33
「あのニアの小娘が語ったことは真実だッ! 前衛、それを念頭に入れろッ!」
六本の足を滑らせ全速力で駆けるおばけかれきを、まずは自警団と衛士団の前衛たちが迎え撃った。
バリスタに向かおうとするおばけかれきの行く手を阻み、大盾や長得物を構える。
地を駆ける樹の亡者と前衛たちとの距離が、およそ五メートルにまで縮まった瞬間。
前衛たちが一斉にふらついた。
魔力吸収だ。
呪文を使わない者といえど魔力を有している人間は多く、身体に眠る魔力を突然根こそぎ吸い上げられれば一時的に乗り物酔いに似た不快感を覚えるだろう。
勿論殆どの前衛はそれを覚悟しており、突然の不快感もたたらを踏む程度で堪えた。
しかし。
一瞬の不快感で気を逸らされた前衛たちが見たのは、全速力で迫りながら深緑色に発光するおばけかれきの巨体であった。
「避けろおおッ!」
ロレーナが叫び、彼女の他何名かの聡い者たちがおばけかれきの顔面に矢や呪文を放って気を逸らさせようとする。
だがその程度で魔物の攻撃が止まることはなく。
枯れた大木の幹から、深緑の光線が何本もの筋となって前衛へと投射された。
向かった前衛十五人の内八人が光を避けたが、残り七人が不気味な苔色の閃光を避け損ないもろに浴びてしまう。
直後。
死んだ麦の農園に響いたのは、まるで女性のような甲高い悲鳴と激しい吐瀉音だった。
光を浴びた七人がある者は叫んでうずくまり、ある者は嘔吐しながらその場に崩れ、またある者は声一つ上げられずその場に昏倒した。
避けた八人のうち五人が光を浴びた者五人の身体を引き、突き出されたおばけかれきの腕を回避し後退した。
が、身体を引くのに手間取った三人と残りの二人が。
おばけかれきの腕に纏めて掴まれた。
絶叫が農地に轟く。
生命力を直接吸い上げられる苦痛が、人間たちの臓腑から命がけの断末魔を引きずり出す。
生命力を吸われる、という行為は、怪我や病気の苦しみとはまた異質の、命そのものを脅かされる強烈な苦痛と危機感、恐怖感を呼び起こされる。
自分の命が今まさに喪われている、ということを本能が叫ぶのだ。
今まで味わったことのない未知の苦痛に、五人の男たちが喉が裂けそうなほどの断末魔を響かせる中。
横合いから、緑と青の二人組がおばけかれきめがけ飛びかかった。
「ケえええっ!」
先駆けは緑。
ひゅおっ、と翠の風のごとき軽やかさで一っ飛びに至近距離へ飛び込み、握っていた片刃斧の背で巨木の幹を渾身の力で殴りつけた。
その小柄な身からは想像も出来ない膂力で殴りつけられたおばけかれきは仰け反り、更なる追撃で今度は枯れ木の方がたたらを踏まされてしまう。
その間に滑り込んだ青が虫の息の前衛を掴んでは遠心力を活かして転がすように投げ飛ばし、全員投げ飛ばしたところで青緑二人揃って素早く待避した。
すぐに体勢を立て直したおばけかれきが深緑の光を二人の背に放つが、どちらも背中で敵の動きを感知しているかのような正確さで光線を回避し逃げ去っていった。
距離を取り終え、振り返っておばけかれきを視界に納める二人組。
その姿は、おおよそ戦場には似つかわしくない美しいドレスと鎧を身に纏った、ツインテールの少女姉妹であった。
: :
「自警団の者たちの動きを見たな! 範囲内に入った瞬間の魔力吸収による不調には大いに警戒しろ! 気分を害した者はすぐに投げるか引きずって救助だ! 行くぞッ!」
姉妹が駆け抜けた直後、レツの力強いかけ声と共に前衛が本格的に攻撃を開始した。
「姉さん、具合は」
「ちょっとびくってした程度。最初から分かってれば全然平気。……アーサーはちょっと辛そうだったね」
「ええ。恐らくもう魔力は空なので心配する必要はありませんが、何も知らずに吸われていたらふらついていたかもしれません」
小声で魔力吸収の具合を確認しつつ、ピエールは一旦様子見、アーサーは自身が逃した犠牲者へと視線を投げた。
不気味な色の光を浴びながらも仲間に救われ無事だった者たちは、気絶した者もじきに目を覚ました。
目を覚ました直後やはり極度の不快感によって盛大に麦畑の上に吐瀉物をまき散らし、立ち上がろうとするも手足の震えや浅く早い呼吸などの症状を示し、まともに動くことは叶いそうにない。
