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姉妹冒険者物語  作者: 並野
王国の竜
11/181

冒険者-02

 姉妹にとって、水の心配をせずに済むメルヒの存在は何にも代え難いありがたいものだった。

 背嚢から取り出した布を水で濡らし、姉の身体に付着した狼そのものを丹念に拭き取っていくアーサー。

 ピエールは沈んだ表情でされるがままだ。


「ごめんねアーサー……」

「無理に綺麗に戦おうとして不利になっても仕方がありません。謝ることなんてないですよ。ただ間違っているとすれば、調子に乗って遊撃手を気取ったことの方です」

「防御は万全だったし、狼は普通の狼っぽかったし、あれが一番いいと思って……」


真っ赤に染まったタオルを絞り、メルヒに頼んで水で濯ぐ。

 それからまた絞り、ピエールの服や髪の毛をアーサーは拭う。

 何度か繰り返すと、ようやく彼女の汚れは粗方拭い去られた。それでも、漂う鮮血の臭いや服に染みた薄赤い染みは未だに残っている。

 怪我ではないが、返り血が目に入ったおかげで右目も赤く滲んでいた。


「メルヒ、最後に姉さんの目をお願いします」


小さく頷いて、姿勢を低くし真上を向いているピエールの目を見下ろすメルヒ。

 指先から水流を迸らせて眼球を洗い流し、念の為の治癒の呪文を少し施せばその目はすっかり元通りだ。


「ありがとね、メルヒちゃん」


立ち上がったピエールが笑いかけると、口を閉じたまま鼻息荒くメルヒは頷く。

 隣ではハンスが、狼の奥歯で微かに負傷したオットーの右足を治療していた。

 負傷といっても革靴の上からなので、傷口はあって無いようなものだ。剛毛が生えた極太の足首に、数個浮かぶ赤い点。

 呪文によって傷はすぐに塞がり、赤かった点は薄いピンク色に変わった。


「顎どころか、頭ごと全部吹っ飛んでやがる。可愛い顔してやることがえげつねえな……。所で、これはどうするね」


二人の手当が終わった所で、アロイスが狼の死体を眺めながら誰に言うでもなく問いかけた。


「旦那、狼の肉ってうめえ?」

「昔食った時は臭い固いまずいの三重苦だったな……こいつが同じかは知らんが」

「そもそもここの狼って何に使えるの?」

「役場で聞いた限りでは毛皮と尻尾が衣服、それと新鮮な心臓と肝臓が珍味や薬の材料になる程度ですね。一応電撃で殺した一頭以外は皮を綺麗に剥げば一頭百ゴールドにはなると思います」

「毛皮は帰りならともかく今は荷物にしかならねえしいらねえよな? 内臓は……誰かここで捌いて食うか? それかメルヒの嬢ちゃんに氷漬けにして貰うか」


半ば冗談めいたアロイスの一言。案の定、誰も頷かない。


「じゃ、放置だ。戻ってくる頃には何かしらの餌になってるだろ」


意見の一致が取れ、パーティは出発の準備に戻る。各々武器の汚れを軽く拭い、鞘に収めた。

 その中で、ハンスだけが無言で狼の死体を見つめている。


「どうかしましたか」

「皆痩せておるな」


アーサーの問いかけに、視線を狼から外さずハンスは答えた。


「確かにそうですね」

「昔は、この森の狼は人間など率先して襲わなかったのだがな。分の悪さも、よしんば成功しても苦労の割に食べられる部分が少ないことも知っておった。何とも未熟な……それとも、飢えて余裕を失った結果か」


ハンスの呟きは小声で、殆ど独り言のようなものだ。

 誰も言葉で返事を返すことなく、ハンスもすぐに出発の準備を始めた。


   :   :


