30
マリウス夫妻がパウル武具店に乗り込んだ日から、更に一日。
パウル武具店には営業中の札が掛けられ、扉は大きく開け放たれていた。
「いやあ、野外活動で長物を扱うのは中々……」
「おい姉よお、値踏み終わったからお前も勘定しろや!」
「ごめんおっちゃん、お勘定はアーサーに任せてるから、そっち行ってね!」
「妹の方はもう行列出来てるじゃねえか! お前はしねえのかよ、ええ?」
「私そういう精算は得意じゃなくて……」
「んだよ仕方ねえ奴だな!」
「あのピエールさん、それで、槍が駄目というのはどうして……」
「駄目って訳じゃないよ。でもね……」
「……結局こっちも混雑してるじゃない。これじゃマリウス武具店と大差無いわね」
「それどころかこっちに人が流れたからこそ、向こうの客が減って買いやすくなってる可能性もあるな」
手狭な店内は今までの閑古鳥がどこへやら、大勢の客で大賑わいだ。
カウンターの向こうではアーサーが腕が六つ、頭脳が三つあるのではというほどの素早さで硬貨を出し入れして精算を行い、金銭の精算が苦手なピエールは店内で客の相談を受けたり物盗りが出ないか目を光らせている。
二人とも格好は宣伝に使っていたドレス鎧とツインテールで、時折客から決めポーズを取るよう要求されては、ピエールが笑顔で応えていた。
「鋼鉄の剣が一本と短弓の矢が十五本、合わせて三千百五十ゴールドになります」
「もう少し」
「交渉にかける時間の余裕は無いので単刀直入に申し上げますが、三千ゴールドまでなら値引き致します。ですがそれ以上の交渉には応じません」
「……あ、ああ、分かった。三千ならいい」
「では代金を」
カウンターの向こうに座るアーサーが、目の前の男が懐から硬貨を取り出す様子をじっと見つめている。
と、男の後ろに並んでいた別の客が話しかけてきた。
「姉ちゃん、ここは武具の修理もやってんのか?」
「簡単な修理であれば承っています。ただし今日の時点で既に三件修理の依頼が入っている為、武具の損耗度合いにもよりますが少なくとも今日中には終わりません。ご了承ください」
「ああ? たった三件のただの修理が何ですぐ終わんねえんだよ」
「人手が不足しておりますので」
「……チッ、仕方ねえな。じゃあ俺の得物見てくれや」
「おい、三千ゴールドだ。確認してくれ」
「分かりました。……この剣であれば、一本三十ゴールドで修理致します」
「それでいい」
「では代金と剣を。確認し次第割符をお渡ししますので明日の昼頃またお越しください。……三千ゴールド、確かに頂きました。お買い上げありがとうございます」
二人の客の応対を平行して済ませ、アーサーは二人が去っていくのを見送った。
妹の代わりと言わんばかりに、明るい声と満面の笑顔で
「また来てねー!」
と呼びかけ手を振るのはピエール。
かと思えばピエールはすぐに客の相談に戻り、アーサーは再び複数の客の相手を同時にこなし始めた。
暫くそんな調子で客を捌いていると、昼過ぎ頃にようやく客の波が一旦途切れ小康状態へと移行した。
姉妹二人してカウンター向こうの椅子に腰掛け、大きく一息。
「若干疲れた」
「一旦休みにして昼食にしましょうか」
「そだね……あの二人のことも気になるし」
アーサーが立ち上がり、入り口の札を休憩中へ変更したところで。
彼女ははたと立ち止まり、暫く停止してから無言で元の席へと戻った。
一瞬妹の行動に違和感を覚えたピエールだったが、こちらもすぐに気づいて表情を堅くする。
小声で少々やり取りしたのちに、店内へと入ってきた人物は。
「……お二人とも、ご機嫌麗しゅう」
今までの騒動の目下黒幕とされている、悪魔顔の男サミーであった。
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「一昨日ぶりですね。……今日のご用件は?」
