15
客の応対も済ませ、無事に矢と軽防具を数点、計二千ゴールドほど買わせた姉妹。
夫妻へ今日の戦果報告も済ませ、少し時間を潰してから普段着に戻って待ち合わせの地へと向かう。
夕方の町は人の賑わいも少し落ち着き、人通りもまばらだ。
「どこって言ってたっけ?」
「南通りにある酒場です。南通りに酒場は一軒しかないようなので間違えることはないでしょう」
「あーそうそう、南通りだったね」
「また覚えようとすらしていないのに覚えていたかのような言い方して……」
小声で言い合いながら町を歩く二人。
普段の茶と褐色に染まった地味な旅格好で歩く二人は、周囲からの注目を受けることは全く無い。
ドレス鎧で活動している時は注目の的でどうにも落ち着かない気分だったピエールは、こうして無用な注目を浴びずに歩くことがどれだけ気楽かをひそかに実感していた。
暫し歩くと、すぐに目的地へと到着した。
大きな平屋建ての店で、何だか平べったいような印象を受ける。
両開きの扉の隙間からは、酒盛りの喧噪が洩れ聞こえていた。
さっと扉を押し開けて店内に滑り込み、感じる気配に従って目的の人物がいるであろう場所を目指す。
「あ、チェ……リ、ちゃ……」
客で賑わう店内。
ピエールが隅の席にいる顔見知り、チェリを視界に捉え、更にその直後、彼女の異様な姿に気づいて顔を強張らせた。
アーサーも無表情ながら、眉が力強く中央に寄る。
「ああ氷様、今日も無事生きることが出来ました、これも全て氷様のおかげです。ありがとうございます氷様……」
四人掛けの席に座る黒髪に純白ドレスの少女、チェリ。
卓上には赤黒い葡萄酒の満たされた酒杯が一つ飾られていた。
全体を透き通る氷で固められた、氷漬けの祭壇の上に。
更に氷の机には、無数の氷像が所狭しと並べられていた。
総計二十に届こうかという人型らしき氷像たちは、皆揃って両腕と片足を上げた妙に躍動的な姿勢を取っている。
さながら氷の小人たちによるパレードだ。
このチェリという少女、見た目は非常に可愛らしく、人目を引く。
しかも人の賑わう夕食どきの酒場において、歌姫のごとき美しい純白のドレスを纏ってたった一人座っている。
普通なら誰かが声をかけ、向かいの席に着き共に夕食を取ろうと、口説こうと試みているだろう。
しかしそのような気配は微塵も無かった。
氷に包まれた机の上で氷像に対して何やら熱心に祈りを捧げるチェリの姿は、あまりにも異様であった。
迂闊に口説けば自分まで机のように氷漬けにされるのではないか。
迂闊に近寄れば氷で拘束され、氷様なる存在を崇めるよう強要、洗脳されるのではないか。
チェリの姿には、危険人物という雰囲気がありありと滲み出ていた。
よく見ればチェリが座る席の周囲、真隣は綺麗に空席になっている。
一つ空席を跨いだ隣に座る席の客も、時折チェリへ危ないものを見る目を走らせていた。
「……」
名を呼びかけたピエールは口を半ばで閉ざし、無言で隣のアーサーへ視線を向けた。
妹も何も言わずに見返す。
そうして、足を止めた姉妹は不気味な少女の元へ近づくことなく、そっと離れる。
「何をしているの? 早くこっちに来て座りなさいよ」
寸前、目を閉じ背を向け祈りを捧げていた筈のチェリに呼び止められ、姉妹の足は凍り付いた。
勿論比喩表現だが、一瞬本当に足を凍らされたのではないかという疑念が二人の脳裏を過ぎったのは確かであった。
思わず足下を一瞬見下ろしてから、改めてチェリに視線を戻す姉妹。
「昼ぶりね二人とも。光線華の球根は馴染みの店員に渡しておいたわ。さ、座りなさい」