 狼を撃退してから五時間。無言のまま六人は進行を続け、陽が傾き始めた所で足を止めた。


「そろそろ野営の支度だ」


魔法使い二人を道の端に座らせ、アロイスを中心に四人は役割の相談を始めた。

 分担はすぐに決まり、アーサーとアロイスは道を逸れて森へ、ピエールとオットーは周囲の下草や石を除け始める。

 彼らの手際は経験者らしく鮮やかなもので、二十分もすれば辺りはすっかり草も刈られ座り心地のいい平坦な地面だ。


 やや遅れて、森から戻った二人。二人の腕には枯れ枝が抱えられ、それに加えてアロイスは太い生木の枝を数本、アーサーは皮袋に半分ほど詰まったモスピの実と食用になる薬草を少量携えている。

 アーサーとアロイスがあれこれと話し合いながら焚き火の準備を行うのを、手持ち無沙汰な四人が眺めていた。


「あの二人はまさしく熟練といった立ち振る舞いだの」

「旦那はすげえ。何でも知ってるし、色んなことが出来る」

「アロイスのおっちゃんは確かに何でも出来るって感じだもんね。ああいう仕事をてきぱき出来るのって格好いいよねー。私は何だかんだでいっつもアーサー任せになっちゃう」

「確かにおめえはバカそうだで」

「人を馬鹿呼ばわり出来るほど賢くねーだろ、お前も」


四人の前まで近づいてきていたアロイスが、土の付いた小さなスコップでオットーの頭を軽く小突く。それからハンスの方に向き直った。


「爺さん、そろそろ出番だ。火貸してくれ」

「よかろう」


膝に手を付き、勢いを付けてハンスは立ち上がった。

 それから後ろへ振り向き、隣に座っていたメルヒに気が付く。


 ……アーサーが採集してきたモスピの実を、一人で殆ど食べ尽くしてしまったメルヒに。

 両の手の平で一掬いした程度の量があったモスピの実は、既に数粒しか残っていない。


「メルヒ」


ため息と共に絞り出されたハンスの一言。

 メルヒは顔を上げると、口内に物が詰まった状態で何かを言い掛けてから、大人しく咀嚼を再開した。

 口の中の物を消化し終えたメルヒは、ハンスを正面から見返し真剣な顔で呟く。


「酸っぱくておいしかったので、つい」


力の込められたハンスの人差し指が、メルヒの額で炸裂した。


   :   :


 森の中を通る道のど真ん中に、間隔を広く取って放射状に並べられた生木。

 その中心部が少しずつ熱で乾き、弾けるような音を立てて燃える。

 ぱちぱち、ぱち。火勢はやや強めで、灯りと暖を兼ねる炎。

 その周囲を、冒険者たちが囲む。時刻は夕暮れ、まだ明るいが直に暗くなるだろう。


 ハンスは目を細め無言で炎の揺らめきと音を楽しみ、隣には額を赤くしたメルヒがハンスに身体を預けて瞳を閉じている。眠ってはいないが、静かな吐息と共に肩を小さく上げ下げするのみだ。

 ピエールとオットーは、狼に使用した武器の手入れを行っている。

 狼と接触した刃の部分を念入りに洗い、研ぎ、磨き、塗る。二人の小脇には、それぞれ直剣と小剣が置かれていた。自身の分だけでなく、相方の武器も一緒に行う算段だ。


 焚き火には、水の張られた大鍋が掛けられている。

 ふつふつと煮立ち始めたそれの前に並ぶのは、アーサーとアロイス。


「よくこんな大きな鍋持ってきましたね」

「六人だし食事はまとめて用意した方がいいだろうと思ってな。なに、持って来るのはあいつ任せだから俺は楽なもんだ。それにいざとなったら盾にも鈍器にもなる」


かちかちに乾燥した塩漬けの干し肉と芋を、二人はナイフで適当に削りながら鍋へ入れていく。

 芋は刃の通りがいいが、筋張った干し肉は頻繁に刃が引っかかり、削るペースはやや遅い。筋張った部分はそのまま大雑把に切って投下されていく為、肉のサイズはまちまちだ。

 湯気の立つ鍋の中で、肉が躍る。噛み切ることすら困難なほど堅い肉がだんだんとふやけ、鍋に塩と脂を行き渡らせていく。温かな肉の匂いが、皆の鼻をくすぐった。


 削り入れられた芋の破片は、肉とは違い鍋の中で煮崩れて形を曖昧にしていく。若干とろみのついた鍋の中身を杓子でかき混ぜ芋を潰しつつ、暫く煮てから二人は次にライ麦の乾パンを適当に砕いて鍋に入れ始めた。

