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「気づきましたか」
「ううん分からない。近くじゃないのかな……」
町全域に届くほどの大きな鐘の音を背景に、真剣な顔で言葉を交わす二人。
アーサーが宙空へ視線を放ちながら、これからの行動を思案している中。
「ロールシェルトの皆さん! 冒険者組合職員のソリナです! まずは落ち着いてください!」
鐘の音よりも更に大きな音量で、この数日間聞き慣れた職員女性の声が町を満たした。
「あ、ソリナちゃん。これ解放戦線の時に使ってた魔道具かな」
「でしょうね。こちらが本来の使い方でしょう」
「どこで放送してるんだろ」
「今現在、ロールシェルトには切羽詰まった危機は迫っていません! どうか慌てずに、私の説明をお聞き下さいますよう!」
少し話しつつ、姉妹はひとまずパウル武具店へと戻ることにした。
食料を抱えたまま、小走りで町を走る二人。
その間にも、組合職員ソリナによる非常事態放送が続く。
「現在、ロールシェルト西の農地に巨大な魔物が出現しています! 魔物はソンドロン村の西にある森林から出現し、現在はロールシェルト西部の農地に留まっています! 現状ロールシェルトに近づく様子は無いので慌てる心配はありません! 繰り返しますが慌てる必要はありません! 落ち着いて放送をお聞き下さい!」
「やっぱり手慣れてるなあ……」
「ソンドロン村の西……」
ピエールの呟きにアーサーは返事をすることなく、俯き思案に耽っている。
その間にも、ソリナの放送は続く。
「現在ロールシェルトにはソンドロン村からの避難住民が向かっており、ロールシェルトから東、メルメ方面への避難の準備も進んでおります! 避難が必要と判断された際にはお知らせしますので、住民の皆様は戸締まりや消火など避難の準備を整えた上で待機をお願い致します! 繰り返しますが、避難が必要になった場合はお知らせしますので、準備を整えてお待ちください! 続いて、ロールシェルトにて活動中の冒険者の方々へ魔物の説明に入ります!」
ソリナの言葉は途中で詰まることも無く、はきはきとしていて長文にも関わらず非常に聞き取りやすい。
恐らく今のような非常時の連絡係が本業なのだろう。
「出現した魔物は動く植物、巨大な枯れ木の姿をしています! 高さは二階建ての建物級、樹齢数十年の大木がそのまま枯れたような姿です! 一対の枯れ枝の腕を持ち、正に枯れ木の人面樹、といった出で立ち! しかし皆様ご存じの通り、枯れて尚動く人面樹など存在しません! 別種と考えるべきでしょう! 故に対象の生態や戦法などは殆ど不明!」
ソリナの放送を聞く内に、姉妹はパウル武具店へと戻っていた。
裏口の扉へアーサーが手をかけた、その瞬間。
続くソリナの放送によって、二人の動きは停止する。
「唯一判明している対象の生態は! 生物の生命力を根こそぎ奪い取ることです! 対象が通過した後は大木どころか雑草一本に至るまで全ての植物が枯れ乾き、ソンドロン村では捕まったロールドルが次々と乾き干からびた死体に変えられました! 対象は、生物の生命力を吸い取る力を有しています!」
アーサーの疑念が確信に変わり、ピエールの脳裏に数日前の一件が浮かぶ。
西から来た。
動く植物。
生命力を奪い取る。
「……アーサー、これってもしかして」
「十中八九、あの山岳地帯で水樹を襲撃した魔物でしょう」
先日痕跡だけを発見した正体不明の危険生物が、遂にロールシェルト近辺に姿を現したのだ。
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裏口を入った姉妹は買ってきた食料を置き、手早く夫妻らとの会話や武器の装備を終えると武具屋を飛び出した。
本来なら、危険な魔物の相手はアーサーが真っ先に反対している。
しかし今は宣伝業務中であり、アーサーとしても全く正体の分からない魔物ならば姿だけでも自らの目に納めて知識を蓄えたい。
そういった理由の元、二人は店を出て西へと向かっている。
その最中。
「現在ロールシェルトの衛士の方たちと、ネリリエル自警団が迎撃準備に向かっています! 冒険者の方々も是非迎撃作戦に合流願います! 報酬は冒険者組合ロールシェルト支部を通してネリリエル家より支払われますのでご心配無く! 詳細は……うわっ、何を! あなたたち何考えているんですか! 今の状況が分から……あっ、待って、ひっ」
組合職員ソリナの放送が突然途切れた。
まるで、何者かに襲撃を受けたかのように。
姉妹だけでなく、町内にいる全ての者たちに鋭い緊張が走る中。
放送席を乗っ取ったのは姉妹の知己の人物であった。
「あんららちぃ! あのまぼの、あ、おべべべべ……」
「チェリティリエッテさん何してるんですか! 今のあなたじゃろくな説明なんて出来る筈ないでしょう! 引っ込んでいてください!」
「あによいれってりとぉ! あらしだって、あっ、やめれ、いはいっ」
ニアエルフの二人組、チェリとニネッテだ。
二人は放送席を乗っ取り、かと思えばチェリは開口一番激しい嘔吐音を町へ轟かせた。
彼女は昨晩も深酒を行い重度の二日酔い、加えて全速力で走ったことで一気に胃の中身が逆流したのだ。
目立ちたいが故に真っ先に口を開いたチェリだったが、彼女の試みはこの非常時にふざけているとしか思われず、自身の印象を一気に底辺に落としただけに終わる。
