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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
6/58

幸せを貴方に

 

 ラパンがケルトーに拾われてから一週間が経った。

 最初はおどおどと過ごしていたラパンも漸く慣れてきて、朝食を済ませると屋敷の中をうろついたり庭園に出たりするようになった。


 そんなラパンは現在、庭園の一角に建てられている白い丸形の屋根のテラスの下で、真っ白なテーブルに柔らかな片頬をぺちゃりと引っ付けて悩んでいた。


「……むう」


 端から見れば普段とあまり変わらない表情だったが、よくよく見れば眉間が少し寄っている。基本的に表情の変化が乏しいラパンをここまで悩ませているのは、──ただ一人しかいない。


「ケルトーさん、分かんない……」


 自分を拾ってくれた恩人を思い、ラパンは唇をむうと小さく尖らせる。

 ケルトーに自分の全てを捧げると決意したあの夜から、どうにかして彼に少しでも何かを返したいとずっと思っていた。

 しかし、ケルトーは屋敷にいない事が多く、屋敷内にいても自室に籠もっていたり食事の時にしか姿を見せなかったりした。

 何度か部屋に行ってみようともしたが、長い間他人とろくに接する機会が無かったラパンに「特に用事も無いのに世間話をしに行く」という行為は、狩りの経験が無いのに狩り場に行くようなもので、結局出来ずじまいでいる。


「お肉が好きで、お酒も好きで、あと……」

 

 自分が知りうる限りのケルトーの情報を挙げてみるが、直ぐに詰まってしまった。

 その事実にますます落ち込んだラパンは「うー……」と不満げに唸りながらテーブルの下で足をばたつかせる。それに合わせて銀の髪もゆさゆさと揺れた。


「何してるの?」

「あ、サーヌさん……」


 ふと陰った視界に体を起こしてみれば、穏やかな笑みを浮かべてラパンの顔を覗き込んでいるサーヌが其処にいた。その手には銀の如雨露が握られている。

 そういえば、この庭園に咲いている植物達は彼が手入れをしているのだと、以前パティに聞いたことを思い出す。

 

「何か唸ってたみたいだけど……もしかして具合悪い?」

「ち、違います、すみません……」


 心配そうに眉を寄せるサーヌに慌てて首を振る。その様子にサーヌは「それなら良かった」と顔に微笑みを戻した。

 そんな人当たりの良い雰囲気を持つサーヌを前にして、ふとラパンはある事を考えた。──しかし、急にこんな事を聞いてもいいだろうか。だけど他に案も思いつかない。

 小さな頭の中でああだこうだと思考が回って黙り込んだラパンに、サーヌは不思議そうに小首を傾げて、とりあえず声をかけようと口を開きかけた。


「あのっ、き、聞きたい事があるんです、けど……」


 ***


「成る程ね、ケルトーにお礼か……」

「はい……」


 途中で何回も言葉を詰まらせながらもラパンが必死に話した事を、サーヌは要点を纏めて再確認する。

 相談することが余程緊張したのだろう。頬を淡い薔薇色に染めて頷く目の前の少女の愛らしさといじらしさに、サーヌは口元を緩めながら自分の意見を伝えることにした。


「うーん……ケルトーはお礼とか気にしない奴だからなあ。ラパンちゃんを連れてきたのだって自分の我が儘だし……でも、ラパンちゃんは何か返したいんだよね?」

「……はい」

「じゃあ何でもいいから、ラパンちゃんが出来る事を全力でやってごらん」

「……え?」


 俯き気味だった顔を思わず上げてみれば、サーヌは笑顔で頷いてみせる。

 軽く見開かれた赤い瞳が疑問の色を浮かべていたのには気付きながらも、サーヌはそれ以上は何も言わずに悪戯っぽく片目を瞑り、きょとんとしているラパンを残して庭園の奥へと行ってしまった。


