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西門を出た冒険者たちは、ネリリエル自警団の団長を名乗るロレーナという女性の指示の元三つの隊に分かれて西へと進行を始めた。
先頭は近接装備を備えた前衛。後方に、弓と呪文の後衛。更に後ろに、各種道具を牽くニャラニャラや治癒の呪文の使用者が集まった補助要員。
中には仲間と離れることを由とせず前衛が後衛に混ざったりその逆もあったが、大まかにはその三種に則って分かれた。
姉妹は先頭の前衛組に混ざって、一直線に西へと進んでいる。
「久しいな」
「あ、レツ君」
真剣な顔で黙って進む姉妹の元へ歩み寄る、大きな影。
蹄人のレツだ。
現在は上半身だけでなく下半身、馬の胴にも重々しい防具を着込み、全身を金属で固めた鎧騎馬の姿をしている。
背には長弓、矢筒、矛、腰には剣と盾。
完全装備だ。
「解放戦線の時はみっともない所を見せてしまったな」
「まああの時はしょうがないよ、アーサーだって自分が逆の立場なら絶対加勢しないって言ってたし」
小さく笑ってピエールが言うと、引き合いに出されたアーサーはわずかに眉を中央に寄せた。
しかし言ったことも思ったことも事実なので、特に咎めるでもなく聞き流す。
レツもかっぽかっぽと馬脚で土を踏みながら、真っ白い歯を見せてきらりと笑った。
「だが、今回は違う。私もこの町に住む者の一員だからな。君らの横に立って戦うことを誓おう」
「……さて、どうなることやら。今度は我々が尻尾を巻いて逃げるかもしれません」
「フ、君らが敵わないと悟って逃げるほどの敵なら、私もその隣に続くことになるだろうよ」
「いずれにしろ、そうならないことを祈るよ」
「全くだな」
ピエールとレツが、戦の前の緊張混じりに控えめに笑い合う。
するとどこからか蹄の音が一つ増え、レツの隣に馬が一頭併走した。
レツの美術品のごとき黄金の毛並みと比べると何枚も劣るが、それでもよく手入れのされた茶色い馬だ。
その上には、やや茶がかった黒髪を肩まで伸ばした女性が乗っている。
年齢は三十前後。つり上がった吊り目は鋭く細められ、どこか取っ付き辛そうな、有り体に言えば性格の悪そうな目つきだ。
今は馬上で悠々と腕を組み、姉妹のことを見下ろしている。
「ふうん、あんたたちが解放戦線で活躍したっていう女二人?」
「あ、うん」
「確かに結構やるみたいね。近くで見てるだけでぴりぴり来るわ。今回は頼むわね」
ロレーナという名の、ネリリエル自警団の団長だ。
装備している鎧も実用性と同時に装飾にも気を遣われており、腰には短杖、背中にはレツの物よりは短いが長弓と矢筒が背負われている。
彼女は姉妹をほどほどに馬上から流し見てから、視線をふいと外すと隣にいるレツへ向けた。
姉妹へは偉そうながらも最低限の礼を維持した態度だったが、レツへは睨みつけているも同然の半眼だ。
「……あんた、いい加減自警団に入る気無いの? あんたの人格はともかく、能力はあたしすごーく買ってるんだけど。活躍の場もうちに来た方がよっぽどある筈よ」
「残念だが、君の所には若い女性が少ないからな。……君がサイエの可愛さを引き出してくれるというのなら話は別だが?」
「あっはっは、あたしに売女の真似事をしろって? 馬鹿にしてる? 戦闘中に誤射していい?」
笑いながら弓を手に取り、レツの腹をぺしぺし叩くロレーナ。
目が笑っていない。本気だ。
「あんたのその馬糞にも劣る人格が無ければもっと本気で勧誘してたのにね。……もうその話はいいわ、先行偵察に行くから付いて来なさい」
「わざわざ私を誘わなくてもいいだろう?」
「周り見なさいよ、馬乗ってるのはあたしだけ。同伴出来るのもあんただけ」
「仕方ない」
「……そういうことだから、この馬糞男ちょっと借りてくわね」
姉妹に言い残し、ロレーナとレツは颯爽と駆けていった。
ピエールはその様を苦笑いで見送る。
「……馬糞男て。口悪いなあ、あの人」
「でも同意出来る部分があるのでしょう? だから苦々しくも笑みが出る」
「……」
ピエールは今度こそ、苦々しさを大幅に強めて苦笑った。
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広大な麦畑の中を突っ切る道を進む一団。
彼らがそれを視界に捉えたのは、おおよそ一時間ほど歩いた頃のこと。
その姿は枯れ木同然だ。しかし、この場にただの枯れ木と見間違える者はいない。
枯れ木の幹から伸びる二本の枝は、まるで辿々しく泳ぐかのように振り回されている。
先端は人の手のごとく五つに分かれ、それぞれ目の前の地面を力強く握りしめた。
すると握った地面に育つ青々とした麦が、見る見るうちに色を失い枯れ乾く。
枯腕は麦だけでなく土からも全ての水気と生命力を奪い去り、枯れ木が次の土へと手を伸ばした後には乾き切った麦藁の破片と、雑草の一本すら生えそうにない乾き死んだ土が残ることとなる。
