く同じ言葉だが、込められた感情は全く異なるものであった。
ルーベンは娘の感情の急高下は無視しつつ、アーサーの言葉に思案の素振りを見せる。
考えつつも、視線を次はマリウス夫妻へ向けた。
慌てて背筋を正し先ほどまでの媚びた態度で口を開こうとするマリウス。
しかし先んじて言葉を放ったのはヴァレンティナだ。
「あたしもおおよそは今の妹の発言と同意見です、当主様。一言で纏めると、今は問題だらけ。でも問題を直そうとは思っているし、乗り越えられる愛情の強さもあると思います」
「……なるほど。ではマリウス。逆に、パウル君の、鍛冶師としての腕前は、どうだね?」
「ははあっ!」
条件反射で威勢良く返事をしてから、マリウスは言葉を探す。
この時ばかりは真剣な師の顔だ。
「……そうでやすね、一応は独り立ちを許しましたが、まだまだひよっこに毛が生えた程度のもの。少なくとも、この小む……姉妹が来る以前の店の不人気を、ただの噂と断定しない程度には。もし店が潰れたらまたうちで厳しくシゴいてやろう、とこいつと一緒に言ってた次第でごぜえます」
「信頼無いなあ、僕」
「大丈夫ですわ、パウルさんのことはわたくしが信じております」
「ルアナさん……」
「パウルさん……」
大きな咳払い一つ。
誰が放ったかも分からないそれによって、二人の世界に入りかけたパウルとルアナは慌てて佇まいを正した。
マリウスの説明を聞いたルーベンは、再び視線をアーサーへ。
しかしここでアーサーは、自分ではなく姉に返答を促した。
話を振られ、戸惑いながらもピエールが口を開く。
「パウルのおっちゃんの武具は……うーん」
話しながらもやや思案、ののち。
「魔物が少なくて武具の……じょよう?」
「需要です」
「そうそう需要、需要ね。知ってたし? ……需要が少ない町の、長年打ってるけど武具に対するやる気があんまり無い人の作品、って感じ」
「つまり?」
「良くはないけど悪くもないかなあ。魔物が多くてよく戦う土地の武具屋でこれが出てきたらちょっとがっかりする」
「……」
ピエールであればもう少し慮った言葉が出るかと思いきや、意外にも辛口な評価。
パウル夫妻は揃って表情を曇らせた。
とはいえ、命を預ける武具に対してピエールは嘘を言わない。
そのことが分かっているから、アーサーも話を振ったのだ。
評価も妥当なものらしく、マリウス夫妻は無言で同意を示していた。
ルーベンが腕を組んで思案しながら、再度視線をアーサーへ。
「君らが契約期間を終え、この地を去った後。パウル武具店は、どうなると思う?」
「今の一時的な人気は、契約の満了を待たずに無くなるでしょうね。武具の質は決して良くない」
「アーサー様っ」
「ですが良くないにしろ平均的な出来はあります。あの男が吹聴させていたような、使い物にならないほどの出来ではない。なので一定の客は残り、細々とした、しかし出来映え相応の着実な人気に落ち着くのではないでしょうか。以降は腕前の上達次第、私には判断しかねます」
ルーベンがマリウス夫妻へ視線を振ったが、特に反論は無いようだ。
聞くべきことを聞き終えたルーベンが、目を閉じ目頭を揉む。
「……結論は、現状維持か。二人の婚姻を、なし崩し的に認めた時と、同じく」
「お父様……!」
「本当は、一年、せめて半年でもうちに戻らせて、最低限の些事を、仕込ませたいが。……それをすると、また暴れるからな、ルアナは」
「お、お父様!」
「ルアナが家で暴れると、一体何千ゴールドの、被害が出るか分からぬ。一つ五百ゴールドを越える花瓶を、今までに一体いくつ壊されたか……」
「ぱ、パウルさん! わたくしそんなことしていませんからね? 全部お父様がアニタのやったことを勘違いしてるだけで」
「いや、いいんだルアナさん。ルアナさんがなんていうか、そういう人、なのは僕も分かってるから……」
「えっ」
「お前の、粗暴な本性を知って尚、想ってくれるのだ。……くれぐれも、彼に負担と迷惑を、かけ過ぎないように。ルアナ」
