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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
5/58

日溜まりの時間

 ──眩しい。そう感じたラパンは目を覚ます。

 横になって丸まっていた体勢からゆっくりと起き上がると、寝ぼけ眼で辺りを見回し、視界に見える光景を確認するように何回か瞬いてから呟いた。 


「……夢じゃなかった」


 思わず安堵の溜め息が漏れた。

 いつの間にか眠っていたので着替えずにそのまま寝ていた。その所為で少し皺になってしまったドレスを申し訳なく思い、気休めと分かりつつ手で伸ばしてベッドから降りる。

 ふと鏡台に映った自分の髪は髪形こそ崩れていたものの、窓から射し込む朝日によって相変わらずの銀色に輝いていた。

 キラキラと神秘的な煌き。しかし、持ち主であるラパンにとっては何も珍しくは無い。

 興味無さげに鏡から目を逸らすと、うーんと小首を傾げた。

 

「……どうしよう」


 特にする事が無いという点に関しては、森にいた頃と変わらない。

 しかし、昨夜新たな決意を抱いた今のラパンには、何か行動を起こしたいという気持ちがあった。

 けれど、長い間全てを諦めて髪を奪われる事しかしてこなかったラパンには、今の自分が何をしたらいいかも何が出来るのかも分からない。


 部屋の真ん中で立ち尽くして悩む事数分、ラパンは静かに部屋を出た。

 長い廊下はしんと静まり返っていて、誰の気配も感じない。

 物音を立てるのが罪になりそうな程に静かな空気にラパンは少々緊張しながらも、なるべく足音を鳴らさないように廊下を歩いた。


「うう……」


 そうして、ラパンはたどり着いたドアの前で両手を握り締める。

 少し深めの呼吸を数回繰り返してから、自分の拳よりも一回り大きなドアノブに手を掛けようとした。


 ──ゴンッ!


「ふみゅっ!?」

「あ?」


 見事な不意打ち。ドアの方から向かってきた。

 急な衝撃と痛みを喰らったラパンの口から、思わず踏まれた小動物のような鳴き声が飛び出る。

 一方、部屋から出ようとしていたケルトーはドアノブに手を掛けたまま、自分の足下で額を押さえてその場に屈み込んでいるラパンを怪訝そうに見下ろした。


「……何してんだ、お前」

「え、あの……」

「もしかして腹減ったのか? んじゃついて来い」

 

 返事も聞かずにケルトーはさっさと歩いていく。

 ラパンはその背中をきょとんと眺めていたが、はたと我に返ると額の痛みも忘れて慌ててついて行った。

 誰もいない廊下を会話もせずに歩く二人。

 微妙に感じる居心地の悪さを、ラパンは食堂までの道順を覚えようとすることで誤魔化す。

 と、不意に前を歩いていたケルトーが足を止めた事に気付いて一緒に歩みを止めた。


「……駄目だ。使えねえ」

「え?」

「見てみろ」

「……あ」


 ケルトーの背後から顔を覗かせて、ラパンも納得する。

 食べ残した料理で散らかったテーブルとそこで爆睡している女が一人。

 どう見ても使用できる状態では無い食堂の様子にラパンが言葉を失っていると、ケルトーはテーブルに残っていたサンドイッチや骨付き肉を幾つか手に取り始めた。


「仕方ねえから外行くぞ。お前も食えるやつ持ってけ」

「あ、は、はい」


 そう促されてラパンもテーブルの上から自分が食べられそうな物を探す。

 焼き菓子を数個、そして真っ赤な林檎をラパンがその両手に抱えたのを見ると、ケルトーは「んじゃ行くか」と骨付き肉を銜えたまま食堂を出た。


 ***


 二人が向かった先は屋敷の裏庭だった。玄関先の庭園とは違って花壇は無く、代わりに綺麗に手入れされた芝生が広がり、古い井戸があったり大きな木が何本か植わっている。

 華やかさは無いながらも日当たりや風通しは良くて、此処で昼寝をしたら気持ちよさそうだなとラパンは思った。

 

「おい、こっち来い」 

「……はい」

 

