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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
8/58

木苺の微笑み

 小鳥達が朝食を終えて遊び始める頃。

 隅々までぴかぴかに磨き抜かれたキッチンで、パティは悩んでいた。

 

「うーん、どうしようか……」


 目の前に置いた大きめの硝子瓶をしかめっ面で見つめる。

 綺麗に洗われた瓶の中には甘酸っぱい香りしか残っていない。肝心の中身である木苺のジャムは先程の朝食で全て使い切ってしまっていた。


「よく使うから早めに作っちゃいたい、けど……」


 さっき保存してある木苺の残りを確認したところ、殆ど残っていなかった事を思い出して、パティは困惑から溜め息をつく。別に貴重な物では無いのだから採りに行けば良いのだが、今日に限ってパティは屋敷から出られなかった。


「ケルトーってば急に言うんだもんなあ。特製スープが食べたいなんて……」


 昨日の夜に突然言われた我が儘を思い出して、再び溜め息が唇から零れ落ちる。

 ただのスープなら良かった。しかし、ケルトーがパティに要求したのは特製スープだった。

 それはパティが自分で考案した料理で、ごく普通の食材から魔法の香草まで様々な物を弱火でじっくりと一日かけて煮込まなければいけないという、調理法は単純でも非常に手間がかかる物である。

 しかも材料を入れるタイミングや火加減などが微妙なので、煮込んでいる際は目を離さないのが重要だったりする。

 そこまで手間をかけるお陰で味の方は絶品なのだが、作る側としては極力避けたい料理だった。

 けれど、あのケルトーに要求されては断れない。というか断ったら更に面倒な我が儘を要求されるのが目に見えている。


「うーん、うーん……どうしよう……」

 

 遂にパティは文字通り頭を抱えて悩み始める。

 そんな彼女に救いの手を差し出したのは、


「あの、パティさん、どうかしましたか……?」


 一見すると無表情、しかしよく見ると心配そうに眉を寄せて自分をじっと見つめる、パティお手製の愛らしいドレスを着た銀髪の少女だった。


 ***


 何処かから鳥の明るい鳴き声が聞こえる。

 木漏れ日が優しくちらつく森の中で、ラパンは隣に立つ人物をおどおどと見上げた。


「あの、よ、宜しくお願いします……」

「ま、暇だったしな」


 片手に大きなバスケットを提げてそう言うケルトーを見上げたまま、ラパンは屋敷を出る前の事を思い出す。


 焼き菓子を貰おうと食堂に向かったところ、隣接しているキッチンから唸るような声が聞こえてきたのが気になってそっと覗いてみれば、明らかに困っている様子のパティを見つけた。

 理由を聞けば「木苺を採りに行きたいが屋敷から離れられない」と言うので、それくらいなら普段のお礼も兼ねて自分が行くと引き受けた。

 しかし元々心配性で、しかもラパンを妹のように溺愛しているパティは「ラパンちゃんを一人で森になんて行かせられない!」と首を縦には振らなかった。だけど木苺は欲しい。

 じゃあどうするかと二人の間に困惑が漂い始めた時だった。


「パティ、今日はスープ作るよな?」

「あ、ケルトー……そうだ! ケルトーが一緒に行けばいい!」

「はあ? 何がだよ?」

「ケルトーとなら安心だ! よし、じゃあお弁当作るから待っててくれ!」

「……だから何がだ?」

「え、ええと……」


 状況が理解できずに顔をしかめるケルトーと、それを気にする事もせずに手際よく二人分の弁当を作り始めるパティ。そんな二人の間でおろおろするラパン。──以上、回想終了。


 そうして結局、ケルトーとラパンは二人で森に木苺摘みにやって来ることになったのだった。


「木苺つったら……泉の傍に生えてるやつだな」

「そう、なんですか?」

「俺は別に拘りねえけどな。パティからしたら違うんだと」

「へえ……」


 道無き道、とまではいかないが、少し歩きづらい小道を二人は歩く。

 それでもケルトーが先を歩いて(意図的にでは無いだろうが)地面を踏み固めてくれるので、ラパンは何とか離れずに後をついて行けた。

 どんなに進んでもラパンの目には周囲の景色は同じに見えたが、ケルトーは確かな足取りで迷う事無く小道をどんどん突き進んでいく。

 それから数十分ほど歩いていくと、突然目の前が開けた。


「わあ……!」

 

 現れた景色にラパンは感嘆の声を漏らす。

 静かに煌めく穏やかな水面。今来た道を振り返れば木々は生い茂っているのに、目の前にある泉とその周囲には空を遮る物は何も無く、微笑むような柔らかな日差しがたっぷりと降り注いでいる。

 

