09
午前中に一仕事終え、パウル武具店へとやって来た姉妹。
「看板が変わってる」
「普通の看板に戻りましたね」
「でもちょっと地味じゃない?」
「昨日見たものよりは断然ましですよ」
「それもそっか」
昨日までのファンシーでメルヘンチックだった吊り看板が、急拵えで地味とはいえ硬派で分かりやすいものに変わっているのを見届けつつ、二人は店内に入った。
直後、店内にいた四人の人間と視線が交わる。
「ん?」
「あら」
店内に複数人いることが気配で分かっていた姉妹とは対照的に、人が来るとは思っていなかったのかやや驚きを浮かべる四人。
うち一人はルアナだ。店員をしていたらしくカウンター向こうの椅子に上品にちょこんと腰掛けている。
残る三人。いずれも男だ。
一人は全身を鎧、脛当て、長手袋、帽子と全て革製の防具で固めている。腰には剣の鞘と、やはり革製の盾。革防具の男だ。
もう一人は金属製の胴防具に、背中に身長ほどの長さの槍。何よりも頬についた巨大な刃傷が特徴的な、刃傷の男。
どうやら雰囲気からして、この二人は最後の一人の護衛か何からしい。
最後は二十半ばほどの男。黒い頭髪を全て後ろに上げており、口元には先の尖ったちょび髭。
何より特徴的なのは鼻と耳が妙に長く、どこか人間離れした、悪魔じみた顔つきをしている。
とはいえ姉妹の見立てでは、人間離れしているのは顔だけのようだが。
服装は非常に豪勢で、随所に輝く貴金属や宝石類による装飾品を纏っている。
一方服飾センスにはやや欠けており、若成金の見本のような風体だ。
「なんだ? 随分おめかしした嬢ちゃんたちだな」
「なあ嬢ちゃん、俺たち今店員と大事な話をしてるんだ、ちょっと余所へ……」
「ピエール様! アーサー様! 随分お早いお帰りで! 今日の成果は如何でしたか?」
護衛らしき二人に割り込むように、ルアナが声を上げた。
一瞬驚き混じりに振り向いた護衛が、成金悪魔に指示を求めて視線を向ける。
成金悪魔が笑みを浮かべて首を振ると、護衛は無言で姉妹から離れた。
笑みは笑みだが、どこか醜悪で底意地の悪そうな笑顔だ。
「これはこれは美しいお嬢さんたち。ルアナ様のお知り合いですか?」
薄い笑みを浮かべて、成金悪魔が姉妹に尋ねた。
細まった瞳が、笑みの形にいやらしく歪められる。
だがピエールは特に気にせず、アーサーも無表情のままだ。
「ええ。お二人はわたくしの友人。今日から、パウルさんの作った武具の宣伝をして貰っていますの。彼女たち自身も、身に纏った防具も、とても美しいでしょう? それに、お二人はとても腕が立つようですの」
「……なるほど、武具の宣伝。よく見れば、このお二人のドレスはルアナ様の着ていた物では?」
「そうですわ。よくお分かりになりましたわね」
「ルアナ様のことであればこのサミー、何でも分かりますよ。フフ」
顔は怖いが態度は慇懃に、ルアナに微笑みかける成金悪魔。
サミーという名らしい。
そのサミーは一旦ルアナに微笑みかけたが、次の瞬間には不安げな表情を浮かべて姉妹の武具を眺めた。
「しかし武具の宣伝とは……。差し出がましいようですが、そのようなことをしても結果は変わらないのでは? 宣伝を行うというルアナ様の慧眼には感服致しますが、それでもこの店の閑古鳥の鳴き声を止ませるのは難しいかと……」
「そんなことありませんわ。パウルさんの腕前を知って頂ければ、きっと人々にも受け入れて頂ける筈です」
「ルアナ様は実に真摯でいらっしゃる……」
右手で口元を押さえ、サミーは目を伏せた。