「……?」


 暫くの間は小首を傾げたまま静止していたラパンだったが、とりあえずヒントは貰えたのだと気付くと再び脳内で思考を回転させる。

 そうして、たっぷり考えて考えて、終わりが見えないのではないかというくらいに深みへ沈んだラパンの思考回路を一時中断させたのは、


「……お腹空いた」


 くう、と兎の鳴き声に似た、空腹の訴えだった。


 ***


 盛大な歓迎会が開かれた翌日から、食堂のテーブルには銀皿にこんもりと盛られた焼き菓子が常備されるようになっていた。

 これはラパンが焼き菓子が好きだと知ったパティが「お腹が空いたらいつでも取って食べていいからな!」と用意し始めたものである。

 初めのうちは遠慮で手が出せなかったのだが、それを勘違いしたパティに半泣きされてしまって以来、ラパンは好きな時にそれを有り難く貰う事にしている。

 そうして今日も用意されていた銀皿から、特に好きな焼き菓子であるガレットを紙に包んで幾つか取ってきたラパンは、前に一度ケルトーと食事をした木陰に座ってガレットを頬張りながら小腹を満たしていた。


(おいしい……)


 口の端に欠片が付いている事も気付かず、両手で持ったガレットをもっふもっふと幸せそうに頬張るラパン。

 青空から降り注ぐ日差しは温かく、時折優しい風に乗ってくる花の香りが気持ちを更に和やかにさせる。


(……ケルトーさん、今頃何してるのかな)


 今日の朝に屋敷を出ていく姿を見たのが最後で、今は午後三時を回った頃だ。昼食を取りに来た気配も無かったので恐らく今日も夜までは帰ってこないだろう。

 それまでに何か一つだけでも出来たらいいな、とラパンは小さく溜め息をついて何気なしに辺りを見回してみる。


「……あっ」


 と、視界に入った緑色にラパンはふと声を上げた。

 食べかけのガレットを紙に包み直すと膝上から降ろし、その緑色の集まりにいそいそと近付いていく。

 ハートを三つ寄せたような葉を持つその植物──クローバーを見つめるラパンの脳裏に蘇ってきたのは、今よりもっと幼い頃に見た母親の笑顔と声だった。


《ラパン、ほら見て? 幸せがいっぱい詰まったクローバーよ。珍しいわ》

 

 そう言って母親が差し出したのは、四つの愛が集まったクローバー。

 それを小さな手に握らせて微笑んだ母親に、幼い娘は問いかける。


《どうして私にくれるの? お母さんが見つけたのに》

《ふふ、それはね、ラパン……》

 

 さらさらと煌めく銀の髪を撫でる手。

 そこには幼い娘を愛おしむ気持ちだけが込められて。


(……そうだ、あの時、お母さんは)


 優しいセピア色の記憶からゆっくりと戻ってきたラパンは、ほんの少しだけ胸を漂った切なさにそっと唇を噛み締める。

 魔法の髪ではなく、愛娘の髪を撫でてくれた母親はもういない。

 ずっと前に受け入れた事だったはずなのに、今改めて思い出して胸をきゅうと締め付けていったのは、こうして温かい日々を過ごせているからだとラパンは分かっていた。


 だから、ラパンは泣かなかった。

 泣かずに唇を緩めて、そっと息をついた。


(ケルトーさんに、私が出来ること)


 過去を切なく思えるようにしてくれた人。

 そんな彼を思って、ラパンは優しい緑色に指を伸ばした。


 ***

 

 遠くの空で一番星が輝く頃にケルトーは帰ってきた。屋敷のドアに手を伸ばそうとして、ぴたりと動きを止める。


(……土の匂い?)


