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光線華の移動は極めて鈍重だ。
ただ日当たりの良い場所や栄養豊富な土壌、外敵の少ない地へと移動する為だけに、時間をかけて地中から根を引き抜き足の悪い老人のように地上を徘徊する。
その歩みだけを見た人間は、のろまな光線華を動く植物の出来損ないだと評するだろう。
しかし光線華が鈍重なのは、あくまで根を使った歩行のみ。
地上部位まで鈍重だと油断した者は、すぐに後悔することになる。
「りゃッ!」
アーサーが一直線に突き出した短槍を、大光線華は葉を腕のように器用に扱い柄を押して逸らした。
まるで葉っぱの掌でそっと撫で上げるような、優しく精密な受け流しだ。
突きを逸らされたアーサーの眼前に、大光線華の巨大な花が白く明滅する様が映った。
盾を前面に構え素早く後退するが、直後に放たれた白熱する光線が風圧ならぬ光圧となって盾を押し、アーサーの姿勢を崩す。
アーサーを押しのけた大光線華は、光を放ったまま花をぐるりと周囲へ一振り。
光線が刃となって周囲を走り抜け、反対側から攻撃を狙っていたピエールとレツを牽制して下がらせた。
特にピエールは熱に弱い羽黒緑の防具を多く用いている為、熱線を放たれると安全を取って多少大袈裟に逃げる必要が出てくる。
そうして二人を追い払った大光線華は即座に光線を止め、全身から光を放った。
光は熱波となり、チェリの放った冷気を相殺する。
相殺したかと思えば、大光線華は器用に動く葉と光線を使って再び前衛の迎撃にかかる。
次に迫ったのはレツだ。盾を突き出し大きな馬体で機敏に蛇行しながら、花へと迫っている。
桃色の巨花が光り、白く輝く熱線が放射された。
レツは盾を用いて余裕を持って光線を止める。
だが光線を防ぐ為顔面に盾を翳したことで視界が塞がり、その隙を狙って大光線華はレツの馬の前足を払った。
やはり撫で上げるような葉の動きで、足を払われレツの姿勢が大きく崩れる。
姿勢を崩した蹄人にすかさず熱線が放たれるが、レツも素早く足を畳み横方向へ転がって回避した。
ただの馬では到底ありえない、機敏で小回りの利いた動きだ。
とはいえ回避に徹したことで手の空いた大光線華は再び光線を振り回し、前衛を牽制しつつチェリの呪文の相殺も行う。
互いに有効打が決められないまま、再び前衛と大光線華の距離が開く。
膠着した戦況だ。
「うー、苛々するわね! もっと派手にやらせなさいよ!」
離れた位置で呪文攻撃を行うチェリが、不満露わに両手を握って上下に振りながら叫んだ。
叫びながらも抜け目なく大光線華の様子を窺っているが、前衛が攻め入らなければ相手も積極的に攻撃する気は無いらしい。迎撃に終始している。
「もう少し我慢してください、戦況はこちらが大幅に有利です。……そろそろ、動く筈」
額に滲んだ汗を拭いながら、アーサーがチェリに答えた。
彼女の握る鋼鉄の盾は表面が若干熱で歪み、ドレスも裾がわずかに熱で焦げている。
しかし髪や身体には一切の怪我は無く、体力も精神力もまだまだ十分だ。
それはピエールもレツも同様であり、四人の消耗は少しの体力と、チェリの少しの魔力だけである。
一方、大光線華の消耗の程度は決して無視出来ない域にある。
大光線華は牽制でも攻撃でも呪文に頼り切りだ。
これだけ大きく育っていれば魔力量も相当なものだが、あれだけ景気良く光線を放っていれば消耗は甚だしい。
加えて攻撃方法も基本的に呪文のみである。葉はあくまで攻撃の補助にしか使えない。もしも魔力が切れれば無防備、自身の敗北に直結する。
つまるところ、膠着状態での消耗戦は続けば続くほど大光線華にとって不利にしかならないのだ。
勿論そのことは、四人だけでなく当の大光線華自身が嫌と言うほど分かっている。
