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「……」
「えっ?」
「あら」
気づいたのはアーサー、ピエール、チェリの順。
順番に正面に飛び出してきたサイエの姿に気づき、各々一言声が洩れた。
大光線華討伐後の後始末も終え、ロールシェルトへ戻ってきていた四人。
組合建物へ向かう途中レツの下半身の馬体の美しい毛並みに話が及び、特に興味を持ったピエールがレツの毛並みを直接手で堪能していた最中のことであった。
「サイエ! もしかして組合で私の帰りを待っていてくれたいのかい? それは嬉しい、戦い帰りに最高の出迎えだ!」
嫁の姿を認めた夫が、両手を広げて嫁の受け入れ体勢を取った。
しかしサイエはレツの胸に飛び込むことは無く、
「むーっ! むううーっ!」
叫びながらピエールとレツの間に無理矢理身体を割り込ませた。
レツの上半身、人の脇腹辺りに手を回しぎゅっと抱きつきながら、ピエールへ向けて頬を膨らませ精一杯睨みつけている。
表情に浮かぶ言葉は"わたしの旦那様を取らないで"だろう。
しかし顔立ちが幼い上立ち振る舞いまで妙に子供っぽく、叫び声も睨み顔もコミカルな印象が拭えない。
一見した印象は子供の焼き餅だ。
とはいえ露骨に割り込まれたピエールは困り笑顔で、自身を睨むサイエを見返している。
「え、えーっと、サイエちゃん? 今のは私が、ちょっとレツ君の毛並みに興味があって触らせて貰ってただけでやましいことは何も」
「ひひゃーっ!」
釈明と共に伸ばされたピエールの手を、サイエは甲高く叫びながらはたき落とした。
そして再び、幼い顔で精一杯ピエールを睨む。
「はっはっは、どうしたサイエ? たった半日でもう待ちきれなくなったのかい? 私もだよサイエ。君と一緒にいない時間はいつも退屈さ」
「……ねえアーサー。あいつ絶対分かってて知らんぷりしてるわよね」
少し離れた位置で耳打ちするチェリと、無言で首肯するアーサー。
そんな彼女たちにも、更に嫁がピエールに焼き餅を妬いていることにも何一つ気づかない振りをして、レツは手を伸ばしサイエの長く伸びた金髪を撫で、更にそのまま腕を回してサイエの頬もゆるゆると撫でた。
ピエールへの威嚇は続けながら、飼い主に誉められる犬のように満足げに目を細めるサイエ。
ピエールが少し遅れて事態の本質、自分が夫婦の為の当て馬にされたことに気づいて、困り笑顔の"困"の比率を大幅に引き上げた。
とはいえここで余計なことを言って夫婦の仲をひっかき回すつもりはないようだ。
困惑微笑のまま、そっと蹄人夫婦から離れて妹とニアエルフの元まで移動する。
「やられてしまった……」
「ピエール、あんた見てた?」
「何が?」
「……レツの奴、あの小さいのが抱きついてきてピエールを睨みつけた瞬間。一瞬だけ、とんっでもなく気持ち悪い満面の笑顔で小さいの眺めてたのよ。にちゃぁ、って感じの」
「うえー……」
「やっぱ変態よあいつ、それも相当の。気持ち悪いわー、性癖歪んでるわー」
姉妹と内緒話をするような小声で、散々なことを言うチェリ。
しかし彼女は彼女で氷に魂を捧げた危ない女である。
あまり人のことを言えた義理ではない、と姉妹両方が目を細めて冷ややかにチェリを見つめていた。
「わたしのもの、わたしのもの、わたしのもの……あなたはわたしのもの……」
「ははは、そんな念を押さなくても私はサイエのものだ。全くサイエは心配性だな」
ふと視線を戻すといつの間にかサイエはレツの上に乗っており、馬の上に子馬が跨がるという奇怪な姿勢へと変化していた。
金髪の偉丈夫の上半身に後ろから金髪幼女が抱きつき、男の耳元で幼女がぼそぼそと呟き続けている。
そんな奇怪な状態のまま建物に入った為、周囲の視線は着飾っている姉妹やチェリではなくレツとサイエに一極集中だ。