目を閉じ手を組み祈りを捧げる格好のまま、ぼそりと呟くチェリ。
小さな声だったが、姉妹にはいやにはっきりと聞き取れた。
「……」
再び無言で顔を見合わせる二人。
互いに覚悟を決めてチェリの元へと歩み寄った。
「チェリちゃん、お昼ぶり。……で、これ何してるの?」
「見て分からない? 氷様に感謝の祈りを捧げているのよ」
「いや、まあ、何かに祈ってるんだろうなーとは思ってたけど……」
盛大に苦み走った苦笑いで頬を掻くピエール。
アーサーは無言で机の上の氷像たちに視線を向けていた。
チェリは目を閉じている筈なのに、それを抜け目無く感知している。
「彼らは吹雪ちゃんよ」
「……吹雪、ちゃん?」
「そう、吹雪ちゃん。吹雪の精霊はこういう形をしていると記録に残されているの。生き物の生き血か生命力か、どっちかは知らないけどとにかく命を瞬時に凍らせ一瞬で死に至らしめる、とても凶悪な古代呪文を操るんだって。可愛くも恐ろしい、冷気の化身ね。今でも極寒の北の果てや雪山の頂上なんかに存在するらしいけど、一度見てみたいわ……」
目を閉じたままうっとりとした表情で、頬を赤らめるチェリ。
顔だけ見れば、恋に恋する可憐な少女と言えなくもない。
「ああ、いつか死ぬ時は、吹雪ちゃんか氷河魔人様に抱かれて氷漬けになって死にたい……この美しいあたしが、美しい氷の中に閉じこめられて美しいまま凍り付いて美しく死ぬの……!」
このチェリという少女、紛うこと無き変人である。
二人は愛想笑いすら失い、ただ変なものを見る目で彼女の顔を眺めていた。
: :
「……冷たい、チェリちゃんこれ本当に冷たいんだけど」
「そりゃあそうよ、氷様は冷たいものに決まってるでしょ?」
「いやだから、冷たいから、椅子の氷消して欲しいんだけど」
「心配しなくても大丈夫。この場にある氷様は皆あたしがしっかり管理してるから。溶けてお尻が濡れるなんてこと万に一つもあり得ないわ」
「いやそうじゃなくて、それも確かに嫌だけど」
「勿論肌が氷様に張り付くなんてこともないわ。あたしの氷様の扱いは完璧なんだから」
「ねえ話聞いて?」
しかしチェリは口元に手を当てくすくす笑うばかり。
聞いていないのか聞く気が無いのか分からないが、少なくとも椅子と机の氷を解くつもりは無いようだ。
ピエールは助けを求めて隣の席に座るアーサーに視線を向けたが、彼女は腰に吊していた革張りの丸い小盾を椅子の上に敷くことで直接氷に座ることを避けていた。
自分も何か敷こうと荷物を探るが適したものが見つからず、最終的に上着を脱いで椅子に敷く。
尻は冷たくなくなったが、代わりに上半身が肌寒くなった。
「うー……」
不満げに呻きながら、ピエールは脱力して無意識の内に机の上に肘を突いた。
瞬間、氷漬けの机の冷たさが肘に伝わる。
「わひっ」
思った以上にはっきり伝わった冷気に驚くが、結局我慢して肘を突き続けることにしたようだ。
恨みがましく半眼ジト目になりながら、対面にいるチェリを見つめるピエール。
「……あら? 駄目よピエール、これはあたしの楽しみなんだからあーげない」
視線に気づいたチェリが、得意げな笑顔で答えながら酒杯の中身を一口呷った。
素朴な形の酒場の酒杯には透明な氷細工がこれでもかというほど絡みつき、やはり氷漬け状態になっている。
赤黒いワインを一口飲み干したチェリが、白い頬を紅潮させて満足そうに一息。
「やっぱりここの葡萄酒は甘くて美味しい。氷様に囲まれて飲む一杯が一日の疲れを癒してくれるわ」
「私は寒くてちっとも癒えないけどね……」