この状況をどうにかして打破しなければならない立場にあるのは、四人ではなく大光線華の方だ。
「動いたぞ!」
レツが声を上げた。
四人が視線を向けると、大光線華は自身の身体を、何やらぶるぶると震わせている最中だった。
人の倍はある巨大な花が、絶え間ない奇妙な震動を続けている。
「……何あれ」
「根を抜いてるわね。逃げるつもりみたいよ」
ピエールの呟きにチェリが答える。
大光線華は四人が見ている中、ゆっくりと地中から浮き上がり始めていた。
その分、地下に埋まっていた大きな鱗茎が地上へ姿を現し始める。
「逃げるって、あれ凄い遅いんじゃなかった?」
「そうですね。なので魔力を使い切る前に、呪文でこちらを牽制しながら森まで逃げるのでしょう。……一応今回の依頼は撃退のみなので、このまま見逃してやることも出来ますが」
「当然却下だ! 私は奴の球根を求めてこの依頼を受けた! 逃がす訳にはいかない!」
アーサーの提案を、レツが即座に切り捨てた。
とはいえこれはアーサー本人も分かっていたことなので、何も言わず彼の発言を受け入れる。
「ではこのまま攻撃を続けましょう。チェリ、少し調子を上げて、多少派手な呪文を使っても構いません」
「やった! じゃああなたたち、あたしの為に隙と時間を作りなさい! あたしと、あたしの氷様の為に! 全力で! 隙を作り時間を稼ぎなさい! あたしが一撃で氷室に収まるたまねぎマンのように大人しくさせてあげるわ!」
アーサーから許可を得た途端、やる気に満ち溢れた顔で両目を力強く見開くチェリ。
やる気のあまり呪文を唱えてもいないのに身体から白い魔力が迸っている。
チェリの声高な命令にピエールは笑みに偏った苦笑い、レツは不敵な笑みを一瞬だけ見せてから、三人は再び表情を引き締め大光線華へと向かって行った。
「っ!」
先手はアーサー。隙無く盾を構えたまま、一直線に大光線華へと走る。
当然のように放たれる、桃色の巨花からの光線による迎撃。
しかし真正面から投射された白い熱線を、アーサーは真正面から盾で受け止めた。
じりじりと余波で熱されるのも構わずに盾を押し出し、足を掬わんとする葉の足払いも小さな跳躍や機敏な前後移動で回避し続ける。
妹が引き付けている間に、横から攻め入る姉と蹄人。
横から二人が迫って来たのに気付いた大光線華は、抜け目無い判断でアーサーへと放っていた光線を止め、熱波を放って二人を牽制した。
咄嗟に横へ跳ねるピエール。直前まで自分がいた空間が熱波による陽炎で歪み、雑草が熱せられてまるで青菜を茹でた時のような青臭い臭いが鼻腔を突く。
レツは馬体を滑らせて熱波を避けながら肉薄したが、茎を両断せんと真横に振るった矛は大光線華が植物とは思えない柔軟な動きで真後ろへ仰け反り伏せた為葉の一端を削るに留まった。
唯一光線による迎撃が中断したアーサーは短槍を突き出したものの、茎を突くには至らず葉の一枚を突きで切断したのみだ。
一瞬の攻防をいなされ、光線によって再び退けられる三人。
距離を取らされ、アーサーが突き落とした葉が激しくのたうってから動きを止めた頃。
大光線華の根が、遂に完全に地上へと姿を現した。
白い皮のような膜に包まれたその球根は、大きさを除けば百合やにんにくのものと大凡変わりない。
鱗茎の下部には様々な大きさの根が生え並び、その中の特に太く長い何本かが大光線華の長く太い全身を持ち上げ支えている。
どうやらあれが足代わりらしい。
足代わりの髭根で立ち上がった大光線華は、ふらつく足取りで一直線に森の方角へ向けて歩き始めた。
重量のある地上部を支える髭根の足はどうにも不安定で頼りないが、それでも子供の小走り程度の速度はある。
「逃げ始めた」
「妨害しましょう」
髭根の足を必死に動かして逃げる大光線華。
しかしその努力も、三人が少し走るだけで容易に追い越され森へと向かう進行方向を塞がれてしまった。