特に、ロビーの隅でしゃがんでいた、探索帰りと思われる女性が驚愕で瞼を千切れそうなほど見開いていたのが三人の印象に強く残った。
そうこうしながらも、夫妻を追って組合建物の中へと入った三人。
ちなみにアーサーが荷車を引いており、荷台の上には凍り付いた巨大な球根が乗っている。
大光線華の球根だ。樹木のような巨花を支えていた根本部分だけあり、直径は八十センチ近く、重量にすると五十キロに届きそうな巨大な球根。今は八、二ほどの割合で二つに分割されている。
食用になりそこそこ美味だが、薬品的、魔力的な価値はない為あくまで食材としての値だけとなる。
百ゴールドを越える価格にはなるが、あの大きさの魔物と戦った対価としては些か割に合わないだろう。
「ふすーっ……ふすーっ……ふすううっ……」
「サイエ、流石に戦闘帰りだから汗臭いだろう? 恥ずかしいぞ」
レツは組合建物へ入ったはいいが、背中に張り付いたサイエをあやすのに夢中になってしまいロビーの隅へと離れていった。
三人はそれを無感情に見送ってから、カウンターへと向かう。
「早く出しな」
「……」
単刀直入な受付の老婆の言葉に、黙って懐から何かの板を取り出すアーサー。
老婆は板を受け取るとカウンターの下から百ゴールド硬貨を五枚取り出して渡した。
アーサーは硬貨を受け取り確認してから懐の十ゴールド硬貨を取り出し、チェリに百七十、ピエールに百六十ゴールド渡して残りを懐に納める。
どことなくローテンションで硬貨を受け取るチェリとピエール。
「……あのアホどもの分は」
「彼の取り分は球根八割でいいそうです」
「そうかい。じゃあこっちの二割は売るのかね」
「今晩の夕食にします。ですので申し訳ありませんが」
「そういうことならいい。……だから早くあのアホどもを余所へやっとくれ。あたしゃあいつらのやり取りを見てると生気が吸われるような気分になるんだよ」
老婆は実に辟易した様子で、顎をしゃくってロビーの隅で乳繰り合うレツ、サイエ夫妻を示した。
アーサーは小さく頷き、レツの元へ移動した。
「レツ」
呼びかけると、真っ先に振り向いたサイエが無言で歯を剥き出しにしてアーサーを威嚇する。アーサーは全く気に留めない。存在すら意識に入れていない。
遅れてレツが振り向いた。
「アーサーか。報酬は受け取ったか?」
「ええ。球根も二割頂きました。なのであとの荷車はあなたが自由に使ってください。その代わり、申し訳ありませんが返却はお願いします」
「ああ、分かった。後は任されよう」
入れ替わるようにレツが荷車の元へ行き、持ち手を握った。
蹄人では荷車を引くのは難しい為、押して帰るようだ。
直前、レツの背にしがみつくサイエはやはりピエールとチェリを威嚇していた。
ピエールは苦笑い、チェリは知らんぷりだ。
「……三人とも、今日は助かった。いい腕だったぞ」
「こちらこそ」
依頼も終わり、レツとアーサーが締めの挨拶を行う。
サイエが早く帰りたいと不満げにレツの服をちょいちょい引っ張るが、流石に嫁に乞われても最低限の礼を逸することはしないらしい。
背中に嫁を乗せた奇怪な格好のままではあるが。
「また機会があれば、君たちとは共に戦いたいものだ」
「……そうですね」
レツの言葉を聞いて、ショックを受けた顔のサイエがレツの耳たぶをむにむに弱く引っ張った。
アーサーはサイエの行動は完全に無視だ。その上内心ではもうこれきり同伴は遠慮したいと吐き捨てている。
「……とはいえ、九日後にはもう解放戦線の日だ。次は恐らく競い合う相手となることだろう。君たちは強敵になりそうだ。……だが、正々堂々、無事に競い合おう」
「ええ」
「ではな」
最後の一言を交わし合い、今度こそ蹄人の男は背に嫁を乗せたまま、荷車を押して去っていく。
その途中。
去り際にレツが背を向けたまま、サイエに気づかれないように右手の親指を立て、実に見事な、渾身の力が籠もったサムズアップを見せた。