「……」
「そして。二人とも、これから精進するように。パウル君、こんな娘でも、大事な、私の娘だからね」
「はいっ!」
「……」
背筋を伸ばし威勢良く答えるパウル。
一方ルアナはまだ思考が停止しているのか返事は見られない。
そんな二人を見ながら、姉妹がぼそぼそ小声で言葉を交わす。
「……こういうのって、普通逆じゃない? 偉い家の人の方が、うちの娘に相応しい男になれ、って言う所じゃない? なんでお偉い家のルアナちゃんの方が、普通の鍛冶師のパウルのおっちゃんに相応しい娘になれ、って言われてんだろ」
「この辺りはいわゆる政略婚を行うような相手も必要も無く娘の婚姻先が自由である点。加えて、それだけルアナの本性とやらに問題があるのでしょう。……ねえ?」
「何が、ねえ? なのかな? 私全然分からないよ?」
「万が一姉さんが結婚する時が来たら、その時は苦労しそうですね」
「……もしいつか私が結婚したら、相手の人が一番苦労するのはアーサーの存在そのものだと思う。絶対とんでもない小姑になるよアーサーは」
「……」
いつものようにピエールを弄ろうとしたアーサーだったが、つい余計な一言を続けた所為で手痛い反撃を見舞われ押し黙ってしまった。
応接間内に、ルアナとアーサー、二つの喋らない彫像が生まれていた。
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話も全て済み、程良い時間ということでネリリエル家では夕食の時間となった。
当然マリウス夫妻だけでなく姉妹やチェリも誘われたのだが、目を覚ましたチェリがそれはもう哀れなほど必死な顔で共に帰るよう縋りついて懇願した為、チェリの調子が優れず彼女を送るという名目で、渋々夕食を辞退し三人はネリリエル家を後にした。
ニネッテは当然のようにもういない。
念願の獲物を捕まえた喜びに、哀れな相方の存在は一瞬で記憶の彼方へ忘却されていた。
「ねえ、あたし大丈夫? 本当にこのあと娘を侮辱した大罪人、って罰されたりしない?」
「だから大丈夫だって、皆優しい人だったし全然気にしてなかったから」
「本当? 本当の本当? あたし大丈夫? 逃げなくて大丈夫? 忘れた頃に牢に繋がれて鞭で打たれたりしない? 手枷はめられて周りから冷たい目で見られながら連行させられたりしない?」
「なんで偉い人に対してそんな恐がりなのチェリちゃん……」
「どことなくチェリの過去が垣間見えてきますね」
アーサーの腰にひしとしがみつき、頻繁に周囲へ視線を巡らせながら歩くチェリ。
まるで寒くて凍えているかのように小刻みに震えている。
普通に歩く二人と雪山で遭難してるかのような一人は、暫し歩いてロールシェルトの中央部へと戻ってきた。
丁度眼前には、冒険者組合の建物が見える。
討ち取ったおばけかれきの残骸や鑑定、報酬決定の経過を尋ねようと姉妹は中へ入ることにした。
チェリも何も言わず小刻みにぷるぷるしながら続く。
途端。
組合内の空気が一瞬ざわついた。
「おい……」
「あれが今日の……」
三人の格好は非常によく目立つ為、入った瞬間衆目に付く。
そして三人、特にチェリが今日のおばけかれき戦での英雄であることは最早周知の事実だ。
周囲からひそひそと漏れ聞こえる声は、殆どが三人を、特にチェリの偉業を語るものであった。
先ほどまで身も心も寒そうにしていたチェリだったが、物理的に耳が大きくなりそうなほど聞き耳を立て、周囲からの自身の賞賛の雨を聞き、見る見るうちに調子を取り戻していった。
「呪文一発で大木の化け物を……」
「どうも噂に聞く古代呪文とやらを……」
ゆっくりとアーサーから手を離し、自然な雰囲気で姿勢を正すチェリ。
「あんなに綺麗なのに……」
「可愛くて強いとか……」
均整の取れたなだらかな上半身をゆっくりと反らし、胸を張るチェリ。
「……氷の呪文って、すげえんだなあ……」
ばしっ。