しかしそれ以上の損害らしい損害は無く、被弾者のうち精神力が特に強いと思われる二名などは嘔吐もせず額に汗の球を作りながらもすぐに武器を握って立ち上がっていた。
例の光はニネッテの言葉通り深刻な影響は無く、精神力次第では浴びてもすぐ復帰出来るかもしれない。
とはいえ被弾直後に腕に掴まれないのが前提条件だが。
一方、生命力を吸われた前衛たちはおばけかれきの腕から近かった箇所がまるで餓死寸前の飢餓児童か、それこそ枯れ枝のようにがりがりに痩せ細ってしまっていた。
中でも、手や足ではなく胴や頭部に被害を受けた者の症状は深刻だ。
眼球の水分を吸われ萎んでしまったり、内臓機能が極端に鈍り呼吸もままならない状態にある者もいる。
慌てて駆け寄った救護班が治癒の呪文を唱えると様態はひとまずの安定を見せたが、とても戦線復帰出来る状態ではない。腕から解き放たれた時点で苦痛は多少収まったようだが、まだ殆どの者が魘されている。
あの腕に掴まれた時点で、触られた部分は使用不能、胴や頭であれば即座に戦闘不能になると考えて行動した方が良さそうだ。
光と生命力吸収攻撃に対する結論を姉に伝え、アーサーは腰の鞘から剣と盾を抜き構える。
「ヴァルァッ!」
独特のかけ声と共に突貫したレツが、矛の柄部分をおばけかれきの腕、人で言う手首辺りに叩きつけた。
振り下ろされた金属棒の衝撃によって枯れ腕の動きが滞り、その間に別の前衛の男が光を浴びて昏倒した男を引きずって避難させた。
更にレツが去り際に馬の後ろ脚で枯れ木の幹を強烈に蹴り飛ばし、おばけかれきがよろめいた隙にまた別の前衛が剣を両手で構え渾身の力で幹へ叩きつけた。
「ぐっ…!」
しかしおばけかれきの身体は見た目は今にも割れ砕けそうな枯れ木にも関わらず生木より遙かに強靱かつ弾性があり、叩きつけられた剣は幹へ食い込み逆に攻撃した男の方が身動きが取れなくなってしまう。
「剣を放せ!」
仲間の叫び声により男は剣から手を離し逃げようとしたが、剣を惜しんだ一瞬の迷いによって緑の光を避け損ない浴びせかけられた。
白目を剥いてうつ伏せに倒れ、その間によろめいた体勢を立て直したおばけかれきの腕が男の足を掴んで持ち上げる。
再びの絶叫。
生命そのものを搾り取られる断末魔を背景に、犠牲者を助ける為前衛たちが殺到する。
しかしおばけかれきは今度こそ獲物を横取りされまいと六本足を巧みに蠢かせて後退し、空いたもう片方の手と苔色の光で前衛たちを退けにかかる。
更におばけかれきは先の一当てで前衛のおおよその脅威度を測り終えたのか、レツと姉妹への牽制が特に過剰だ。
レツへは光線を横に薙ぎ払うように一閃。
半人半馬の巨体では飛び跳ねて避けるにも屈んで避けるにも難しい絶妙な高さで、レツは馬体ごと横倒しに倒れて辛うじて光を潜り回避した。
だが横倒しになってしまっては救助どころではない。自分の回避だけで精一杯だ。
姉妹に対してはピエールの脅威度が一際高くアーサーはそうでもないということをわずかなやり取りで見抜かれており、ピエールへは大量の光で過剰な牽制を行う反面アーサーはほぼ素通しだ。
自分一人肉薄したアーサーだったが、彼女一人では犠牲者を持ち上げるおばけかれきの腕を離させるには力不足。
だったが。
「うおおおっ!」
緑の鎧の中年男、アンドレイが単身おばけかれきの死角から回り込んでいたことにアーサー含む他の前衛たちは気づいていた。
二人は戦慣れしたベテランらしく一瞬の間に視線をやり取りして意思の疎通を行い、おばけかれきの枯れ腕ではなく枯れ木を支える木の足へと攻撃を行った。
枯れて尚頑強なおばけかれきの木足へと剣を振り下ろし、関節部分に剣を半ばほど食い込ませる。
おばけかれきは死角からの追加攻撃に浮き足立ち、大事な養分を奪われまいと男を掴む手を高く持ち上げ前衛から遠ざけた。
瞬間。
再装填の済んだバリスタから射出された巨大な矢が、おばけかれきの幹を掠めた。
そう。
掠めた。
樹の亡者が殺到する前衛とその手に掴んだ養分に気を取られた、最大の隙に放たれた巨大弩弓の矢は。
決定的な隙だったにも関わらず、枯れ巨木の幹を貫くには至らなかったのだ。