彼は徹底して知らないふりをしていたが、内心では嫁の奇行が嬉しくて楽しくて愛おしくて仕方がなかったのだ。
焼き餅を妬く嫁が彼は好きで好きでたまらないのだ。
その奇行を見せるきっかけを作ってくれた三人への、密かな賛辞のサムズアップであった。
その賛辞、三人にとって涙が出るほど嬉しくない。
「さあサイエ。帰ったら早速この光線華の球根を食べようじゃないか」
「ええ! あなたが好きな素揚げの為に、新鮮な油もしっかり用意してあるのよ! いっぱい揚げてあげるから、好きなだけ食べてね!」
「ああ。……勿論、君と一緒にね」
「まあ……!」
そうして蹄人の夫婦は、仲睦まじい新婚夫婦のような会話をしながら去っていった。
姿が見えなくなってから、どっと盛大に息を吐く三人。
「なんか戦ってる時より疲れた気分」
「もう二度と一緒に行動したくないわあいつら」
「……」
各々言い合ってから、最後にアーサーが左手に持つ、光線華の球根の残りに目を落とした。
二割とはいえ、球根は結構な量だ。持つ、というよりは手の上にずっしりと乗っている。
「それどうする?」
「……せっかくだし今日くらい夕食一緒に食べない? その時纏めて使いましょ」
「おっ、それいいね。アーサーもいいでしょ?」
「構いません」
「じゃ、そういうことで。それはあたしが預かっとくわね。夕方になったら南通りにある酒場で会いましょ。それじゃ」
光線華の球根を受け取ってからにんまり笑顔で手を緩く振り、チェリは姉妹から離れて町の喧噪の中へと消えていった。
それを見送ってから、やはりレツが去った時のように息を吐く二人。
「なんか今日は、宣伝どころじゃなかったね。レツ君とチェリちゃんに振り回されっぱなし」
「そうですね」
「……とりあえずルアナちゃんの所行こっか」
姉妹も組合を出て、町の中へと紛れていった。
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町並みを抜けてパウル武具店の前までやって来た二人。
扉を押し開けて店内に入った二人の目に、見慣れぬ存在が映った。
「……あら」
客だ。
店内には男二人組の客がおり、なにやら小声で会話しながら店内の商品に目を走らせていた。
ドレス鎧で着飾った姿の姉妹が入ってくると二人も視線を投げ返す。
「おい、あれ」
「わ……!」
男が隣へ呼びかけると、隣の男は目を輝かせて姉妹へ向ける目を見開いた。
どうやらこの二人は姉妹を既知らしい。姉妹の組合での活動を見ていたのかもしれない。
憧憬の眼差しに慣れていないピエールは少し気恥ずかしげに笑い返し、アーサーは一瞥のみで視線をルアナへ向ける。
「おかえりなさいまし、お二方」
カウンターの向こうに座るルアナが、アーサーに視線を向けられて穏やかな微笑みと共に口を開いた。
姉妹も各々挨拶を返す。
「あのお客様、お二人を組合で見てこの店に立ち寄ってくださったようですの」
「へー……」
「お二人の活動の成果、と言えますわね」
カウンターの向こうへと回り込んだ姉妹へと、小声で話しかけるルアナ。
微笑を湛えたまま、更に続ける。
「ですので、店員として応対してあげて下さいませんか?」
ルアナの提案に、ピエールは前向きな笑顔、アーサーは目を細めいかにも面倒臭そうな顔で応えた。
断りの言葉を返そうとしたが、寸前で姉に服の裾を捕まれ引っ張られていくアーサー。
抵抗を試みようにも、自身を引っ張る姉の楽しそうな笑みを見せられると無碍にも出来ず、渋々応対を行うことになった。
そして勿論具体的な商談は、主導した姉ではなく妹一人で行うことになっていた。
姉がしたことといえば、妹を引っ張ったこと、世間話、武器を振って見せたこと。
それからもう一つ。
隣で楽しそうにして、妹のやる気を最大限引き出したこと程度であった。