苦労して始めた歩みをすぐに停止させられた大光線華は、今までより一層強く熱線や熱波をまき散らして進路を塞ぐ三人を追い払いにかかった。
子供が駄々をこねるかのように、巨花の頭を振り乱しながら熱線をまき散らす大光線華。
そうなれば三人は退避する他無い。が、追い払ってさあ進もう、というところで三人の内いずれかが横から攻撃を仕掛け、それを追い払う内にまた進路を塞がれる。
大光線華は逃げという手を選んだものの、移動速度のあまりの違いから逃げることなど実質不可能な状況に陥っていた。
魔力だけが、徒に消耗させられていく。
「……なんかこのままじりじりやってても倒せそう」
「初めて見た時は大きさに驚いたものだが、案外見かけ倒しだな」
「光線華は本来あまり大きくない魔物。この個体は大きな身体での活動に慣れていないのかもしれません。日光を求めたのか迷い出たのか知りませんが、このような平原ど真ん中に来たこと自体がまず大きな失敗です」
小声で少し会話してから、三人は再び大光線華の足止めにかかった。
アーサーが先陣を切って光線を受け、ピエールとレツが巨大花へと迫る。
ピエールが袈裟切りに振り下ろした剣を斜めに仰け反って避け、続いてレツの迎撃を大光線華が行おうとした、その瞬間。
三人に加え大光線華まで含めた四名が、一斉に少し離れた場所にいるチェリに注意を向けた。
全身から白い魔力の光を放ち、霧に覆われたかのようにその姿が見えなくなっているチェリに。
「ふふふふふ、ふーっふっふっふ!」
魔力の白光の中から厭によく響く、チェリの高笑い。
顔どころか上半身全体が光に埋もれて見えないが、得意げで自信満々な彼女の笑みが目に浮かぶほど。
放つ魔力のあまりの強さに、三人は揃って顔を歪める。
「待ちなさいチェリ!」
「時間稼ぎご苦労! 我が氷様の準備は万端! ここに氷様を称える聖なる氷殿を築いてあげましょう!」
「規模が大き過ぎる! 威力を抑えなさい!」
「レ、レツ君逃げよう! 巻き添え食っちゃう!」
「ああ!」
攻撃を中断し、三人は慌てふためき転げるようにその場を逃げ出した。
同様にチェリの放つ魔力の強さに気づいている大光線華も、チェリから離れようとか弱い根の足を必死で動かしている。
そんな三人と一体の苦労など露知らず。
光の中からチェリが両手を突き出し、天高く掲げて。
「おお、氷よ! 迷える子羊に冷気を与えたまえ!」
手を振り下ろすと同時に、凍り付く風が一直線に放たれた。
「なああああああーっ! ああーっ!」
視線を向けた三人は、それを見た。
魔力による白い光は、冷気による凍てついた空気が日光を反射する白い光へと変化する。
極低温の冷気の風はまるで白い光の大波のように視界に映り、壁がチェリの目の前から、一直線に自分たちへ向けて突っ込んでくる。
規模は横幅十メートル以上ある。今走るのを止めたら優に飲み込まれる大きさだ。
空気すら凍らせきらきらと煌めく冷気の風は押し寄せる高波のように一直線に飛来し、地面に生える雑草を真っ白に凍らせていく。
必死で走る三人。
まず一抜けでレツが範囲外から逃げ延び、続いてピエール、最後に何とかアーサーが氷風の通過地点から逃れた。
一方、逃げ切ること叶わず迫り来る冷気を前にする大光線華。
何とか相殺しようとありったけの魔力を振り絞って熱波を放とうとするが。
どっ。
渾身の熱波を放とうとする大光線華の茎に、一本の矢が突き刺さった。
真っ先に抜け出したレツが放った矢だ。
普段であれば少し茎を捻るだけで簡単に避けられた一射だったが、突然の冷気に焦った大光線華は土壇場で注意を怠ってしまった。
その一矢によって巨花の呪文の為の集中は半ばで無為に散り。
無防備な大光線華の巨体を、光が勢いよく、しかしどこまでも静かに飲み込んだ。




