幾月夜を越えて
辺りに焦げ臭い匂いが立ちこめて、焦げた地面からは煙が上がっている。
空気を裂くように駆けてくる雷を避けたケルトーの呼吸は、徐々に溜まってきた疲労によって乱れつつあった。
「……おや?」
余裕の笑みを浮かべて次々と雷を繰り出していたデゼスは、ふっと感じた気配に裏庭の方を見る。
そして、感心したように言った。
「へえ、俺の一番の使い魔を倒したか。案外やるもんだね。……でも此処に来ないってことは、もしかしたら相討ちかな?」
「……っ!」
その言葉を聞いたケルトーは、輪郭を伝う汗を拭いながら目付きを鋭くさせる。
それに目敏く気付いたデゼスは鼻で笑い、空中に新しく生み出した魔法陣から再び雷を呼び寄せると、ケルトーに向かって容赦無く撃ち放った。
火の矢や氷塊よりも速い雷を避け続けるのは流石のケルトーにも堪えるものがあったが、だからと言って気を抜くわけには行かず、ひたすら雷から身を躱し続ける。
「あはははっ! まるで操り人形だ! さっきから踊ってばかりじゃないか!」
「っ、くそ……っ!」
甲高い嘲笑と拍手を浴びせられて、ケルトーは忌々しげに舌を鳴らす。
本当なら今すぐにでも殴り掛かりたかったが、やはり遠距離から絶え間なく放たれる魔術が邪魔で近付けす、今は溜まる怒りを舌打ちと悪態に替えるしか出来ない。
そうして、一方的な攻防戦を続けていると、不意にデゼスは溜め息をつき、しかし、攻撃を緩めることは無いまま口を開いた。
「……ねえ、もういい加減にあの魔力の源を引き渡す気にはならないかい?」
「はっ、ならねえな!」
間髪入れずに返ってきた答えにデゼスは一瞬面食らうも、呆れたように肩を竦めてわざとらしく首を振る。
「あの力は化け物には勿体無いんだよ。分からない?」
「だから! 別に髪なんざどうだっていいんだよ!」
雷鳴を轟かせて繰り出される攻撃を避けながら、ケルトーは自然と牙を剥いて吠えていた。
そんなケルトーの咆哮にデゼスは眉を顰め、嫌味でもなく、心底理解出来ないといった様子で首を傾げてみせる。
「意味が分からないな。髪以外に『あれ』に何の価値があるって言うんだい?」
「ーー……」
ケルトーは自分の耳を疑った。
しかし、デゼスは傾げていた首を左右に緩く振り、気持ち悪く歪んだ笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「『あれ』の価値は、あの素晴らしい魔力を秘めた髪にしか無い。お前等だって、あの力が欲しくって『あれ』を浚っていったんだろう?」
「……黙れ」
「『あれ』が手に入れば、未知なる力を得る事すら不可能じゃないだろうしね」
「だから、もう黙れ」
「化け物が『あれ』の髪に惹かれないわけがないじゃないか。嘘をつくならもっと上手い嘘をーー」
「ーーっ、黙れって言ってんだろ!」
次々と吐き出される醜悪な言葉に耐えきれなくなったケルトーは大声を上げて遮り、遂にデゼスに向かって雷嵐の中を駆け出した。
頬や腕を雷が掠める度に痛みが走ったが、それ以上に込み上げる衝動がケルトーの背中を押す。
完全に捨て身で距離を詰めてくるその姿に、デゼスは漸く表情から余裕を消す。しかし、慌てる事も無かった。
「魔術師相手に正面突破は感心しないな」
「ぐっ……!?」
一瞬で二人の間に現れた魔法陣から突風が噴き出し、ケルトーの足を止めた。
咄嗟に地面に両足を踏ん張らせて耐えるケルトーに、デゼスは言葉を続けながら容赦なく次の魔法陣を生み出す。
「俺たち魔術師は自分が肉弾戦には向いていないって分かっているんだよ? だから対処法は幾らでも用意してあるんだ」
「っ、クソが……っ!」
続いて現れた魔法陣からは、鋭い音を立てて宙を切る風の刃だった。