 芋同様パンも鍋の中でふやけてとろけ、とろみは次第に粘りとなる。ライ麦パンの色で、鍋の中は薄茶色に染まっていった。


 パンはすぐぐずぐずに溶け、最後にアーサーが刻んだ薬草と隠し持っていた胡椒を一つまみ散らした。かき混ぜる内に薬草のつんとした香りが、肉の匂いと混じり合い湯気となって立ち上る。

 肉と芋の、パン粥の完成だ。


「野郎ども、出来たぞ」


アロイスが焚き火から鍋を外して呼びかけると、三人の目が一斉にそちらへ向いた。

 メルヒだけは、どこに目を向けるでもなく気怠げに瞼をこすっている。


「ひゃー、いい匂い。見た目はともかく」


真っ先にピエールが椀を片手に軽快なステップで駆け出し、鍋の前に屈み込んだ。

 杓子に手をかけようとした所で、右手をアーサーにはたかれて遮られる。


「手が汚い。金属粉まみれじゃないですか、綺麗にしてきて下さい」


しょんぼり顔で引き下がるピエール。後ろにいるオットーが、それを嘲り笑った。


「はん、馬鹿な奴だで」

「お前もだ」

「おではあんな汚れてねえど、旦那!」

「服の端で拭いただけじゃねえか、子供かお前は。せっかくメルヒの嬢ちゃんがいるんだからこういう時ぐらいちゃんと洗え」


アロイスに叱られたオットーもすごすごと鍋から離れ、メルヒの出す水流でピエールと共に大人しく手を洗い始めた。

 手を洗う二人と、それを手伝う一人。それを尻目にハンスが両手に椀を持って鍋の前までやって来た。


「旅路の夕餉とは思えぬ豪華さだの」

「なーに、全員の食料の中からあるもんぶち込んで適当に煮ただけだ。一番の功績は水を贅沢に使えるメルヒの嬢ちゃんだな」

「やはり水を大量に出せるというのは便利なものだ、儂は肩身が狭うなるわ。……ああ、メルヒは肉が苦手なのですまぬが左は肉を除けて入れてくれぬか。量も少なくてよい」


とろみを越え粘りに近いその粥を、ハンスの代わりにアーサーがよそった。

 ハンスは定位置に戻り、手洗いを終えたメルヒに椀を手渡す。

 メルヒの目の前には既に六人分のカップが並べられ、その全てに水が満たされていた。

 次いでピエール、オットー、アロイスと順に粥をよそい、アーサーは最後に自分の椀に粥をよそった。鍋の中身は、まだ半分残っている。


 焚き火を囲んで座る六人が、思い思いに食事を始めた。

 メルヒは少量ずつちびちびと啄むように、オットーはスプーンごと丸飲みにしそうな勢いで。


「脂が濃い……」

「それがいいんでねえか。疲れた身体には塩と脂だでよ」

「美味しいんだけど、混じってるこの葉っぱは苦くてまずい。何でこれ入れちゃったのかなアーサーは」

「その薬草は生食が可能で、目や耳の疲れに効き身体も温める効果があるんですよ。良薬口に苦し、子供みたいなこと言ってないでちゃんと食べてください」

「うー」


二人の姉妹の様子を眺めていたアロイスが、小さく笑った。


「こうして見てるとお前らは姉妹というよりも親子だな」

「奇遇だの。儂もちょうど同じことを考えていた所だ」


ハンスがアロイスの言葉に同調し、しみじみと呟いた。

