07
暫く森を進むと臭いはすぐに五人全員が嗅ぎ取れるほど強まり、親子はピエールの嗅覚に感心すると共に警戒心を強めていった。
そうして十分ほど道無き道を歩いたところで。
五人の視線の先に、目的の存在が現れた。
「……」
姿を捉えたメリンダが、思わず呻きそうになった口を手で押さえた。
ピエールは何故か自身の側頭部、ツインテールの付け根と赤いヘアリボンを両手で隠している。
まず目に映るのは、何よりも赤だ。
熟れ切ったトマトのように彩度の高い赤色の柱が、密集して直立している。
柱は人の足ほどの太さがあり、高さは一メートル超。
その赤い茎には、人の掌ほど大きな葉が何枚か生い茂っていた。
不思議なことに葉は普通の緑色で、茎だけが赤くなっている。
真紅の柱の頂点には花。これまた人の頭ほど大きな真円、真紅の花がでかでかと咲き誇っている。花の形は向日葵に近い。
真紅の茎も一直線に直立している辺り、花だけでなく全体の輪郭そのものが向日葵によく似ていた。
しかし向日葵とは全く似通っていない部分もある。
花の根本と柱の根本から伸びる、無数の突起が付いた長い蔦状の物体だ。
突起は薄く鋭利で縦に平行に並び、棘ではなくまるで刃物の破片を取り付けたかのような、茨とは異なる性質の形状をしている。
接触したものを刺すのではなく、八つ裂く為の突起。
そんな刃が付いた蔦状の物体が、上下合わせて十本は生えている。
血吸い花。
刃の付いた鋭利な根や枝で獲物を切り裂き、鮮血を啜る動く植物の魔物だ。
当然、主な獲物は赤い血を持つ脊椎動物で。
密集する血吸い花たちの根本には、細切れにされたニャラニャラの残骸が散らばっていた。
茶色い羽毛、千切れた細長い嘴と足、それに大量の肉片が散乱している。
血吸い花たちが吸っているのか、血は殆ど散っていない。血の残る肉片には、血吸い花たちの刃付きの根がびっしりと突き刺さっている。
さてその血吸い花の群れだが、予想とは一つ異なった問題があった。
多い。
ニャラニャラの残骸に集る血吸い花、数にして二十一匹。
一つの群れにしては明らかに不釣り合いな数だ。
群れが分裂する寸前の状態なのか、それとも複数の群れが殺到しているのか。
それは分からなかったが、少々想定外であることには変わりない。
もし依頼を受けていたのがアンドレイ親子二名だけであれば、すぐに引き返し増援を要請する数だ。
しかし今は、二人の少女騎士と一人のニアエルフがいる。
「……」
顔を引きつらせるメリンダを後目に、アーサーとアンドレイが作戦を話し合っている。
目も耳も鼻も無い動く植物たちがどうやって周囲の状況や生物の存在を認識しているのかは、未だに謎である。
だが一般的に血吸い花は聴覚はあまり優れておらず、色と臭いに頼って獲物である動物を探している、とされている。
特に血の臭いと血の赤色には極めて鋭敏に反応し、血の色などは血吸い花の周囲三百六十度、どの方向から見せても鋭敏に反応する。
目は無い筈だが一体どうやって色を認識しているのか。動く植物の謎が深まる要因の一つだ。
二人は四、五十メートル離れた木の陰で話し合っているが、その間も血吸い花たちはぴくりとも動かずにいた。
刃の根をニャラニャラの残骸に突き刺し、血を吸うことに夢中だ。
「ではそれで」
「あい分かった」
話が済み、二人は静かに武器を抜いた。
アーサーは腰に吊してあったシンプルな片手用の直剣と小型の凧型盾。
どちらも鋼鉄製で、全身鋼鉄装備の鋼鉄の騎士だ。
ちなみに腰には、凧型盾の他に革製の古びた丸い小盾も提げられている。
同じくアンドレイも、片手用の剣と盾。
こちらは剣こそ鋼鉄だが、盾はピエールの手甲と同じ竜鱗石製だ。
鱗形に加工された薄緑色の金属が、盾の表面に隙間無く並べられている。
温度変化に強い竜鱗石の、いわゆる鱗の盾である。
端々に傷や汚れが残っており、どうやら長く使い込んでいるらしい。
「作戦は?」
隣の木に隠れていたチェリとピエールが、アーサーへと尋ねる。
魔法使いであるチェリは無手だ。呪文を補助する杖や石の類すらも持っていない。
ピエールの方は木の裏に隠れているが、未だに赤いヘアリボンを手で隠していた。
