プロローグ――――20年前。
プロローグ
人を人たらしめる遺伝子はたったの二%だ。では残りの98%は?
残りは人に至るまでの過程の結晶である。
心理学には「個体進化は系統進化を繰り返す」という言葉がある。
つまり人のDNAの中には40億年にも及ぶ命の記録があり、我々人間は母の胎の中で原初と同じくたった一個の細胞からその生命の記録に従い個体進化を繰り返し、現在の系統進化到達点である人間へと至り、この世に生まれ出る。
まるであみだくじを辿るようにその種が繰り返した進化を履行しているのだ。
だが、もしもの話だ――――その98%に創生神話における対の男女、アダムとイブ―――伊弉諾、伊邪那美 など神に連なる系譜の遺伝子が眠っているとしたら?
そう、我々人間が霊長であるのはその為、そして人が神の子―――神の模造品と云うのなら、人間としての物質的な肉体ではなく神本来の肉体を持っているのかも知れないな。
…悪魔や天使の本来の姿―――それと同種の肉体を我々は反物質の肉体として保持している筈なんだ。
面白いと思わないかい?確か魔術用語でその名前は―――――アウゴエイデス
神の模造品が人、人の模造品が人形―――なら最も模造品としての形態で具現すると仮定し実在するのなら其れはこう、呼ばれるだろう。
光霊機アウゴエイデス――――――とね
心理学者、羽仁 黎二郎の私室に残された手書きのメモより
西暦2050年―――地球衛星軌道上
蒼の惑星の赤道付近から延びる現代のバベルの塔。何十本ものナノサイズの炭素繊維であるC60フラーレンによって構成されるカーボンナノチューブ。
それをさらに高密度・精錬とした結晶構造帯である最新の材料科学で編まれたソレは天空を射ぬき、成層圏を突破し空へと到達する。
そして到達した先では地球の自転と完全に同期した巨大な建造物がある。宇宙ステーションだ。
軌道エレベーターで地上と連結された王冠にも似た形状のそれは、まさしくその名の通り将来的に宇宙と地上を繋げる窓口、駅として機能する事を期待されている。
現代におけるジャックと豆の木の”豆の木”であるとも言えるよう。
「全システムオールグリーン、問題はありません。」
そんな宇宙ステーションの中央から、さらに真上に突き出る四角い穴。その中に固定された船舶の操縦席で彼、八代は機器を操作し内部診断プログラムの結果を口で放ち、再確認する。
彼の中には、今まさに未知への挑戦という宿願に対する、恐怖と感動―――なにより未踏の地に踏み込む冒険者のような昂揚があった。
そう、これから旅立つのだ八代を含めた総勢4人の乗員たちは――――火星に向け。
この軌道エレベーターの開発により人類は月へと再び踏み出し、資源採掘を行うまでに急速に発展を見せつつあった。
そして今度は――――火星だ。
「了解、カタパルト電圧の上昇を開始します――」
電磁反発により弾丸を撃ちだす極めて原始的かつ、実現に最新科学を必要とする兵器レールガン。
それが実用化されて既に20年近い、今度はそれがこうして宇宙進出に使われるのだ。
船体そのものを砲弾に見立てて、電磁反発で撃ちだすことで燃料を節約しつつ距離を稼ぐのだ―――もちろん、それに対応するために電磁波から船体を保護する特殊コーティングに、対Gシステムの開発は必要だったが、漸く目途が立ちこうして実践の段階に入ったのだ。
「電圧規定値に到達―――発射までのカウントダウン開始、10、9、8……」
オペレーターが八代の見るウィンドゥの端に映り徐々に減少して往く数字を読み上げてゆく。
人類未踏の地への第一歩、恐怖以上に心躍る。
嘗て、大陸の正反対の大海、オケアノスを目差したアレクサンダー大王も、アメリカ大陸を発見したコロンブスも、他の冒険達さえも皆、似たような心境だったのかもしれない。
「6、5、4、………」
順調に消化されてゆくカウントダウン。
だが、しかし―――――
「3、2、ッ!?―――これは!?」
船体が射出する、という直前でオペレーターが驚愕に目を見開く。
それと同時に、自動音声認識プログラムがオペレーターの切迫した声色を判定し、非常停止装置を作動させる。
「一体なにが起きた!?」
八代は叫んだ、文字通り出鼻を挫かれたのだ――何かしらの非常事態が起きたと想像するのが無難だ。
「わかりません!!何かが急速で接近中――――接触まであと300!!!」
宇宙ステーションはその、非常に過酷な環境下での運用を想定され、飛来する障害物、デブリを感知するために採算度外視の高性能複合レーダーシステムが幾重にも構築されている―――それが何かを捉えたのだ。
「デブリか?」
「……内部に熱源反応があります――――彗星でも無い……これは―――――」
ドゴォ大オオオオオオオオオオオオオオオンっ!!!!!!