 一際立派な木の下に座ったケルトーが自分の隣を叩いているのを見て、ラパンはとててっと小走りで其方に行く。

 そして少し考えた後、拳二つ分程の距離を置いて腰を下ろした。

 僅かに出来た隙間にケルトーは一瞬目を向けたが、それ以上は何も気にする様子も無く、食堂から持ってきたサンドイッチをばくりと頬張った。

 そんな彼の隣でラパンは暫し迷っていたが、そんな事はお構いなしにケルトーはあっという間に食事を進めていく。

 その見ていて気持ちの良い食べっぷりに腹の虫も鳴き始めたので、ラパンも遂に焼き菓子に口を付けた。


 ──もぐもぐ、ばくり、もきゅもきゅ、がぶり。


 全く違う速度で二人は食事を共にする。時折吹き抜ける風は優しくて心地よい。

 ふと気が付けば居心地の悪さなんて無くなっていて、ラパンは太陽の光に目を細めながら焼き菓子の素朴な甘さに浸った。


「そういやお前、歳は幾つだ?」

「えっ、わわっ……」 


 大量にあったサンドイッチの殆どがケルトーの腹に消えた頃、不意にケルトーはそんな事を尋ねてきた。

 急な質問にラパンは焼き菓子を手から滑らせかけたが、何とか落とすこと無く、丸くした赤い瞳で隣に座る男を見上げる。

 そして数回瞬きをした後、小さな手でいち、にい、と指折り数えてから答えた。


「十二歳、です。……多分」

「は? 多分って何だよ?」


 曖昧な答えにケルトーは思わず眉間を寄せる。

 その表情にラパンはハッとして、少し早口で理由を続けた。


「えと、森の中にいたから、誕生日がいつ来てたか分からなくて」

「あー……成る程な」


 そりゃ分かんねえな、と納得した様子でケルトーが呟く。


「まあ歳なんざ数えてたって意味ねえさ」

「……ケルトーさんは?」


 ごく自然にラパンは問い返す。

 それに対して今度はケルトーが瞬きをして、視線を宙に向けた。


「さあな、……そもそも人間と数え方も寿命も違う。人間でなら……二十と少しとか、そんなんじゃねえの」

「そうなんですか」

「おう。ていうかお前、焼き菓子ばっか食ってんな。気に入ったか?」


 ケルトーは最後の骨付き肉を齧りながら、ラパンの手にある食べかけの焼き菓子を見る。

 その視線につられてラパンも焼き菓子を見下ろし、それからケルトーと焼き菓子を交互にきょときょとと見てから、少し恥ずかしそうに頷いた。


「……お菓子、ずっと食べてなかったので」


 つい食べてしまいます、とラパンは小さな声で言った。

 心なしか、白い頬が淡く染まっているように見える。

 こうして見れば年相応なのに、どうしても大人びて見えてしまうのは、あまりにも薄い表情と今まで育ってきた環境の辛さが原因だろう。

 しかし、ケルトーにそれを憐れむ気持ちは無い。彼の興味はラパンの髪や生い立ちでは無く、今この場にいる彼女自身に向いていた。


「そうか、甘いもん好きなのか」

「はいっ」


 今までで一番しっかりとした声音での返事に、ケルトーは一瞬面食らうも、愉快そうにくつりと喉を鳴らす。

 そして、綺麗に肉を食べて骨だけとなったそれを銜えると、戯れのようにその骨をバキンと噛み砕いた。

  

「俺は肉のが好きだけどな」

「……狼男だからですか?」

「だろうな。でも野菜も魚も食える」


 野菜は喰った気しねぇし、魚も小骨が面倒だから、好き好んで食う事は少ないけどな。

 そう続けるケルトーの横顔を見ていたラパンは何気なしに言う。


「じゃあ、私と一緒ですね」 


 その言葉に、丸く見開かれた灰色の瞳がラパンを見る。

 しかし、ラパンの視線は既に手元の焼き菓子へと向けられていて、ケルトーの表情に気付く事も無く、穏やかな声色で言葉を続けた。


「私も野菜やお魚、好きです。お肉も。一緒ですね」

 

 ふんわりと、焼き菓子の甘い香りが風に乗っていく。

 ケルトーは銀色の旋毛を黙って見下ろしていたが、やがて目を瞑ると頭の後ろで両手を組んで、どっしりとした木の幹に背中を預けた。


「食い終わったら起こせ」

「え?」

「屋敷の中、全部見てねえだろ。暇潰しに案内してやる」

「……! ……ありがとう、ございます」


 返事は無かった。その代わりに穏やかな表情で目を閉じているケルトーの姿に、ラパンは胸の奥が日溜まりのようにぽかぽかと温かくなるのを感じる。

 そっと頬張った焼き菓子も、さっきより甘くて美味しい気がした。


 ***


「うー、頭痛い……」

 

 鈍く痛む頭を押さえながらパティは、ふらふらと覚束無い足取りで廊下を歩く。

 目が覚めてから食堂の片付けを魔法を駆使して何とか終えた彼女は、日が暮れるまで自室で休んでおくことにした。

 本当は丸一日休んでいたいのだが、この屋敷で料理がまともに作れるのはパティだけだ。


(ケルトー達だけなら街にでも行ってもらうんだけど……)


 昨夜から此処にやってきた銀髪の可愛らしい少女の姿を思い、パティはえへへと頬を緩ませる。

 可愛い物と小さい物好きな上に世話好きなパティには、あれほど好みど真ん中のラパンを適当に扱うなんて絶対に出来ない。

 二日酔いの苦痛も忘れ、どうしたらもっとラパンと親しくなれるだろうかと鼻歌を口ずさみながら廊下を歩いていれば、ふと前方にサーヌを見つけた。


「サーヌ、何してるんだ?」

「丁度良かった。こっちおいで、良いものが見れるよ」

「良いもの……?」


 窓際に立って外を眺めていたサーヌは、パティに声を掛けられると小さく手招きをして彼女を呼んだ。その表情はいつも以上に穏やかだ。

 『良いもの』の予想が全くつかないパティは小首を傾げるも、気になって素直に其方へ向かう。そしてサーヌがそっと指さした方向を見ると、花が柔らかく咲いたように微笑んだ。


「わあ……」

「ね?」

「うん、良いものだ。……でも羨ましいなー」

「今日は我慢してあげなよ。これから機会は幾らでもあるさ」

「……ふふ、そうだな」


 微笑ましげに二人が眺める窓の向こうでは、木陰で寄り添う姿が二つ。

 焼き菓子の欠片に呼ばれてやってきた小鳥達に囲まれながら、どちらも無防備な寝顔を浮かべて気持ち良さそうに寝息を立てていたのだった。


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