06
広大な田園地帯を、二羽の巨鳥が進んでいた。
体長二メートルを越す巨大な毛玉に長い嘴と足が伸びたような形で、巨大なキウイ、と言うべき姿をした鳥だ。
名前をニャラニャラという。性別や生育具合によって食料にも労働力にも使える極めて万能な、西大陸ではありふれた家畜である。
二羽のニャラニャラは、二台の馬車を引いてトコトコ小走りで進んでいる。
縦に二台連結された馬車は前の一台が御者や馬車の主である村人の為の空間になっており、後ろの一台は荷台になっている。
ロールシェルトへ向かう際に荷台に積まれていた荷は、帰路にはもう全て捌けてしまい一つも残っていない。
その代わりに、五人の人間たちが空の荷台に乗っていた。
うち三人は姉妹とチェリだ。
アーサーとチェリは荷台に背を預け楽にしているが、一人ピエールだけはどうにも居心地が悪そうにしている。
というのも、ピエールのドレスの裾が短い為座っているとどうしても膝頭が露わになってしまうのだ。
何とか座り方を工夫して隠せないか試みているが、今も普段露出しない白くつるつるな膝頭が日光を反射していた。
残る二人は、三人と同じ目的でメルメへと向かう同業者だ。
一人は全身鎧の男。
ピエールと同じく軽さを重視した羽黒緑製の鎧に身を包んでおり、齢は四十ほど。
左右に角の付いた兜も被っており、全身深緑の鎧戦士だ。
顔には長い顎髭が垂れ下がっており、目元も落ち窪んでいる。
しかし鋭い視線と雰囲気は損なわれていない。
老練な中年戦士、とでも言える雰囲気の男だった。
今は表情こそ堅いままだが興味深そうな眼差しで、ドレス鎧姿の姉妹を眺めている。
もう一人は三人と近い年格好の少女だ。
古風な魔法使い然とした格好をしており、小豆色のローブに三角帽子、木製の杖を携えている。
大樹の枝をそのまま取り外したかのような木肌そのままのごつごつした杖には、魔力が感じられる。何らかの霊木の類だろう。
帽子の下の栗毛は肩口ほどの長さに揃えられており、目元にはそばかす。
服装が無ければ、その顔は完全に田舎娘であった。
今は帽子のつばの下から、若干疑念の混じった眼差しを姉妹に向けている。
中年の名前はアンドレイ。
少女の名前はメリンダ。
二人は親子であり、娘に経験を積ませる為に二人で活動しているのだという。
「……それで、新しい武具屋の宣伝を行っている、という訳か」
「ええ」
「何とも愉快で奇怪な試みよな」
アーサーの返答に、アンドレイは顎髭を揉みながら言った。
次いで、視線がアーサーの隣のピエールへと向かう。
「どれ、ピエールとやら。お前さんが着ている羽黒を見せてくれんかね。私の着ている羽黒と見比べたい」
「あ、うん。いいよ」
話を振られたピエールが、若干頬を赤くしながらも四つん這いでアンドレイの元へと移動した。
彼女はまだ膝頭を隠せないか試行錯誤していたのだ。
結局成果は得られなかったが。
隣に着たピエールが足を前に投げ出して座ったことで、アンドレイは彼女の胴体を守る黒緑の金属へ目線を降ろした。
落ち窪んだ底にある瞳が、若干鋭さを帯びて少女の着る防具へと向かう。
つるつるの白い膝頭には一切向かわない。
「……どう? パパ」
「確かに最低限の質はあるようだ。高品質、とは言わんが使い物にならないほどではない」
「本当?」
「ああ」
アンドレイの隣、ピエールの反対側に座るメリンダの疑問に、アンドレイはやはり髭を揉みながら答える。
「そうなんだ、意外だね。"あそこの武具屋は行く価値が無い、粗悪品ばかり売ってる"って組合で皆言ってたのに」
「やっぱり、なんか大袈裟な評判が出回っちゃってるのかな。だからこそ私たちがこうやって宣伝することに意味がある……かな?」
「……」
メリンダの発言にピエールが答えたが、メリンダの反応はどうにも芳しくない。