ウィンドゥが砂嵐に包まれ、船内が衝撃と共に赤く染まる。
オペレーターに問いかけ、彼女が答えるその瞬間に八代を含めステーション全体を襲う衝撃――――――
「おい!!どうした!?」
最新の宇宙服、体にウェットスーツのように密着する仕様のバイオスーツが座席にコネクターで連結固定される仕様の為に投げ出されることを免れた八代は通信機に語りかける。
が、しかしモニターは砂嵐を写したままで何の応答も無い―――――
「おい!!あれを見ろ!?」
背後から声、共に船に搭乗していた同僚の声に、座席からのロックを解除し座席の背もたれを蹴り同僚の元へ―――――彼が指差す、船外視認用の窓から外の光景を見やった。
「な、なんだあれは――――!?」
八代は目を見張った。
八代の乗る船体は、衝撃の影響かカタパルトから投げ出され宇宙空間を漂っておりステーション全体を視認できる位置にあった。
それ故に全体が認識できた。
一区画が砕けたステーション、爆発があちらこちらで発生し極めて、綿密なバランスの上で維持されていたステーションは崩壊のエントロピーを増大し続け、分解し始めていた。
だが、その中でより一層破壊が激しい区画。
其処に立つ存在が居た―――――それは宇宙空間ではありえない、見るからに生体の様相で、ステーションからの対比で全長200mに及ぼうかという巨体
全体的には西洋の神話にでも出てきそうな漆黒の外殻に身を包んだ二足歩行の竜、歩くことが出来るカンガルーにも似た体形だ。
だが、何より背に備わる光で出来た天使の翼―――――
「なんだこりゃ……宇宙怪獣?何年前のアニメだこりゃ?」
震える声で八代が半ば呆然と言った。
その時だ、その異形は赤い眼光を八代たちに向けた――――
「ッ!?まずい!!!!!」
八代はとっさに理解した。
あれは標的を見定めた獣の視線、害意の視線だと―――だが、火星まで到達する事のみを目標として建造されたこの船に一切の戦闘力は無い。
また、まともな回避能力も無い。
文字通り、手も足も出しようがないのだ―――――異形の竜は、まるで唸るように身をかがませる。
龍の背の天使の翼が光度を増す――――それと同時に竜の咢が開かれ、そこに見るからに破壊のベクトルを秘めた灼熱弾が構成され、成長して往く。
「……く!?」
八代は今、まさに炸裂する害意を感じ取り息を呑んだ。
だが、その時だ。
竜が足場に立つ宇宙ステーションの向こう側――――地球の青の中に赤い光点を見つけた。
―――あれは何だ?
そう思考した刹那、光点が緑水の光を爆裂させ―――中から何かが浮き出てくる。
これは単に、八代の直線上で在るために浮き出たように見えたが、実態は――――それが物理の常識を飛び越えて加速したというのをやや遅れて理解する。
――GUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAっ!!!!!!――――――
大気の存在しない宇宙空間を震撼させてそれが咆哮した。
それも又、竜―――――宇宙空間では対比が狂う為、明確な寸法までは分からないが。それもまた竜だった。
しかし、より人型に近く、生物のそれと見紛う甲殻からはみ出る部位は鋼鉄―――――それは機械仕掛けの竜だった。
頭部、前腕、肩、胸部、尾の先端それぞれに竜の頭部を持っているそれは緑水の蛍火で編まれた翼を羽撃ちこの真空の海を飛翔する。
そして、それは光速と見まごう速度で、漆黒の巨竜に体当たりをブチかます。
漆黒の龍に対し、その体躯は4分の1程度に過ぎない。―――のにも関わらず、漆黒の龍の体が傾いた。
―――Gu……!!!!―――――
その衝撃により、足元の宇宙ステーションの破壊は加速し、同時に漆黒の躰がよろける。だが、漆黒の竜の口からは超高密度のエネルギーを秘めた灼熱弾が放たれた。
そして、その灼熱弾は―――八代の乗る船体を掠めた。
ドゴォォォォォォォンンッ!?
「グぅっ!?」
衝撃と、爆発。八代はその体を投げ出され、船体内部にしたたま打ち付け、意識を落とす。
本来とは違い、軌道をそらされはしたが、その灼熱弾は――――八代の乗る探査船の船体を紙粘土細工のように砕いたのだ――――余波だけで。
薄れ往く意識の中で見たのは、先の二体の竜が宇宙空間と崩壊して往く宇宙ステーションを舞台に激しい戦いを繰り広げている光景だった………。