ピエールがぼそりと呟くも、氷に囲まれ陶然とするチェリには届かない。
大きくため息を一つついて、ピエールは頬杖を突く左手の上に頬を乗せた。
視線を隣の妹に投げると、アーサーは背筋を伸ばし姿勢良く座った状態で店の奥をじっと見ていた。
釣られてそちらに目を向けると、どうやら食事が来ているようだ。
「チェリ、夕食が来ました。氷を退けてください」
「えーっ、もう? しょうがないなあ」
アーサーに言われ、チェリは渋々右手を机に翳した。
小声で呪文を唱えると机を占領していた祭壇や氷像たちが水煙に変わり、空気とかき混ぜられて消えた。
そして代わりに生み出される、人が地面から頭と右腕だけを出しているかのような氷像が二体。
「……チェリ」
「いいじゃない、氷河魔人様二人なら場所取らないでしょ?」
「……」
その不気味な氷像を眺めながら食事など取りたくない。
そう言おうか迷ったが、結局アーサーは黙認することにした。
隣でピエールが"もうちょっと頑張って"とばちばち瞬きで伝えてくるのに対し"諦めてください"と同じくぱちぱち瞬きで返しながら。
そうこうしている内におっかなびっくりな様子の店員がやって来て、三人の前に注文した料理を並べた。
アーサーとチェリが代金を渡すと、硬貨の枚数の確認もせずに足早に逃げ去っていく。
チェリ曰く顔馴染みらしいが、とてもそうは思えない。
逃げ去る店員には目もくれず、目の前の料理に視線を向けるアーサー。
麦の一大生産地だけあって、パンは混ぜ物が無く全て麦だ。
真っ白ではなくふすま入りの褐色パンだが、指で押すとふんわり柔らかく弾力がある。
スープには葉野菜と芋類がたっぷりと入っている。
姉妹の方には肉も入っているが、チェリの分には入っていない。
ニアエルフという種族は肉を食べられない訳ではないのだが、嫌う者が多い。チェリもその一人だ。
次に主菜。チェリはチーズを使ったオムレツ、姉妹は大きなミートパイだ。
どちらも賽の目切りにされた光線華の球根がたっぷりと入っている。渡した球根のおよそ六割がこの主菜に使われているようだ。
残りは薄く切られ、素揚げにして添えられている。
最後に、小皿に盛られたひまわりの種。
ネリリエル地方では植物油を採る為にひまわりを栽培しているが、種そのものも多く食用にされている。
他の料理は姉妹の方がチェリより倍以上量が多いのだが、ひまわりの種だけはチェリの方が姉妹の分より多かった。
チェリはひまわりの種が好物らしい。
「きたわね」
「そうですね」
料理を軽く見回し、香りを楽しんでからフォークを握る姉妹。
そうしてさあ食事に手をつけようとした、直前。
「待ちなさい」
チェリに呼び止められた。
思わずフォークを握ったまま二人が見返すと、チェリは瞳を閉じ、両手を胸の前で組んでいた。
二人揃って察する。
「食べる前に氷に感謝しなさい」
「私たちは氷を神と崇めていませんので」
「いいから」
「……」
「いいから崇めなさい、奉りなさい」
「……」
「いいから、祈りなさい」
「……」
「いいから」
"いいから"と連呼され、辟易したまま顔を見合わせる二人。
暫く見つめ合い、祈るふりだけして調子を合わせよう、という結論に至った。
フォークを置き、両手を組む。
「ああ氷様、今日も無事に糧を得ることが出来ました。全て氷様の活躍のおかげです。ああ氷様、これからもか弱き我が身をお助けください、ああ氷様……どうかお納めください……」
両手を組んで素振りだけ真似していると、やがてチェリは同じ姿勢のままぶつぶつと祈りの言葉を呟き始めた。
可愛らしい姿と仕草で行われる、なんとも不気味な祈り。
