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「あー……えーっと……」
離れた位置で立ち止まったまま、直接呼びかけることも出来ず曖昧な反応に留まるピエール。
当のチェリは一人着席したまま、優雅に鼻歌すら歌っている。
周囲にはいくつか人影があるのだが、どこか浮き世離れしたチェリの姿に気後れしているのか誰もが空間を開け、離れた位置から彼女の姿を眺めていた。
彼女が着ているのは、その黒髪を彩る純白一色で作られたロングドレスだ。
胸元から上が露出しており、ドレスの生地にも劣らない白くほっそりとした肩や鎖骨が露わになっている。胴部分も身体にぴったり張り付きそうな細身なシルエットで、彼女の細い体型が服の上からでも分かるほどだ。
ドレスにはきめ細かいレースがふんだんにあしらわれており、手は指先までぴったりと覆っている。
姉妹のものより更に豪華で、更に動き辛そうだ。
更に頭には、淡い水色に輝く髪飾り。
磨かれた空色の金属は光の反射こそ控えめなものの、彼女の漆黒の髪に明るく淡い水色がなんとも似合っており、互いをよく引き立たせていた。
「……」
ピエールが対応に困り立ち止まって言葉を探す中、アーサーは無表情のまま臆すことなく空白空間へと足を踏み入れた。
無遠慮に突き進み、チェリの対面の席に音もなく腰を降ろす。
ピエールは妹の行動にも自分の対応にも暫く悩んでいたが、やがて意を決してアーサーの左隣の席に座った。
片や小さく可憐な少女騎士。
片や上品怜悧な令嬢騎士。
片や清楚で神秘な神託の聖女。
そのような印象の漂う、粗野な格好の者たちが集う冒険者組合には何一つ似合わない者たちの集い。
「……チェリちゃん」
「あらお二人とも、昨日ぶりね。……なあにその顔? もしかしてあたしのあまりの美しさと風格に気圧されしちゃった?」
「いや、その格好」
「いいのよいいのよ、このあたしと氷様の前では全てが引き立て役に成り下がるのは仕方のないこと。だけど優しいあたしはちゃあんとあなたたちの宣伝のお仕事も手伝ってあげるから」
という印象は、口を開いたチェリがにたぁっ、という嫌味なにやつきと共に早口で喋り始めたことで即座に綻びを見せ始めた。
何やら複雑な顔で、ピエールは視線を隣の妹に向ける。
「アーサー、昨日アーサーが言ってたことって」
「チェリの性格を鑑みれば、自分を差し置いて私たちだけが目立つのを許せる性質ではないことは分かっていた筈です」
「……で、これがその結果と」
「あらあらぁ? もしかしてあたしの美しさに嫉妬しちゃった? 大丈夫よ、このあたしに及ばないのは当然のことだから。気にすることなんて無いわ。それにこのあたしには及ばないけど、あなたたちも十分可愛いわ。……このあたしには? 及ばない? けど?」
「……」
にまにまと極めて俗っぽい、品位も神秘性も全て吹き飛ぶような笑みを見せるチェリ。
盛大に苦み走った顔で、へにゃっと苦笑うピエール。
何も言わずため息混じりに瞑目するばかりのアーサー。
先の一瞬存在していた印象と雰囲気は、既にどこにも存在しなかった。
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「あんたたち一体何なんだい? 本当は宣伝なんてどうでも良くて舞踏会でもしに来てたのかい?」
「あはは……」
受付の玉葱頭の老婆が呆れ顔で開口一番そう言い放ったのを、ピエールは頬を掻きひたすら苦笑ってやり過ごした。
三人は合流してから今の今まで周囲からの注目の的だ。
アーサーはいつもの無表情、チェリは注目を一身に浴び悦びと自信に満ちた顔で腰に手を当て胸を張っている。
ピエールだけが気恥ずかしそうに顔を少し俯けていた。
「まあいい、それで今日はどこに行くんだい?」
「えーとね、西……いや南……えーと……どこだっけ?」
「南部の農地付近の平原に大光線華が居座っている件です」
「おや、トリエルドの金属ワーム大発生には行かないのかい? あそこが今一番人気だけどねえ」
「この格好で山登りは出来ませんね」
「そりゃそうだ」
アーサーがドレスを指先でつまみわずかに持ち上げて言うと、老婆はカカカと笑った。
同時に、ドレスの裾からちらりと覗いた脛部分に、金属靴だと分かっていたにも関わらず周囲の視線が一瞬だけ集まる。
「……でもこの大光線華、差し迫った脅威じゃないから報酬額は五百ゴールドしか出ないけどいいのかい?」
「今日は近隣で受けられそうな依頼はこれしかありませんから。採集に出た方が楽に稼げますが、宣伝という面では依頼を受けた方が効果がある」
「そうかい、じゃ、三人の大光線華撃退を処理しとくよ。気をつけて行っ……」
「待った」
依頼を受理しようとした玉葱髪の老婆を、横から遮った声が一つ。
老婆を含めた三人が視線を声の方角へ向けると。
呼び止めた声の主である、金色に艶めく美しい毛並みをした半人半馬の男が立っていた。
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「その依頼、私も一枚噛ませて貰いたい」
「……レツかい」
声の主を視界に捉えた老婆が、眉を下げて蹄人に答えた。
相手は上半身が人、下半身が馬となっている、半人半馬の蹄人の男。
上半身、人部分は二十ほどの若い成人男性で、耳にかかる程度の色鮮やかな金髪をさらりと流した、香り立つような見目麗しく整った美男子だ。