「綺麗な場所ですね……」

「こんな所は動物くらいしか来ないからな。あー、喉渇いた」


 バスケットをどさりと地面に置いたケルトーは、泉の縁まで行くと水面に両手を差し入れ、その掌に掬った水を豪快に飲み始めた。袖が濡れるのも構わずに何度かそれを繰り返して喉の渇きを潤すと、濡れた口元を拭ってラパンを振り返る。


「お前も飲んでみろよ」

「あ、はい……」


 実は同じように喉が渇いていたラパンはその誘いに素直に頷いて傍へ行く。

 ドレスの裾が地面に触れてしまうことをパティに内心申し訳なく思いながらも両膝をつき、小さな両手をそっと水面に差し入れた。泉の底が見える程に透明なその水はひんやりとしている。


「……おいしい」


 掌から全て零れ落ちる前に口元へ運んで飲み込めば、体の中に溜まる不純な物を全て浄化してくれるような気持ち良さを感じた。

 その美味しさに、自分が今飲んだのは本当に水なのか、とラパンは水面をじっと見つめてしまう。

 それを横で見ていたケルトーはくつくつと喉を鳴らして笑った。


「お前、結構面白い顔するよな」

「えっ……?」

 

 唐突にそんな事を言われてラパンは咄嗟に自分の両頬に手を当てる。

 今まで言われた事の無い感想だった。

 森に幽閉されていた頃は自分の表情なんて気にしなかったし、それを抜きにしたって元々自分は表情の変化が乏しい部類(確か昔に母が「お父さんに似たのね」と言っていた)だということも分かっていた。


(面白い? ……私が?)


 だからこそ、初めて言われた言葉にラパンは動揺する。

 そんな事は知らないケルトーは屈めていた腰を上げると、置きっぱなしだったバスケットの方へと向かった。


「木苺なんざ簡単に採れるし、先に昼食うぞ」

「あ……はい」

「……うわ、何だこれ。作りすぎだろ、パティの奴……」


 バスケットの中身を見たケルトーは、堪らず口端をひくっと引きつらせる。その後ろから覗き込んだラパンも「わ……」と小さく声を漏らして言葉を無くした。

 これでもかと詰められた大量のサンドイッチ。焼いた肉、新鮮な野菜、チーズ、果物のジャムと挟める物は挟んだと思われるその種類と数の多さは、流石のケルトーにも食べきれる気はしない。

 恐らくはラパンがどれか一つでも気に入ってくれるようにと思った結果なのだろう、が。


「……限度ってもんがあるだろ」

「あの、でも、どれもおいしそうですよ?」

「まあな。残ったらそこら辺の動物にやりゃいいだろ」


 そう言ってケルトーは腰を下ろし、肉が挟んであるサンドイッチに手を伸ばす。ラパンはその隣におずおずと座って果物のジャムが間に覗くサンドイッチを選んで口に運んだ。

 こうして並んで食事をするのはまだ二度目だからかどうにも落ち着かない。

 それでも食べ進めていくうちにその空気は馴染むだろうと思いながら、ラパンが唇に付いたジャムをぺろりと舐めた時だった。


「……?」


 ふと水面が不自然に揺れた気がして、ラパンは目をぱちくりと瞬かせる。

 自分の見間違いかとケルトーの様子を横目で窺うも、ケルトーは丁度バスケットの中身を見ていたので気付いていないようだった。


(……魚、いるのかな?)


 ふつりと沸いた好奇心に押されたラパンは泉の傍へと近付いてみる。

 揺れたのは少し奥の方だったので、よく見ようと自然と体を前へ乗り出した。


「おいっ!!」

「え……?」


 ケルトーが吼えるとほぼ同時に、穏やかだった水面がばちゃりと跳ねた。

 そして、顔に掛かった水飛沫によってラパンが反射的に目を瞑ったのを見計らったように、水面から透明な触手が何本も勢い良く飛び出して襲いかかる。


(──……っ!?)


 硬直したラパンの目も思考も追いつかないまま、その触手達は無情にも細い手足にぐるりと巻き付いて、小さな体を冷たい泉の底へと引きずり込もうとした。


「悪戯が過ぎんだよ、精霊共が」


 ぐいと体を後ろに抱き寄せられたと思えば、背後から伸びてきた手に触手達はあっさりと引きちぎられた。ぷつんと切れた触手は直ぐに水に戻って水面へと消えていく。

 何事も無かったように静かになった泉をラパンが呆然と見つめていると、頭の天辺にこつんと軽い衝撃が落ちてきた。


「あうっ」

「水の精霊は悪戯好きなんだ。加減も知らねえし」


 当たり前のように「精霊」の話を出されたが、身を以て実感したばかりのラパンは素直に頷く。拳骨を落とされた個所を押さえながら眉尻を下げた。


「ご、ごめんなさい」

「ったく……次からは気をつけろよ」

「はい……」


 腕の中にすっぽりと収まったまま項垂れて反省するラパンを見て、ケルトーは一つ溜め息をつくと腰を上げた。

 そして、明らかに不安そうな顔で自分を見上げる少女の両脇を抱え、ひょいとその場に立ち上がらせる。


「ほら、木苺採って帰るぞ。また悪戯されたくねえだろ?」

「……はい」

 

