36
ニャラニャラを急がせ、五人はじきにロールシェルトの町まで帰還した。
門を潜ると、町中に漂っていた緊張感はもう殆ど収まっていた。
迅速な情報伝達により、もうおばけかれきが討ち取られたことが伝わっているのだろう。
「はー、戻ってきた。無事で良かった」
「そうですね」
「ま、誰のおかげかって言ったら? それは勿論? あたしのおかげ? ですけど?」
「はいはいそうですねチェリティリエッテさんすごーい」
「もっと心から誉め称えなさいよニネッテリト! あたしはまだ賞賛され足りないのよ! ほら下僕二号と三号と四号も! もっと誉めなさい! あたしを喉が嗄れるまで誉めなさい! 饒舌そして迅速に誉めちぎりなさい!」
まだまだ気分の昂揚が収まらないチェリに甲高く命令され、姉妹とルアナはうんざりと微笑ましさが混じったような気分になった。
ピエールが苦笑いを浮かべ、再びチェリに賞賛の言葉を投げかけようとしたところで。
「お嬢様! ルアナお嬢様! お戻りになられましたか!」
五人が乗る馬車へ、慌てて駆け寄ってきた男の姿が一つ。
解放戦線の際に姉妹も会った経験のあるネリリエル家の護衛、アレックスだ。
ルアナは彼の姿が視界に飛び込んできた途端、悪戯がばれた子供のような顔を見せ始めた。
「げ、アレックス……」
「お嬢様! まさか担当者に馬車を届けず自ら戦場に向かうなど! 一体何を考えておられるのですか! お嬢様は腐っても、ええ腐ってもネリリエル家長女! 腐ってもそのような無茶をしていい立場では」
「そんなに沢山腐っても、と言わないでくださいまし!」
苦し紛れにルアナが割り込むが、妹は素でアレックスの発言に頷き、ピエールも非常に曖昧な苦笑いで茶を濁していた。
一方、ネリリエル家長女と聞いて荷台の隅で一人驚きに目を見開いたのはチェリ。
隣のニネッテが"やっと気づいた"と言わんばかりの顔だ。
アレックスはルアナの反論には何一つ耳を貸さず、頭を振って話を切り替えた。
「……今、そのような話をしている場合ではありませんでした。お嬢様。当主様がお呼びです。戻り次第すぐ家に来るようにと。ピエール様、アーサー様姉妹もご一緒に。それから……」
「あ、あたしたちはじゃあ、この辺で」
「丁度いい。先ほど"賞賛され足りない"と言っていましたねチェリ。このままネリリエル家に言って今回の戦果を誉めて貰いましょう。……こちらの黒髪はチェリティリエッテケルコイメルロルーマール、白髪はニネッテリトミェールティクスリリエリオーレ。おばけかれきを討ち取った張本人にして、今回の最大の立役者であるニアエルフ二人組です。是非この二人もネリリエル家に同伴させて頂けないでしょうか」
「そうでしたか。それならば当主様も喜んでお会いになられることでしょう。……このまま馬車で家までお越し頂いても?」
「い、いや待っ」
「構いません」
「お、お待ちなさい! この四名はともかく、わたくしはすぐに武具屋に、パウルさんの元に戻らねばなりません! いくらお父様と言えど……」
「心配ありませんお嬢様。パウル様も、マリウス様とヴァレンティナ様ご夫妻も既にネリリエル家におられます」
「え、な、そ、それはつまり」
「……作戦は的中しました。その件に関しても、当主様からお話があるそうです」
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アレックスを加え乗員六名となった馬車を、大きな毛玉鳥がトコトコと小走りで牽いていく。
西門を潜った馬車は、そのまま町の中央道を通り南東、住宅街の奥へ。
「ね、ねえあんたたち、ちょっと」
荷台の隅に縮こまるチェリが、極限まで潜めた小さな声で荷台に乗る他三人へ呼びかけた。
彼女の視線は頻繁に御者席に乗るルアナとアレックスに向かい、気づかれていないか戦々恐々な様子。
「あ、あの下僕よん……い、いえ、る、ルアナ、様、って」
「ようやく気づいたのチェリちゃん。そうだよ、ルアナちゃんはこのネリリエル地方で一番偉い、ネリリエル家の長女。お嬢様だよ」
「……じ、じゃあ今から行くのって」
「うん、ネリリエル家」
「……」
先ほどまでの昂揚はどこへやら、チェリの顔がスー……、と青ざめていく。
「知ってて下僕四号扱いしてたのかと思ってたよ」
「ひ、ひょれ、は……」
「知っていればもっと遜った態度とへらへらした媚びた笑顔で接していた筈ですよ。なんていったってチェリティリエッテさんは」