チェリの両手が、力強く自身の腰に当てられた。
「……いやーっ、今日は中々仕事したわね? 二人とも!」
「え? あ、うん」
「それにしてもネリリエル家の人たちったら! いくら私! ……たち、に賛辞を述べたいからって、戦闘直後に使いを寄越さなくてもいいじゃない!」
「……チェリちゃん?」
「ねえ!」
「あ、はい、そうですね……」
チェリの声は無駄に大きくわざとらしい。
先ほどまではそのネリリエル家相手に死にそうなほど小さくなっていたというのに、開き直ってネリリエル家に呼ばれたことを喧伝し始めている。
その変わり身の早さに、ピエールはまたもや苦笑いだ。
ネリリエル地方で姉は苦笑いばかり得意になっていく。
「ま、あのおばけかれきを! 一発で討ち取ったあたしの重要性を! あのルーベンっておじさんもよく分かってるみたいね! ふふふん!」
「……」
長い黒髪をふぁさっ、と翻し、高笑いすらしそうなチェリ。
ピエールはただひたすら苦笑いだけ行う生き物になることで応えた。
そんな二人のやり取りを軽く流しながら、アーサーの脳裏にぼんやりと浮かぶものがあった。
今ここで"おやネリリエル家の皆様"とでも呟いたら一体チェリはどんな態度を取るだろうか、と。
また青白く凍り付くだろうか。
余裕を取り戻した以上もう彼らには気後れしないだろうか。
マリウスのように媚びる姿勢を取ろうとするだろうか。
それとも一瞬で白目を剥き倒れるだろうか。
彼女の心に少しの好奇心と悪戯心が過ぎる。
が、ここで更にチェリを弄るのは流石に非道が過ぎるだろう、と実行することは止めておいた。何より大事になったら面倒だ。
調子を取り戻し過ぎたチェリをそのままに、三人並んで受付カウンターへと向かった。
相対するのは三人とも顔馴染みのダリアという名前の老婆だ。
「来るのが遅かったじゃないか、三人とも。ネリリエル家に呼ばれたんだって?」
「そうなのよ! ああもう困っちゃうわ、一家総出で褒められちゃって! せめて当日じゃなくて日を跨いでから呼んで欲しいものね! でも、あたしの素晴らしさを一日でも早く見たいって言うなら! 仕方ないわよね!」
「……ネリリエル家に呼ばれたのはパウルとルアナが主で、我々はついでです」
「ひぇひぇひぇ、だろうね」
アーサーが小声で付け足した言葉を聞いて老婆は厭らしく笑った。
チェリは二人の会話は殆ど耳に入っていない。
興奮でムフー、ンフーと鼻息を荒くしている。
「さて、じゃあ報酬の話でもしようじゃないか。あの樹の化け物だが、町の者や職員が調べたところによると死して尚強い魔力を含み、しかも魔力を込めると一時的に貯蔵も可能。魔石に近い性質をしているようだ。枝をそのまま短杖にしてもよし、無加工で魔力の貯蔵庫代わりにしてもよし。枯れてる癖に、有用性は随分と高い。町から出る報酬と併せて、結構な額が撃退参加者に出てるよ」
「おー、それは」
「で? 報酬は当然活躍度によって変わるのよね? あー、一番活躍した人は一体どれくらいの報酬になるのかしらねー! 気になるわー! 一番! 活躍した人がー!」
感想を述べようとするもチェリに言葉を被せられ、ピエールはすぐに苦笑いする生き物へと戻った。
「今回はチェリティリエッテ、あんたが文句無しに一番活躍したね。あんたの報酬は驚きの十万ゴールドだ。ただし、あんたの相方も含めた金額だからね。後であの白いのと一緒に来た時に渡してやるよ」
「ま、当然かしらね! フフン! フフフン!」
「私たちは?」
「あんたたちもまあまあ働いたけど、この黒いのには劣るね。二人併せて四万ってところだ。今現金で受け取るかい?」
「いえ、荷物になるのでまた後日受け取ります」
「そうかい。ま、あんたたちは解放戦線の時も大分貰ってた筈だしねえ。金には当面困ってないね」
報酬の確認が済み、どちらも受け取らなかったものの用件は済んだ。
「ありがとよ、三人とも」
老婆の感謝の言葉を背に、三人は組合建物を後にした。