服装も色合いは地味な薄褐色だが清潔感の中にどこか几帳面さを滲ませる整い具合で、衣類に気を遣っていることは想像に難くない。
衣類の上には光を一切反射しない漆黒の防具を身につけており、肩、肘、胴などを守っている。
下半身、馬部分は足長ですらりとした出で立ちをしており、上半身は一般的な成人男性と変わらない大きさだが下半身を含めると体高はずっと高い。
何よりも特徴的なのはその毛並みで、彼の髪と同じ鮮やかな金色の毛並みは驚くほどきめ細かい。
光を浴びれば白く反射し、それどころか下手をすれば顔すら映るのではないかと思わせるほど艶やかだ。
美術品に例えられても、誰も異論を挟まないだろう。
そんな絵に描いたような美しい蹄人の男。
彼の隣には。
長身の彼と比べるとあまりに小さな、子供のような体躯の蹄人の少女が立っていた。
第一印象はとにかく小さい。
馬の下半身がある為体高そのものは高いが、少女の上半身はピエールやチェリより更に小さい。
隣に長身の蹄人の男が立っている為、相対的に余計小さく見える。
彼女も隣の男と同じく金色の髪と毛並みをしており、毛並みが美術品のように美しいことも同様。同じ種族だろう。
長い金髪は少しの癖も乱れも無く、一直線に背中まで伸びている。
表情は自信たっぷりの男とは対照的に不安げな様子で、隣の美男子の馬の胴体を覆う衣類の裾を握り締めている。
まるで父親に縋る幼子のように、小さく柔らかい手で男の服の裾を掴んでいた。
「君たちは?」
「私の名前はレツ。蹄人のエイヘレイクという種だ。隣はサイエ」
レツと名乗った蹄人は隣の蹄人の少女、サイエの頭にぽんと手を乗せ、
「私の嫁だ」
と言い放った。
ピエールの目が驚きに見開かれる。
「お嫁さん! その差で!」
思わず口にしてから、はっとした顔でピエールは自身の口に手を当てた。
視線の先ではサイエが眉を寄せ、不満げな顔でピエールを見返している。
だが顔も幼い為、一見した印象は拗ねた子供だ。
「はっはっは、サイエはこれでも私の二つ下でな。もう立派な大人だ」
「は、はええ……。いやごめん、悪いこと言っちゃったかな」
「ピエールだって小さい癖にね」
「チェリちゃんだって変わんないじゃんっ!」
「変ーわーりーまーすー、ピエールより高いですー」
「どこが、小指一本も変わらないし!」
横から差し挟まれた言葉に歯を剥き出しにして怒るピエールと、口元に手を添え優雅に、そして若干意地悪くおほほ、と笑うチェリ。
アーサーが隣の二人を完全に無視してレツへと問いかけた。
「大光線華撃退に同行したい、という話でしたが」
「ああ、そうだ。光線華は嫁も私も好物でね。是非確保しておきたいのだよ」
歯を見せてきらりと笑うレツ。
何ともさわやかな美男子だ。女性だけでなく男すら惹き付けてしまいそうな、性別の垣根を越えた魅力に溢れている。
「そういう訳で、一枚噛ませて貰えないかな? 私も前衛や弓の扱いには自信がある。十分戦力として働いて見せよう」
「同行するのはあなた一人ですか? 隣の方は?」
「嫁は戦士ではない。あくまで私の見送りだよ」
「であれば構いません」
ピエールとチェリが見目麗しい格好のまま子供じみた喧嘩をしてる間に、アーサーとレツの間で話が纏まった。
受付の老婆にも依頼の処理を済ませて貰い、出発の準備はすぐに整った。
「……姉さん、チェリ。行きますよ」
「ねえアーサー、アーサーも言ってやってよ! 私とチェリちゃんに身長差なんて殆ど無いって!」
「アーサー、あなたなら分かるでしょう? あたしの方がこの姉より確実に大きいのよ! 決定的な差があるのにちっとも負けを認めないんだからこの姉! 氷様も負けを認めないことにご立腹よ!」
「そんなこと言ってチェリちゃんこっそり靴底に呪文で氷貼ってたじゃん! 氷様? とかいうのをそんなずるい方法に使って恥ずかしくないの!」
「……」
面倒臭そうな目で、二人を見下ろしていたアーサー。
暫し見つめてから、話に加わるのを拒否して視線を目の前の蹄人夫婦に向ける。
「じゃあ行ってくるよ、サイエ」
「あなた、気をつけてね。あなたのことだから怪我とかは心配してないけど、でも……」
「私が彼女たちといい関係にならないか不安だ、って?」
「あなた!」
「フフフ、確かに彼女たちは皆美しい。それに相当な強者のようだ」
「……!」
「おっと、悪かったよサイエ。少しからかいが過ぎた。大丈夫さ、私の目にはいつも君しか映っていない」
「あなた……」
「サイエ……」
前足を曲げ、姿勢を下げたレツ。
サイエは彼の頬へ包み込むように両手を添え、小さな唇で口付けを行った。
外見年齢は明らかに釣り合っていないが、二人の間には確かな愛情があるのが窺える。
公衆の面前であるにも関わらず、実に情熱的な接吻だ。
「……」
こちらはこちらで面倒臭いことをしていた。
アーサーは心底つまらなそうに視線を外し、同様に面倒なものを見る目で蹄人夫妻を眺めていた受付の老婆と目が合う。
「……」
無言のまま"この二人はいつもこうだ、鬱陶しいったらない"と表情で訴えかける老婆。
アーサーは心の中でだけ頷いた。
結局二人の接吻はたっぷり十秒は続き、名残惜しそうに唇を離す二人。
「すまない、待たせてしまったようだ。では行こうか」
晴れやかな顔で笑いかけるレツ。
アーサーはいつものように作り物めいた無表情でそれに対応し、ピエールとチェリはいつの間にか喧嘩を止めて"なんだか凄いものを見た"という顔で揃ってレツの顔を見返していた。




