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姉妹冒険者物語  作者: 並野
王国の竜
12/181

冒険者-03

 翌朝。

 まだ夜も明け切らぬ内に、冒険者たちはもそもそと起き出した。

 最後の不寝番として早起きしていたハンスとメルヒは既に支度を整え、メルヒの瑞々しい若草色の三つ編みもしっかりと編み直されている。


 起き出した四人は無言のまま手際良く毛布を丸めて背嚢の底に詰め、小さな布きれを代わりに取り出した。メルヒに濡らして貰い、軽く絞ってから顔と髪を拭っていく。

 手早く頭だけ拭い、四人は装備を整えて背嚢を背負った。


 アーサーは背負う前のピエールの後ろに周り、後ろ髪を水色のリボンで軽く一まとめにする。

 普段と雰囲気の違う、さっぱりとした素朴なポニーテールだ。


「ピエールさん、編み込みよりそっちの方が似合ってるかも」


メルヒが二人のやり取りを見て、微かに微笑んだ。

 その顔は昨日より少し親しげだ。


「そう? ふふ、ありがと。でもこれ意外と邪魔なんだよね。時間無い時はしょうがないからこれだけど」

「切んねえの? 邪魔ならばっさり切っちまえばいいのに」

「髪とスカートは、私たちの女性としての最大限の矜持です。ただでさえ姉さんは男女だの何だのと不名誉な呼び方をされることが多いのに、これ以上女性らしい要素を減らす訳にはいきません。……それに」


それに。

 姉さんの髪を触るのは、私のささやかな幸せの一つですから。

 言い掛けた言葉を途中で飲み込み、アーサーは心の中にしまい込んだ。


「ええからはよ行くでよ」


オットーに急かされ、アロイスは燻っていた焚き火に湿った土を被せて鎮火し、土と灰をかき混ぜてから更に土を被せて念入りに火の始末を行った。

 最後に数度足で踏みしめると、土の色こそ違うものの平坦な地面に戻る。


 昨日と同様の陣形を組み、森を進み始める六人。

 二日目の冒険の始まりだ。


   :   :


 朝食として林檎の砂糖漬けやチーズをもりもりと齧りつつ、ゆっくり数時間歩いた頃。

 森の中の道に、見慣れぬものが一つ見えてきた。


 道のすぐ脇で水を湛えた、小さな泉だ。

 水底は深く澄み切っていて、溢れた湧き水は森の奥へと流れている。

 先頭を歩くアロイスの目には泉で水を飲む獣の親子の姿も写ったが、彼らは遠くからこちらを一瞥するとすぐに森の奥へと消えていった。


「わー、綺麗な泉。斧を投げ入れたら何か出てきそうなくらい」

「これが町長の爺さん達が言ってた、レールエンズへ向かう旅人御用達の泉か」

「今も、今も変わらぬのだな。この泉は……」

「ハンス様。休憩しますか?」


ハンスの口調は、正に感無量といった様子だ。

 それを思いやったメルヒが提案するも、ハンスは緩くかぶりを振った。


「よい。水に関してはぬしもおることだしの。歩き始めたばかりで足を休めることもなかろう」

「そうですか」


延々続く森の道。その中に現れた異なる景色に目を取られつつも、止まることなく歩みは続く。


   :   :


「さて、そろそろだな」


泉を通過して、更に一時間半。

 森の雰囲気が、少しずつ変わり始めた。


 泉の先、普通に歩いておよそ一時間。

 これが、町長たちとの打ち合わせの時に教えられた現在のガットの領域との境目だ。ここを過ぎると、ガットたちは自身の縄張りを侵されたと判断し襲いかかってくる、と説明されている。