右手を降ろすと同時に、カウンターの前から離れる。
「では私も仕事があるので今日はこれにて。……ルアナ様。御家の皆様は、今でもルアナ様のお帰りを心待ちにしておられますよ。今戻っても誰も責めたりなど致しません。かの夢追人に入れ込むのも程々に……」
言い終えたサミーはルアナの返事を待たずに優雅に一礼し、他二名を連れて店を後にした。
店内にいるのは姉妹とルアナのみになり、空気が静まる。
「……ふう……」
「……ルアナちゃん、今の怖い顔の人は?」
ピエールが問いかけると、ルアナはやや気疲れした様子で朗らかな笑みを浮かべた。
「あの方はサミー様。このネリリエル地方最大手の商家、コシェント商会当主の長男ですわ。わたくしとも幼い頃から懇意にしているのですが……」
「あなたとパウルの結婚に反対のようですね」
「……」
「それも彼どころか、家族にすら受け入れられていない」
率直な一言に、ルアナの顔が少し曇った。
ピエールが少しだけ妹を責める顔になるが、アーサーは平然としている。
「……元々わたくしとパウルさんの結婚は、周囲には反対されていましたの。それをわたくしが説得して、周囲に認めさせたのです。……当然、全員からの納得を得られた訳ではありません」
「で、ああして定期的に説得に来ると」
「説得……まあ、そういうことですわね……」
歯切れ悪く頷くルアナ。
ピエールは多少は思うところがありそうだが、アーサーは自分で指摘しておきながらどうでも良さそうな顔だ。
「どうでもいい話でしたね。我々の仕事はあくまで宣伝のみ。今日の成果の報告です」
「……ええ、そうですわね。お聞きしますわ」
アーサーの無関心ぶりに少し複雑な気分になりながらも、ルアナは目元を緩め微笑んで応えた。
その後、成果報告を行い武器の手入れを夫妻に任せた姉妹は、残りの時間を町で悠々と過ごし今日一日を終えた。
: :
「お待たせ」
「ありがと、エフィム君」
翌日、宿屋のロビー。
宿屋の息子であるエフィムから受け取った朝食を、淡々と食べ始める二人。
パンはふすま入りだがちょっとしたキャベツ並の大きさの物を丸々一個、スープも根菜を主とした野菜がたっぷりと入っている。
女子供が食べるには明らかに不釣り合いな量の朝食だが、二人はすいすいとパンを千切っては胃袋に納めていく。
「ねえお客さん」
「?」
朝食を運んできたエフィムが、立ち去らずに話を振ってきた。
ピエールが無言で視線を返し、アーサーは一瞥もくれず、ただ内心不快感を滲ませる。
「組合に行った他のお客さんが言ってたんだけど、昨日凄い綺麗な女の人が組合に来たんだって。煌びやかな鎧とドレスを着た、どこかのお嬢様みたいな女の人が」
「……」
一瞬止まる、ピエールの食事の手。
やはり言葉を放つことはなく、無言で視線をエフィムの右下へ逸らした。
「一体どこから来たんだろ、その人。見てみたかった。……お客さんは見てない?」
「……」
どこかぎこちない手つきで食事を再開しつつ、ピエールは無言でそっと頭を振った。
その視線は非常に分かりやすく気まずげに逸らされているが、エフィム少年が気づいた様子は無い。
「なんだ、見てないんだ。あーあ、でも気になるなあ。旅の人かなあ。どうせならうちに泊まってくれればいいのになあ。うちの客って皆地味で泥臭い格好の人ばっかだから華やかさが無くてつまんないよ」
独り言のように呟きながら、エフィムはカウンターの奥へと去っていった。
その背中が消えるまで見送ってから、ピエールは無言のまま視線を対面の妹へ。
「気づいた時が見物ですね」
