08
「いいんですよ? 確かにあの状況下では剣を投げるのは悪手ではありませんし、私が逆の立場でも投擲しています。刃こぼれこそすれど、折れたり欠けたりした訳でもない」
「うん……」
「ですから、責めるつもりはありません」
「本当に……?」
「ええ」
「でも表情は怖い……髪は可愛いのに」
しょんぼりした顔の姉が自身のツインテールをひょこひょこ触ってくるのを無視しながら、アーサーは姉の白い太股に引かれた一筋の赤い傷を手当していた。
自傷であり浅いので、血と汚れを洗って少し治癒の呪文を施せば終わりだ。
子供の見習い程度の呪文の腕しかないアーサーでも治せる範疇にある。
「パパ、大丈夫?」
「大事無い。表面を抉られただけだ」
「ごめんねパパ、私が手間取ったから……」
「今回は一つ学んだな。動く植物は植物だからといって地を這うだけとは限らん。人や他の魔物同様思いも寄らぬ動きをすることもある。この経験は後々活きるだろう」
隣ではメリンダが眉尻を目一杯下げ、泣く寸前のような顔で父親の手当をしている。
父、アンドレイは全身を羽黒緑の鎧で守っていたが、唯一露出している顔、右の頬にざっくりと裂傷が刻まれていた。
傷はあまり深くはなく、彼の言葉通り表面を抉られたに過ぎない。
しかし無数に生え並ぶ血吸い花の刃の蔦の所為で裂傷は幅広く複雑だ。
メリンダの治癒の呪文で完治可能だが、見た目は表面を下ろし金で荒々しく削ぎ落とされたかのような実に陰惨な怪我であった。
一方アーサー、チェリには目立った怪我は無い。
アーサーはドレスの裾を少し裂かれた程度で今は平然と姉の手当を行っているし、チェリはやはり鼻息荒くふんふん言いながら腰に両手を当てている。
「終わりま」
「終わった? 手当終わったわよね? ならほら! 言うことあるでしょ? 感想? ね? 感想聞きたいのよねあたし? ね?」
「……」
手当を終えたアーサーが一息つこうとした瞬間、チェリが顔をぐいと姉妹の間に差し込んで至近距離で二人を交互に見返しながら迫った。
目は極限まで見開かれ、漆黒の瞳が光を反射し星が散るかのように煌めいている。
口元は何とか平静を保とうとしているが、無駄な努力だ。口の端がひくひくと持ち上がっては、少し元に戻りかけるがすぐにまた持ち上がる。
飼い主に褒められ撫でられるのを待ちきれない、すぐ撫でろ今撫でろさあ撫でろとばかりに飼い主に頭をぐりぐり押しつけてくる躾のなっていない犬。
姉妹の脳裏に、全く同じ印象が浮かんだ。
「……ええ、素晴らしい呪文捌きでしたよ、チェリ。あなたの氷による的確な援護があったからこそ私は無傷でいられましたし、二十もの血吸い花を一匹たりとも逃がさず全滅させられました。花を傷つけるような失敗も、何一つしでかしていない。魔法使いとして一分の隙も無い完璧な仕事です」
「チェリちゃんの呪文はやっぱり凄いなー、私ここに来て、チェリちゃんと臨時で組めて本当に良かったと思ってるよ」
「そうでしょうそうでしょう! あたしの! 氷様が! 一番なのよ! むっふふふ!」
悦びに満ち溢れた笑みのチェリ。
むふふむふふと笑いながら長い黒髪を振り上げ、今度は姉妹から離れて親子の元へと駆けていった。
ちょうど姉妹に遅れて手当を終えたアンドレイ、メリンダ親子にも、感想を求めて迫る。
親子が戸惑いながらも褒めると、チェリは再び腰に両手を当て大きくふんぞり返って高笑いした。
ふんぞり返り過ぎて仰け反ってこてんと後ろに倒れても、構わず仰向けのまま笑うチェリ。
ちなみにこのニアエルフ、本当に冷気に関わる呪文しか扱えない。魔法使いを志す者であれば誰もが学ぶ筈の治癒の呪文を、かすり傷一つ治す呪文すら使えない。
氷に魂を捧げた女。
それがこの黒髪黒目のニアエルフ、チェリであった。
: :
「……ピエールさん、重くないの?」
「ちょっとは重いけど、まあちょっとだけかな」
「改めてだけど、本当に凄かったんだね君たち」
横を歩くメリンダに言われ、ピエールは照れ笑いで頬を掻いた。