「……あんたが! あんたが何も言わないからあああーっ! どおして、どおして言ってくれないのよおおおおーっ!」
「いいじゃないですかチェリ、ネリリエル家ではきっと盛大に誉めて貰えますよ。あなたの望み通りです」
「うううわあああああーっ! あんたもおおおーっ!」
「な、なんですの! どうかしましたのチェリ様!」
「いや気にしないでルアナちゃん、大丈夫だから、色々と……」
ニネッテの身体をがくがく揺さぶりながら、ニネッテとアーサーへ叫ぶチェリ。
そんな彼女の叫び声に驚き振り向くルアナに、ピエールはもうすっかり慣れてしまった苦笑いで応えた。
よく躾られたニャラニャラは、荷台から聞こえる絶叫をものともせずトコトコマイペースに進んでいる。
ある晴れた昼の過ぎ、ネリリエル家へ続く道。
荷馬車がごとごとチェリティリエッテ乗せて行く……。
: :
ロールシェルトの町、南東部分にある住宅区。
その中心部分に、ルアナの生家であるネリリエル家は存在した。
「……へ、へひ、へひひっ」
目の前に広がる大きな建物を見上げながら、チェリが自棄と絶望の混じった卑屈な笑い声を上げた。
他の建物と比べれば、一際大きな敷地と邸宅。
右から左まで視線を滑らせると、横幅百メートルは下らないだろう。
両開きの大きな門の向こうにはニャラニャラの馬車を停める為の場所が広く取られ、庭らしい空間はあまり広がっていない。
しかし噴水や石像の類は無いにしろ、所々に植えられた花木は几帳面に整えられ周囲を美しく飾っている。実用性に重きを置いているが、さりとて景観を蔑ろにしている訳ではないようだ。
無駄な贅を凝らさず、余所からの来客を迎える為の最低限の景観を備えた節約心は好印象。
だがそれにしても少々地味が過ぎる。集めた税の無駄遣いを忌避する余り、臆病な印象が混じる。ネリリエル地方の豊かさを加味すれば尚更だ。
地方を治め、人の上に立つ者としてはあまり良くない印象である。
百点満点中、六十五点。
などとアーサーが内心で非常に失礼な採点を行いながらも、門を潜った荷馬車は空いた空間の一角へと停止した。
御者台から降りたアレックスが馬車を留め、ニャラニャラを繋ぐ綱も少し緩めた。
駐車を認識したニャラニャラが足を畳んでその場に座り込み、嘴と目のついた毛玉の塊と化す。
アレックスは労りの気持ちを込めて、ニャラニャラを一度撫でた。
後は中に入っている間に使用人が餌や水の世話を行うだろう。
「さあ行きましょうルアナ様、皆様」
「……ええ」
アレックスの呼びかけに、あからさまに機嫌の悪い低い声で応えるルアナ。
ピエールはルアナを目を丸くして見返した。
アーサーはルアナのことなど気にせずネリリエル家の失礼な値踏みを続け、チェリは自分が放った氷の呪文のように顔を青く染めながらニネッテの手を必死に掴み、ニネッテは顔面氷色の友人を何一つ気にかけずにこにこ笑顔で一行に続く。
先頭のアレックスが玄関の門を開け放ち、六人は建物の中へと入った。
玄関広間にいた十歳前後ほどの女の子が、六人の姿を視界に捉えて目を見開く。
「あっ、アレックス! ってことは……駄目姉様っ!」
「アニターっ!」
「……!」
途端、叫び声と共に駆け出したのはルアナ。
作業用ドレスの裾を掴んで一直線に駆け出し、声の主の元へ詰め寄った。
アニタと呼ばれた女の子は逃げる暇も無く、ルアナに首根っこを捕まれてしまう。
そのまま戻ってくるルアナ。
「……ルアナ様、客人のいる中でそのような真似はお控えください」
「大丈夫ですわ、この四人ならわたくしの多少のやんちゃも笑って許」
「パウル様がこの屋敷に来ていることをお忘れなく」
ルアナの顔からさっ、と余裕が消えた。
思わず女の子を掴む力が緩まり、拘束から解き放たれた子はすかさずアレックスの背へと逃げる。
「あーあ、今の叫び声が愛しのパウル様にも聞こえちゃったかもー。パウル様に駄目姉様の野蛮な本性がバレちゃうよー、どうしよどうしよー、幻滅幻滅ー、離婚だ離婚だー」
投げかけられたからかいの言葉にルアナは再度肩を怒らせ詰め寄る素振りを見せ、女の子は慌ててアレックスの背に隠れた。
恐る恐る背中から顔を出した女の子を、ルアナは目一杯の力で睨みつける。
「……皆様。こちらはネリリエル家次女、アニタ・ラフェニア・ネリリエル様。ルアナ様の妹君にございます」
二人のやり取りを無視してアレックスが紹介を行うと、アニタはアレックスの背中から出て四人の前に立った。