 魔法使い組の視線が、にわかに鋭くなる。

 ハンスは元々レールエンズ国民。ガットとの小競り合いの記憶は残っているし、メルヒには森に棲む他の亜人を本能的に毛嫌いするニアエルフの血が混ざっている。


「ガットどもも、凶暴だが損得勘定は出来る奴らだ。数人殺せば追い払……」

「攻撃する前に、一つ試したいことがあります」


アロイスの言葉に、アーサーは上から被せて発言した。


「なんだ?」

「私は森ガットの言葉が話せます。多少ですが」


全員の歩みが、その場で停止した。

 アーサーの顔を凝視して無言で立ち尽くす冒険者たち。

 突然の話で、言葉も出ないという様子だ。その中でピエールだけが、ただ成り行きを見守るのみ。

 最初に口を開いたのは、ハンス。


「馬鹿な。奴らの言葉は人間には理解出来ぬ」

「ええ、その通りです。ガットの言葉は人の耳には聞き分けられない音の差を使っていますし、それを人の喉で発することは出来ない。ただし、呪文を使えばそれを補うことが出来ます」

「それが、お前には出来るってか?」

「ええ。……ただ、最初に言った通り完璧ではありません。私が知っているガット語は、東大陸の山奥にいるガットの言葉です。通じる確証はありません。人間で言う方言や訛り程度の齟齬で済めばいいのですが。なので、ガットの気配がしたら一旦交渉出来るかどうか試して、無理そうなら普通に突破という方向でお願いします」

「いつだったかな。初めて使った時はさ、自信満々の顔で会話しようとしたら全然通じなくて、駄目だと思ったらガットの長老っぽいのがが出てきて何とか通じたんだよね。その長老さん曰く、訛りが酷過ぎて森の若者には全く聞き取れなかった、一体どこの田舎から出てきたんだ、だって。山奥の森に棲むガットに田舎者呼ばわりされるなんて笑っちゃうよね、あはは、はは、はは……ここ、笑いどころだよ?」


場を和ませようとした小さな笑い話は、仲間からの印象を余計に悪くさせるだけに終わる。

 周りの疑り深そうな視線が集中する中で苦し紛れに笑った後、気まずそうに黙るピエール。


「胡散臭え」


オットーの一言が、全てを物語っていた。


   :   :


 更に少し歩いた所で、遠くから茂みをかき分ける音がし始める。

 六人は無言で停止し、オットーとアロイスは武具を抜いて構えた。四人の疑わしげな瞳が、アーサーに集中する。


 アーサーは盾を構えつつも右腰のベルトポーチから、一枚の銅板を取り出した。

 表面に魔法陣の彫られた、呪文用の補助板。

 二日目に宿で使った治癒用のものとは違う、ガット語用のものだ。

 銅板を眼前に掲げながら、アーサーは小声で呪文を唱えた。彫られた魔法陣を光が伝い、白い魔力の光がアーサーの頭を覆う。

 そしてアーサーは大きく息を吸い込み……


「ヴグルゴ、グルゴ、ヴォーン、ヴォルグルヴォ!」


酒で喉が灼けた中年男のように低く擦れた声色で、大きく叫んだ。

 四人が一様に驚きぎょっとした顔で、目を見開く。


「うわ、きもちわり」


その無意識の呟きに、姉妹を除いた四人は雰囲気だけで肯定する。

 少女の喉から発されることに、とてつもない違和感を感じさせる声だ。


「ヴルーゴ、ルーノ、ヴォン、ヴルヴルヌォ!」

「ヴォウヴルゥヴ!」


アーサーの叫び声に森の向こうから呼応するような反応が聞こえ、それに対しまたアーサーはその顔からは似ても似つかない喉が潰れたような咆哮を返す。

 振り返って、ピエールにハンドサインを数回。


「話は聞いてくれる。今からガットが来るから攻撃しないで待ってて。だって」

「今のは何だべ」

「これ使うとガットの言葉を聞き取れてガットの言葉も言えるようになるけど、その代わり人の言葉は聞くのも言うのも出来なくなるんだって。前アーサーが使った時は、これを使ってる時に私の言葉を聞いても手をすり合わせるような変な音にしか聞こえなかったとか。だから別の方法で伝えないといけないんだよ」