 普段よりも少し強く感じる土臭さに小首を傾げ、気になったケルトーは匂いがする方へと足を向ける。

 庭園を通って裏庭へと通じる道に通りかかった時、小さな何かが腹部辺りにぽすんとぶつかってきた。

 

「わぷっ……!」

「あ? ……何だ、お前か」

「え、ケ、ケルトーさん……!?」


 夕闇に紛れてぶつかってきた物がラパンだと分かり、ケルトーは目を細める。

 一方のラパンは自分が衝突したのがケルトーだと気付くと、上擦った声を上げて慌ててパッと頭を下げた。


「ご、ごめんなさい、前見てなくて」

「別に気にすんな。……つーか、お前」

「え? ひゃっ」


 徐にラパンの首筋に顔を近付けたケルトーは、そのまますんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ始める。

 ラパンは今までに無い距離と突然の事態に硬直してしまったが、ケルトーは気にする様子も無く匂いを嗅ぎ、気が済むと直ぐに顔を引いた。


「どうした? やたら土の匂いがするけど、転んだか?」

「──……」

「……おい?」

「え、あっ! えと、あの、ずっと裏庭にいたので……」

「裏庭? あんな所に何かあったか?」


 思い出せる限り、彼処には少女が一人で長々と暇を潰せそうな物は無かったはず。

 全く予想が出来ずにケルトーが眉を寄せていると、もじもじと下を向いていたラパンが俯いたまま、そっと何かを差し出してきた。

 唐突に向けられたそれが一瞬何なのか分からなかったケルトーは目を瞬かせ、そして差し出された物の正体を認識すると、更にぱちぱちと瞬きを増やした。


「……クローバー?」

 

 ラパンの細い指先にちょんと摘まれていたのは、一輪のクローバー。

 一見何の変哲も無いそれは、よく見ると葉が四枚付いていた。


「えっと、四つ葉のクローバーって、その、持っていたら幸せになるって……。それであの、ケルトーさんにあげたいって思って、ええと……」


 微かに震えながらも紡がれた言葉を聞いて、ケルトーはふと気付く。

 滑らかな硝子細工のように綺麗な筈のラパンの指が爪先まで真っ黒で、ドレスの裾も同じように土の色に汚れている事に。

 それによく見れば鼻の先や頬の辺りにまで土が薄く付いていて、何よりも濃い土の匂いがラパンがどれだけ長い時間裏庭にいたかを充分に語っている。


「……お前が持っていなくていいのか?」

「え?」

「見つけんの大変だったろ。俺に渡していいのか?」


 ケルトーがそう問えば、ラパンはパッと顔を上げる。

 そして、長い睫をしぱしぱと瞬かせた後に言った。


「ケルトーさんが幸せになってくれると、私もきっと、幸せです」


 迷うこと無くそう告げたラパンは、うっかり見逃してしまいそうな、それでも確かな微笑みを浮かべていた。

 そっと吹いた風が四つ葉のクローバーを優しく撫でていく。

 ケルトーは何かを探すように唇を少し開いて、しかし軽く息を吐くだけに終わり、ラパンの指先からひょいとクローバーを取り上げた。


「そうか。んじゃ貰っとく」

「はい」

「飯の前に風呂入れよ。そんな汚れた姿、パティが見たら泣くぞ」

「あ、そうですね……」


 玄関に向かう広い背中をラパンは追い掛ける。

 と、玄関前まで来ると歩みが止まったので一緒に足を止めると、急にケルトーが後ろを振り返った。

 そして、驚いて固まっているラパンに向かって手を伸ばせば、


「わ、わわっ、はわっ……?」


 そのままラパンの髪をわしゃわしゃと撫で回した。

 あまりに豪快な撫で方にラパンの小さな体は左右に揺れるも、ケルトーは何も言わずに大きな掌でひたすら撫で回す。

 綺麗に結われた髪が乱れるにも構わず撫で続けて、ラパンの目が少し回り始めた頃にケルトーは漸く撫でるのを止めた。


「よし、さっさと風呂行ってこい。腹減った」

「は、はい……」


 何事も無かったかのようにドアを開けて屋敷に入っていってしまうケルトーの背中を、ラパンはその場にふらふらしながら見送る。

 しかし、頭に残る温もりと感触に思わず頬を緩めると、さっきまで大きな掌が置かれていた場所にそっと自分の手を置いた。


「……えへへ」


 母とは違う手。だけどこんなにも温かい。


(やっぱり、四つ葉のクローバーは幸せをくれるんだ)


 そう思いながらラパンは願った。

 彼にも、こんな幸せが訪れてくれますように、と。



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