 アーサーはあまり気にしていないようだったが、ピエールは笑顔のまま反論を始める。


「いやあ、そうでもないよ。普段はお節介焼きみたいな感じだけど、これでアーサー結構子供っぽい所あるからね。例えば……」

「具体的な話はしなくていいです」


言い掛けたピエールを、ぴしゃりと言葉を被せてアーサーは遮った。わずかに赤いその頬は、焚き火の光に当てられて回りの皆には気づかれない。

 ハンスとアロイスが顔を見合わせ、からからと笑った。


   :   :


 食事と共に、話も進む。

 アロイス、ハンス、メルヒは既に食事を終えているが、残る三人は未だに食事の最中だ。粥一杯で済ませた小食組とは違い、三人は三杯目。鍋の中身は見事に空になっている。


「あれはいつのことだったかな……。俺が今四十三で、二十八の時か」


アロイスは焚き火をぼんやりと眺めながら、ぽつぽつと語り始めた。

 その目は遠い。


「俺は元々とある村で猟師をしていた。国の外れにある辺境の村で作物の実りはいつもいまいちだったが、ちょっと行った所にだだっ広い森があったから狩るものには困らなかった。馬鹿でっけえ猪みたいな大きさのトカゲとか、呪文を使う不気味な蛾とかをこそこそやり過ごしながら、小さい獣や虫を狩って暮らしてた。嫁も子供もいて、人生の絶頂だったよ」


喜びとも悲しみともつかない曖昧な表情で、ため息をつくアロイス。


「だけどなあ、ある日国が他国と戦争を始めたんだ。どっちが先かとか、詳しい理由は俺は何も知らねえ。ただ俺の村の近くの国境から敵国の軍が侵攻してきて、敵軍の先遣隊が村に略奪にやって来た。俺も必死に戦ったよ。だけど所詮はただの村民。少しずつ村の仲間がやられ押されに押されて、結局村の中に敵兵が入ってきた。そのすぐ後に自国の部隊がやってきて敵軍は追っ払われたが、その時に嫁と息子は死んだ」


曖昧な表情だったアロイスが、ここではっきりと自嘲するような笑みを見せた。


「後から聞いた話じゃ俺の家の隣の一家が襲われた時に、嫁はその家の妊婦を、息子は同い年の女の子を庇ってそれで殺されたんだとか。……大した騎士っぷりだ、って本当は褒めてやる所なんだろうな。嫁と息子の意志を継いで、それからもその村を守っていくのが筋だったのかもしれねえ。でも、俺はそうはならなかった。そのお隣さんの一家からまるで救世主か何かのように感謝されても、防衛戦の時の働きっぷりが見事だったとかで自国の部隊から褒められスカウトされても、何だかもうどうでもよくなっちまった。敵国に対する憎しみも無い。ただ全てが空しくなって、俺は村を、国を出た。それから今まで、根無し草が続いてるって訳だ」


「……ぬしも苦労したのだな」

「さて、どうだかな。境遇はともかく腕前の方は、ただ運良く死ななかったから運良く軌道に乗れただけかもしれねえ。冒険者の時も、猟師の時も」


アロイスは横で食事を続けているオットーを眺め、ふっと笑った。


「でも、今は割と楽しいぜ。嫁も子供も無くした俺だが、相棒ってのもその二つに負けない中々いい存在だと思ってる。悪くねえ気分だ。……オットー、次はお前の話もしてやんな。お前の方は大した話じゃねえけどな」