「……難儀な呪文だの。様々な意味で」


アーサーを筆頭にその場で待機していると、相手はすぐに森の中から現れた。

 背丈は人間と同等。浅葱色の薄青い表皮は、まるでひび割れ乾いた地面のようにがさついた鱗が重なり合っている。手足の爪は太く短く、獣の毛皮や樹皮を貼り合わせた服とも防具ともつかないものを身に纏っていた。

 目玉は大きく前面に迫り出していて、体毛の一切無いぎょろつく瞳は否が応にも彼らが人とは決定的に異なる生物だということを思い知らせていた。


 鱗人(ガット)と呼ばれる亜人種。彼らはその中でも森を住処とする、通称森ガット。

 人数は四人。全員が石斧や弓で武装している。

 改めて、姉妹二人を除く冒険者たちは緊張を露わにした。メルヒなどはハンスの服の裾を強く握り締めながら、唇を噛んでガットを睨んでいる。


「ヴォーグ、ヴルルルン」

「ヴォーグ、ルルーグル」


先頭のガットがこちらを睨んだまま、低く吼える。

 それにアーサーが、低い声で答える。


「ヴォルグルーグ、グルルー、ルーグ」


次いで再びアーサーが吼えると、ガットたちの間に動揺が走った。

 顔を見合わせ、とりとめも無く何かを叫び合っている。ガット仲間と冒険者とを交互に見比べる瞳の動きはぎょろぎょろと激しく、そしてどこかぬめりを感じさせて不気味だ。

 その会話は当然、他の冒険者たちには全く理解出来ていない。


「ヴォルグール、グル」


一通りの相談が終わったのか最後に先頭のガットが一度吼えると、反転して背を向け、森の中を歩き始めた。内二人は、あくまでこちらを警戒し視線を向けながら他のガットと並行している。

 アーサーはピエールへと振り返り、ハンドサインで何かを伝えた。


「とりあえず通ってよし。それとガットと話をするから、このままガットの中の偉い人と合流

する。って」

「……本当に大丈夫なのだろうな?」

「うん。……多分」

「おいおいそこは断言してくれよ姉ちゃん。不安になるだろうが」


とにもかくにも、六人には道なりに進む以外の道はない。


   :   :