ルアナと同じ、とても彩度の高い鮮やかな金髪の少女だ。
姉妹が今着ているものとよく似た真っ白なドレスを着ている。姉妹が着ているドレスは元はルアナのものなので当然だが。
加えて、奇遇にも彼女の髪型もツインテール。ピエール、アーサー、アニタと並ぶと髪型と服装が似通った大中小、ということでルアナよりも姉妹らしく見えた。
「ご機嫌よう、アニタと申します。皆様、以後お見知り置きを」
柔らかい笑顔を浮かべ、上品に挨拶を行うアニタ。
ピエールとニネッテはいつも通りの笑顔、アーサーはいつもとはまるで異なる見事な作り笑顔、チェリだけが数度吃りながら引きつり笑顔で不格好な挨拶を返した。
「……ピエール様? と、アーサー様? というのはもしかして」
「はい、このお二人がパウル武具店の宣伝を行い、解放戦線での戦いでも大きな戦果を挙げたお二人です」
「まあ! あなたたちがそうなのね! お話は兼ね兼ね伺っておりますわ! あの大きなたまねぎマンの腕! わたくしも拝見しました、あんなに硬くて重たい腕を切り落としたなんて! わたくし感激です!」
「う、うん、ありがと」
アニタの純真な笑顔を見せられて、ここでピエールが気づいた。
彼女の年代こそが、ツインテールの似合う歳だということに。
十ほどの歳のアニタと比べてしまうと、十五を越える自分たちがツインテールをしていることがどれだけ恥ずかしいかに。
本来あるべきツインテール少女の姿をまじまじと見せつけられて、ピエールの笑顔がじんわりと羞恥で赤く染まっていく。
勿論それはアーサーも同じだ。
だがアーサーは羞恥を完璧に内側に押し込み、話の矛先を自分たちから逸らすべく穏やかな作り笑顔を浮かべて膝を曲げ、アニタへと視線の高さを合わせた。
普段ならば絶対に行わないであろう作り笑顔と気遣い。
当然意図するところは打算一色だ。
「アニタ様、ロールシェルトの西部に不気味な樹の魔物が現れたのは知っておられますか?」
「ええ、知っていますわ。でもその魔物も、無事に討ち取られたと伺いました。……もしかして、その樹の魔物もあなた方が」
「いいえ、残念ながら違います。あの樹の魔物に関しては、我々はてんで活躍出来ず仕舞。……樹の魔物を倒したのは、何を隠そう彼女なのです」
「……えっ? あっ! ア、アーサー! あんた」
緊張のあまり、その場に直立したまま不動の置物と化していたチェリ。
アーサーが立ち上がり素早く彼女の後ろに回り込み、チェリの露出している両肩に手を置いた。
話の矛先を自分に変えられ、アニタの純粋無垢な視線を一身に向けられる。
チェリの顔がどんどん引きつり強張っていく。
「……あなたは?」
「あ、え、え、と、あの」
「彼女の名前はチェリティリエッテケルコイメルロルーマール」
「ち、チェリティ……て?」
「短く"チェリ"という愛称でお呼びください、アニタ様。彼女は呪文の扱いに長けたニアエルフという種族で、彼女がたった一撃の呪文であの忌まわしい樹の化け物を氷漬けにし、葬り去ったのです。他の誰が挑んでも、かすり傷しか負わせられなかった怪物を」
「まあ、そうなんですの? 素晴らしいですわ! それにニアエルフだなんて、わたくし初めて見ましたわ! ……言われてみると、確かにどことなく人とは異なる雰囲気があるような気もします。見た目そのものはとても美しいけれど、特別人と異なるところは無い筈ですのに……」
「隣にいるのは、ニネッテリトミェールティクスリリエリオーレ、愛称ニネッテ。彼女も、樹の魔物の討伐に際しチェリに協力しました」
「こんにちわ、アニタ様。とはいえ、わたしはあくまで補助。あの樹の亡者を討ち取ったのは、間違いなくこのチェリティリエッテさんです」
「凄い、凄いですわチェリ様! あなたはこの町の救世主ですのね!」
「あ、あう、あ……」
目を輝かせ、心底感動した顔のアニタがチェリの両手を包み込むように握って至近距離から笑いかける。
チェリは引きつり強張りまるで表情筋が麻痺したような状態の中、なんとか半笑いのような笑みを形作ることに成功した。
目尻がぴくぴくと微痙攣し、助けを求めようにも喉も身体も動かないし視線は目の前にいる女の子から外せない。
このチェリティリエッテというニアエルフ。
普段は尊大で自意識が強く、承認欲求と自己顕示欲が肥大した目立ちたがり屋の極致である。
しかし彼女には、一つ弱点があった。
地位と権力に弱い。