メルメまでの道を平然と歩くピエール、それに彼女の隣にいるアーサーは肩に掛けた縄を引きながら歩いている。
縄は後ろに伸びており、そこには今日の戦果がたっぷりと繋がれていた。
すなわち、血吸い花である。
血吸い花たちの残骸は縄で半分ずつ纏められ、姉妹がそれぞれ一塊をずりずり引きずって運んでいる。
茎や根など各所を破壊された残骸たちの質量はまばらだが、一人十匹ともなれば相当な重量だ。
「他の部分は価値無いんだから花だけ切っちゃえばいいのに」
「今は一応宣伝中ですから。花だけ持ち帰るより、丸ごと持ち帰った方が印象に残ります」
「無駄に頑張るのね」
アーサーの返答に、心底どうでも良さそうにチェリが返す。
血吸い花の撃破直後、四人に褒められた時点で彼女は満足なのだ。
後のことは興味がない。村や町に戻ってからの注目は宣伝の為自分ではなく姉妹が浴びることになり、その上血吸い花は呪文で冷やして保存する必要も無いので尚更だ。
「じゃあさっさと村長に見せてロールシェルトに帰りましょ。早く葡萄酒を一杯やりたいわ」
「チェリさんって葡萄酒が好きなの? 奇遇ね、私もここの葡萄酒好きよ」
「あら、あなたは話が分かるわね! この二人はお酒飲まないから語り甲斐が無くてつまらないわ」
「うちもなの。パパもママもお酒と言えば麦ばっかり。あんな苦いお酒のどこが美味しいのかしら」
「酒は苦味が旨いものだろう……それにここの葡萄酒は甘ったる過ぎる。余所から運ばれてきたものならまだ飲めるが」
「ほら、これだもん。ほんとパパったら分からず屋」
「本当ね」
魔法使い二人が顔を合わせてくすくす笑い、アンドレイは一人複雑な顔でため息をついた。
そうこうしている内に、五人は村へと戻って来る。
「あっ! 騎士様のお姉ちゃん!」
最初に五人を見つけたのは、村の入り口付近で遊んでいた子供たちだ。
彼らはピエールを見つけると一斉に駆け出し、周囲を取り囲んだ。
「やあ皆、戻ってきたよ」
「騎士様戻ってきた! 本当に森の魔物やっつけたの?」
「倒したよー、ほら見てこれ。血吸い花って言って、この蔦で生き物を切って血を吸う怖い花なんだよ」
「うわーっすげーっ! ちっちゃい騎士様は本当に騎士様だった!」
「別にちっちゃくないからね」
「いや小さいわよ」
「だからチェリちゃんそんな変わんないじゃん!」
「えー? あたしピエールよりは大きいですけどー?」
どうやらチェリはピエールよりわずかに背が高いことを非常に重要視しているらしい。
だが他から見れば当然誤差である。
アーサーやアンドレイだけでなくメリンダにすら内心そう思われる中、ピエールとチェリが子供じみた言い争いをし、子供たちが血吸い花の残骸を眺めながら黄色い声ではしゃぐ。
アーサーとアンドレイ親子の三人が、ある者は呆れ、ある者は微笑みを浮かべて小さな者たちを眺めていた。
: :
真昼の冒険者組合ロールシェルト支部。
午前の間に一仕事終えた者たちと、昼から仕事を始めようかという者たちでやおら賑わう頃合い。
だがその賑わいは、建物内に入ってきた二人によって一瞬途切れることとなった。
入ってきたのは大小対照的な背丈の、しかし左右で括られたツインテールヘアとドレス鎧という共通点を持った二人の少女だ。
一人は金髪で長身、もう一人は茶髪で低身長。どちらも見目美しいドレスに作りたてのような艶を放つ金属鎧を身に纏っている。実に人目を引く姿だ。
その上、二人に続いて建物内に姿を現した存在に、組合内はにわかに騒然となった。
血吸い花の残骸だ。
それも数匹分ではない、二十に迫る数。
二人の少女は周囲からの視線と注目を一身に注がれ、金髪は平然と、茶髪は恥ずかしさを堪えるように口を結び目を逸らしながら、悠然とカウンターの前まで血吸い花の残骸を引きずり歩いていく。
「ひひひ、注目の的だねえ、暴力姉妹」
受付の白髪の老婆が、やって来た二人に不気味な顔で笑いかけた。
金髪が懐から何かの板を取り出してカウンターに置き、茶髪は引きずってきた血吸い花を手元へ手繰り寄せている。