何やらピエールに、というより姉妹に不信感を抱いているようだ。
「……ねえパパ、この二人本当に強いの? 私には格好だけ着飾ってるただの女の子にしか見えないんだけど。それにパパも"前衛を自称する女は信用するな"って言ってたじゃん」
メリンダの率直な発言に、ピエールは頬を掻いて苦笑った。
一方アンドレイは、顎髭に手をかけたままだ。
「生物として相応に強い、という気配は確かにある。女子の皮を被った獣のようだ。しかし私の感覚が正しいとは限らんし、本当に前衛として強いのかも分からん。もしかしたら、ベテランの魔法使いが先ほど言った宣伝の為に鎧で着飾っているだけかもしれん。信用はしとらんよ、真実は実際に戦いが始まった時に分かるだろう」
「なあんだ、パパも気を許した訳じゃないんだ。私が心配する必要は無かったかも」
父親の言葉に少し安心した様子で、メリンダは荷台の壁に背を預け力と緊張を緩めた。
彼女たちの会話に何も返さず、ただ苦笑いのみを見せるピエール。
チェリが青空を見上げながら、実に退屈そうに大欠伸をしていた。
: :
「姉ちゃん騎士様なの?」
「騎士ってほど大層なものじゃないけど……まあ、そう! 私は騎士!」
「小っちゃい騎士様!」
「だから小さくはないよ! 普通だからね普通!」
一時間ほど荷台で揺られた五人は、無事メルメの村に到着した。
メルメの村は森の側にある、畜産を主とする小さな農村だ。
最も多く飼育しているのはロールドルという名前の、真っ黒な毛を持つ山羊に似た偶蹄。乳製品、特にチーズやバターなど加工した物が美味とされている。
そんなメルメの村でピエールは一人、鎧ドレス姿で子供と戯れていた。
「騎士様鎧触らせてー!」
「おっ、いいよ。これはねー、ロールシェルトにあるパウル武具店、ってところで作った鎧なんだよ。中々綺麗でしょ、しかも丈夫でねー」
「騎士様くらえっ、せいけんづき!」
「ふはは、そんな拳この鎧の前には効かんなあ! それに後ろからいきなり叩くのは良くないぞ! そんな悪い子は持ち上げてやる!」
「うわっ! は、離せっ!」
「エ、エリックーっ! 止めろー、エリックを離せーっ!」
「何人かかってこようとこの私を止めることなど出来ん! ふははは次々と……あっ武器は触っちゃ駄目だよ危ないからね……ふはははーっ!」
次々と集まってくる子供たちを余裕の身体能力で掴み上げたり身体に乗せたりしながら戯れるピエール。
年齢一桁の子供とはいえ五、六人身体に張り付かれても一切ふらつく様子はない。
「おのれ邪悪な騎士めっ! おれの聖剣を食らえっ!」
子供の一人が木の棒を振り回しピエールに襲いかかった。
だがピエールは大仰な悪役じみた演技のまま、顔面めがけ振り下ろされた棒をぺちっと手で受け止める。
「ふふふ……これで終わりか幼き勇者よ? その程度ではこの私は倒せんぞ?」
「くそっ!」
「そらっ、聖剣とはこうやって使うのだ!」
棒を奪い取ったピエールが子供たちから離れ、力を入れて棒を数度振った。
人間離れした力で振るわれた棒と腕が風を放ち、子供たちの前髪や服の裾を一斉に巻き上げる。
その強烈な風圧に、中には尻餅を着く子さえいた。
「ふはは、この死神の騎士ピエールの力、思い知ったか」
「すっげー!」
「今騎士様が振った木の棒、全然見えなかった!」
「エリックの父ちゃんより速い!」
「騎士様って本当に騎士様なんだぁ……!」
「あれ、もう死神の騎士ごっこは終わりか」
先ほどまでの流れとは一転して尊敬の眼差しで群がってくる子供たちに、ピエールも笑顔で応対する。
鎧を触らせてあげたり、身体能力を活かした曲芸紛いのパフォーマンスをして見せたり、鞘に収まる武器だけは迂闊に触れるのは危険なので優しく窘めたり。