アーサーは姉以外の誰にも見られないよう気を遣いながら、両目と口元を三日月のように歪めて意地悪く微笑んでいた。
: :
朝食を終えた二人は、昨日同様パウル武具店へと足を運んでいた。
ドレスや武具は昨日の終わりに返却しているので、一日の始まりには再び武具店に寄って一式を借りる必要がある。
店の前に辿り着いた二人は、扉を押し開け中に入った。
「おい馬鹿弟子! てめえまだあの世間知らずの小娘使ってんのか! そんなんだからおめえはいつまで経っても愚図なんだよ!」
「ルアナさんのことをそんな風に言わないでくれって、いつも言ってるじゃないか師匠!」
途端、大音量の叫び声が部屋の空気と姉妹の耳孔を揺さぶった。
店内に複数人の気配があることは分かっていたが、突然の大声に一瞬身体を震わせるピエール。
「下手糞を下手糞と言って何が悪い! さっさとあいつとは手を切れって言ってんだろ!」
「いくら師匠でも聞けることと聞けないことがある!」
「おめえいつから俺に口答え出来る立場になったんだ、ええ!」
「独立してからだよ!」
店内で言い合っているのは武具屋の店主パウルと、一人の中年の男。
中年男は樽のようにでっぷりとした体型と髪の一本も生えていないつるりとした頭部が特徴的で、首は脂肪で埋まり腹は出て腕は太股と見間違うほど太いが、腕も腹も脂肪の下にたっぷり筋肉が付いているのが分かる、力自慢の肥満体だ。
剃っているのか禿げているのか頭部には髪の毛は一本も無く、それどころか眉毛や髭すら一切無い。
目つきも鋭く険しく、眉も髪も無いおかげで見た目の印象は極めて悪い。
至近距離で凄まれれば女子供どころか大の大人でも怯まずにはいられない、悪鬼そのもののような出で立ちだ。
しかし意外なことに、冴えない顔の男であるところのパウルは一切引くことなく無毛の悪鬼と真正面から言い合っていた。
どちらも一歩も譲らぬ大声で怒鳴り合っている。
互いに夢中のようで姉妹には気づいていない。
「この愚図が、一体誰がその糞に集る蠅にも劣るチンケな腕を鍛えてやったと思ってる!」
「鍛えてくれたことには感謝してるけど、それとこれとは話が別だ!」
「いい度胸だこのヘタレが! 今日こそあのバカ女を叩き出しおめえの腕も叩き直して……」
「あんた、茶が入ったよ! その辺にしときな!」
「パウルさんも少し落ち着いて……あら?」
怒鳴り合う二人の空気が今にも殴り合うかというほど白熱し始めた頃合いで。
店の奥からお嬢様店員ルアナと中年の女性が現れ、更にルアナを筆頭に四人が姉妹の存在に気づいた。
無毛の悪鬼とパウルの間の険悪な雰囲気が、一気に薄まる。
「あっ、これはお二人とも……恥ずかしいところをお見せしてしまって」
「いや、大丈夫、だけど……」
「おい愚図、この吹けば飛びそうな小娘どもは誰だよ? まさかおめえのお気に入りの商売女とか言わねえだろうな」
「そんな訳無いだろ馬鹿じゃないのか師匠、この二人は昨日からうちで雇ってる宣伝員だよ。うちの武具を着て宣伝して貰ってるんだ」
「は? 宣伝? 何言ってんだおめえ頭おかしくなったか?」
「あんた、昨晩話しただろ。鎧とドレス着た女二人が血吸い花を山ほど持ち込んで、しかもパウル武具店の武具に世話になってるって言いふらしたとか。今日はその件でここに来たんじゃないか」
「……ああ、そういやそうだったな」
「あたしゃあんたの頭の方が心配だよ、全く」
後からやって来た中年女に諭され、中年は顔こそ悪鬼じみているものの静かになった。