「そりゃ旦那と比べりゃ大抵の奴の話は大したことじゃなくなるだ。……にしても、旦那はヘヴィな話をさらっとするから困りもんだべ。皆テンションだだ下がりだ」


にまぁ、と笑ってオットーは他の人たちへと視線をぐるりと回した。

 皆沈痛な面持ちだ。

 アーサーだけは、暗い気分など微塵も無く普段通りの無表情なだけだったが。


「おでの話は何でもねえ普通の話だで。村一番の力持ちだったおでが、一攫千金目指して町へ出た。で、旦那と出会って一緒に旅をするようになった。そんだけだ」

「こいつも昔は相当な荒くれでな、最初に出会ったのは酒場で大乱闘してる真っ最中だった。何か掴んで振り回してると思ったらこいつと同じくらいでかい大男だったと知った時は、化け物だと思ったもんだ」

「懐かしい話だでよ」

「おいそこの大食い姉妹、お前らはどうなんだ? ……にしても食い過ぎだろ、その身体で本当にオットーと同じ量食うのかよ」

「ちっこい癖に食い意地張り過ぎだで、意地汚え」


口内のものを嚥下してから、アーサーは心外とばかりに顔を上げた。


「……私たちは燃費があまり良くないんですよ。この身体にこの身体能力もいいことずくめではありません」

「そういやお前ら持ってきてる食料の量も大分多かったしな。何か秘密でもあんのか?」

「まあ私ら人間じゃないし」


アーサーが予め用意しておいた偽りの言い訳を使う暇もなく、ピエールがあっさりと爆弾発言を投下した。

 他の四人の表情が、一瞬にして強ばる。


「……は?」


四人からの詰問が始まる前に、言わずにごまかすから言ってごまかすへと素早く気持ちを切り替えたアーサーが割り込む。


「どちらかと言えば人間ですよ。……尤も、確かに人間ではない亜人の血も混ざっていますが」

「亜人の、ハーフなんですか……?」


驚きに目を見開いて、メルヒが小さく呟いた。


「なんだ、お前らもメルヒの嬢ちゃんと同じで人間じゃねえのか? それにしては見た目は人間そっくりだが……何の亜人なんだ?」


彼女たち以外の四人全員が、身を乗り出すほどの勢いで二人に注目している。

 こうなるのを避ける為の言い訳だったのだが、考えなく重要な話をぽろりとこぼしたピエールに、アーサーは内心毒づいた。表面上はあくまで平静のまま。


「あまり詳しいことを喋ることは出来ません。ただ、先祖の中に何人か人ではない者が混ざっています。割合で言えば半分もない、精々四分の一か三分の一という所です」


本当は喋ることが出来ないのではなく言いたくないだけなのだが、それを知るのはアーサーだけだ。

 ピエールも、自分が知らない何かがあるのだろうと勝手に当たりを付けて黙ることにした。

 ただでさえ、余計なことを言ってしまってアーサーが怒っているのが分かっているのだから。これ以上余計なことを言わず、静かにしているのが得策だと彼女は判断した。


「その亜人の血が、私たちに人間の筋肉とは異なる太さと強度のバランスを与えているんですよ。勿論鍛錬無しでこの身体能力が得られた訳ではないし、燃費の悪さを含めた大小様々なメリットとデメリットがありますが」


言い終えたアーサーは粥の最後の一掬いを口にして、周囲の反応を伺った。

 皆、驚きと興奮が入り交じった顔をしている。


「言われてみれば亜人の類は小さくても力強かったりするよな。お前らもそういう感じなのか」

「驚きだの。だが、納得出来る部分もある」

「……それで、お二人はどうして旅をしているんです……? やはりその生まれが関係しているんですか……?」


メルヒがハンスの服の袖を摘みながら、小さな声で尋ねた。


「いいえ全く。旅の理由なんて殆ど誰かさんの道楽ですよ。親に冒険者として世界を旅して見聞を広めるのもいいと言われましたが、特に強制されてる訳でもない。誰かさんが冒険の旅に出たくてたまらないから。そして、そんな誰かさんを一人にさせる訳にはいかないから。それだけです」

「……理由の方はおでよりしょっぺえな」

「愛されておるのう、ピエール」

「てへへ」


ハンスにからかうような口調で言われ、ピエールは照れながら後頭部、うなじを掻いた。


「さて。私たちの話はこれくらいでいいでしょう。次はハンスとメルヒ、あなたたちの番です。アロイスの本命も、彼らの話でしょう? その為に自分から話を振った。私たちはそのついで」