横目を開けて、その様を盗み見る二人。
祈りは三十秒ほど続き、祈り終えたチェリは晴れやかな表情で顔を上げた。
ピエールは引きつり笑顔、アーサーは無表情だ。
「短いけど今日はこの辺にしておきましょうか。さ、食べましょ」
言葉とは裏腹に、再び酒杯を手にとって果実酒を呷るチェリ。
一口酒を含んでから、フォークを手にとって食事を始めた。
続けて姉妹も食事を始める。
「やっぱり光線華は揚げても焼いてもおいしい。特に油と絡めると格別だわ」
「そうですね」
チェリの言葉に、アーサーが頷いて同意した。
ピエールは視線だけで同意を示している。
素揚げにされた光線華はカリカリとした固い歯応えで、揚げた芋とこんがり焼いた薄切りベーコンの中間のような、動く植物特有の独特な食感を有している。
味わいも深みのあるほのかな辛さと強い香りがあり、塩を振るだけで味付けは十分だ。
どちらかというと食事ではなく酒のつまみといった側面が強く、チェリなどは酒と素揚げ、それからひまわりの種を交互にすいすいと胃袋に納め、気勢良く追加の果実酒を店員に注文していた。
姉妹はそれを眺めながら素揚げの次にミートパイを一切れ切って口に含む。
こちらでは挽き肉を主役に光線華が薬味の役目を果たしており、肉の臭みが見事に中和され香ばしさだけが姉妹の鼻孔と舌を刺激した。
肉の脂と光線華の相性は抜群だ。
上品にミートパイを口に含んだ姉妹が、揃って美味しさに感嘆の息を洩らす。
その様を、チェリがじっと見つめていた。
「……あなたたちって、随分上品に食事するのね。特にそっちの小さい姉。意外」
チェリはあえて背丈で姉をからかうような言葉を選んだが、ピエールは気分を害した様子はあれどやはり口を開くことも、食事の席でマナーを損なうような行動を取ることもなかった。
予想通りの対応を見届けたチェリが視線を妹へずらす。
「これでも礼儀作法は一通り仕込まれましたから。尤も、姉さんには食事のマナーしか残っていませんが」
「やっぱり作法を仕込まれるような身分なのね、あなたたち」
「一応は、という程度ですけどね。所詮御山の大将ですよ」
「気になるわ、あなたたちの素性。どこ出身なのかすら教えてくれないし」
「あまりひけらかすような内容でもありませんから」
「……って言ってるけど。ねえピエール、あなたはどうなのよ……ピエール?」
チェリは矛先を妹から姉へと変えたが、ピエールは控えめな笑みと共に首を振るばかりだ。
答えるどころか、口を開く予兆すら見えない。
「食事中の姉さんに聞いても無駄ですよ。姉さんは席について食事をする時は一切口を開きません」
「どうして? 別に食事中に喋るのはマナー違反でも何でもないでしょ?」
「物覚えが悪くて何度も何度も叱られた結果です。とにかく教えられた内容をこなすのに必死で、無駄口を叩く余裕なんてありませんでしたから」
「……目に浮かぶわ」
叱られ倒して半泣きで食事をする幼少期のピエールの姿を脳裏に浮かべ、チェリは思わず同意した。
ピエールは不満を表情だけで露わにするもののやはり口は開かず、マナーを逸するような行動も取らなかった。
「やっぱり変な子よねえ、あなたたち。力の強さもそうだけど、存在そのものが何だか人間離れしてるわ」
氷に包まれた机に肘を突き、チェリがしみじみと呟く。
アーサーは雰囲気を緩めて左手で氷をこんこんと叩き、
「この状況を見たら、一番変なのはどう見てもあなたですよ」
と返した。
氷に包まれて首を傾げるチェリが、妹の言葉に納得することは終ぞ無かったという。