 少し進むと、周囲の木々が開墾されて開けた空間に出た。

 円形に均されたそこは中々の広さがあり、ちょっとした広場だ。


 広場には新しいガットの姿が三人。一人は中央に座り、その左右に二人が立っている。

 位置関係や他より豪華な装備から見ても、その中央のガットが「偉い人」で間違いないだろう。先行していた四人が、中央のガットの後ろに並んだ。

 森の広場には、合わせて七人のガットたち。


「ヴルーグ」

「ヴルーグルーグ」


まるで挨拶のように一言交わし合い、それから低く静かに吠え合う中央のガットとアーサー。

 彼女は会話の後に中央のガットの対面に座り、ピエールにハンドサインを送った。


「座れってさ。あとおっちゃん二人は武器をしまってほしいって」

「おめーたちの後ろの奴らが武器をしまえば、俺たちもしまうだ」


ピエールがハンドサインで通訳し、アーサーが低く吠えてそれを伝える。

 ガットたちが棍棒や弓を地面へ置いたのを確認してから、アロイスとオットーは武器を腰の鞘へと戻した。


 後ろの五人もその場に腰を降ろし、アーサーと中央のガットで吼え猛る会話が始まった。

 ピエールへのハンドサインも途絶え、五人は完全に手持ち無沙汰だ。


 約十分後。

 ピエールが欠伸を吐きかけた所で、アーサーが振り返った。ピエールへと、長めのハンドサインを行う。

 しかし。


「え、えーと、寒気のするヤマアラシが、薄い水と共に、四つの痒みへと……?」


長文、そして具体的な話になったことで、明らかにサインが正しく伝わっていない。

 アーサーは表情からそれを察し、ピエールの額を小突いた。

 時間をかけて地面を手で均し、アーサーは土に指で文字を書いていく。


 ヤツ(竜のこと)は時々森に現れ、我々を見かけると執拗に襲いかかる。

 ヤツの正体は何も分からない。近づいた仲間は皆死んでいるから。

 ヤツは十年前には既にいた。具体的にいつからいるかは分からない。

 ヤツとの関連性は分からないが、森の北(レールエンズ付近)は今何かがおかしくなり、生き物が棲めなくなった。それで、我々や獣の住む場所が狭くなった。

 数日前、確かに四人の鱗無し(普通の人間のこと)がここを抜けた。戻ったのは一人。三人は戻っていない。

 ヤツを討ちに行くというのなら止めない。ただし道中我々の仲間を襲ったり、森の恵みを奪い尽くそうとするのであれば攻撃も辞さない。


 他、何かガットに聞いておきたい、言っておきたいことあれば。

 追伸。最初からこうすればよかった。


「ぷっ、確かにな」


アロイスが笑い、横でハンスが手を挙げた。アーサーが視線で促したのを見てから、地面に文字を書き始める。その字は拙く、贔屓目に見ても下手だ。

 ガットは人間についてどう思っているのか。


「ヴゴール。ヴォルゴルググーヴォ。ヴォールールグ」

「ヴォルゴル。ヴォルグ、グルルル。……ルーゥール」


アーサーが最初に書いた文字を消し、そこに再び文字を書く。


 森を荒らす外敵。それ以上のことは何も感じていない。

 森の北にいた鱗無しとの諍いも、今の世代の我々は知らない。

 だが。

 我々は森ではないものを求めない。鱗無しの領域を我々は侵さない。

 無節操に木を切り草木を毟り我々の領域を荒らすのは、鱗無しの方だ。

 我々は、我々の森の為なら鱗無しとも戦う。


「……」


アーサーが書いた文字を読んだハンスは顔を歪め、眉根を大きく寄せた。土に、返事を書く。

 よく分かった。「返答感謝する」と伝えてくれ。


「ヴォルグルン、ヴォル」

「ヴォール」


最後となる短いやり取りがアーサーとガットの間で交わされ、ガットたちは広場を脇へ退いた。

 ガットたちの後ろには、やはり長い長い森の道が続いている。


 話は終わりです。行きましょう。


 アーサーが地面に書き込んでから立ち上がると、他の五人もそれに続いて立ち上がった。

 森の亜人たちと別れ、六人は森を行く。


   :   :


