22
ぼっ、ぼっ、ぼっ。
ピエールの耳元で、何かが破裂するかのような乾いた音が数度鳴った。
大玉葱マンが繰り出した拳だ。
右、左、右と連続で顔面めがけて振り入れられた拳は圧倒的速度によって小さな衝撃波のようなものを発し、少女の耳に風圧を押しつけた。
しかし攻撃は当たっていない。
ピエールの見切りによって拳は全て寸前で回避され、横からアーサーが剣を突き出し横槍を入れたことで大玉葱マンは拳を引っ込めた。
拳の代わりに、芽による鞭打が放たれる。
アーサーが盾で斜めに流しつつ、姉妹はとん、とん、と地を跳ね数歩後退した。
大玉葱マンは追い縋ることはなく、赤紫の巨体をその場に鎮座させたままだ。
「……もしかして、足止めなのかな」
「そのようですね」
少し離れた状態で、油断無く武具を構え眼前の玉葱を睨み据えたまま姉妹が呟く。
眼前の赤紫は、小声で囁き合う二人をじっと見送っていた。
数度刃と拳を交えた結果。
二人は、薄ぼんやりとだが目の前の大玉葱マンの目的を感じ取ったような気分になっていた。
この大玉葱マンの目的。
それは、玉葱マンを沢山狩らせないこと。
いくらか狩られる分には咎めない。
しかしあまり沢山の玉葱マンを、特に紫、赤、白といった少数しかいない個体を狩られるのは認めない。
故に突出して玉葱マンを狩る人間を、狩ることの出来る強者を、こうして直接押さえに来ている。
そう姉妹は憶測していた。
こちらが動かない限りあまり積極的に攻めに来ることは無く、その一方で二人が離れ他の玉葱マンを攻撃しようとすると迅速に妨害しに来ることが大きな判断要因だ。
実際、二人は大玉葱マンが襲撃に来てから一匹も玉葱マンを討ち取ることが出来ていない。
加えて他の玉葱マンたちは明確に姉妹と大玉葱マンを避けるルートを取っており、二人と一体を中心に周囲は誰もいない空白空間のようになっていた。
「やっぱこれ、たまねぎマンって人間のこと利用してるのかなあ。たまねぎマンをちょっと討ち取らせてあげる代わりに畑で育てた玉葱を貰う、っていう」
「本気で人を排除する気が感じられない以上、案外本当かもしれませんね……」
言いながら、じり、とピエールが足を動かす。
途端、大玉葱マンが一直線に二人に飛びかかった。
ひねりを加えて飛びかかった大玉葱マンの芽がうなりを上げて回転し、真正面から盾で受けてしまったアーサーを三メートルほど突き飛ばす。
避けたピエールには拳が放たれ、突き込まれた拳が地面に食い込み拳の形の深い穴を作った。
大玉葱マンはすぐに地面から拳を抜き、両腕で間断無い連続攻撃。
びゅおっ、ひゅっ、ひゅばっ、ばっ、と風切り音を放つそれを避けている間にアーサーが復帰し、二人がかりで迎撃すると相手は距離を取る。
再び睨み合いへ。
姉妹二人の力を合わせたとしてもこの大きさの玉葱マンを討ち取るのは容易ではなく、かといって向こうにも姉妹を本気で斃す気は無い。呪文や"甘い息"などの消耗の激しい技を使わず打撃だけで攻撃しているのが証だ。
着地点の見えない不毛な戦いに、ピエールが眼前の巨大玉葱を睨みつつへにゃりとした困り眉を更に中央へ寄せた。
「……他のたまねぎマン狩らないから帰して欲しいってお願いしたい」
「とても許してくれそうな雰囲気ではありませんね。それに宣伝の仕事もありますし、精々彼が満足するまで立ち合いを続けましょう」
「ぐぬぬ……あっ」
呻き半ばで何かに気づいたピエール。
アーサーが釣られて視線を素早く投げると。
その先にいたのはよく目立つ蹄人の偉丈夫、レツであった。
彼もちょうど大玉葱マンと姉妹を注視しており、視線が合ったところだ。
「おういレツ君! レツくーん!」
「……なんだね二人とも! 見ての通り私は忙しいんだ! 後にしてくれたまえ!」
「小さいのよりさ、三人で協力してこのでかいの、おっと、一緒に、うわっち、倒さないかい!」
相対したまま呑気に会話を続けた為当然のように大玉葱マンに攻撃されるが、小柄な身体と機敏な動き、手斧の腹を利用して上手く切り抜けたり切り抜けられず胴を小突かれたりしながらピエールはレツを誘った。
アーサーもピエールの援護に加わりつつ視線をレツに送る。