中年女は年は四、五十ほど。小麦色の肌に、男と見間違うほど短く刈り込まれた金髪。身体はとてもよく絞られており、露出している二の腕の表面には筋肉が隆起している。
顔つきが女性らしさを残していなければ男と見間違いしてもおかしくない、それどころか何も言われなければやはり男と勘違いしてもおかしくない、女性らしさというものを粗方投げ捨てた出で立ちだ。
「えーと……」
「ああ、すまないねあんたたち。生憎だけど茶は四人分しか淹れてないんだ。今あんたたちの分も……」
「我々のことはお構いなく」
「そうかい? 悪いね」
姉妹に断りを入れてから、中年女はパウルにカップを渡した。
一方ルアナは、無毛の悪鬼の元へ。
「どうぞ、マリウス様」
「けっ、何だよおめえが淹れたのか? この茶。おめえは茶を淹れるのまで下手糞でとても飲めたもんじゃねえのによ。おめえの茶なんか飲むくらいならまだドブ水啜った方がマシだぜ。一体おめえは何が出来るんだよボンクラ、頭の沸いた形の武器作らせるだけか? さっさと実家に帰んな」
「師匠っ!」
ルアナが差し出した茶のカップを受け取りはしたものの、反撃とばかりに辛辣な言葉を浴びせかける無毛男。
当然のように、パウルが声を荒げ立ち上がる。
しかし。
「わたくしも少しずつパウルさんのお手伝いが出来るようになってきましたのよ。今はまだお茶も下手ですが、いつかマリウス様にも納得頂けるよう頑張りますわ」
「その茶はあたしが淹れたもんだから黙って飲みな」
「ケッ」
当のルアナは男の暴言を笑顔のままあっさりと受け流した。
続いて中年女の一言もあり、男はひとまず黙って茶を啜り始める。
無毛男の口が茶で塞がったところで、代わりとばかりに中年女が姉妹に気さくな顔で笑いかけた。
気が強く気のいい、芯の強いおばちゃん、とでも言えそうな顔だ。
「先に自己紹介しとこうか。このハゲはマリウス。マリウス武具店の店主で、パウル坊やに鍛冶技術を教え込んだ師匠さ。それからあたしはヴァレンティナ。このハゲの連れ合いだよ」
「俺は禿げてねえっていつも言ってんだろ。作った剃刀の実演だ」
「見た目ツルッツルなんだからハゲでいいじゃないか。人から見たら剃ってるのか禿げてるのかなんて分かんないだろ」
「ったく……」
ヴァレンティナの言葉に横槍を入れるも、すげなく切り捨てられるマリウス。
しかし嫁には頭が上がらないのか、先ほどのような罵詈雑言を放つこともなく再び茶に口を付け始める。
「で、あんたたちは? 見たところ余所からの流れ者ってところかい?」
「うん。私はピエール、こっちはアーサーね。私が姉で、アーサーが妹」
「男性名ですが女性です。名前は故郷の風習なのでお気になさらず」
「ふうん、そりゃまた……」
「気持ち悪い名前だな」
「……おっちゃん、名前は私たちの誇りだからあんまり馬鹿に」
「女の癖に男の名前とか明らかにおかしいじゃねえか、故郷とやらは一体どこの常識知らずの」
突然カウンターの一部が砕け散った。
パウル夫妻、マリウス夫妻の四人誰もが反応出来ず、突然の轟音に目を見開き衝撃音の中心部を眺めるのみに留まる。
少し間を開けてから、ようやくカウンターが破壊された原因は姉妹のうちどちらかが、店内に陳列されていた金属の籠手を無造作に掴み投げつけたからだと気づいた。
特に先端が尖っている訳でもないがらんどうの左手が、木製のカウンターに手首までめり込んでいる。
突然の蛮行に、一転してしん、と静まり返ってしまう店内。
マリウス夫妻は頬に冷や汗を一滴垂らし、パウル夫妻などは冷や汗に加え顔がやや青い。