形の見えない其れは無数の凶器となって、突風に捕らえられて動けないケルトーの全身に次々と傷を付けていく。
どれも致命傷には至らない小さな傷だが、それでも風の刃による痛みは、確実にケルトーの体力と精神力を削っていった。
悔しさに顔を歪めながら攻撃を受け続けるケルトーを、デゼスは非常に楽しそうに眺めている。
「どうやら君は接近戦に向いているみたいだしね。俺とは相性最悪だろう? だから、もう諦めなよ。『あれ』を渡したら命だけは助けてあげるからさ」
その言葉に、ケルトーは額に汗を浮かべながらも、口角をにやりと持ち上げる。
「絶対に、渡さねえ……っ」
「……強情だな」
自分を睨む灰色の瞳に、未だ諦めの色が浮かばないのを見て、デゼスは肩を竦めてやれやれと首を振る。
明らかに自分を見下しているデゼスの態度に、ケルトーはぎりっと歯軋りをするも、今は風の刃の猛攻撃から抜け出せる機会を伺うしか出来ない。
そんなケルトーを嘲笑いながら、デゼスはまるで暇潰しに世間話をするかのような調子で問いかけた。
「どうして君は彼処まで『あれ』にそんなに固執するんだ? 髪が目的じゃないなら他に何があるって言うんだい?」
「他に何が、って……」
そう問われた途端、命を削られているこんな状況にも関わらず、ケルトーの脳裏には、銀髪の少女の姿がはっきりと浮かんできた。
初めて出逢った月夜では、美しくも空虚だった。
拾って暫くの頃は、戸惑いながらも近付いてきた。
そして今は笑って泣いて、喜んで悲しんでと忙しない。
けれど、それを鬱陶しいと思った事は一度も無かった。
その事実にふっと思い至ったと同時に、そんな少女の姿を、自分はどれも明確に思い出せる事にも気が付いた。
(おいおい……こんな時にかよ……)
おめでたい自分の頭に、思わず苦笑が漏れる。
どうやら自分は思っていたよりもずっと前から、あの少女を心底気に入っていたらしい。
小さくて儚くて、少しでも力を込めたら壊れてしまいそうな、汚れの無いあの少女を。
それこそきっと、月が輝く夜に出逢ったあの時から、自分はずっとーー。
(ーー……ああ、何だ、そうか)
その事実を自覚した途端、今まで自分に紡がれた言葉や触れてきた温もりが、如何に掛け替えの無いものだったかをケルトーは唐突に理解した。
(いや……こんな時だからこそ、分かったのかもな)
そして今、この場で気付けた事を幸運に思った。
「……お前には分からねえだろうよ」
「……ふうん?」
僅かに変わったケルトーの雰囲気を察し、デゼスは軽い返事を返しながらも目を細める。
そんなデゼスにケルトーは迷いの無い瞳を真っ直ぐに向け、褐色の肌に赤い血を滲ませながらも、強い意志の籠もった笑みをにやりと浮かべてみせた。
「何せ、俺が必要としてるのは、彼奴自身なんだからな」
それを聞いたデゼスは目を細めたまま、ふっと小馬鹿にするように口角を上げる。
「ああ、確かに分からないや」
「だろうな。ま、手前みたいな外道には分かってもらいたくもねえよ」
「あははっ! まあ精々言ってなよ、そのままじゃそのうち口も利けなくなるんだからさ!」
至極楽しそうにそう言い放ったデゼスは新たな魔法陣を生み出して、ケルトーに更なる苦痛を与えようとする。
それを察したケルトーが身構えた時、突然何処かから飛んできた煌めく何かが魔法陣にぶつかって、バシッという音と共に激しい閃光を放った。
「なっ……!?」
「うわっ!?」
視界を一瞬にして白に埋めた強い光に、二人は堪らず目を瞑って立ち眩む。
(魔法陣の暴走か!? いや、そんな筈は……!)
デゼスは軽い眩暈を感じながらも、ケルトーが回復しないうちに攻撃を再開させようと無理に両目を開いた。
しかし、閃光を受けた名残でちかちかと点滅する視界の中で見つけた物を見て、思わずその動きを止めた。
(これは、まさか!?)