そんな彼女を恐らく物理的に押しのけ、ニネッテが大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「……彼の魔物の正体は、恐らく"おばけかれき"という名前の魔物です。とあるニアエルフの里に一つの伝承が伝わっています」
一拍置き、ニネッテが語り始める。
「――フェーデの里より遙か北、ロールシェルトから見た遙か西の果て。その彼方には"落ちた死者の城"なる不死者たちの棲む古城が存在するという。"落ちた死者の城"からは、時折使者として魔物が放たれる。使者の名は"おばけかれき"、枯れた樹の亡者。朽ちた樹の使者はその腕で全ての命と魔力を集め、死者の城へと持ち帰ってゆく。集めた魔力と生命力で、いつか再び、元いた天空の世界に帰れるように。空の彼方に浮かぶ故郷へ帰ることを願い、今もどこかで樹の亡者は命と魔力を集めて回っている――」
しんと静まりかえった町中に響き渡る、詩の朗読のようなニネッテの言葉。
その瞬間だけは、まるで子供への昔話の読み聞かせのような柔らかい雰囲気が町に満ちていた。
「……私が昔立ち寄ったニアエルフの里で聞いた昔話です。件の魔物の特徴はその樹の亡者、おばけかれきとぴったり符号します。対象の生態ですが」
「近づくな呪文を飛ばすな! あたしみたいな天才ならともかく一般人が放つ生半可な呪もほげっ」
「チェリティリエッテさん今はおとなしくしていてください」
再び口を挟もうとしたチェリの言葉は、意味深な打撃音によって半ばで遮られた。
何事も無かったかのようにニネッテが説明を再開する。
「おばけかれきが用いる攻撃は、腕から対象の生命力を奪い取る以外にも三つ伝わっています。一つは魔力を吸い取る攻撃。自身の周囲、一定範囲内から魔力を吸い上げます。直接触られなくても範囲内に入った瞬間吸われるので、回避はまず出来ません。あくまで魔力だけなので根こそぎ吸い上げられても気分が悪くなるだけで済みますが、先ほどチェリティリエッテさんが言いかけた通り生半可な攻撃呪文では呪文そのものを分解して吸収されます。呪文及び巻物などによる攻撃は基本的に無駄だと思って下さい」
一旦区切り、大きく息を吸ってから再び口を開くニネッテ。
「二つ目、光線。不気味な色の光を投射し相手に浴びせかけてくる。これを浴びると一時的に気が動転し集中力を極限まで乱され嘔吐するほどの不快感を味わうそうです。一説によるとこの光は本来攻撃呪文の効きを高める為の補助攻撃らしいですが、浴びると不調でろくに動けなくなるので攻撃呪文以前に昏倒したところを腕で掴まれて吸い殺されます。光を発する予兆が見えたら距離を取って回避に専念し、被弾した者がいたらすぐに引っ張って離脱させるといいでしょう。幸い、光線そのものに殺傷力はありません」
ニネッテの説明を背景に、姉妹はやがてロールシェルトの西門へと到着していた。
そこには既に、大勢の冒険者たちが到着している。
避難民の到着と出立する時を待っているのだ。
「最後ですが、申し訳ないことに伝承が不明瞭なので断言は出来ません。ですが、何でも"踊る"らしいです。その踊りが強烈な心理影響力を持っているらしく……その」
「……視界に納めた途端"誘われる"らしいわ。そいつの踊りを見た瞬間、自分まで勝手に踊り始めて制御出来なくなるとか」
言葉尻を濁すニネッテの代わりに、チェリが話を引き継いだ。
その口調は異様なほど平坦で、先ほどの泥酔ぶりが何一つ感じられない。
突然の変化の早さに、姉妹だけでなくその場で説明を聞いていた冒険者たちも違和感で眉をひそめる者が後を絶えない。
「チェリティリエッテさん、具合は」
「かなり効いてきたわ。ビンビンに冴えてる」
「それは良かった。……皆様、以上が私たちが知る樹の亡者、おばけかれきの詳細です。この伝承が正しければ、おばけかれきには生命力を吸う以外の殺傷方法がありません。他の攻撃は全て生命力を吸う為の布石です。なので、とにかく危なくなったら距離を取る。直接的な接触を避ける。行動不能者が出たら強引に引っ張って戦線離脱させる。この三つを徹底すれば、少なくともある程度は被害を避けられる筈です。……以上です。放送席の強引な襲撃と占拠、誠に申し訳ありませんでした。……それから、最後に一つだけ」
ニネッテが大きく息を吸ったのが、放送席越しにも周囲に伝わった。
「下僕二号さんと三号さん! とにかく時間と隙を作ってください! 下僕たちのご主人様が到着次第、とっておきの一発をぶち当ててくれます! さあ!」
最後に叫び放ち、ニアエルフ二人組はその場を後にしたようだ。
恐らくは全速力で西門へ、魔物の元へと向かっているのだろう。
「……襲撃の際に下半身と口元を氷漬けにされたのと放送席を吐瀉物で盛大に汚された以外は、非常に重要な情報を語ってくれました。足は冷たいし放送席も臭いです。……ごほん! 丁度、避難民の方々も到着されたようです! まずは皆様、先ほどの情報が真実かどうかの確認から入り、後は衛視団と自警団の方々と協力して迎撃に当たって下さい! ……皆様、どうかよろしくお願いします!」
ソリナの放送の直後。
西門前に物々しい装備の揃った一団が現れ、西門が大きく開け放たれる。
冒険者、ロールシェルトの町の衛士団、ネリリエル地方一帯の自警団の三つの集団が、迎撃へ向けて西へと進み始めた。