ずり、ずり、ずり、と建物の床を這う真紅の花の残骸。
周囲の者たちの視線も、茶髪が引くのに合わせて視線を滑らせていた。
「……はいよ、これで依頼は達成だね。しかし随分といたじゃないか」
「総数二十一。森で見かけてからまだ日が浅いということで、恐らくこれで全ての筈です。いずれにしろ達成証を貰ったので、私たちの仕事はここまで」
「これだけ間引けば十分だねえ。他の面子は?」
「外で待っています。今朝言った通りこれも宣伝なので二人だけの方が注目を浴びやすい」
「そうかい。で、この花はここで売るのかい?」
「ええ。申し訳ありませんが花以外はそちらで処分してください。手間賃は差し引いて構わないので」
「これも仕事の一環かい、わざわざご苦労なこった」
血吸い花たちを手繰り寄せた茶髪が、一匹ずつ縄を解いてカウンターへと乗せ始める。
白髪の老婆は奥から人を呼び、血吸い花の真紅の花の質を確認しながら花を奥へと運ばせた。
「そういえば、この花って何に使うの?」
「魔力や大量の血を吸って育った血吸い花の花は、生命力の源になります。強壮剤や増血剤の原料が一般的ですね。花びらをそのまま毟って食べるだけでも、病中病後の体力回復に効くらしいですよ」
「へー」
「本来なら種が一番効力と価値が高いのですけどね」
「これは種持ちじゃない?」
「持っていませんでしたね」
二人の少女が話している内に全ての血吸い花の検分が終わり、カウンターの向こうへと運び込まれた。
検分作業を終えた老婆が、席に戻る。
「どの花も傷は無く状態はいいけど、成長具合はまばら。依頼報酬が二千、花が千、合わせて三千ってところだねえ。一人六百ずつ分けな。そういえば鞭打ち草はどうした?」
「道中見当たらなかったのと、血吸い花がこれだけ採れたので探していません」
「そうかい、確かに十分だねえ。じゃ、金を持ってくるから待ってな」
白髪の老婆が立ち上がり、玉葱頭を揺らしながら奥へと入っていった。
やや間を開けてから、木彫りのトレイの上に硬貨を乗せて戻ってくる。
「三千だ。確認しな」
トレイに並べられた銀色に輝く百ゴールド硬貨を一枚一枚確認し始める金髪。
茶髪が手持ち無沙汰になったところで、老婆が茶髪へと話を振った。
「ところで暴力姉妹、姉」
「えっ? う、うん、何?」
「あれだけの数の血吸い花と戦って、よく無傷でいられたねえ? 秘訣はその格好かい?」
「ううん?」
「……」
茶髪は普通に頷いただけなのだが、何故か対面の老婆だけでなく隣の金髪まで一瞬表情を曇らせた。
金髪がつんつんと茶髪に優しく肘打ちし囁く。
「姉さん、宣伝。もっと大仰に、店の名前も出して」
「あっ」
言われて気づいた、という雰囲気の茶髪が、改めて表情を満面の笑顔に変えた。
少々演技臭い。
「あ、えと、そう! これも全部防具のおかげ!」
「へえ、やっぱり防具のおかげかい! それ、マリウスの所のだろう?」
「いやいや、違うんだよお婆ちゃん! これね、マリウスって人の弟子の、パウルって人が作った防具! パウル武具店の防具なんだ!」
「パウル武具点! そういや聞いたことあるねえ、最近マリウスの所から独り立ちしたって! ……でもあそこの防具、出来が悪いって皆言ってたろう?」
「それがさ、実際見てみるとそんな悪くないよこれ。血吸い花の蔦も問題なく防いでくれたし! やっぱり噂はただの噂に過ぎないね!」
「そりゃあいい! マリウスの所はいつも混雑してるからねえ、あのパウル武具店に行くのも悪くなさそうだ!」
「でしょ? パウル武具店! 中々いいよ!」
互いに大袈裟な大声で、声を張り上げながら喋る茶髪と老婆。
金髪は硬貨を確かめながらちらりと視線を周囲に走らせ、周囲の冒険者たちがパウル武具店について話を始めたのを確認してから、そっと視線を硬貨へ戻した。
: :
「驚くほどわざとらしい」
「えっ、そ、そうだった?」
「あまりにも棒読み過ぎてどうしようかと思いましたよ。宣伝効果はあったようなので問題ありませんが」