が。
「悪いがお断りだ!」
「えーっ、なんで!」
「単刀直入に言おう! 私はそいつが怖いからだ!」
声高に叫んだレツが矛を振るって玉葱マンの一匹の芽を切断し、続けて返す刃を玉葱マンの鱗茎ど真ん中に突き刺した。
芯を貫かれぴくぴく痙攣するばかりとなった緑の玉葱マン。レツは馬の前足を乗せて玉葱マンから穂先を引き抜き、眼前に迫っていた別の個体を矛の柄で受け流しながら次の獲物を探す。
矛を縦横無尽に振り回す黄金の馬の美男子レツ。
彼の周囲には既に何匹かの玉葱マンの骸が転がっている。
その骸には、共通点があった。
「彼、緑と黄色しか倒していませんね」
「えっ……あ、本、当、だっ」
大玉葱マンの芽の鞭打をいなしながら合間に視線を投げると、レツの周囲に転がっている全ての玉葱マンが黄色と緑であった。
紫、赤、白の少数個体は一匹もいない。
彼のすぐ近くを通過している個体がいるにも関わらずだ。
姉妹が目を向けている間にも、緑の玉葱マンに矛を振り下ろさんとするレツを呪文の光弾が襲った。
レツはすぐに身体を縮こめ、後ろに飛び跳ねて避ける。
光弾を放った主である赤色の玉葱マンは、レツに狙われていた緑と合流すると、そのまま一直線に駆け抜けていった。
矛を振るえば当たる距離だが、レツはそれを黙って見送っている。
「……レツ君! レツくーん!」
「悪いがお断りだと言った筈だ! 私は一昨年にそのデカブツに治療院送りにされて懲りたのだよ! ……何よりも嫁がな! 治療院の病床に臥せっている私の元へ毎日見舞いに来て泣くのだ! 死ななくて良かった、怖かった、とな! あれは私の見たい泣き顔ではない! 私が見たいサイエの泣き顔は嫉妬の余り抑えが効かなくなって必死に私にしがみつく嫉妬と愛情の泣き顔だ! 故に……」
言葉を続けようとしたレツだったが、不意にぎょっとした顔で目を見開いた。
姉妹と相対していた大玉葱マンが、ぐりんと巨体を翻し離れた位置にいるレツのことを見たからだ。
会話を続けていたことで、蹄人も姉妹の仲間と認識されたのか。
彼も抑え込むべき対象だったと思い出したからなのか。
単に話の内容に苛ついたのか。
それは分からなかったが、不意にレツへ目を向けた大玉葱マンは、とたとた自身の側まで走り寄ってきた白色の玉葱マンを片手で持ち上げると。
レツめがけて投げつけた。
「いっ!」
白色の玉葱マンが数十キロの重さがあるとは思えないほどの速度で風を切ってレツの上半身、人の胴体部分へと飛来する。
レツは慌てて馬体ごと身を屈めて回避を試みたが、直撃は防いだものの回転する白玉葱マンの芽が肩から胴体にかけてを強く打ち付けた。
防具越しだったので怪我には至っていない。
しかし大玉葱マンの最後通牒と言わんばかりの一撃で完全に臆したレツは、馬体を翻しあっという間に大玉葱マンと、姉妹のいる場所から遠ざかっていった。
投げられた白玉葱マンが、レツのすぐ近くをトテトテ通過していく。互いに非干渉らしい。
「せっかくの頼れる仲間が」
「仕方ありません。私が同じ立場なら加勢など絶対しませんよ」
「まあ確かにこれの相手は頼まれてもしたくないけどさ……ああ、せめてチェリちゃん」
「あれはもう諦めましょう」
「うう……」
未練がましく小さく呻くピエール。
直後、大玉葱マンが再度飛びかかり両腕で右、右、左と拳を突き入れ追撃の芽による脚払い。
拳は凌いだものの脚払いを避けきれず姿勢を崩したが、アーサーが援護に入った隙に仰向けに倒れた状態から足を振り上げ手で地を押し返し飛び上がって姿勢を正した。
援護に入ったアーサーが拳の反撃をいなし切れず胴を掠め、今度は妹が姿勢を崩したところへ横槍に入る。
片刃の斧を片手に握って、遠心力を活かして半円を描くように一閃。
大玉葱マンは拳で真正面から受けにかかったが、ピエールが直前で腕を引いた為刃の端だけが掠め、人で言う手首の辺りに切れ込みを作った。
人であれば手首の太い血管や腱を断ち切られているであろう怪我だが、動く植物である玉葱マンにはただの亀裂でしかない。
事実、相手は切れ込みの入った右腕で何の支障も無く反撃の拳を繰り出している。