アーサーの指摘に小男は一瞬だけ目を見張ったが、すぐに得意げに笑った。


「まあな。調査員とはいえ今まであの町に住んでた訳じゃなさそうだし、爺さんはレールエンズ出身ときたもんだ。打ち合わせの時も殆ど聞けてねえし、その辺の詳しい話は是非聞いときたい。人の過去を聞くなら、まずは自分からってな」


軽い調子で言ってから、アロイスは口元だけで微笑んでハンスを凝視した。

 メルヒが、縋るような顔で横のハンスに目を向ける。


「丁度よかろう。いずれにしろ今日か明日には話そうと思っていた所だ」


ハンスは頷き、静かに語り始めた。

 陽は沈み、夜空に星が浮かび始める。


   :   :


 ハンス・ザクセンの人生は、生まれてから十一歳までの間と、十一歳から今までの五十四年の間との二つに分かれている。


 ハンスはレールエンズ王国近衛騎士長の長子として、この世に生を受けた。

 とにかくよく泣き、身体に何も異常が無くても頻繁に泣くので、相当世話に手間のかかる赤子だったのだとか。

 そんな赤子時代も無事に過ぎ去り、ハンスは六歳になる。その頃には、彼の泣き癖もすっかり鳴りをひそめていた。


 物心付いたハンスには、一人の年下の友人がいた。

 レールエンズ王国王女、クリスティーネである。

 レールエンズでは、近衛騎士長という役職の地位は相当に高い。そして王制とはいえ王の存在はそれほど厳しく格式張ったものではなかった。

 それ故ハンスがクリスティーネと遊ぶことを咎められることはなく、むしろ王宮内を我が物顔で走り回る二人はマスコットとして王宮内の人間から可愛がられていたという。


 そして、彼が十歳を迎えた時。

 少年は数名の従者と共に初めて森を抜け、レールエンズ国外へと出ることになった。

 向かう先はサリエットから船で一月。大陸を北からぐるりと迂回した、北大陸東方。

 センボロウ国立魔法学院だ。


 レールエンズ国民の中でも特に高い呪文の才能を持った人間は、十歳から十五歳までの五年間をここへ留学して学ぶのが王国の伝統となっていた。

 ハンスは十数年ぶりに、その伝統に適うだけの魔力を持っていたのだ。


 そんな順風満帆の人生を送る筈だったハンスの運命は、ある一点を境に大きな転機を迎えることになる。

 レールエンズ王国の、崩壊だ。


   :   :


 ハンスがその事実を知ったのは、従者だった筈の人間によって身包みを剥がれ奴隷商に引き渡されてからだった。

 国が崩壊し学費の支払いも後ろ盾も何もないハンスは、最早近衛騎士長の息子でも魔法学院の生徒でも何でもない。

 拠り所の無い、ただの小奇麗な浮浪児だ。

 従者たちは忠誠をあっさりと翻し、身包みを剥ぐだけではなく目先の小銭の為にハンスを奴隷商に売りつけて行方を眩ました。


 その日から、ハンスの厳しい奴隷生活が始まる。

 当時のハンスにもある程度の呪文は扱えたものの、魔法学院で一年学んだだけでは到底逃亡など叶わない。

 常に猿轡を噛まされた息苦しい状態で重労働を強制され、食事も猿轡の隙間から粗末な食事を流し込む生活。


 それでも、ハンスの心は折れなかった。

 瞳に宿った光を失うこと無く、ただ一つ。森に囲まれた、懐かしい故郷の国。

 レールエンズを、もう一度だけでもこの目に収める為に。


 最初の半年は反抗心を剥き出しにしては幾度と無く折檻され、次に表向きの感情だけを殺して淡々と動くことを覚え、それから二十年、密かに猿轡を噛み壊し気付かれないように呪文の訓練に明け暮れた。