生来の明るさと親しみのある笑顔、それに背丈や精神的な距離の近さからピエールは瞬く間に子供たちからの人気を集め、気づいた頃にはまるで子供の勇者のような扱いとなっていた。
そんな頃合いに、村長と詳しい話をしていたアーサーにチェリ、アンドレイ親子が彼女たちの元へと戻って来た。
「おっ、話終わったかな」
四人の姿を捉えたピエールが彼女らの元まで駆け寄ると、大勢の子供たちまでが後ろを付いて来た。
しかし彼らは、真正面に立つ妹の鋭く細まった目で一瞥されると一斉に半歩後ずさりし、ピエールの小さな背に隠れてしまう。
「……姉さん、何ですかそれ」
「勇者ピエールを慕う仲間たち」
「はあ」
「ねえねえ騎士様、このもう一人の女の騎士様は……」
「ああこれはね、私の妹。目つき悪いけど悪い子じゃないから大丈夫。それにもし何かあっても私がこの目つき悪い妹から守ってあげるから」
「妹相手に"これ"とは随分じゃないですか」
「本当? 騎士様守ってくれる?」
「勿論。まあこの目つき悪い妹が皆に何かする、なんてことあり得ないけどね」
「……」
子供たちへ振り向いたピエールが親指をぐっと立てて笑いかけると、子供たちの眼差しはより一層強い尊敬を伴ってピエールに注がれた。
慣れた顔で小さく息を吐くアーサー。
チェリとメリンダは子供の人気を取ってどうするのか、とでも言いたげな半眼、アンドレイだけが一人微笑ましいものを見る目でピエールとその仲間たちを眺めていた。
「姉さん、そろそろ行きますよ」
「そうだね」
「騎士様どこに行くの?」
「どこって、私たち森に出た魔物を倒しに来たって言ったじゃん! もー、ちゃんと覚えなきゃ駄目だよジョージアナちゃん」
「そういえばそうだった! 頑張ってね騎士様!」
「ま、ほどほどに頑張ってくるよ。……じゃ!」
ピエールが四人と合流し残された子供たちに手を振ると、子供たちから大音量の歓声が送られた。
歓声を背に、五人は森へ行くべく歩を進める。
「この短時間でよくぞあそこまで人気になったものだ」
「確かに。私あんまり子供に好かれたことないから少し羨ましいわ」
「ピエールは頭軽そうで子供っぽいものね。そこが子供と波長合ったんじゃないかしら」
「チェリちゃんが酷い」
ピエールが視線を向けると、チェリは露骨にそっぽを向いていた。
姉妹の方からは見えないが、前から見ると頬が膨れている。
非常に分かりやすい拗ね顔だ。
「どうしたのチェリさん?」
「別に」
メリンダが問いかけたが、チェリの態度は変わらない。
頬を膨らませたままだ。
気づいたピエールが仕方がない、という顔で無言で笑い、アーサーが口を開く。
「心配しなくても戦闘と戦後処理の段になればあなたに頼らざるを得ませんし、あなたの美しい氷を見れば皆考えを改めますよ。あなたの氷は西大陸随一です。私たちはあなたの氷に頼らなければこのような活動は出来ません。気に病む必要はありませんよ」
「……ふん、ふふん!」
アーサーのお為ごかしによって、チェリはまだ少々不満が残っているものの機嫌を良くしたようだ。
ふんふん鼻息を荒くするチェリを、不思議なものを見る目で見返すアンドレイ親子。
ピエールがそっと彼らの側に移動し、チェリ本人に聞こえないよう顔を寄せて小声で囁いた。
「……チェリちゃんと付き合うコツはね、とにかくチェリちゃんの氷の呪文を褒めることだよ。チェリちゃんは自分の氷の呪文が大好きだから、ああやって定期的に褒めてあげなかったり、話題や注目を他の人に取られると拗ねちゃうの。……二人も、チェリちゃんが氷の呪文使ったら目一杯褒めてあげてね」
「……」
「……」
ピエールの囁きを聞いて、無言で顔を見合わせるアンドレイとメリンダ。
親子の心に浮かんだのは奇しくも同じ内容であった。
この三人、やはり変な奴らである、と。
