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「……」
「何を縮こまっているのですか、これからネリリエル家の当主に直接賛辞を貰えるというのに」
「そうですよチェリティリエッテさん、普段あれだけ目立ちたい誉められたいって言ってたじゃないですか。要望通り誉めて貰えるんですからいつものように自信満々で嬉しそうにしていいんですよ?」
「……ね、ねえ二人とも……あんまりチェリちゃん苛めてあげないでさ……」
「苛めているつもりなどありませんし、万が一そうだったとしてもここまで来た以上途中で帰るなんて失礼な真似出来る筈がありません」
「わたしはただ、チェリティリエッテさんの欲望を満たしてあげたいだけです」
「その割にはさ……なんか楽しそうじゃない? 二人とも……」
ネリリエル家応接間の一つ。
案内されたその部屋でピエール、アーサー姉妹とチェリ、ニネッテの二人組、計四人は出された茶を口に含みながらぼそぼそと話をしていた。
アレックスとルアナは既に別れている。また後で合流する、とのこと。
暫く待っていると、三つの気配が応接間へと近づいてきた。
ややあって入ってきたのは二人。一人は案内役の使用人だったらしくすぐに離れていく。
「おや、あんたたち」
「あ、おっちゃんとおばちゃん」
入ってきたのはマリウス、ヴァレンティナ夫妻だ。
姉妹と夫妻で軽く挨拶をしてから、夫妻も応接間の椅子に腰を降ろす。
「無駄に着飾った小娘ばっかチョロチョロと並べやがって。ここは娼館の待合所か何かか?」
「……あんた、随分と愉快な例えが出てくるじゃないか。本物の娼館の待合所とやらに入ったことでもあるのかい? あたしの知らない間に?」
「……」
ぽろっとこぼしたマリウスの言葉。
それは誰でもない妻に鋭く問い返され、無毛の悪鬼は露骨に顔を背け鼻を鳴らしてごまかした。
旦那のつるつるの側頭部をぎろりと睨みつけてから、ヴァレンティナは横の四人へ視線を戻す。
「で、そっちの白い子と黒い子は誰だい?」
中年女の問いかけに、ピエールが間に立ってニア二人組と夫妻の紹介を行った。
夫妻は二人がおばけかれきとの戦いで活躍したニアエルフだと聞くと納得いったらしく、ニネッテもパウルの師匠と知っていつも通りに挨拶を行っていた。
ただ一人、チェリだけがまだ露骨に怯えじみた緊張を見せている。
「……ほら、あんたの顔が無駄に怖いからあの子怯えてるじゃないか。もっと優しい顔は出来ないのかい」
「んな器用なこと出来るわきゃねえだろ。顔は生まれつきだ」
「ああいや、違うんだよおっちゃん、おばちゃん。チェリちゃんが怯えてるのはなんていうか、この、ネリリエル家っていう大きな家そのものに? かな……?」
「お、おび、怯えてなんかないし私全然怖くないしそんなことないし」
「態度に説得力が欠片もありませんね」
「普段あれだけ偉そうなのに、チェリティリエッテさんは小物過ぎて困ります」
四人のやり取りに、ヴァレンティナは腕を組んで小さく笑う。
一方マリウスは妻が笑った時点で先の展開を察したようで、椅子の肘掛けで頬杖を突きそっぽを向いた。
「なに、別に気にすることないよ、チェリって子。うちのも似たようなもんさ。もうすぐネリリエル家の当主が来るから、その時の態度をよく見ておきな。きっと笑えるからさ」
「……」
恐怖に怯えるニャラニャラのように全身を縮こめるチェリが、そっぽを向くマリウスを横目でじっと見つめた。
初対面とはいえ、この魔物のような出で立ちの男が一体どんな反応を示すのか。
チェリは少しだけ気になり、少し気になった分だけ緊張が解れたような気になった。
: :
マリウス、ヴァレンティナ夫妻が合流してから更に暫く。
部屋の外、廊下から大勢の気配が近づいてくるのを感知して、姉妹はすっと姿勢を正した。
姉妹からやや遅れてチェリ、夫妻と接近に気づき、ニネッテだけが一団が部屋へ入ってくるまで気づかないままであった。
「失礼する」
入ってきたのは、総計六人。
茶と白混じりの長い顎髭を称えた五十手前ほどの男。
男と同年代の、ルアナと全く同じ鮮やかな金髪の婦人。
ネリリエル家長女、ルアナ。
ルアナの夫であるパウル。
ネリリエル家次女、アニタ。
アニタとルアナの中間ほどの年齢の、茶色い髪の青年。
の六人だ。
紹介を受けずとも、おおよそ関係性が窺える六人である。
「これは当主様、それに皆様お揃いで!」
六人の姿を視認した途端、真っ先に立ち上がり口を開いた者。
それがあのマリウスであったことを、ピエールは最初認識出来ずにいた。
目尻を目一杯下げ、堅気にはとても思えない悪鬼の顔をへにゃりと諂いの形に崩す。
その上猫撫で声のような高い声音で喋り、両手は揉み手までしている。
いつの間にか、自分の知らない別の人間が部屋に待機していたのだろうか?