 ガットと別れてから二時間。

 冒険者たちは森の道に座り込み、昼食の最中だ。

 道中何度かガットと遭遇したもののそれ以外は獣に襲われるようなこともなく、順調に進んでいる。

 このまま行けば、今晩か明日の朝にはレールエンズに着くだろう。


「森がおかしくなるって言ってただが、なんもおかしなことねえでよ」

「この辺りはまだガットの領域内の筈です。もう少し進んでからですよ」

「そうは言っても全部おめえの言ったことだでなあ。おめえの吹かしでねえのけ? それかおめえがガットどもに騙されたか」

「私が嘘を付いてもメリットが何もありませんし、あの森ガットたちが嘘を付いて相手を謀るとは到底思えません。いずれにしろ我々は進むだけ、真実はじきに分かります」

「へん、適当言ってごまかしやがって」


オットーはつまらなそうに言い捨てたもののそれ以上何かを言うこともなく、干し肉を強引に噛み千切った。噛む場所を選んでいるとはいえ、オットーは顎の力も相当なものだ。


「とはいえ、話があっさり進み過ぎてちと不気味だな。奴らだって人を襲う化け物だろうに」


ぼそりと零し、アロイスは薄目でアーサーを見た。遠回しに詳細な説明を求めている顔だ。

 その視線を、少女は平然と受け止める。


「……少し、森ガットの話をしましょうか」


顔を逸らし森の奥へ視線を投げかけながら、アーサーが口を開いた。


「森ガットが何を食べて暮らす生き物か知っていますか?」

「肉でねえの」

「果物喰うって話は聞いたことあるな。人間や熊なんかと同じ雑食じゃねえのか」

「どちらも違います。森に住む森ガットは、完全な植物食です。葉、幹、根など植物であればどんなものでも食べますが、逆に肉の類は一切食べません」


アーサーの答えは会話に参加するオットー、アロイスだけでなく、横で聞いていたハンスとメルヒにも多少の衝撃を与えたようだ。

 二人とも、微かだが反応を見せている。


「うそつけ。ガットの奴が人や鹿ばらしてる所見たことあるべ」

「人間を襲うのは縄張りを守る為ってなら話は分からんでもないが、それなら他の生き物まで襲うのはどういうことなんだよ」

「……あれはですね。死体を刻んで肥にするんですよ。森に入る人間や、鹿や兎なんかの草食動物は彼らからすれば食料を脅かす同業者であり敵ですから。殺してしまえばライバルの数は減り、毛皮や骨は道具になり、肉は肥料になる。実際に食べる訳ではありませんが、彼らにとっては一石三鳥という訳です」


聞き耳を立てていたメルヒが、内容を想像して気分を悪くしたのか目を閉じて顔を背けた。


「そういう理由の元に生物を狩っているので狩れる分は絶滅も辞さない勢いで狩りますが、逆に狩らないと飢えて死ぬという訳でもないので手を出すだけ損と判断すれば何もして来ないし交渉にも応じる。……意外と面白い生態してるでしょう?」


アーサーにしては珍しく、小さく微笑んで発した最後の一言。

 それはアロイスに向けてのものだ。その対応通り、他の仲間に比べアロイスだけは感心し小さく頷いていた。


「確かに、聞いてみると中々納得の行く面白い話だな」

「えっ、旦那」

「俺も元は猟師だからな。生物の生態に詳しくなるってのは悪い気分じゃない」

「彼らは森の番人であり管理者でもあります。植物の育成である農業に関するいくつかの技術、例えば肥料や輪作などの概念は元々森ガットが起源だ、なんて嘘か本当か分からない与太話があるくらいです。彼らも話の通じない野蛮な化け物という訳ではないんですよ。ガットの種類によっては一転して意志疎通の出来ない化け物同然の奴もいますけどね」


言い終えたアーサーが手に持ったチーズの欠片を口へ放り込み、カップに残る水を一気に呷る。

 飲み水の代わりを頼もうとメルヒの方向へ視線を向ければ、そこには一人俯いて物思いに耽るハンスとそれを不安げな瞳で見つめるメルヒの姿。


「ハンス様……」


メルヒの控えめな一言で、他のメンバーの視線もハンスへと集中した。

 ハンスは頭を上げると、軽く微笑む。しかし、その雰囲気は晴れやかとは言えそうにない。


「大丈夫、儂は何ともない。ただまあ、ガットどもは存外まともな考えを持ってるものなのだと思ってな」

「実際の所、森ガットの本質はストイックな引き籠もり種族です。性質的にはむしろニアエルフに近いくらいですよ」

「……なんだかそれ、あまり気分がよくありません。エルフがあれと近いだなんて」

「彼らもきっと同じことを考えてますよ。あんな鼻が高くて鱗も筋肉も無い、プライドと魔法力だけの存在と一緒にするな、とね」

「……」


アーサーは別段悪意も無くただ事実を言っただけだが、メルヒは拗ねた素振りで唇を尖らせ、黙り込んでしまった。

 言われた言葉への反論が浮かばないことが、逆に腹立たしいのだ。

 メルヒが話から離脱し、またハンスの顔は俯き始める。


「森を切り開き奴らの住処を荒らすのは、人間が先。確かに、そうであったな……」

「レールエンズは森に囲まれた狭苦しい土地なんだろ? ちょっとくらい広くしようとしても仕方ねえだろ」

「そうは言うがな、あの国はあれで元からかなり裕福だったのだよ。それを要らぬ欲をかいてガットとの関係を悪化させ、それがきっかけで国を滅ぼすはめになるとはな……。欲深を竜神様に見透かされて罰を受けたというのは、案外本当かもしれぬ」