「私とアンドレイが敵を引き受け後衛二人が呪文で攻撃。まずは戦闘力を削ぐことを優先。防御に余裕が生まれる、もしくは敵が引け腰になったら足止めに移行。相手を逃がさないことを重視」
「私は?」
「姉さんは遊撃です。適当に戦ってください。後衛同様、戦闘力を削ぐことと逃がさないことを重視で」
「分かった」
「……チェリ」
「なに?」
「あなたの氷、期待していますよ」
「……ふふふん! 任せなさい! あたしの氷様の素晴らしさをここにいる全ての命に叩き込んであげるわ!」
作戦会議が終わり、三人が隣に目を向けた。
アンドレイとメリンダも、話し合いが終わったようだ。
真剣な顔で三人を見返している。
「じゃ、行くね」
「姉さん」
先陣を切って飛び出しかけたピエールを、アーサーが呼び止めた。
「何?」
「武器、壊さないでくださいね」
「……ぜんしゅする」
「善処ですよ、善処。あと善処じゃなくて、そこは言い切って欲しいところなのですけど」
「……」
何も返さず、ピエールは笑った。
笑ってごまかした。
そして一人、木の陰から血吸い花たちと視線が通る場所へと飛び出す。
隠していたヘアリボンから手を離す。
露わになる、真っ赤な二つのヘアリボン。
赤を認識した瞬間、血吸い花たちは刃の付いた根を足代わりに使いピエールへと殺到し始めた。
大人の早足並の速度で駆け寄ってくる血吸い花たちを真正面に捉えながら。
ピエールは腰に吊った鞘から、ずるり、と金属を擦らせて武器を引き抜いた。
普段あまり使ったことのない、幅広な両手持ちの長剣を。
: :
血吸い花の花は、顔ではない。
なので移動する時、花を前にする必要はない。
理屈ではそうなのだが、大量の血吸い花たちがまるで頭に思える大輪の花を四方八方に向けながら全員同じ方向に走ってくるのは、妙に違和感を生じさせた。
「地走、広域!」
叫んだチェリが、両手を広げて呪文を唱えた。
氷を称える祝詞の如き詠唱によって彼女の足下から無数の白い光の塊が発生し、光は地を這い姉妹を追い越し血吸い花の群れへと疾走した。
血吸い花の足下に到達した光が、炸裂して地面を白く凍てつかせる。
しかし結果は芳しくない。
炸裂の寸前血吸い花たちは足代わりの刃の根を力強くしならせ、植物とは思えない鮮やかな跳躍を見せたのだ。
大半が地走呪文を回避し、命中したのは最後尾にいた二匹だけだ。
二匹は真紅の茎の下半分が白い冷気に覆われ、身動きが取れなくなっている。
「嘘、植物が跳ねた!」
「メリンダ迎撃しろッ!」
跳ねて避けるのは予想外だったのか驚き目を見張る娘に、目の前で盾を構える父が叱咤する。
メリンダは慌てて杖を突き出し呪文を唱え始めた。
飛び跳ねて呪文を避けた血吸い花たち。
だが逆に空中に飛んだことで、それ以上の身動きが取れなくなっていた。
「しッ!」
鋭いかけ声と共にピエールも飛び跳ね、空中で血吸い花たちとすれ違う。
すれ違いざまに握っていた剣を振り抜き、すれ違った右隣の血吸い花を上下真っ二つに両断した。
代わりに左隣にいた血吸い花からしなる刃の枝で鞭打を受けたが、手甲と鎧でしっかり受け止めている。
風に靡いて揺れる二房の茶髪と、緑色のドレス。
スカート部分がはためいて彼女の白い太股を露わにし、その奥にある白いドロワーズすらもちらりと覗かせていた。
両断された血吸い花が、ぼとりと地面に落ちた。
だが両断されても即死の徴候は見られず、上下に別れた身体で刃の枝や根を使い、這いずって移動を試みている。
着地した血吸い花たちとピエール。
ここで血吸い花は二手に分かれた。うち十匹が反転してピエールを追い、残りがそのまま正面にいる四人を狙いに向かったのだ。
すれ違ったピエールも身体を翻し、反転して向かってくる血吸い花を迎え撃つ。
「きえっ!」
血吸い花たちが刃の範囲内に入った辺りで、剣を真横に振り抜いた。
ぶおっ、と野太い風切り音が森を走り抜ける。
一閃は血吸い花たちが即座に刃の届かない位置まで後退したことで避けられたが、ピエールが剣を振り抜く勢いのまま距離を詰め突き出した右足が、先頭にいた血吸い花の茎ど真ん中に食い込んだ。
薄緑に鈍く光る金属靴の踵が尋常ならざる膂力と回転力によって殺人的な威力を発揮し、木の枝が折れる高く鈍い音と共に血吸い花の茎をへし折り木の幹に叩きつけた。