などと考えてしまいそうなほど、マリウスの態度と言葉は異常であった。
「良い良い、マリウス、座ってくれ」
「ははあ!」
初老男が朗らかな口調で言うと、マリウスは威勢良く答え、席へと戻った。
一連の出来事を、ピエールはまだ信じられない。
目を驚き見開いたまま、閉じた口をぴくりとも動かせずマリウスを見つめたままだ。
周囲では、パウルもピエールと全く同じ反応を返している。
彼の腕は未だに添え木によって厳重に固定されているが、痛みはもう収まっているようだ。気にする様子は見られない。
「さて」
マリウスを納めた初老男はゆったりとした歩みで応接間の椅子に腰を降ろした。
次いで、金髪の婦人、青年、アニタも側の席へと着く。
ルアナとパウルも離れた位置に並んで腰掛けた。
「まずは、自己紹介をしよう。私の名前はルーベン。ルーベン・ラフェニア・ネリリエル。かつてこの地を開拓した、長の家系にして、現ネリリエル地方を、治める者である」
その仕草によく似た、ゆったりとした口調でルーベンは自己紹介を行った。
続いて、入ってきた他の者たちも。
金髪の婦人はラモーナ。ルーベンの妻にして、ルアナの母親だ。
鮮やかな金髪は年齢故か幾分褪せて見えたが、その穏やかな立ち振る舞いは老いによって老婦人らしい上品な魅力へと変わっている。
彼女もどことなくルーベンに似て口調が間延びした、おっとりとした雰囲気だ。
茶髪の青年はエリアス。ネリリエル家長男で、年齢的には長女ルアナと次女アニタの間に位置している。
茶色い髪の色はよく見ると、父親であるルーベンのものと同色だ。
目が細く、いわゆる糸目と呼ばれるような目つきをしている。
口調ははきはきとしていて淀みなく、理知的な雰囲気だ。
最後にアニタも改めて自己紹介を行う。
予想通り、入ってきたのはパウルを除きネリリエル家の一行であった。
こうして並んでいると、男性陣と女性陣で髪の色がはっきり二分されているのが特徴的だ。
男女で分かれているのは恐らくただの偶然だが。
ネリリエル家一行へ姉妹とニネッテが畏まった態度で自己紹介を返し、ニネッテが完全に凍り付いているチェリの紹介を代わりに行った。
互いの自己紹介が済み、ルーベンが話を進める。
「アレックスから、一通りの話は聞いた。まずは、町を襲わんとした枯れ木の魔物の討伐、ご苦労であった。この地を治める者として、謝辞を述べたい。報酬はネリリエル家より、冒険者組合ロールシェルト支部に渡してある。この後、組合支部にて、受け取って貰いたい」
真っ直ぐ姉妹を見つめながら、穏やかな笑みで言うルーベン。
姉妹は賛辞をお互い様相の異なる笑顔で受けつつ、アーサーが口を開く。
「ルーベン様。一つ私より、不躾ながらお願いしたい事柄がございます」
「なんだね? 言ってみるといい」
ルーベンの穏やかな目が、わずかに警戒の眼差しに変わる。
同時に凍り付いている氷像の目だけがかすかに動き、アーサーへ視線を送った。
彼女の様子を見かねて、ピエールも隣の妹へ目で制止を行う。
しかしアーサーには届かない。
もう一人のニアエルフも後押しを止めない。
「彼女を、チェリティリエッテを褒めて頂きたいのです。今回の樹の亡者の討伐で、最も活躍し、直接あの魔物を討伐せしめたのは彼女です。今回、彼女に比べれば我々の働きなど些末なもの。一番の功労者を、どうか皆様で讃えてやっては頂けないでしょうか?」
「わたしからもお願いします。チェリティリエッテさんは本当に人に褒められるのが好きで、今回も大活躍の折には周囲から沢山褒めて貰える、ととても期待していたんです。お偉いネリリエル家の皆様から目一杯褒めて貰えたなら、きっとチェリティリエッテさんも満足する筈です。お願いします」
