狼王と兎少女
白いカップに、温かな紅茶が静かに注がれる。
緩やかな湯気と共に漂う香りに目を細めたサーヌは、カップをそっと手に取ると、窓の外から聞こえてくる賑やかな声の方へと視線を向けた。
其処では、真珠色の小さなドラゴンと純白の梟が、まるで兄弟のように仲睦まじくじゃれ合っている。
「仲良くなれて良かったな、あの子たち」
自分の分の紅茶を淹れながら、パティが優しい声で言った。
エト達を見つめる蜂蜜色の眼差しは暖かく、それを見るサーヌは口元を緩ませてカップに口を付ける。
ほんのりとした苺の風味が今の気持ちにぴったりだと思っていれば、向かい側で同じく紅茶を飲んでいたパティがふっと口を開いた。
「そういえば、あの二人はどうしたんだ?」
「二人ならさっき、外に出て行くのを見たよ。多分、裏庭にでもいるんじゃないかな」
食堂に来る少し前に見かけた、玄関を出て行く二人の姿を思い出してサーヌは答える。
「ああ、成る程な……」
それを聞いたパティは納得した様子で頷き、そして、テーブルの上に並べた焼き菓子の乗る皿を見て笑った。
「通りで、ガレットだけ少ないわけだ」
***
時折、ふわりと優しい風が通り抜けていく。
ケルトーとラパンは互いのお気に入りの場所である、裏庭の木の下に座っていた。
「……あ、あの、ケルトーさん」
「ん?」
明らかに戸惑っている深紅の瞳を向けられたケルトーは、きょとんと首を傾げてみせる。
何処か幼いその表情にラパンは一瞬和んだが、どきどきと高鳴る胸がそれを直ぐにかき消してしまう。
「その、この体勢は……?」
「あ? 何か変か?」
「いえ、あの、変とかじゃなくて……」
怪訝そうに眉を寄せたケルトーに、ラパンは慌てて首を振り、小さな口をもごもごと動かして目を伏せる。
そして、先程からずっと自分を抱き込んでいる両腕が視界に入ると心の中で叫んだ。
(恥ずかしいんです、ケルトーさん……!)
デゼスとの一件以来、ケルトーからの触れ合いが明らかに多くなっていた。
大抵は手を繋いだり、頭を撫でてきたりというもので、その程度ならラパンも素直に嬉しかった。
が、こうして後ろから抱き込まれたりすると、どうしても恥ずかしさの方が勝ってしまい、頭の中が真っ白になってしまう。
(だけど、嫌なわけじゃないし、というか寧ろ、その、う、嬉しいくらいだし……。でも恥ずかしいし……!)
この気持ちを一体どう伝えるべきか分からず、最終的には口の中で言葉にならない感情を頬張るしかない。
一方、何か言いたげなその様子が気になって仕方がないケルトーは、淡く色づいているラパンの頬をむにっと摘んだ。
「ふえっ!?」
「言いたい事があんなら言えっての。何だよ?」
「あ、えと、その……ガ、ガレット! そう、ガレット食べましょう、ケルトーさん!」
小さな包みが視界の端に見えて、話を逸らすにしても強引だと分かりつつ、ラパンは咄嗟に声を上げる。
ケルトーは頬を摘んだままラパンを見つめていたが、やがて仕方なさそうに溜め息をつくと手を離した。
(ごめんなさい、ケルトーさん……!)