ただ一つ、流石に養分まで守り切ることは出来なかったらしく、掴んでいた男は矢を避けた際に前衛たちに奪い取られていたが。
「今のを避けるのかよ……!」
「前衛下がれ! 魔法使い、焼き討ちを始めろ!」
「で、でも団長!」
「諦めろニコール! 責任はあたしが負う! やれ!」
ロレーナの悲鳴じみた声音の命令によって、前衛は眼前の敵に視線を張り付けたまま素早くその場から離れた。
またしても養分を奪われたおばけかれきが、枯れ木の拳を握りしめて再び前衛とその奥にあるバリスタへ駆け出そうとする、直前。
控えていた魔法使いたちが呪文を放った。
おばけかれきではなく、その手前の麦畑に。
青々と実った生育真っ最中の麦畑が、紅蓮に燃え上がる。
呪文の火力によって派手に燃やされた麦畑は炎の壁と化し、駆け寄らんとしたおばけかれきをその場に縫い止めた。
樹の亡者が炎の壁に足を止めた隙に、更に四方からも炎の呪文が放たれ巨木の周囲を完全に炎が覆い尽くしていく。
呪文によって直接おばけかれきを燃やすことは出来ないが、麦畑に火を付け炎上する畑の火ならば魔力を吸収しても鎮火することは出来ない。
この火によって、おばけかれきを炙り焼きにする作戦だ。
当然、成功しようがしまいが麦畑に甚大な被害を及ぼすことになる諸刃の剣である。
「ああ、お父ちゃんが、村の皆が大事に育てた麦畑が……!」
「あのまま化け物に吸い尽くされるよりはマシだと思うしかない……」
先ほど声を上げてはロレーナに制止されていたニコールという名前のそばかすの浮いた女性魔法使いが、呪文を放った手を降ろし悲痛な声を上げる。隣では、自警団の魔法使いの男が彼女を慰めていた。
彼らの呟きも、ばちばち、という麦畑の炎上する音に紛れ空に消えていく。
炎の壁の向こうに見えるおばけかれきは、逃げるでも無く火を乗り越えるでもなくその場に立ち止まっている。
全員、その様を油断無く注視したまま動かない。
「……バリスタの再装填は進んでいるな? 魔法使いは万一に備えて戻ってこい。前衛も気を緩めるな。団員は運んできた油瓶に火を付けて投擲の準備を」
「全員顔を背けろッ!」
ロレーナの指示に被せ響いた、アーサーの高い叫び声と同時に。
炎の向こうのおばけかれきの身体が。
桃色に発光していた。
「まさ……あっ?」
「え?」
炎上する麦畑に響く、無数に重なる声たち。
その声は全て、戸惑いに満ちていた。
「おい……おいなんだよこれ!」
炎の壁の向こうで桃色に発光するおばけかれきは、その身体をしきりに動かしていた。
両腕を振り、幹をくねらせ、三対の足で足踏みを行う。
その様は誰が見ても不気味そのものであった。
ただ駄々をこねているようにすら見えた。
とても"踊り"だとは思えない動きであった。
だというのに、その場にいた全ての人間が自らの手足を振り乱し踊り始めていた。
まるで祭りの席での軽快な踊りに、誰もが見惚れ釣られてしまったかのように。
おばけかれきの誘う踊りで、周囲にいる全ての者が釣られて踊っていた。
「おおおッ、なんだこれは、なんだこれはぁ!」
「パパ、どうしよう止まらない! 身体が止まらないよ!」
焼き討ちを行う為回り込んでいたメリンダと、娘を守る為側に控えていたアンドレイが二人並んで仲良く踊っている。
「あ、あんなものただの下手な足踏みではないか! 踊りの筈がない! 見惚れる筈がない! だというのにこんな馬鹿なことが! ふざけるな!」
半人半馬の美男子レツが、下半身の馬体をぱかぱか不器用に足踏みさせながら上半身は激しく振り乱し躍動的に踊り狂う。
「あ、あはは、何これ、おかしいよ、こんなのおかしいよ!」
「落ち着けニコール、落ち着いて……ああ、クソックソッ止まらない!」
並んで立っていたニコールと男の魔法使いは、横に並んで二人で踊っている。
辺鄙な農村の祭りの踊りのような、不格好な踊りだ。
「おい、誰か! 誰か動ける者はいな……あぎゃっ!」
叫ぶロレーナは、馬上で無理に踊ろうとした結果肩から落馬し、倒れたまま手足を動かし踠いている。
そして、周囲に注意を呼びかけていた姉妹は。
「嘘、なんで……!」
「動いて、お願い動いて! お願い、ああっ……!」
釣られて踊っていた。