男の顔を見るやいなや堅い表情で立ち上がりかけるピエールを、アーサーが相手に見えないようカウンターの下で手を使い制止した。
表情はそのままに椅子に戻った姉。
代わりに妹が呼びかけると、サミーはやはり表情を損ねることはなく、あくまで慇懃な態度のまま顔に心配の色を浮かべ口を開いた。
「店主のパウル様が大怪我をなさったと伺ったので、様子を見に。……容態は大丈夫なのでしょうか?」
「完治には一週間ほどかかるそうですが、後遺症などは残らずに済むとのこと。怪我の酷さの割に完治にかかる時間が短くてほっとしますね」
すらすらと述べてから、じっと目の前の悪魔めいた顔を見据えるアーサー。
しかし彼は表情を変えないまま、暫し思案してからゆっくり言葉を紡いでいく。
「パウル様の怪我は、一体どれほどの酷さなのですか? 私は寡聞にして、パウル様が腕を折ったということしか存じていないのですが……」
サミーの言葉に、アーサーは内心わずかに落胆を覚えた。
一週間で完治するという嘘にも、怪我の酷さの割に、という言葉にも反応を見せない。
もしサミーがパウルの骨折の度合いを知っているかのような発言をすれば何故知っているのかを問い詰めるつもりだったが、どうやら彼女のささやかな鎌かけは通じなかったようだ。
「暴漢に裏路地へ連れ込まれ、両腕を凶器で殴られ骨が外へ出るほど骨折。一体犯人は何が目的だったのやら。金も取らず命も取らずただ腕を折るだけとは」
「……なんと、骨が出るほどとは。それだけの怪我を一週間で治せるとは、よほど腕の良い治癒の呪文の使用者に頼めたのですね?」
一見すると何の変哲もない妹と悪魔顔の会話。
しかしアーサーの後半の発言は"わざわざパウルの腕だけ折りたい人間は限られている"という意味を含んだ遠回しな釘刺しであり、サミー側も現在治療院が満員で早々腕の良い治療呪文の使用者に頼める筈がないことを知った上で、誰が治療を行っているのか探ろうとアーサーからの説明の言葉を狙っての一言であった。
現在置物と化しているピエールは、そういった彼らの言葉の裏までは読めなかったものの会話の白々しさだけをうっすらと感じていた。
「……しかし、不躾とは存じますがそのような状態でこの店の営業は続けられるのでしょうか? 肝心の店主の腕がその様子では……」
「ルアナがいるじゃないですか」
先ほどより更に心配の色を強めて呟いたサミー。
しかしアーサーの返答は実にあっさりとしたものだ。
思わず素の顔で見返してくるサミーへ、アーサーは平然とした顔で口を開く。
「今この時も、作業場ではルアナが鍛冶仕事に勤しんでいる筈ですよ。今までパウルと共に鍛冶を続けていましたからね、彼女も多少は心得が身についています。今朝などは決意の余り髪を……」
おっと。
小さくそう呟き、まるで言い過ぎてしまったかのような態度でアーサーは半ばで口を閉ざした。
サミーの表情がごくわずか翳りを見せ始める。
しかしアーサーは視線も向けず気づかないふりだ。
アーサーは鎌かけとは別に、サミーを焦らす作戦も行っている。
こちらは多少は効果があったようだ。
「……そろそろ、我々も休憩と夫妻の分の昼食の用意をしなければなりませんので」
遠回しに話は終わりだと切り出すと、サミーはすぐに先ほどまでの丁寧な態度を繕い直し挨拶ののち店を後にした。
男の気配が完全に去ってから、アーサーは改めて扉の鍵をかける。
「流石にそう簡単にぼろは出しませんね」
「……なんか狙ってたの? 今の会話」
「多少ですけどね」
アーサーはさらりと話を流し、姉を連れて店の奥へと入っていった。
作業場の扉の前まで移動すると、扉の向こうから大きなかけ声と金鎚を振るう音が響いてくる。
少し強めに扉をノックし、音が止み相手が出てくるのを待つ。