申し訳なくて内心で謝るラパンだったが、あれ以上は心臓が爆発しかねないので諦めてもらうしかない。
そうして、追求からどうにか逃れた事に安堵しつつ、膝の上で包みを広げれば、此処に来る前に貰ってきたガレットが姿を見せた。
大好物を前にして、ラパンの頬は自然と緩む。
「えへへ……いただきます」
ラパンは早速一つ手に取ると、それは嬉しそうにはむっと勢い良く頬張った。
後ろから見ていたケルトーはその微笑ましい姿に目を細める。
「本当にお前、それが好きだよな」
声を掛けられたラパンは腕の中で振り返り、口が開けないので、頬をもぐもぐと動かしながら笑顔で頷いてみせる。
すると、ケルトーはラパンの手から食べかけのガレットをひょいと取り上げた。突然の事に目を丸くさせているラパンに、ガレットを掲げる手を軽く揺らしながら言う。
「俺とこれ、どっちが好きだ?」
「……えっ?」
「どっちが好きか答えたら、返してやる。答えねえなら、これは俺が食う。どうする?」
そう問いかけるケルトーの顔には、にんまりとした悪戯な笑みが浮かんでいる。
きょとんとしていたラパンだったが、徐々に我に返るのと一緒に顔も赤くなっていき、耳まで赤くさせると俯いてしまった。
ちんまりと身を縮こまらせたラパンの顔をケルトーは横から覗き込み、その赤く染まった頬を指先で悪戯に突っついてみる。
「なあ、ラパン?」
「うー……」
「どうしても、答えてくんねえのか?」
少し顔を上げてちらりと見れば、狼と言うよりも子犬のような顔で自分を見つめるケルトーと目が合った。
普段の精悍な眼差しは何処へやら、ほんのりと甘えを帯びた視線が向けられる。
ラパンは困った様子で眉を下げ、うー、うー、と暫く唸った後、もぞもぞと体勢を変えて向かい合った。
そうして、真っ赤に染まった頬をケルトーが撫でてやれば、ラパンはその手に促されるように口を開いた。
「ケルトーさんの方が、好き、です……」
必死に紡がれた言葉は、声の大きさこそ小さかったが、目の前にいるケルトーには充分だった。
今にも頭から湯気を出しそうなラパンに思わず笑みを零すと、持っていたガレットをその小さな口にくわえさせる。
「もきゅ、っ!?」
「そうかそうか、俺の方が好きか」
ラパンは目を白黒させながら、口に詰め込まれたガレットを必死に頬張る。
そして、どうにか飲み込んで息をつけば、ケルトーがにやにやと笑いながら自分を見ている事に気付いた。
その意地の悪い表情に、ラパンはむうっと頬を膨らませた。
「ケルトーさんの、いじわる……」
「別に意地悪くはねえだろ。聞いただけじゃねえか」
「むー……」
風船のように膨らんだ頬をケルトーが指先で押すと、尖った唇から空気がぷしゅうと漏れ出ていく。
それでも不満そうな表情を変えないラパンだったが、ケルトーはそれを疎ましく思う事もなく、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「本当、お前はいつまでも飽きねえし、可愛いな」
「……、……ふえっ?」
ごく当たり前に、平然と、あまりにも自然すぎて聞き逃しそうになったが、ラパンの耳は寸でのところでその言葉を拾い上げた。
しかしにわかには信じられず、口を半開きにした状態で固まってしまったラパンに、ケルトーはふっと優しく微笑んでから額同士をこつんと寄せた。
「俺も、ラパンが好きだ」
愛しげに細められた灰色の瞳に、丸く見開かれた紅色の瞳が映り込む。
けれど、その紅色も直ぐに柔らかく細められて、ケルトーは自分の胸に飛び込んできた小さな体をぎゅうと愛しげに抱き締めた。
頬を寄せて、髪を撫でて、鼻先を触れ合わせて。互いの全てを欲しがるように抱き合う二人の間には、きっと花びら一枚すら割り込めない。
そのうちに体温も鼓動も、まるで一つになったかのように重なり合う。それを確かに感じながら二人は顔を見合わせて、笑った。
「何があっても離さねえ。俺達はずっと一緒だ、……いいか?」
優しく、けれど少しだけ不安そうに囁かれた言葉。
それをラパンは甘い微笑みで受け止めて、抱き締める両腕に力を入れた。
「はい、私はずっと、いつまでもケルトーさんと一緒にいます」
きっとこれから先、傷付け合う事も涙を流し合う事もあるのだろうと、二人は互いに分かっていた。
それでも一緒にいたいと心から思えたから、二人は抱き締め合う腕を解く事も、見つめ合う視線を逸らす事もしなかった。
「愛しています、ケルトーさん」
溢れる想いを躊躇うことなく言葉にすれば、想いが込められた言葉が返ってきた。
それを受け取れば、心の底に残っていた欠片のような小さな想いも膨らんでいき、もう伝えずにはいられなくなる。伝えて、膨らんで、また伝えて。何度も何度も繰り返す。笑顔や涙、様々なものに変わりながらも想いは生まれて、繰り返されるのだろう。
そうして、狼と兎の幸せな物語は紡がれていく。
いつまでも、ずっと、ずっと。
END.