姉妹は二人合わせて大玉葱マンの両腕での連打を凌ぎ、距離を取って睨み合いの体勢に戻った。
「……」
話すことも無くなり、ただじっと眼前の紫の巨体を見つめ返すピエール。
一方アーサーは大玉葱マンを見据えながらも、意識は並行して別の方向へ向いていた。
姉妹と大玉葱マンが互いに相手を斃す気の無い、しかし死の危険に満ちた戦いを続けている空間。
その近くからは、既に人が殆ど離れている。
皆大玉葱マンからの巻き添えを恐れ、特にレツが話をしていただけで白玉葱マンを投げられたのが決め手となって殆どの戦闘員がその場を離れていった。
二人と一匹の周囲を流れる玉葱マンの波は、外敵が減ったことで悠々と玉葱を回収し森へと戻っていく。
しかしその中において、二人だけ姉妹と大玉葱マンの近くから離れない者がいた。
悪魔顔のサミーに付き従っていた、革防具の男と刃傷の男であった。
彼らの意識は、玉葱マンに向いているようで実際は姉妹に。
そしてその手には、投擲に向いた短めの剣と手槍が握られていた。
: :
男たちの目的は当然、姉妹だ。
混戦に乗じて二人に致命傷を負わせるか、宣伝を失敗させるのが目的だ。
戦闘開始前に悪評を吹聴する役目を担っていた二人組も協力する予定であったが、姉妹の戦闘力を目の当たりにして驚愕したところを緑に蹴られ転んだ上黄色に仲良く轢かれて既に戦線離脱していた。
残った二人の作戦は、誤射を装って姉妹へ武器を投擲し体勢を崩させること。
今の状況ならば体勢さえ崩してしまえば、トドメはあの大玉葱マンが刺してくれるだろう。
故に二人は玉葱マンと戦う素振りを見せながら、実際は気もそぞろに姉妹へと意識を集中していた。
幸い、あの姉妹は大玉葱マンと相対したまま。二人には一度も視線を向けていない。恐らく気づいてすらいないだろう、と二人は判断していた。
実際は視線は向けずともアーサーは戦闘開始前からずっと革防具の男と刃傷の男への警戒を外していないし、ピエールも自分たちの周囲にどれくらい戦闘員が残っているか、どこに残っているか程度は意識を向けるまでもなく把握しているのだが。
じり、じり、と男たちは戦う素振りを見せながら、姉妹の真後ろへ移動する。
姉妹は大玉葱マンの猛攻を、前後移動だけで必死に堪えている。二人の男に背を向けた状態のまま、移動する様子はない。不自然なほどに。
二人の男は一瞬顔を見合わせ、頷き合う。
直後、彼らの目の前に丁度よく別の言い訳が現れたのを切っ掛けに。
二人の男は、手にした武器を姉妹の背中へ投擲した。
: :
武器を手から離した、その瞬間。
姉妹の片割れ、背の高い金髪が鋭く叫んだのを男たちは聞いた。
脳裏を過ぎる一瞬の違和感。
違和感の正体は、直後起こった出来事によってすぐに解明されることとなった。
金髪の叫びを切っ掛けに、二人は迅速に左右へ散開した。
まるで後ろに目があり、攻撃を完全に予測していたかのように。
そして。
姉妹が左右へ避ければ、当然その奥にいるのは。
大玉葱マンの、赤紫の巨体である。
左右へ散開した姉妹の後ろから突如飛来する、二本の武器。
大玉葱マンは予想外の攻撃に驚きを示したものの、危うくも両腕を用いて武器を弾くことに成功した。
そう。
"危うくも"だ。
二本の武器を弾くのに気を取られたその時。
大玉葱マンの右腕の付け根には、ピエールが叩き込んだ斧の刃が深々と食い込んていた。
人体ならば骨ごと容易く吹き飛ばせるほどの力で振り入れられた渾身の一撃だったが、それでもどぐっ、という打撃音に留まり腕を飛ばすには至らない。
柄を握る両の手に更なる力が込められ、大玉葱マンが左腕で反撃を試みる。
寸前。
同じく左右に散開していたアーサーの剣が、姉の一撃の直後に玉葱マンの急所である芽を捉えた。
相手は数百年の時を生きる大玉葱マンである。姉に比べ非力な妹が片手で振るった剣では、大玉葱マンの野太い芽を断てよう筈がない。
しかし曲がりなりにも芽という急所を狙われたことで大玉葱マンの身体が強張り。
「んがああああっ!」
ピエールが甲高い少女の咆哮と共に押し込んだ斧の刃が、柄を折り砕きながらも、大玉葱マンの右腕を付け根から斬り落とした。




