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狼王と兎少女  作者: 亀吉
番外編
48/58

夢の上書きは甘い朝に

8話と9話の間くらいです。

ネタ提供してくれた友人に感謝。

 

 鉄の臭い。どろりとした生温い感触。

 これが何かなんて、痺れるような意識の中でも分かる。


(ああ、またか)


 どんなに慣れたところでも不快感は拭えない。

 顔をしかめて目を瞑れば、暗い世界が更に暗くなって何も見えなくなる。


(胸糞悪い。さっさと覚めやがれ)


 そう思えば軽く眉間に力が籠もって、次に目を開けると見慣れた天井が見えた。それでも直ぐに起き上がる気になれなかったケルトーは暫く寝転がったまま宙を見つめる。

 起き抜けだからという理由だけでは片付けられない空虚感が、四肢へ力を入れようという意識の邪魔をしているのが分かった。


「あー……」


 見てしまった、と言う代わりに言葉にならない声を漏らした。

 たまに見る、ただ血を感じるだけの夢。

 ケルトーにとって夢自体は悲しくも恐ろしくも無かったが、やはり気持ちの良い内容では無いからなのか、この夢を見るとどうにもその日一日は気分が上がらない。気のせいか運も悪くなる。

 だから、ケルトーは昔からずっとこの夢が嫌いだった。

 それでも時間は過ぎていく。付きまとう気だるさを何とか乗り越えたケルトーは、心なしか普段より重たい体を起こすと適当に身支度を整えて部屋を出た。


(今日はどうすっかな……)


 森にでも行こうかと思っていたが、今日は血は見たくない。もしも魔物が喧嘩を売ってきたら面倒臭い上に八つ当たりをして、下手をしたら普段以上に血を見る羽目になるかもしれない。そうしたら余計に気分が滅入るだけだ。

 そこまで考えたケルトーの口からは、自然と重たい溜め息が吐き出される。

 どうやら今日は屋敷で大人しくしているのが正解のようだと思い、退屈な一日を想像して二度目の溜め息をつきながら食堂のドアを開けた。


「あ……ケルトーさん、おはようございます」


 朝の日差しが射し込む明るい食堂で、その少女は一人で席に着いていた。綺麗に二つに結われた銀髪がきらきらと煌めいている。

 ケルトーは「おう」とだけ返すと、自分の分の朝食になりそうな物を探しにキッチンへと向かおうとし、ふと少女が食べている物を見ると足を止めた。

 

「……随分と甘そうなもん食ってんな」

 

 白い皿の上にあったのは、分厚く切られたフレンチトーストだった。

 優しい卵色の上に綺麗な焼き目が付いたそれには、たっぷりの生クリームと琥珀色の楓の蜜、少し実の残った木苺のジャムがとろりと満遍なく掛けられていて、嗅覚が鋭いケルトーの鼻を濃厚な甘い香りで擽っていった。

 ケルトーの言葉を聞いた少女は「あ、え、すみません……」と恥ずかしそうにしながら何故か謝罪を口にし、それでも器用にナイフとフォークを使ってフレンチトーストを食べやすい大きさに切り分けていく。

 その様子をケルトーが何となく眺めていると、フレンチトーストを切り分け終えた少女がふっと顔を上げて小首を傾げた。


「ケルトーさん、元気無い……ですか?」

「……どうしてそう思った?」

「え、えっと、何となくです……」


 そうして少女は「ごめんなさい……」と再び紡いだ謝罪の言葉を最後に、小さな肩を落として俯いてしまった。

 一方のケルトーはまさか少女に見抜かれるとは思わず、内心で少しだけ動揺する。

 と、俯いていた少女が再び顔を上げてケルトーを見つめたと思えば、フォークの先に切り分けたフレンチトーストの一片をぷすりと刺して差し出してきた。


「ケ、ケルトーさん、あの、これ」

「……あ?」

「すっごく美味しいので、だから、あの」

「…………」


 黙って見つめ返せば、少女は見る見るうちに不安そうに眉を下げる。

 そんな少女の反応を面白く感じたケルトーは自然と小さく笑みを零し、差し出されているフレンチトーストを一口でぱくりと頬張った。途端に口の中いっぱいに甘い味が広がる。


(……ん?)


 それは普段ならしつこいと思う程の濃さだったが、何故か今日は美味しく感じられた。

 少女もケルトーが食べてくれた事に安心したのと嬉しいのとで表情に明るさを取り戻し、淡い桃色の頬を緩めながらフレンチトーストを自分の口に運んだ。

 少女の小さな口では上手く食べきれず、生クリームや楓の蜜が口端に付いてしまう。それでも少女はそんな事を気にする様子もなく、ひたすら幸せそうにしながらフレンチトーストをもふもふと頬張っている。

 ケルトーはそんな少女のあまりにも平和で穏やかな姿を、甘く柔らかなフレンチトーストを頬張りながら暫し見つめて、


「……っ、はは」


 思わず、笑った。


「……?」


 突然笑われた少女は赤い目をぱちくりとさせていたが、先程よりも元気を取り戻した様子のケルトーに気付くと、口端に甘い名残を残したまま、まるで自分の事のように嬉しそうに微笑んだのだった。



END.

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