そんな四人が目をカウンターから姉妹に戻せば、既に二人の手には陳列されていた砥石と凧形盾が握られている。
いつでも次を投擲出来る格好だ。
「故郷と名前は私たちの誇りだから、馬鹿にしないで」
「……」
「馬鹿に、しないで」
発言主は意外にもピエールだ。念押しするように、圧を込めて二回言い含めた。
先ほどまでの穏和な顔から豹変し、目をやや見開き、口を真一文字に結んでマリウスを見据えている。
右手に握られている凧形盾の持ち手が握力を込められすぎて見る見るうちに細く、歪に変わっていった。
一直線に見据えられているマリウス。
男の目には、力が入り過ぎて握り潰される盾の持ち手も、直前までとぼけた顔をしていた小娘に漲る、小娘とは思えない尋常ではない眼力も確かに映っている。
魔物や人間との殺し合いを長く経て、何度も死線を乗り越えて来た、歴戦の兵の貌だ。
いくら鍛冶仕事で鍛えられた腕力を持っていようと、殺し合いをしたことのない人間が本物の戦士には敵う筈がない。
自分は今ここで、くびり殺されてもおかしくはない。
しかし。
それでもマリウスが怯えの色を見せることはなかった。
「……けっ、悪かったな。今のは失言だった」
不機嫌そうに視線を逸らして呟き、茶を啜るマリウス。
ピエールは無毛男の謝罪を聞くと、拍子抜けしそうなほどあっさりと怒気を緩めた。
盾を握る力を緩め、何故か怒っていた当人の方が弱々しい笑みを浮かべている。
「うん、分かってくれたならいいよ。ごめんね、私たちこの名前は本当に大切にしてるから。しかも故郷のことまで絡めて突かれると、ちょっと冷静じゃいられなくって」
「……」
緩く儚げな笑みを浮かべるピエールとは対照的に、アーサーはまだ不満たっぷりだ。
表情や商品を握る力こそ抑えたものの、マリウスに対する怒りは強く残っている。
妹は姉と違い、いつまでも根に持つ性質である。
彼女のマリウスに対する怒りは、恐らく町を去った後も、十年後ですら消えることはないだろう。
「……師匠が大人しく人に謝ってるところ初めて見た。ヴァレンティナさんにすらあんな素直な謝罪したことないのに」
「おい愚図、おめえどうやってこんな怪物雇ったんだよ。……もう三十年武具屋やってるが、今まで見てきた奴の中で一二を争うほどおっかねえぞ、この小さい奴」
「そんなに……」
「だからあんた、その口の悪さは何とかしろっていつも言ってるだろ。騒動引き寄せてばかりじゃないか」
「うるせえな、生まれつきなんだから仕方ねえだろ」
「その内本当に殴り殺されても知らないよ」
「そうならない為にお前がいるんだろうが」
「……全く本当にしょうがない男だよあんたは」
口調はやや荒いものの、どこか満更でもなさそうな調子のヴァレンティナ。
舌打ちと同時に髪の短い後頭部をがしがしと掻いている。
「本当にすまないね二人とも。あれは昔っから口だけ異様に悪くってさ、何度も言ってるのに一向に直りやしない。あたしからも謝るよ、貶して悪かった」
「いやいや、私はもう怒ってないから大丈夫」
ヴァレンティナは気を取り直し、姉妹に向かってはっきりと謝り、頭を下げた。
既に怒りの抜けたピエールが、慌てて頭を上げさせる。
アーサーは何も言わないし何も応えない。
「すまなかったね。……それじゃあたしたちは帰ろうか」
「あら、もう帰るんですの? マリウス様、ヴァレンティナ様」
「今日来たのは昨日話題になったドレス鎧の女、つまりこの二人のことだからね。お飾りじゃない本物の冒険者ってことは分かったし、どちらも望まない契約をしてる訳じゃなさそうだ。それが分かれば十分さ」
