13
一面の白は大光線華の全身を余すことなく飲み込んでから通過し霧散していった。
白が通過した後に残された、全身を真っ白に染めた大光線華の巨体。
弓なりに大きく仰け反った体勢のまま、ぴくりとも動かない。
「むふふ……むふふふ……」
周囲から一切の音が無くなった平原地帯。
チェリの堪えるような笑い声が、じわじわと大きくなっていく。
「むふふふ……むふふふふ……」
平原に一陣の風が吹いた。
風に押された大光線華の矢が刺さっていた箇所にびしり、と亀裂が入り、初めはゆっくり、やがて盛大に茎が割れて巨花の茎が真っ二つになった。
地面に落ちた大光線華の上半分は、同じくぱりぱりに凍った地面の雑草を巻き込んで倒壊する。
「……」
沈黙ののち。
「……なーっはっはっは! なぁーっはっはっはーッ! 見たか! 見ぃたぁかぁ! このあたしの力を! このあたしの氷様を!」
ついに堪えきれなくなったチェリが、腰に両手を当て盛大に仰け反り天高く笑い始めた。
音の無い平原に、少女の品の無い爆笑だけが響き渡る。
「流石あたし! 流石氷様! あんな熱線ばかり放つ花相手にもならない! そうよ! あんな熱っ苦しい熱の呪文なんか下等なのよ! やはり冷気の呪文こそ至高! 氷様は偉大! 氷様は神様! ああ氷様!」
遠慮の無い大声で爆笑するチェリの元へ、アーサーが早足で歩み寄って来た。
気づいたチェリは、盛大に胸を張り満面のにやつき笑みで応対する。
「あらアーサー、ご苦労様。いい時間稼ぎだったわよ? おかげであたしの、まあ七割くらほげえっ!」
言葉半ばでアーサーがチェリの頬をはたいた。
流石のアーサーといえど相当に加減した威力だったのだが、チェリは完全に油断し切っていたおかげで姿勢を崩し地面に倒れ込んだ。
しかしアーサーはそんなことは気にも留めず崩れ落ちたチェリの胸元を掴んで持ち上げる。
「いったーい! 何すんのよアーサー! 今回あたし大活躍だったじゃない!」
「もっと規模の小さい呪文で良かったでしょう! 殺す気か!」
「仕留めるのに十分な威力の呪文だったんだからいいでしょ! 確実性を取ったのよ確実性を!」
「見え透いた言い訳をするな! どうせただ派手な呪文を放ちたかっただけでしょうが!」
「ええそうよその通りよ! だって昨日の血吸い花は花を凍らせないよう気をつけなきゃいけなかったしさっきもぽんぽん相殺されてつまんなかったし! ちょっとくらい派手にやりたくなってもいいじゃない! 第一無事だったでしょ!」
「開き直らないでください! もし誰か一人でも石に躓いて転んでいたら今頃仲良く氷像の仲間入りだったんですよ!」
「あーたーしーはー、仲間を信じてたんですぅー! そんなことにはならないってー!」
大きな声でぎゃあぎゃあと言い争うアーサーとチェリ。
姿勢はチェリが胸ぐらを掴まれる形だが、互いに一切引く様子は見られない。
対等で、どこか子供じみた言い争いだ。
「……まあ、何とかなって良かった。レツ君、あの矢はかなり良い妨害だったよ」
「あ、ああ、そうか。……あの二人、止めなくていいのか?」
アーサーとチェリの言い争いをやや引き気味で眺めているレツ。
しかしピエールは慣れた笑顔だ。
「大丈夫。アーサーも本気で怒ってる訳じゃないし、このくらいの喧嘩なら前にもあったけど、ひとしきり言い合ったら引きずらずにすっぱり終わらせてるから」
「そうか……? ならいいのだが……」
レツは返す言葉を少し濁した。
彼の視線の先では、まだアーサーとチェリが言い争っている。
胸ぐらを掴む手を前後に激しく揺らすアーサーと、ぐらぐら前後に揺さぶられながらも身振り手振りを交え饒舌に何やら言い返しているチェリ。
レツは視線を逸らして、凍てつき崩れ落ちた大光線華へ視線を投げた。
「球根まで真っ白だな。冷凍保存の手間が省けたとはいえ、味が悪くなっていなければいいが……」
「村に戻ったらちょっと食べてみよっか? あれだけ大きいなら一口分くらい味見しても大丈夫でしょ」
「……それもいいな」
アーサーとチェリの子供じみた喧嘩が一段落着くまで、ピエールとレツは肩の力を抜いてゆるゆると雑談に興じていた。
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昼下がりの組合ロールシェルト支部。
午前に仕事を終えた者たちや昼から仕事を始める者たちも捌け、やや人のまばらなロビー内。
その中に、一人の蹄人の姿があった。
蹄人レツの嫁、サイエである。
子馬に乗る金髪幼女のようなこぢんまりとした出で立ちの彼女は、ロビーの隅に敷物を敷き、その上に馬の下半身を降ろしてぺたりと座り込んでいた。
蹄人は人の椅子に座れない為、常に敷物を持ち歩き座る時はその上に座る者が多い。彼女が今敷いているのも、桃色に染められた可愛らしい柄の敷物だ。果実を用いて染められた少しだけ高価な生地で、夫からの贈り物にして彼女の宝物である。
「ふう……」
肩に掛けていた水筒を両手で持ち、サイエは中身の水を少量口に含んだ。
その両手は白く小さくぷにぷにで、完全に幼女の手だ。筋張った部分などどこにもない。