 その後更に三年間辛抱強く機会を伺い、見つけたチャンスをものにしたハンス。

 彼は約二十年ぶりに、ようやく自由を取り戻したのだ。


 しかし自由を手にしたハンスは、自身がレールエンズから遠く離れた南西大陸の端、長きに渡る泥沼じみた民族戦争の続く険しい山岳地帯にいること、そして二十年に及ぶ奴隷生活で人間としての常識と呼べるものが殆ど欠落していることに気付いた。

 自由になった先には、奴隷だった頃以上の試練が待ち構えていたのだ。


   :   :


「奴隷の身でなくなってから三十年かけて、ようやくサンベロナまで辿り着いたのがつい先日。そして町に着き、町長の一人であるマグヌス殿の好意で屋敷に泊めて貰った数日後に、あの竜神様の遠吠えを聞くことになったという訳だ。儂は運命すら感じるよ」


語り終えたハンスは、左手に持っていたカップから白湯を一口、静かに啜った。

 焚き火の周りでは中年二人とピエールが肩に重しでも乗せられているかのようにうなだれ、メルヒは鼻水を垂らしながらすすり泣いている。

 アーサーだけがいつもの澄まし顔だ。


「重い……」

「重過ぎるでよ、爺さん……」

「五十年は、長いな……」

「ほっほ。儂にとってはそれこそ矢のような日々だったよ。今でも目を閉じれば昨日のことのように思い出せるさ、あの日の思い出を。クリスは姫とは思えぬほどやんちゃで、悪戯好きでなあ……。どんな手を使ったのか、よく兎やら蛇やら動物を素手で捕まえてはこっそり王宮の中庭に放して皆を驚かせ、王に怒られておったものよ。その癖竜神様の信仰には熱心且つ真面目でなあ、フフ……」

「わああん!」


遠い目をして過去の追想に浸りかけたハンスを、メルヒが泣きながら叫んで妨害した。


「大丈夫ですハンス様、今のハンス様にはメルヒがおります! だから、だからそんな悲しそうな顔なさらないでください! それだけで私は、私はもう……!」


ハンスの胸に顔を埋め、メルヒはすんすんとすすり泣く。

 ハンスは小さな微笑と共に、メルヒの頭を撫でた。


「大丈夫、少し懐かしくなっただけだ。メルヒにはいつも気苦労ばかりかけてしまうのう」


ハンスが暫く撫でていると、やがて一度大きく鼻を啜る音がしてからメルヒは姿勢を正した。

 その目はほんのりと赤い。


「すびば……ごほん。すみません、みっともない所をお見せしてしまい」

「で、メルヒの嬢ちゃんと爺さんはどういう関係なんだべ? 随分と仲良さそうだども」


メルヒはオットーを見返し、やや逡巡した。しかしそれも一瞬の間だけだ。


「……最初の挨拶でも言いましたが、私はハーフです。母がニアエルフでした。それが理由で自分の居場所に悩んでいました。ニアエルフ仲間から差別されていたという訳ではなく、逆に気を遣われ過ぎていたんです。何も悪いことなど無かったのですが、私にはそれが息苦しくて、子供じみた反発心で集落を出ました。そして、集落を出た直後エルフ狩りに捕まって奴隷になりました。そのまま四十年ほど奴隷なのか美術品なのか分からないような状態が続いていた所で、私を助けてくれたのがハンス様。それ以降、ハンス様のお側が私の居場所です」


彼女もまた、元奴隷。その事実は他の仲間の来歴同様、そう軽いものではない。

 だが、ハンスとメルヒを除く冒険者四人の関心は全く別の所にあった。


「ちょっ、ちょっと待って? メルヒちゃんの境遇も結構色々あったのは分かったけど、それ以上に大事な突っ込み所が一つあったような気がするんだけど……」

「あなた、何歳なんですか?」


皆分かっていながら聞くのを躊躇っていた所に、一切の遠慮を見せずアーサーが切り込む。

 平然と対応するメルヒの見た目は、ピエールやアーサーと同年代にしか見えない。


「今年で六十五、ハンス様と同い年です。運命、感じてしまいますよね。うふふ」

「ば、ばばあ!」


ピエールやアロイスが何とか言葉を飲み込む中。オットーの口から、本音が飛び出た。


 かっ!

