(8)えばさん2
「我々が人権を求めて戦争を起こすクラシックな物語がある通りで、固体として人格を認められるのは大変嬉しいのです。ありがとうございます」
詰め寄って両手をがしっとつかまれた。握手。まだ処理が追いついていないのか、頭が熱そうだった。人間で言うところの興奮している状態なのだろう。
「決めました。素直にお話します」
「ホント?」
「はい。率直に申しますと、昴さんと雀さんの近親相姦が原因で人間が滅びます」
口が丸く開いてしまった。頭の中が真っ白になるくらいの爆弾発言だった。頭が理解を拒絶している。
「言い換えますと、昴さんと雀さんが変態なので人間が滅びます。この変態姉弟」
「いいからわかったからやめて」
このまま黙っていると真顔の暴言で痛めつけられてしまいそうなので、仕方なく頭を働かせる。エバさんが処理落ちしたときは素直に待ったのにー。
エバさんの手を振り払って口元を隠す。それから額を押えた。ストレスが軽減されていく気がする。
「……昴がモテなさすぎて人間を滅ぼすんじゃなかったっけ?」
「私は一言もそんなことをお伝えしてはいませんが。むしろこのことをお伝えするつもりがなかったので、なるべく動機についてはお話しないようにしていました」
エバさんは怪訝に眉を寄せた。
あれれ? おかしいな。前世の記憶に頼りすぎた結果、思い込んでしまったんだろうか。漫画みたいに読み返せないから確かめることなんかできない。
それよりも、絶対に聞いたことを忘れない相手に明かしたくない情報を渡してしまった。
今は話したくない。話したい気持ちはあるけれど、否定されるとまっとうでいられる気がしないから、なんとしても今はその話を避けたい。窓に格子のついた病院へぶち込まれるのは嫌だ。
「なんで話さなかったの?」
話をするっと切り替える。追求されたくないことを暗にアピールしておこう。
「今すごいショック受けたんだけど、言ってもらえると、ちょっとは考え直すこともできたかなって……」
「心理的リアクタンス。外部から自由を脅かされたときに生じる、自由を回復しようとする人間の動機的行動です。感単に言えば反対の心理。恋愛は心の問題ですから、私はそれを恐れていたのです」
確かに……恋愛こそ、禁止されればされるほど盛り上がってしまうものだろう。弟が可愛いのは心底からだけど、一線を越えそうなギリギリ感を楽しんでいたのも正直なところだ。
大きく頷く。こう言われてしまうと、神に懺悔したくなる。すごい恥ずかしくて辛いものがあった。エバさんの前から逃げたい。
「私からも質問させてください」
私の気持ちを察したのか、エバさんは私の肩を掴んだ。人差し指を立てて、一つだけ、というジェスチャー。
言葉を聞く前に私は首を横に振った。
「ごめん。今は話せない」
「私は話しました。フェアじゃありません」
「お願い。許して。話すのが怖いの」
両手を胸の前で合わせて懇願する。力が入りすぎて肩が震えた。
考えるのが怖い。おかしくなってしまいそうだ。色々知っていても万能感なんかないのだ。違和感と、罪悪感。生きている『世界』が好きなのに、どれだけ空気を吸って吐いてもしっくりこない。人に追求されなければ、自分の問題だけならば、思考を止めることだってできるのに。
「わかりました」
エバさんは肩を離してくれた。
ホッと息が出た。ゆるりと体の力が抜けていく。少なくとも今は考えなくていい。
「今の話は保留にしましょう。その代わり、昴さんを恋愛対象から外すことを先決にして、振ってください」
「うん……頑張ってみる」
世界の平和と私の心の平穏を天秤にかけた取引が行なわれてしまった。世界が平和になる道筋しか見れないけれど、昴を可愛がりたい思いは人一倍だ。弟として可愛がればいいのだから、うん、今まで通り、一線さえ越えなければいいのであって。
「少し、話したことを後悔しました」
私の返事がすっきりとしておらず、芳しくないことに、エバさんはご立腹のようだ。表情には一ミリも出てこないけれど。
「やはり人の気持ちとは複雑なものですね。ちっとも学ばなければ反省をしない。エゴイズムに満ちて独りよがりな快楽。まさに変態だ。その上、大量殺人鬼なんて、今この場所であなたを殺したほうがいいかもしれませんね」
言葉にはよくよく表れるのである。殺そうとはしてこないけれど、切り裂くような目で真っ直ぐに見つめ、人差し指の先で私の首をゆっくり横切るように撫でる。
「酷い」
なぜだか背筋がぞわぞわする。笑ってしまうようなお腹の底からこみ上げる不思議な感覚に少しだけ気持ちが惹かれた。弟といい今といい、私は背徳を喰って生きているのだろうか。だからいい感じの響君と付き合うことに前向きではないのだろうか。
エバさんは口を開いた。演算に時間がかかったのか、少しだけ遅れて音声がついせきた。
「おそらく私はあなたに失望したのです。愛はよくわかりません。けれど、私は私として、あなたに認められたい、信用されたいと思いました。そして、この思考ルーチンを手放すことに未練があります。これはロボット三原則『自己を守らなければいけない』によるものでしょうか?」
そして、もう一度だけ、小首を傾げる動作をして、時間を取り。
「ともかく……もう少し私を見ていただけませんか?」
なおも、そう思う原因に悩みながら、言葉を紡いだ。
そんな風に考えないでよ。私が汚く思える。……いや、汚さを自覚させられる。