アーサーと、追随するニネッテの頼みを聞いたルーベンからはかすかな警戒が消え、先ほどまでの穏やかな笑みへと戻っていた。
冒険者からの直接の願いと来れば金銭的、立場的な厄介事を押しつけられる事が多い為の警戒だったが、彼女たちの頼みは笑えるくらい些細なものだ。
長男であるエリアスも糸目の奥に警戒を強く滲ませていたが、同様に内心拍子抜けし、逆に愉快な気持ちになってしまうほど。
「そういうことならば」
笑みを湛えるルーベンが、すっくと立ち上がった。
応接間内の一同の視線が集中する中、ルーベンはスタスタとチェリの元へ歩み寄っていく。
目を見開き、首から下が凍り付いているチェリの前で片膝を付くルーベン。
初老の男の乾いた手が、チェリの両手を優しく包み込んで握った。
「チェリティリエッテ殿。そなたが、恐ろしい魔物からロールシェルトを、守ってくれたのだね。心から礼を、言わせて貰おう。ありがとう、美しいニアエルフの少女よ。町を守った君の心意気と、君の氷の呪文に、私は心から敬意を払おう」
「……ぴっ」
チェリの引きつる口角の隙間から、鼠の潰れる断末魔のような短い鳴き声が洩れる。
「チェリティリエッテ様、わたくしからもお礼申し上げますわ。ありがとう、ネリリエルを守って頂いて。世の中には、あなたのように美しくかつ強い、そんな神に愛されたような方が実在するのですね」
「……ぴゅっ」
氷に愛された。
ラモーナの言葉を勘違いしたチェリが更に息を詰まらせる。
「最近ロールシェルトに来たっていうニアエルフ二人のことは家でも話題になっていたんだよ。強力な氷の呪文を操る、とは聞いていたけどそんなに凄かったとは知らなかった。チェリティリエッテさん、君は本当に凄い魔法使いなんだね。今回は、ありがとう」
「お父様やお母様にこんなに褒められた人はチェリ様くらいですわ! 町の救世主、チェリ様!」
「……ぴゃぃっ」
エリアスとアニタの言葉が容赦なくチェリの緊張の氷をがちがちに堅く凍てつかせる。
最後に、満を持してルアナが。
「流石はチェリ様! この下僕四号も鼻が高いですわ!」
「……下僕、四号?」
応接間の空気をふっ、と冷たくした。
ピエールが"あちゃー"と直接口にしそうなほど苦み走った笑みを浮かべ、アーサーとニネッテの作り笑顔が一瞬ひくつく。
ネリリエル家とマリウス夫妻、それにパウルと計七人の視線がルアナへと集中し、
チェリは今にも全身の血が凍り付いて死にそうなほど顔を青白くした。
「……ルアナさん、下僕四号って……?」
「大樹の魔物の元へ向かう際、わたくしはチェリ様の下僕四号に任命されたのですわ。ちなみにニネッテ様が一号で、ピエール様とアーサー様が二号と三号ですの。わたくし、それはもう立派にお二人を乗せた馬車の御者を勤めさせて頂きましたわ」
「それは違うんですチェリティリエッテさんのえとその」
早口で弁明しようとするニネッテだったが、試みは功を奏さず七人の視線がルアナからチェリへと移動した。
最早目と口すら完全に凍り付き瞬きも叶わないチェリ。
極めつけはルーベンが放った、
「フフフ、この娘が、下僕とは。……ならば父である私も、下僕五号として尽くした方が、いいかな?」
「……ひゃゅゅ」
気さくな冗談。
それを最期に、チェリは白目を剥いて座ったまま気絶した。
皮肉にもその様は、搾りカスとなって昏倒した時のニネッテととても似通っていたという。