ハンスがぽつりと洩らすと、メンバーの雰囲気はやおら重くなり始める。


   :   :


 レールエンズを襲った病の風。その正体は、アルガ山脈北部から吹き下ろした毒の風だ。

 いつ頃からかははっきりとしていないが、山脈北部、その麓からある日緑色に濁った汚水が染み出していた。

 沼地となったそこは後にアルガの涎と呼ばれ、山脈から吹き下ろす風が涎の上を通過すると、汚染風となって東から西へと毒を運ぶのだ。


 常にその風が吹き付けられ毒の中に身体を曝しているような状況では、いくら呪文で解毒や治癒を行ったとしても効果が出る筈もない。

 それが、レールエンズが崩壊に至った原因である。


 だが、本来ならそのような事態になる筈ではなかった。

 レールエンズは周囲を森に囲まれた国であり、国の東側も森に覆われている。その森が風を遮り空気中の毒気を中和して、アルガの涎が出来てからも長い間レールエンズに異変が起こることはなかったのだ。

 あったのは、稀に身体の弱い者が肺を痛める程度。


 しかし当時のレールエンズは魔法の道具の材料の生産を更に増やす為、森の南を切り開いて麻畑にし、薬草を集める為更に森の奥深くの資源を漁り始めていた。

 それが原因で、ガットたちとの関係は悪化の一途を辿る。


 レールエンズは魔法の道具のおかげで裕福とはいえ、食料の自給率が低く食料は森の道を通ってサンベロナから輸入するもの頼りだ。万が一ガットに森の道を占拠、封鎖されれば、国民は飢えかねない。

 それを危惧した当時のレールエンズ国王、クリスティナの父親は、森を更に切り開き食料の生産量を少しだけでも高めることにした。


 ここで、切り開いたのが東で無ければ。

 西か北、或いは複数の方向にバランス良く広げていれば。

 そうであれば、結末は異なっていただろう。

 しかし結果として東の森は毒の風を防げぬほど広く切り開かれ、アルガの涎から吹き付けた風が国を蝕むこととなった。


   :   :


 素知らぬ顔で平然としているアーサーを除き、一同は重苦しい雰囲気の中で食事を続けていた。

 その中で、俯いていたピエールが不意に呟く。


「北から飛んできた竜って、結局何なんだろうね」

「それが分がんねっから、城に行くんでねえか」

「それはそうだけど、予想の話。本物の神様? 誰かが似せた別の何か? それとも偶然似てただけのレールエンズとは無関係な何か?」

「……さて、どうなのだろうな。考え始めると止まらぬ、だから儂は実物を見るまで考えぬようにしておるよ」


話はあまり振るわない。

 会話は続くことなくそこで途切れ、食事を終えた一行は再び歩き始めた。


   :   :