ややあって、扉を開き出てきたのはルアナではなくヴァレンティナだ。
顔や腕にびっしりと汗を浮かべている。
半開きになった扉の向こうからも、蒸し風呂と錯覚しそうになるほどの熱気が漏れていた。
「なんだい?」
「我々は一度店を閉めて昼食の調達に出かけてきます」
「ああ、分かった。悪いけどあたしたちの分の頼むよ」
「ええ。それから、先ほどサミーが来ました」
「……なんだって?」
アーサーの発言に、ヴァレンティナが聞き返すのと同時に"なぁんですってー!"というルアナの大きな叫び声が部屋の向こうから轟く。
しかしヴァレンティナに一喝され、ルアナが続けて口を開くことはなかった。
「何しに来た?」
「恐らくパウルが腕を折ったのに開店しているのが予想外だったので、様子を見に来たのだと思われます。特に有意義な話も無く世間話のみで終わりました」
「……そうかい。まあいいさ、今あたしたちがあいつに構っている暇はない」
アーサーとヴァレンティナの間でやり取りが済むと、妹の背中からピエールがひょこりと顔を覗かせた。
「……ルアナちゃん、どう?」
「とにかく力が無い。同世代の娘っ子と比べれば別に弱い訳じゃないけど、鎚を振るのがどうにも頼りないよ。……でも、呪文は上出来だ。細かい温度調節もお手のもんさ。呪文の腕前はやっぱりネリリエル家長女、ってところだね」
「そっか」
「それに何より、根性がある。昨日の今日でろくに寝れてないし心労も嵩んでるだろうに、弱音一つ吐かないのは大したもんだ。……本当のことを言うと、パウル坊やにゃ勿体ないくらいさ」
「でも、どっちかっていうとルアナちゃんの方がパウルのおっちゃんにべた惚れなんだよね」
「違いない」
にやっと笑うヴァレンティナ。
部屋の中からも"とぉうぜんですわー!"というルアナの大きな叫び声が聞こえてくる。
ピエールも笑い返し、首を引っ込め扉の前を後にした。
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二人が歩くロールシェルトの町中は、まだ少しだけ収穫祭の残滓が感じられた。
収穫祭は二日間、昨日まで続いており、昨晩も夜遅くまで町には明かりが灯り人々の笑い合う声が聞こえてきたほどだ。
夫妻を含めた四人は、そんな外の様子を後目に重苦しい雰囲気で家に籠もっていたのだが。
「何買おっか」
「今日は選べるほど店数にも時間にも余裕が無さそうですね。適当に目に付いた物で済ませましょう」
「たまねぎパンがまだ残ってたら食べたいんだけどなあ」
「流石に昨日の内に殆ど売れてしまっているでしょうね」
武具屋を離れた二人は、少しだけ気を緩めて軽い足取りで町を歩いている。
多くの住民が昨晩遅くまで収穫祭の終わりを楽しんでいた所為か、露店の数は少々まばらだ。総数で言えば、普段の六割ほどしか出店していない。
そんな少し人の少ない町内を緩く歩く姉妹。
やがて軽食の露店が連なる地区へ到着した。
やはりここも店の数は少ない。
「んー、流石に無いかあ」
二人は一通り露店を見て回ったが特に目を引くような物は見つからず、収穫祭前に作り置きしていたと思われる安い丸パン、日持ちするチーズを一塊、それに豚肉と芋の串焼きを少々多めに買い込んだ。
特筆すべき点の無い、ありふれた食品たちだ。
「ま、こんなもんかな」
両手いっぱいに食料の包みを抱え、朗らかに笑うピエール。
アーサーもごく控えめに、しかしピエールにとっては十分なほどの笑みを返した。
かと思えば。
次の瞬間、二人の表情から一切の感情が抜け落ちることとなった。
姉妹の顔から笑みが消失した理由。
それは、突如としてロールシェルトの町に響き渡った大きな鐘の音によるものであった。
危険な魔物が付近に現れたことを知らせる、警報の鐘の音が。