「そうですの……せっかくお越しになられたのですし、もう少しお話でも」
「こちとらこれから仕事が山ほどあるんだよ、無能のお前みたいにいつまでも遊んでる訳にゃいかねえんだ。んなことも分かんねえのか? 頭の中身は空っぽか? その頭はただの巻き髪置き場か?」
「師匠っ!」
マリウスが口を開けば、再びルアナへの雑言が飛び出す。
パウルが憤慨して声を荒げたが、やはりルアナに堪えた様子はまるで見られない。
「師匠、いい加減にしてくれって言ってるじゃないか! ルアナさんは呪文も得意だし、僕の補助として十分役に立ってくれてる!」
「はん、まともな相槌も打てねえ細腕を補助に使うんじゃねえよ。玉葱マン凍らせる仕事でもした方がよっぽど役に立つだろうがこんな女」
「それでもわたくしは、いつかパウルさんの妻として立派に隣に立てるようになって見せますわ。見ていてください、マリウス様」
相変わらずマリウスはルアナには苛烈だが、ルアナもルアナで全く気にせず笑顔で受け答えを続けていた。
その様子に苦笑うヴァレンティナ。
「ルアナは坊よりよく分かってるね」
「ええ、だってパウルさんのお師匠様ですもの」
「そうかい。……でも、あんたが未熟なのは確かだからね。あたしの気が変わらないよう頑張るんだよ」
「勿論。ヴァレンティナ様に失望されてしまった時がわたくしの終わりだと、心に刻んでありますわ」
「ならいいさ。……ほら帰るよ。あんた、ルアナが何も言い返さないからって無遠慮に罵るの止めなっていつも言ってるだろ。ったく、ルーベン様の前じゃなくなった途端これだよ」
「事実しか言ってねえだろあの下半身デ」
「そういう女性の身体を貶す言葉は止めなって前に言っただろ!」
「痛え! 頭を叩くんじゃねえよ!」
「ピカピカ光ってて叩きやすそうだから叩いて何が悪いんだいこのハゲ!」
「だからハゲじゃねえ!」
口調は強いもののどこか和気藹々とした雰囲気で言い合いながら、マリウス、ヴァレンティナ夫妻はパウル武具店を後にしていった。
残された四人。
パウル、ルアナ夫妻が、同時に大きく息を吐いた。
「はあ……。ルアナさん、ごめん。いつもいつもあの師匠が」
「いえ、大丈夫ですわパウルさん」
息を吐いて脱力しながら、隣の嫁に笑いかけるパウル。
ルアナも同様に笑い返す。
そして、二人同時に手甲がめり込み破壊されたカウンターを視界に捉えた。
呼びかけようとした直前で、二人がカウンターに目を向けたことに気づくピエール。
自分が、店の商品を咄嗟に投げて壊したカウンターに。
「あ、あの、えーと、その」
「いや、いいよピエールさん。原因は全部師匠の口が悪いからだし、机の修理と手甲と、その盾の代金は後で全部師匠に請求する」
「う、うん、ごめんなさい……」
「いいんだよ、昔から師匠はいつも口が悪くて、最近はルアナさんばかり罵るから不満だったんだ。ちょっとスッキリした。それに向こうの店の賑わいを見たら分かると思うけど師匠は相当稼いでるし、これくらいの代金は引っ張ってくるよ」
「うん……ありがとう」
からからと笑うパウル。
ピエールはばつが悪そうに、握っていた盾をそっと店内の陳列棚に戻した。
盾の持ち手は金属製で元は大人の親指ほどの太さだったが、握った痕は粘土を握りしめたかのようだ。
特に強く握られた部分は針金と見間違うほど細い。
「……ところでルアナちゃん、一つ聞いていい?」
「はい、なんでしょうピエール様?」
俯き加減で盾を戻したピエールが、顔を上げてルアナに問いかけた。