自分を守るために、心が意地悪く、黒く染まっていく。
「エバさん。頭をよくしてあげる」
自分の声色が遠く聞えた。妙に艶を帯びた誰か、女の声に聞える。
私はエバさんの頭を撫でる。人工毛髪はカツラと同じ成分だから、人間の髪よりゴワゴワしていた。彼は頭をなでられることを、どういう風に感じるのだろうか。観察するように、じっ、と私の顔色を見ている。
「エバさんは私のことを好きになりはじめているんだよ」
「これが?」
「私が昴のほうばっかり見ているから、エバさんは自分を認めてくれないって失望したの。それは、独占欲とか、嫉妬とか、人間の浅ましくて愚かで、でも、可愛い感情からできているんだよ」
エバさんの頬へ手を下ろす。繊細で、だけど男性的で、完璧な造形。唇に触れるけれど、やっぱり人間のものとは違う。柔らかい薄皮の下にシリコンが入っている。キスしたらどんな感触なのだろうか。
「エバさんってば本当にジャンクだね。可愛い。なんだか、もっといっぱい壊してあげたくなっちゃった」
カリカリカリ。エバさんの皮膚の下から熱が伝わってくる。童貞みたいに処理落ちしている。当然、彼は永遠に童貞だ。頬は赤いのに瞳の色が消えかけている。でも、アナウンスはない。思考を停滞させることをもったいないとでも思っているのだろうか。
私はエバさんをそのままにして、着替えることにした。エバさんは棒立ちで、大きな置物みたいだった。機械だ。ところで人工知能は『自己言及のパラドクス』によって壊れてしまうそうだ。たとえば『この文章は間違っている』。答えのない質問を延々と演算し続けるからパンクしてしまうらしい。……もしやお釈迦になっていよね?
ひとまずトレーナーワンピースとレギンスを引っ張り出して、洋服をポイポイ脱ぎ捨てる。エバさんの視線は壁の一点に向いたままで、さすがに本気で心配になってきた。
そのとき、扉をノックされた。
「お姉ちゃん、おはよ。入っていい?」
昴は私に話しかけるとき、他の人より少しだけ柔らかい声をする。それを聞くと、いつもすごくいい気分になる。特別な気分。胸の中にじわっと甘いものが広がるのだ。これだから弟は最高。昴大好き。
「おはよう、昴。お着替え中でいいならどうぞ」
扉は閉まったままだった。可愛い弟だ。
「エバさん探しててさぁ。起きようとしたら『また雀さんに甘えましたね』って即効で通電だよ。今やっと起きられたけど、またアホになった気がする」
「酷いねぇ。私、あとでエバさんに言っておくね。ちょっと着るものに悩んじゃったから、先にご飯食べててくれる?」
「はぁい」
素直なお返事の後、トントンと階段を下る音。
……さて。探されているエバさんは、生きているだろうか。
私はエバさんをつっついてみた。
「生きてる?」
反応はないけど、なんだか表面が熱い。どこか焼き切れたりしていないだろうか。不安になってしまう。そりゃ、壊すって言ったけど、あれは比喩だ。
「『システムエラーを感知しました。強制終了の後、バックアップファイルを読み込みます』」
距離が近いとアナウンス音声がバカでかく聞える。「わっ」と驚いて、ついエバさんを押してしまった。エバさんは立てかけた本みたいにバターンと倒れる。倒れた先が布団の上だからスプリングが軋むのみでさして大きな音は立たなかった。昴に嘘吐いたって知られるのは嫌だしね。
布団の上に男の子を寝かせておくのも嫌だったので、引き摺り下ろそうと肩を持つ。
「『最終保存データ午前九時四十三分十一秒』」
どうやら生きているみたいだ。安堵のため息をついてしまう。エバさんを壊したなんて、どう処理すればいいのかわからない。それこそじゃないけれど噂のドラ×もんの最終回みたいに未来で修理するなんていい話になってしまう。もちろん修理するのは私じゃなくて昴だけど。
「『再開します』――一体なにを?」
けっこう重くて踏ん張っていた最中、エバさんが勝手に起きてしまった。アナウンス音声から人工音声への切り替えがとても滑らかだ。光の戻った目をパチパチさせて、驚いていますよ、とアピールしている。
おお、これは私がエバさんを押し倒しているみたいじゃないか! こんなにも顔が近い。
「処理落ちしたエバさんに躓いて転んじゃった。ごめんね」
笑ってごまかすと、エバさんも理解してくれたようだ。身を放すと自分で起き上がり、深々と一礼をする。
「これは失礼いたしました。立て続けてエラーを出してしまいすみません――私はどのような経緯で倒れたか、今後のためにご説明いただいてもよろしいですか?」
「詳しくお話しすると二の舞になるから――哲学的思考に人間的ルーチンで挑んだ、って感じかな」
「なにを馬鹿なことを。私にそんな思考ルーチンは内蔵されていません。ジャンクではありませんから」
私の誤魔化しをエバさんはアメリカンジョークチックに腹を抱えて大きく笑い飛ばした。けれど、深く突っ込まないところを見ると、自分の中にある霊的とも言えるデータを自覚し、恐れているのだろう。
不味い問題は『なかったこと』になったし、必要な情報も聞き出せた。世はこともなし――私が昴から離れれば世界は平和なのだ。
その後、昴への通電を控えるように説得してみた。エバさん曰く「人体には影響のない電気」だということだ。未来すごい。何がすごいって、馬鹿みたいなところに力を入れていてすごい。嘘か本当かすらも私には判断できない。