悠々と麦畑を泳ぎ、全ての水と生命と魔力とを奪い集めていく枯れ木の怪。
その根元には根とはとても思えない、六本の足が蠢いていた。
六本の足が異様に滑らかな足取りで六つの足跡を刻みながら歩を進め、麦畑を泳いでゆく。
今現在彼がいる場所から向こう、西側は既に一面が枯れ荒野だ。順調に生育していた筈の麦は一本も生き延びていない。
二本の腕と六本の足で、広大な麦畑の生命力を根こそぎ奪い去っていく枯れ木の怪物。
おばけかれきが現れた。
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「……」
その姿を視界に納めた時、姉妹は揃ってドレスの下の皮膚にぞわぞわと鳥肌を立て一度身震いした。
不気味。
不死者や生者の生命力を吸う類の魔物は、生きとし生ける者にとって強い嫌悪感を催す存在であることが多い。
生物の気配や存在感に敏感な姉妹は尚更その嫌悪感を強く抱いていた。
「向こうはまだあたしたちは眼中にない。当初の作戦通り配置に付け」
先行偵察で大凡の地形と状況を把握したロレーナの指示によって、参加者たちの配置が進む。
全員無駄口を叩かず、自警団や衛士の指示の元素早く配置に着いた。
配置されたのは人員だけではない。ニャラニャラによって牽かれていたそれも、静かに配置に着いた。
バリスタだ。
人の腕ほどの太さがある槍のような矢弾を射出出来る、車輪の付いた巨大な弩弓が麦畑をかき分けお化け枯れ木を射程に納められる位置に二機、横並びの位置に運ばれていた。
人間同士の戦いであれば城攻めに使われるような大袈裟な代物だが、大型の魔物との戦いではこれでも力不足なほどだ。
担当の者がぎりぎりと弦を張り、長槍のように大きな矢をつがえる。
隣に控えるバリスタを牽いて来ていたニャラニャラは、眼前の枯れ木の魔物に恐怖を覚えているのか毛玉の身体を小さく縮めていた。
装填が済んだ担当員が、怯えるニャラニャラを撫でて宥めつつ手振りだけで完了の合図を送った。
合図を視認したロレーナが、おばけかれきへ目を向ける。
未だに麦畑の生命力を貪るのに夢中だ。周囲に現れた人間の存在に気づいていない筈は無いのだが、相手に人間たちを気にかける様子は全く見られない。
愚かなのか、それとも余裕の現れか。
当然、魔物の襲撃の多いネリリエル地方で自警団の長という地位に立つロレーナが、前者と判じることはありえない。
まだ齢三十を越えたばかりの彼女だが、魔物を軽んじることがどれだけ危険な行為なのかは身を持って体験している。
油断は無い。
馬上で長弓を握りしめたまま、ロレーナは空いている右手を力強く振り降ろした。
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放たれた巨矢の風切り音は矢とは思えないほど低い。
ぶおん、という轟音を伴って突き進んだ一本の矢はおばけかれきの幹へと一直線に進み、
殆どの者にとって案の定、と言わんばかりに幹の胴体を屈めて避けられた。
回避の予兆を認識した時点でロレーナが声を張り上げる。
「撃てッ!」
麦畑から上半身を出した弓士による一斉射撃。
本数にして五十に届きそうなほどの矢の嵐が一直線にお化け枯れ木に殺到し、ドカカカカッ、と恐ろしく小気味よい音を立てて枯れ木の巨体を一瞬で針鼠に変えた。
しかしおばけかれきは放たれた矢のほぼ全てが命中したにも関わらず何の反応も見せず、通常の矢の雨に隠れて撃ち込まれた二機目のバリスタの射撃だけを的確に六本の足でステップを踏み回避していた。
「バリスタは一旦下げて再装填! 後衛も撤退の備え! ……ケビン、やれ!」
矢を避けたおばけかれきが何らかの反応を示すより早く、ロレーナの指示によって次の試みが成された。
ケビン他、三名の自警団の魔法使いによって呪文の光弾が二つ、白い電撃が一筋、炎の塊が一つ投射された。
同時にロレーナも長弓に矢をつがえ、小声で呪文を唱えて鏃に塗られた油に火を付け放つ。
飛来する四つの呪文と一本の火矢。
しかし呪文はおばけかれきの周囲、およそ五メートル前後の位置まで近づいた途端まるで水蒸気のような白い靄と化し、ロレーナの火矢だけがすとっ、と目を思わせる幹の窪みに突き刺さった。
その火矢もおばけかれきは平然と腕で引き抜き、着弾箇所に燻る火は枯れ木の身体を少し焦がしただけで延焼せずに消えていく。
白い靄だけが空中に残り、やがて口を象ったおばけかれきの暗い穴の中へ吸い込まれていった。
矢は妨害にならない。
火矢も効果は殆ど無い。
頼みの綱のバリスタはただ撃っても簡単に避けられる。
射撃だけで対処するのは土台不可能。
ロレーナは無言で唇を噛み、
オオオオ……オオオ……オオオオオ……!
枯れ木に開いたほの暗い口の穴から、耳を通し脳まで揺さぶるような不気味な叫び声が木霊する。
目の前の小さな邪魔者の群れを敵と認識したおばけかれきが、六本の足で麦畑を踏みしめ人間たちへと迫り始めた。