サイエがロビーで夫の帰りを待っていると、三人の冒険者が組合建物の中へと入って来た。
男二人女一人の組み合わせだ。内、男の一人は荷車を引きながら建物内へと入っている。
荷車の上には円筒を半分に割ったかのような。湾曲した灰色の板が何枚か積まれていた。
「おいダリ婆、金属ワームの殻九枚だ。査定してくれや」
「おやポンコツ三人組、九枚とは今日は頑張ったじゃないか。いつもなら三枚集めて這う這うの体が限界だろうに」
「これが俺たちの本気だよ」
「にしちゃあどれも質の悪そうな灰色だが……おや? この真ん中の一枚、こりゃあ……」
「おう、やっぱ目聡いなダリ婆は。……このどぎつい乳白色、プラチナだぜ。しかも触った感じかなり硬い。こりゃほぼ強プラだろ。大当たりだ」
「九枚も穫れた時点であんたたちの運は使い果たしたんじゃないかい? どうせ硬いのは表面だけで内側は全部偽プラさ、あんまりぬか喜びすると後が辛いよ」
「うるせえな、たまには夢くらい見たっていいじゃねえか。それから九枚穫ったのは実力だ、実力! 運じゃねえ!」
「ひぇひぇひぇ、いや悪かったね。口が過ぎたよ。こうして全員無事に成果を得て戻って来れただけでも十分さ。査定班を呼ぶから待ってな」
受付の老婆が奥へ人を呼ぶのを合図に、三人は受付のカウンターから離れた。
三人とも衣服は土埃で汚れ、いくらかの手傷が窺える。戦いの帰りであることは想像に難くない。
サイエがぼんやり三人を観察していると、視線に気づいた三人もサイエを見返した。
男二人が苦笑いで微笑み返し、女一人がサイエの元へと近づいて来た。
男は一瞬女を止めようとしていたが、結局無理に制止することはなくロビーの空席に腰を降ろした。
「やあ、サイエちゃん。この間も会ったね」
「え、ええ。こんにちは、テオドラさん」
サイエが控えめに微笑み返すと、女、テオドラは明るく歯を見せて笑った。
そのままサイエの隣にしゃがみ込む。
「今日はどうしたの? 何か依頼?」
「い、いえ。依頼に出た夫が、そろそろ帰ってくるかなと……」
「あら。旦那さんの帰りを待ってるの?」
「ええ、まあ、はい」
サイエが控えめに頷いて肯定すると、テオドラはサイエの頭を撫でようとしたが、自身の手が探索帰りで汚れていることに気づき引っ込めた。
代わりに、満面の笑みを浮かべて応える。
「まあいじらしい。サイエちゃんって本当に旦那さんのこと好きなんだねえ。……どんなところが好きなの?」
「え、えと、それは」
「いいじゃない、聞かせてよ」
女に急かされると、サイエは躊躇いがちに、だが満更でも無さそうに胸元で両手の指を絡め始める。
「……レツくんはいつも格好良くて、笑顔も眩しいし、故郷の若い人たちの中でも二番目に腕が立つし。それに、いつも自信と余裕に溢れてて、どんな時でも慌てない度胸があって。……でも、本当はちょっとだけ甘えたがりで、弱いところもあるの。二人きりになるとよくわたしをからかったりして。でもやっぱり根は優しくて、最後にはわたしに謝りながらいっぱいぎゅってしてくれます。その度わたしは胸がいっぱいになっちゃう。……それが、レツくんです」
一度語り始めると夢中になって、サイエは一息で長々と語ってしまった。
我に返って隣の女の顔色を窺うと、女は顔を手で覆って真上を見上げていた。
「ああ、甘ったるい! いいなあこんなに甘々で。あたしもそんな風になりたいわ」
叫んでからテオドラは手と顔を戻し、サイエの頬に顔を寄せた。
内緒話の姿勢だ。
「あたしもね、あそこで座ってる左側の冴えない茶髪の方と付き合ってるのよ。でもあいつは何してもイマイチでねー。冒険者稼業もまあ稼げてはいるんだけど、どうにも不安定で無計画で。それにいつも大雑把でいい加減だし。しかも信じられる? あいつあたしって彼女がいるのに、あの右側の相方に彼女が出来た時"お前にこんないい女なんて勿体ない!"とか言って嫉妬してたのよ! もう信じらんない! あたしにはいい女だなんて一度も言わない癖に! あんただってあたしみたいな女勿体ないっつーの!」
サイエが長々と惚気たかと思えば、今度はテオドラの方が長々と愚痴を垂れ流した。
しかしサイエは微笑みを絶やさず、
「でも、好きなんですよね? 彼のこと」
と返すとテオドラは不機嫌そうな顔で押し黙ったまま、返答代わりに耳だけを紅潮させて応えた。
ついでに少し間を開けてから、
「……ま、まあね」
と唇を尖らせて呟いた。
それきり会話が途切れ、暫くして再度テオドラが口を開きかけたその時。
「……!」
サイエの耳が、外から聞こえるよく聞き慣れた蹄の音を捉えた。
旦那の足音だ。
「どうしたの? サイエちゃん」
「帰ってきました!」
答えながらも勢いよく立ち上がり、敷物を素早く畳んで背中に仕舞うサイエ。
そのまま弾き飛ばされるように組合建物を飛び出して。
「いやー、でも本当に艶っ艶だねこの金色の毛並み。エイヘレイクって人たちは皆こうなの?」
愛しい旦那と、その旦那の金色の腰を無遠慮に撫で回す泥棒猫の姿が彼女の視界いっぱいに映った。