上品な笑顔で、小首を傾げるルアナ。
「ルアナちゃんさ、あのマリウスのおっちゃんに大分言われてたじゃん? なのに全然気にしてなかったけど。どうして?」
ピエールの質問に、ルアナは笑顔を崩さず答えた。
逆にパウルは納得のいかない顔をしている。
「マリウス様は口はとてもお悪いですが、実のところパウルさんのことが心配だから、定期的に様子を見に来て、わたくしにも厳しく当たるのですわ。パウルさんのことを大切に想っている同士、悪感情はあまり湧きませんの」
「ルアナさんはそう言うけど、僕はどうにも信じられないんだよね……。師匠はいつだって口は最悪に悪かったし、ルアナさんにも罵詈雑言ばかりだし。どうにもいい方向には見れない」
「それはパウルさんとマリウス様の距離が近いからですわ。離れた位置から見れば、マリウス様がパウルさんのことを気にかけているのはよく分かります。むしろヴァレンティナ様の方がわたくしを冷静に見定めて、パウル様に相応しくなければ追い出そうと強く思っているんですのよ」
「僕にはそれもよく分からないなあ……」
釈然としない顔で首を捻るパウルと、訳知り顔で口に手を当ておほほ、と笑うルアナ。
ピエールもパウルと同様に首を捻り、アーサーがただ一人、無表情の裏でまだ心に鬱憤と怒りを滾らせていた。
アーサーの怒りはしつこい。
: :
軽く雑談を交わしてからドレスと鎧一式を着込み、結局昨日と同じツインテールに髪を纏めた姉妹。
パウル武具店を後にし、組合の建物へと向かう。
通行人の視線を浴びながら、悠々と早朝の町を歩いている姉妹。
二人が着るドレスは一晩のうちに修繕され、少量あったほつれや裂け目は全て縫い合わされている。
鎧も磨き直され、出で立ちは昨日と変わらぬ鎧姿の美麗な令嬢そのものである。
そんな二人の腰には、昨日とはまた異なる武器が提げられていた。
アーサーの腰には手槍。菱形の穂先をした、長さ一メートル超の片手用の短槍だ。
盾の方は昨日と同じ凧型盾で、槍も鋼鉄製な為やはり装備は鋼鉄一色。
一方ピエールは、昨日とはまた異なる形状の両手持ちの剣。
昨日は幅広で分厚い剣だったが、今回は少々細身だ。
長さこそ一メートル半はあるのだが、刀身の幅は五センチ弱。
昨日と比べると半分以下で、すらりと細く長いスマートな印象を醸し出している。
厚みは相応にあり細くとも一メートルなので重量はあるのだが、ピエールは特に気にした様子無く剣の納められた鞘を吊し歩いていた。
「はあ、やっぱりなんか不安」
「剣のことですか」
「うん」
答えたピエールが、前を向いて歩きながら左手をぽん、と腰の剣の柄頭に置いた。
「姉さんって昔から剣に苦手意識ありますよね。実際よく折りますし」
「自分でもよく分かんないんだけど何故かあるんだよね……」
「普通は斧や鈍器よりは剣の方が扱いやすい筈ですが」
「筈だけど、やっぱり剣よりぶつけるだけの武器の方がしっくりくる」
「相変わらずおかしな話ですね」
「武器の扱いの才能は全部アーサーに行っちゃったのかもね。アーサーは結構何でも器用に使うし」
「私のこれは単なる器用貧乏ですよ」
そよそよと小声で言い合いながら、やがて組合建物へと到着した二人。
扉を開けて中に入り、恐らく既に待っているであろうチェリの姿を探す。
すると、人で賑わっている筈の組合ロビー内に一カ所だけ、妙な空白があることに気づいた。
二人がその不自然に開いている空間に目を向けると。
「……うわ」
そこには姉妹のものより更に目立つドレスで身を着飾った、待ち人の姿があった。