「それなら良かった……」
「受付に感謝ですね」
「なんかあのお婆ちゃん、妙に乗りが良かったよね……」
小声で言い合いながら、姉妹が組合の建物から外へと出た。
表にはアンドレイ親子とチェリの三人が待っており、二人は彼らの元へと歩み寄る。
「どうだった?」
「全部で三千、一人六百ゴールドで山分けしましょう」
「六百ゴールド! わあ……!」
金額を聞いたメリンダが、杖を強く握りしめ目を輝かせた。
その様を、隣のアンドレイが微笑ましく見つめている。
「聞いたパパ、一人六百だって! 今までの私の一日の稼ぎの中で一番高い!」
「ああ、そうだな。しかし一端の冒険者になればそれくらいは普通の稼ぎだ。これからも精進して……」
「このお金で飲も! いっぱい飲も! 今から飲も!」
「……メリンダ、飲酒は夜まで待て、暴飲も許さんぞ。この金はちゃんと母さんに預けなさい」
「えーっ、なんでよパパ、これは私の稼ぎでしょ! 私の稼いだお金で何飲もうと私の勝手じゃん! 私は飲むからね!」
「……お前、一体いつからそんな酒飲みになったのだ……?」
杖を持つ手を振り上げ不満をありありと露わにする娘に盛大にため息を吐くアンドレイ。
アーサーは何も言わず、アンドレイへと百ゴールド硬貨十二枚を渡した。
「あなたたち親子の分です。どうぞ」
「かたじけない」
「あっ、ちょっとアーサーさん! パパに纏めて渡すんじゃなくて六百ずつ私に……!」
「ははは、もう遅いぞ。お前の分の報酬は私が預かった。この金は一度母さんに渡すからな、使いたければ母さんを説得することだ」
「止めてよパパ! ママはパパなんかよりずっと頭固いんだから! ねえパパーっ!」
自身の脇腹に纏わり付いてくる娘を無視しながら、アンドレイが姉妹とチェリに笑いかける。
「三人とも、今日は世話になった。お前さんたちは確かに素晴らしい腕前の持ち主のようだ」
「……」
「……と、特にチェリとやら。お前さんの氷の呪文は目を見張るほどの腕前だった。私が今まで見た中でもっとも洗練された氷と言えるだろう。メリンダにも見習って欲しいものだ」
「当然でしょう! だってあたしの氷様だもの! それが分かるあなたも見る目があるわ! ふふん!」
二人に執拗に目配せをされ、慌ててチェリを褒めるアンドレイ。
幸い一連のやり取りがチェリ本人に気づかれることはなく、彼女は得意げに胸を張るばかりだ。
「ではな。また機会があればよろしく頼む」
「こちらこそ。……それと、もし暇があればパウル武具店にも足を運んでください。外見は多少おかしな武具も置いていますが、質はあなたが見た通り最低限ある筈です。修理もしてくれることでしょう」
「ああ、そうだな。新しい品が入り用になれば、その時は寄らせて貰おう」
「ねえパパーっ、お金ーっ! 酒ぇーっ!」
落ち窪んだ目を穏やかに細め、笑顔で手を上げてからアンドレイは三人と別れた。
その背中にまだ叫び続けている娘を張り付けたまま。
「今日も昼で終わりかあ」
「早く終わって良かったじゃないですか」
「お弁当買った意味無かったね」
「どこかその辺で食べましょう。……チェリ、今日もあなたには世話になりました。あなたの分です、どうぞ」
「ふふん、悪いわね」
くああ、とピエールが全開で両腕を伸ばし伸びをする横で、アーサーが銀色の硬貨を差し出した。
チェリは受け取った硬貨を鞄から出した巾着に納め、巾着を戻すとぽんぽん、と満足げに鞄を叩く。
「じゃ、あたし帰るわ。また明日ね」
硬貨を受け取ったチェリは、言うやいなや二人の返事を待たずに去っていった。
妙に早足で、姉妹は置いて行かれたかのような気分になる。
「……なんか急いでたねチェリちゃん」
「そうですね。大方予想はつきますが……」
「予想? どんなの?」
「明日になれば分かりますよ。さ、武具屋に経過報告に行きましょうか」
「ちょっと気になる……けど分かった」
最後に残った二人も、武具屋へ向けて歩を進め始めた。