 ラパンが頷いたのを確認したケルトーは、バスケットの中からサンドイッチと共に入っていた幾つかの硝子瓶を取り出し、泉から少し離れた場所に屈み込んだ。

 それに続いてラパンも其方に向かい、隣に屈み込んでから「わあ……!」と嬉しそうな声を上げた。

 低い位置で生い茂った葉に埋もれても存在感を放つ、可愛らしい赤い実たち。摘み取る前から甘酸っぱい香りを漂わせるそれにラパンの目は釘付けになる。


「おー、大量だな」

「いっぱい採っても、いいんですか?」

「あ? 別に誰の物でもねえから大丈夫だろ。つーかまた採りに来るの面倒だし、今日は採れるだけ採ってくぞ」


 そう言ったケルトーは木苺をぷちぷちと摘んでは次々と硝子瓶の中へ放り込んでいく。ラパンもそれに倣って同じように摘んでいった。

 たちまち辺りには木苺の爽やかな甘い香りが広がって、ラパンは指先が淡い赤色に染まるのも気にせずに楽しい気持ちで木苺を収穫していく。

 そうして二人がかりで収穫した甲斐あって、数十分後には持ってきた全ての硝子瓶が木苺でいっぱいになっていた。

 空に翳して日光に照らしてみれば、単なる硝子の筈がまるでルビーのように赤く輝いて、ラパンもその美しさについ見とれてしまう。


「おい」

「はい? むきゅ、っ」


 不意に呼ばれて顔を其方に向けた途端、ラパンの小さな口に何かが突っ込まれた。

 そして、きょとんとしている間にも口内に広がっていく味に、最初は目を瞬かせていたラパンもゆっくりと頬を緩めていく。

 その様子があまりにも分かり易かったのか、ケルトーは鋭い牙を覗かせて愉快そうに笑う。その手には木苺が詰まった硝子瓶が抱えられていた。


「美味いか?」

「……!」

「そうか、こういうのは採れたてが一番美味いんだよな」


 余韻すら味わいたいらしく、口を閉じたままこくこくと頷くラパン。

 たかが木苺一つにここまで喜ぶその姿がケルトーの笑みを深くさせる。と、不意にケルトーが何かに気付いたような顔をしたのでラパンは小首を傾げた。

 すると、ケルトーは灰色の瞳を少し大きくさせ、ラパンの顔を覗き込んできた。


「…………」

「…………」


 鼻先が触れそうな距離で見つめられて、ラパンは呼吸を忘れた。深い灰色に映る自分と目が合って、夢を見ているような気分に陥る。

 もしかしてこのまま吸い込まれてしまうのでは無いかとぼんやりと思い始めた時、


「ん、やっぱ似てるわ」

「……え?」

「お前の目、木苺に似てる」


 満足したらしいケルトーはそう言うとあっさりと顔を離した。唖然としているラパンを余所に硝子瓶をバスケットに片付け始める。

 

「……!」


 一方のラパンは緊張から抜け出せずにその場から数秒間動けずにいたものの、ハッと我に返ると慌てて片付けを手伝った。


 ***


「ありがとね、ラパンちゃん! 序でにケルトーもな!」

「序で扱いすんな」


 屋敷に戻った二人を満面の笑顔で迎えたパティは真っ先にラパンを抱き締める。

 そして、バスケットと硝子瓶を受け取ると「夕飯は期待しててくれな!」と、気合いに満ちた言葉を残してキッチンに戻っていった。

 無事に役目を終えられた事に安堵するラパンの横で、ケルトーは眠そうに目を細めながら小さな欠伸をした。


「夕飯まで寝る。出来たら呼べ」

「は、はい」


 食堂を出て行くケルトーの背中を見送るラパン。自分は夕飯までどうしようかと思った時、今しがた出て行ったはずのケルトーが「おい」と廊下から顔を覗かせた。


「森、楽しかったか?」

「は、はい、楽しかったです」

「……そうか」


 じゃあ、とケルトーは続ける。


「また連れてってやる。俺、木苺は結構好きな方だしな」


 そして、今度こそ自室へと戻っていってしまった。

 一人になったラパンは頭の中でその言葉をゆっくりと繰り返し、意味が言葉通りだということに気付くと僅かに目を見開いて、


「……また、一緒に」


 ケルトーが好きだと言った、木苺のように真っ赤な瞳を、それはそれは嬉しそうに細めたのだった。 



.


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