ピエールは蹴り飛ばした血吸い花には目もくれず、剣を構え直し後続の追撃に備える。
後続、近いのは三匹。
一匹の振り回した蔦を跳ねて避け、もう一匹の蔦を手甲と胴防具で受け流す。
そして最後の一匹には、袈裟懸けに剣を振り下ろして応じた。
どうっ、とでも例えるべきか斬撃とは思えない打撃音が鳴り、血吸い花の真紅の茎が鋼鉄の重さと速度で斜めに絶たれる。
ピエールへと刃の蔦を伸ばしたまま崩れ落ちる血吸い花の上半分。
蔦の先端は確かに少女へと届いていたが、上半身を捩って回避されていた為茶色いツインテールの房の先を、ごく少量削るのみに留まった。
袈裟斬りにされた血吸い花は、最初に両断された個体同様真っ二つにされてもまだ這いずって動こうとしていた。
ピエールは手早く上下の血吸い花を離れた場所へ蹴り飛ばし、剣で牽制しながら残った群れとの距離を調整する。
一匹蹴り折り二匹斬り飛ばし、残るは七匹。
残った個体はたった一人の小さな人間に一瞬で複数の仲間を斃され警戒心が生まれたのか、先ほどのように一直線に駆け寄ってくることはない。
刃の付いた枝や根をピエールへ向けて構えながら、油断無く彼女の出方を窺っている。
下手に脅そうものなら、戦術的撤退をされてもおかしくない雰囲気だ。
「……それじゃあいけない」
ぼそりと呟く。
今回の依頼は血吸い花の脅威を取り除くこと。
少なくとも出会った範囲の血吸い花は全滅させなければ、依頼達成とは言えないだろう。
逃がす訳にはいかない。
「……」
少し考えて、ピエールは構えていた剣を翻した。
顔どころか動物の感覚器官すらない血吸い花たちがまるで緊張を露わにしたかのようにびくりと震える中、ピエールは翻した剣で自身の足、露出していた白い肌を浅く広く斬り裂いた。
白い皮膚に真紅の血が溢れ血の臭いが漂い、
本能に負け血臭に群がろうとした血吸い花二匹を横一閃で纏めて叩き斬った。
同時に踏み込み一気に距離を詰める。
二匹が即座に逃亡を試み、残る三匹が攻めるか引くか一瞬の気の迷いを見せた隙に茎や根を深々と抉り断たれその場に這いずるのみと化す。
ピエールは更に追撃しようと一歩踏み込みかけたが、逃亡の判断が的確だった二匹の位置は既に遠い。
走って追っても追いつく頃には四人とはぐれてしまう。
一人ですぐ追うか五人で改めて追うか。
ひとまず保留として、ピエールは逆手にした右手だけで剣を持ち一直線に投擲した。
槍投げの要領で投げつけられた剣は、ひゅおっ、という大きさの割にどこか軽い風を裂く音を立てながら血吸い花の真紅の茎へと飛来し、
茎をちょっぴり掠ってから地面に埋まる石へと激突した。
刀身が砕けたかと思うほどの衝撃音を発するが、辛うじて破損することなく弾き飛んで地面に転がる。
「あっ」
間の抜けたピエールの呟きの直後、別方向から放たれた光弾が慌てふためいて逃げる血吸い花の足下に着弾し茎の半ばから地面までを真っ白に凍てつかせた。
凍結で動きが止まったところへ更に白く光る呪文の弾が飛び、着弾した光弾は衝撃波と変わり凍った血吸い花の根を弾き砕く。
ピエールによる剣の投擲は関係なく、逃走していた二匹の血吸い花も沈黙した。
「……」
こめかみに冷や汗を浮かべたピエールが、半笑いで周囲を見回した。
散乱する血吸い花たちの残骸。
両断されても動いていたそれらは、別の者の手により抜かり無くとどめを刺され今は動かぬ植物と化している。
残骸は両断されたものもあれば、下半分が凍てつき砕かれたものも多い。比率で言えば三割程度が冷気の呪文でとどめを刺され、無力化という面ではピエールが両断した者を含めほぼ全てが冷気によって的確に刃の蔦や根を凍結させられていた。
他方、どの残骸も花は一切傷つけられた痕跡が無い。
見事に一掃された血吸い花の残骸の向こうには。
既に剣を納め腕を組み、感心した様子でこちらを眺めるアンドレイ。
杖を強く握りしめ、驚きで目を見開くメリンダ。
こちらには一切視線を向けず、両手を腰に当てて得意げに、心底得意げにふんぞり返るチェリ。
最後に。
半眼になってこちらを一直線に、じっと見つめる、ツインテールの妹の姿があった。