地面に散らばる黒と、美しい銀色。
それを見たデゼスは泥沼のような目をぎょろりと横に向けて、それから、厭らしく粘ついた笑みを浮かべる。
そこで、漸く視界が元に戻ったケルトーが目を開いた。
「……!?」
そして、真っ先に視界に飛び込んできた姿に、デゼスが攻撃の手を休めている今が絶好の機会だということも忘れて口を開いた。
「なっ……ラ、ラパン!?」
其処にいたのは、此処にいる筈の無い姿。
名前を呼ばれたラパンは、デゼスを強く睨み付けていた深紅の瞳をケルトーの方に向ける。
それから、直ぐにへにゃりと泣きそうに眉を下げ、黙って頭を下げた。その頭には、左側だけ不自然に短くなったツインテールが揺れている。
「わざわざ自分から来てくれるなんて、助かるよ」
「……っ、貴方に会いに来たんじゃないです」
驚いて言葉が出ないケルトーの代わりに口を挟んできたデゼスに対し、向き直ったラパンは再び鋭い視線を向ける。
が、その体はよく見れば震えていて、それに気付いたケルトーは我に返って咄嗟に怒鳴った。
「馬鹿かお前! どうして来たんだよ!?」
その強い声に、ラパンはびくっと肩を跳ねさせる。
しかし、直ぐにケルトーの方を向くと、泣きそうな顔をしながらも小さな拳をぎゅっと握って負けじと叫んだ。
「ケルトーさんと一緒にいたいからです! 楽しい時や嬉しい時だけじゃなくて、怖い事や苦しい思いの時も、私はケルトーさんと一緒にいたいからです!!」
「……っ!」
今にも涙を零しそうなのにも関わらず、真っ直ぐで迷いの無い精一杯の想いが詰まった叫びに、荒立っていたケルトーの気持ちが一瞬にして押さえ込まれる。
そんな二人を見ていたデゼスは興味が無いと言いたげに溜め息をつくと、小さく何かを唱えて空中に魔法陣を発動させた。
「本当は殺したかったけど、長引きそうだからね」
「なっ、うわっ!?」
魔法陣から勢い良く飛び出してきた漆黒の太い鎖が、まるで意思を持っているかのような動きでケルトーの傷だらけの体を強く縛り上げる。
抵抗する間も無く重たい鎖に自由を封じられたケルトーは、どさりとその場に倒れ込んだ。
「ケルトーさん!」
「おっと……駄目だよ、巻き込んじゃう」
「きゃっ!?」
ケルトーに駆け寄ろうとしたラパンの目の前で、デゼスの声が聞こえたと同時に目の前で黒い光が弾ける。
その眩しさに一瞬目を瞑ってしまい、すぐにその目を開いたラパンは愕然とした。
「な、何これ……?」
「逃げられたら困るからねえ。暫く其処に入っててもらうよ?」
何故なら、宙に浮いた漆黒の釣り鐘状の檻がいつの間にか自分を捕らえていたのだった。
檻の中で困惑しているラパンの姿に、デゼスは厭らしい笑みを浮かべてから、鎖に巻かれて動けずに地面に転がっているケルトーを勝ち誇った顔で見下ろした。
「じゃあね、化け物。これは頂いていくよ」
「っ、ふざけんな!」
「あははっ! ふざけているのは今の君の格好じゃない? それって俺特製の鎖だから解けなくて餓死するだろうけど、まあ・……ご愁傷様ってことで」
それじゃあね、と無情な一言を最後に放ったデゼスは、踵を返して屋敷の外に向かって歩き出し、その後ろをラパンを閉じ込めた漆黒の籠が続いていく。
「ケルトーさん……っ!」
籠の隙間からラパンの細い腕が伸ばされるも、鎖に捕らわれたケルトーがその手を取る術は無い。
見る見るうちに二人の距離は離れていく。
しかし、ケルトーは灰色の瞳で真っ直ぐにラパンを見つめると、いつものように口角を上げて不敵に笑ってみせた。
「絶対に迎えに行くから待ってろ、ラパン」
力を縛られた自分と、再び閉じ込められた少女。
誰がどう見ても絶望的なこの状況でも、その言葉に込められた強さは微塵も衰えていなかった。
「……!」
潤む真っ赤な瞳が零れ落ちそうなほどに見開かれて、ラパンの目尻からはぽろりと涙が一粒零れ落ちる。
しかし、ラパンはそれを最後の滴にする為に、見開いていた両目をごしごしと擦って、確かに頷いてみせた。
「はい、ケルトーさんを待ってます」
そう言ったラパンも、またいつものように微笑んだ。
そうして、漆黒の籠に捕らわれたままデゼスに引き連れられて、屋敷の外へと共に消えていく。
濃霧に溶けた姿を見送ったケルトーは、ふうと息をつくと目を瞑り、自分の体の隅々にまで力を集中させ始めた。
血が熱く沸き立っていくような感覚を感じながら、ケルトーは何処か落ち着いた頭の片隅で思う。
(……一緒にいたい、か)
生死をかけたやり取りの最中だったというのに、あの言葉を聞いた瞬間に、自分の中で生まれた気持ちの温かさを思い出して、ケルトーの口元には自然と苦笑が浮かぶ。
「……そんなの、俺も同じだっての」
身動ぎする度に、漆黒の鎖がぎしりと体に食い込む。
しかし、ケルトーはそれに構うことも無く、縛られた四肢に力を込めていく。
熱い血潮に乗って体中を巡る力は、徐々に、けれど確かに膨れ上がっていく。
その力を感じながら、ケルトーは薄く開いた目の先に、銀色に煌めく一人の少女の姿を見た。
「ーー……じゃなかったら、あの夜に手前を拾ったりするかよ」
今までのような荒れ狂ったものでは無くて、胸の奥底から、湧き水のように滾々と溢れる力。
それは、狼が気高く吠える前の、深く静かな呼吸にとても良く似ていた。
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