: :
村人の駆るニャラニャラの馬車に乗り、メルメの村を出て街道沿いに東へ進むこと十数分。
やがて森が見えてきた。
左右に見渡す限り広がる広大な森。街道は、一直線に森の中へと突き刺さるように続いている。
馬車が引き返していくのを見送り、五人は森へ足を踏み入れた。
メルメ東の森は比較的木々の密度が低く、下草も多くない。
見通しが利くので、中に入ってしまうとちょっとした林とその間を抜ける散歩道のようだ。
薬草や木の実を求めて人が採集に入る為、いくらか手が入っているのかもしれない。
少なくとも、ドレス姿でも歩くのに支障は無いだろう。
しかしこの森に最近、血吸い花、なる動く植物の魔物が現れるようになった。
彼らが森で目撃されるようになった所為で、村人は迂闊に採集へ入れず、またメルメの隣村であるカーケイアに向かう馬車が被害を受けることもあるという。
メルメ以東の住民にとっては、頭を抱えてしまう問題だ。
「隊列はこれで異議はありませんね」
「ああ」
「では行きましょう」
頷いたアンドレイが、林道をゆっくりと歩き始めた。
先頭は中年の鎧騎士、アンドレイ。後方左右、アンドレイと合わせて正三角形を形作る位置にピエール、アーサー姉妹。前衛が作る三角形の中央にチェリ、メリンダという隊列だ。
前衛三人は落ち着いた、しかし周囲に気を張った自然体ながら警戒心に満ちた雰囲気。
メリンダはまだ慣れていないのか周囲にひっきりなしに視線を巡らせ、緊張でソワソワしている。
チェリだけが落ち着きを通り越し、気が抜けている、と言えそうなほど余裕のある態度だ。
「……何か感じるか?」
「ううん、今は何も。生き物の声も聞こえるし、雰囲気はその辺の森と変わりないと思う」
「血吸い花が出る今でも馬車が強引に通ることもあるようですし、誰一人通れないというほど逼迫した状況ではない。恐らく群れはまだ一つだけでしょう」
「だろうな」
「分かれる前に全滅させたいところね」
「群れ?」
森の景色をきょろきょろ眺めていたメリンダが、視線を父の背中に向け問い返した。
「血吸い花という魔物は群れを作る性質がある。一般的な数はおおよそ十匹。数が十五以上になると、群れは二つに分裂する。群れが一つだけなら全滅も容易いが、複数に分かれていたなら少々手間だろう」
「そうなんだ」
「日帰り用の荷物しか持ってきてないし、何日もかかるのは避けたいなあ……ん?」
何かに気づいたピエールが、はたと立ち止まった。
アーサー、アンドレイ、チェリもすぐに立ち止まり、メリンダは父親の背中が止まったのに気づいてから停止する。
「……どうしたの? ピエールさん」
メリンダの訝しげな問いかけに答えないまま、ピエールはくい、と顎を上げた。
視線を宙空に投げたまま、鼻で静かに、深く呼吸をする。
その仕草で、アーサーは姉の意図に気づいたようだ。
「臭いましたか?」
「うん、ちょっとだけ。血の臭い」
「方角は?」
「右斜め前。そこそこ近い」
「だそうです」
「……本当か? 私には全く分からん」
「姉さんの五感は常人よりも鋭敏です」
「確かに、今まで一緒に行動した限りだと耳も目も良かったわよね、ピエール」
「まあ、そこそこね。そこそこ」
チェリの評価に、ピエールは少しの照れ笑いで後頭部を掻いた。
メリンダが意見を窺うように父の顔を覗き込み、アンドレイは手甲で固められた腕を組んで一思案。
「……行ってみるか」
アンドレイはまだ本心から信じた様子ではないが、それでもひとまず頼ってみることに決めたらしい。
ピエールとアンドレイの位置を入れ替え、先頭に立ったピエールの先導で五人は林道を逸れ、森の中へと進み始める。
小さな鎧少女の嗅覚が確かであったことをアンドレイ親子が悟るのに、さして時間はかからなかった。