 昼食を終えてから更に歩き続ける一行。

 彼らの視界に、変化が訪れた。


 ある一点を境に、下草や低木が一つ残らず消えている。

 ただ湿った土の合間に、幹の太い木々が点在するのみだ。

 そしてその木も、よく見れば既に枯れている。落ち葉すらどこにも無い。


 それだけなら、ただ何らかの事情で枯れ始めた林と言えなくもない。

 だがその境があまりにも極端過ぎること、そして境界が道の左右、森の奥まで視界が届く限りずっと続いていることは何とも言いがたく奇妙で、且つ不気味だ。

 誰もがその場で立ち止まり、奇怪なものを見る目で道の先を睨んだ。


「こりゃあ、普通じゃねえな」


先頭のアロイスが、まじまじと景色を見ながら呟いた。

 意を決して指先だけその境目からそっと越え、すぐに引っ込める。


「だ、旦那。大丈夫け?」


境から越えた指先をじっと見つめ、再びアロイスは境目に手を伸ばした。今度は手首まで。やはり、越えてはすぐに手を戻す。

 何度かそれを繰り返しながらだんだんと境界を越える範囲を広げ、最終的にアロイスは身体ごと境界の向こうへ飛び込んだ。


「……かなり気持ち悪い。空気の層が丸ごと別物になったみてえだ。だが、何か影響があるって訳じゃなさそうだな。気持ち悪いのも入っちまえばじきに慣れるだろ」


アロイスが境目から森側へと戻ると他のメンバーも恐る恐る境目に手を伸ばしては引っ込め、何度かそれを繰り返してから境を越えた。

 誰もがその強烈な雰囲気に身体を震わせ、メルヒなどは体中に鳥肌を立ててわなないている。

 一旦全員が森側へ戻った所で、アロイスは自身の頭を荒っぽく掻きながら思案に暮れた。


「……今日はどんくらい歩いたっけな」

「食事とガットとのやり取り以外は歩き詰めなので、丸一日と見ていいでしょう。このペースで進むと恐らく到着は夜間、あの死んだ森か何があるか分からない城か、どちらかで一晩明かさざるを得なくなります」

「それは避けたいな。今日はここで……いや。もうちょっと後ろに戻って休もう。そうすればレールエンズに着くのは明日の昼だ」


アロイスの提案にハンスが焦りから異論を唱えかけたものの、すぐに口元に手を当てて思い留まる。

 一同はいくらか後退してから、昨晩同様道の真ん中で野営の支度を始めた。


   :   :


「ヴォール」


火を焚いていることに気づいてやってきたガットに状況説明を行い、去っていくのをアーサーは見送る。

 ガットの姿が完全に消えてから呪文を解き、右手に持っていた銅板をしまった。


「ヴァ、ン、あ、あーあー……」


何度か発声して元に戻った喉を慣らし、アーサーは焚き火の方へと向き直った。

 陽は傾き、既に辺りは暗い。夜の気温は昨日よりも寒く、皆焚き火の前で縮こまっている。

 時折森を抜けてきた風で植物たちが揺れ動き、遠くでガットが茂みを揺らす音も聞こえていた。


「……慣れねえ。勘が鈍りそうだ」

「私もです。意志疎通が出来たからといって、親近感など湧きません」


アロイスとメルヒが焚き火を見つめながら、うんざりした口調で呟いた。


「嬢ちゃんはともかく、旦那にしては珍しいでねえか」

「俺のは嬢ちゃんとは違えよ。しょっちゅうそこかしこから気配がして、しかもそれを放置しなきゃならんのが気持ち悪い。その内別の何かが来てもガットと勘違いして見逃しちまいそうだ」

「旦那に限って、んなことある訳ねえべ」

「そうやって調子に乗る奴から死んでいくんだ」


ため息と共にアロイスは脱力し、ライ麦のクラッカーをチーズと共にばりばりと齧る。それ以降、会話はぱったりと途切れた。

 他の面々も、言葉少なに保存食を摘んでいる。ピエールとアーサーは小袋にみっしりと詰まった様々な種類のナッツを貪っており、その様子はさながらリスかネズミだ。

 ぽりぽり、がりがり、さくさく。焚き火の音と緑のざわめきに咀嚼音も加わって、音量こそ低いものの周囲は中々に騒がしい。


 無言の食事はじきに終わり、誰が言うでもなく六人は就寝の支度を始めた。会話に興じていた昨日と比べると、大分早い寝付きだ。

 明日はこの冒険の総仕上げ。最も重要な一日になることを、皆理解しているのだろう。

 最初の不寝番である姉妹組を除いた、他の四人は挨拶も少なく静かに眠り始めた。


 ピエールとアーサー。二人の姉妹はそっと寄り添って、無言で焚き火を眺め続ける。

 その姿は、奇しくも「人」という字によく似ていた。

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