 それまでハンスのこと以外では表情の変化に乏しかったメルヒが、オットーの不用意な一言で怒りと共に目を見開いた。

 その後。足下から下半身を氷漬けにされたオットーの、若干情けない悲鳴が森に響くこととなる。


   :   :


 辺りは暗く冷たい闇に包まれ、ぴちぴちと燃える小さな焚き火だけが周囲を照らしている。

 火勢は弱められ、辛うじて鎮火せず、視界を失わせない程度の火だ。

 放射状に並べられた生木も半分燃え尽きており、次の分が焚き火の横に積まれている。


 アロイスとオットーを除いた四人は、既に寝入っている。

 ハンスとメルヒは隣合わせで筒状の毛布にすっぽりと包まり、ピエールとアーサーは身体を寄せ合って一つの毛布にくるまっている。ピエールの後頭部の編み込み、それにメルヒの三つ編みは解かれ、暗い中でも鮮やかな長髪が彼女たちの首筋に垂れ下がっていた。


 現在の不寝番は、中年組の番だ。あと十分もすれば、姉妹組と交代になるだろう。

 豪快に巨大な頭を揺さぶって船を漕いでいるオットーと、焚き火を見つめながら静かに俯くアロイス。

 小さな焚き火の弾ける音と、同じく小さなそよ風の囁き。そして、小動物が茂みを揺らすささやかな音がアロイスの耳に届いている。


 がさり。


 それは不意に遥か遠くから聞こえた、ほんのわずかな茂みの揺れる音。

 小動物のものとは明らかに違う、大型の獣の揺らし方だ。他との差異どころか聞き取れるかすら怪しいその音を敏感に聞き分け、アロイスは目を見開いた。


 次いで離れた所で眠っている茶髪の娘に目を向けると、彼女も身じろぎ一つせずに目だけをぱっちりと開いてアロイスを見つめ返していた。

 何かを問いかけるようなその瞳に、無言のまま小男は頷く。


 音を立てぬようそっと立ち上がり、闇の中で自らの背嚢から小瓶を取り出した。蓋を開けると、中には微かな刺激臭を伴う粘る液体が詰まっている。

 腰の矢筒から取り出した一本の短い矢。その矢に矢文のように結ばれた短く太い布を瓶に浸け、中の液体を十分浸すと同じく腰から外した短弓につがえた。

 きりきりきり……。ゆっくりと短弓が引き絞られ、小さな風を切る音と共に矢は音がした方角、闇の奥へと吸い込まれて消えていく。


 矢に浸していたのは「獣王の糞」と呼ばれる、とある地方で産出される本物の糞なのか調合された薬品なのかも分からない特産物だ。獣に対し、強い忌避作用がある。

 様子見や通りがかりの獣に嗅がせれば、よほど迫られた状況でない限りそこから遠ざけることが出来るという代物だ。


 狙いをつけられる状況ではない為矢は適当に射られたが、それ以降大型動物が茂みを揺らす音がしなくなった所を察するに、件の獣は去ったらしい。

 短弓と小瓶を元に戻してから、アロイスはふとアーサーとハンスが薄目を開けてこちらを見ていることに気が付いた。


 恐らく矢を放つ音に反応したのだろう。ことは済んだと手を振って伝えると、二人とも目を閉じた。

 ハンスは静かに再び寝入り、アーサーはピエールに身体をすり寄せ、体温を共有する為に身体を密着させ直してから眠り始める。


 アロイスは再び、定位置に座って焚き火を睨み始めた。

 夜はまだ長い。

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