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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
40/58

蝋燭の下は暗い


「ーー……で、その水晶の山岳を越えた先で、俺は初めて天馬ペガサスを見たんだよ」

「わあ……っ! ど、どんな感じでした?」

「それはもう、言葉では言い表せないくらいに綺麗で神秘的だったさ。鬣は月のように輝いていてね……」

「わああ……っ!」


 背後に薔薇が見えるかのような美しい笑顔を湛えて話すアムールの膝上で、ラパンはきらきらと目を輝かせながら熱心に耳を傾ける。

 

「…………」


 そんな二人をケルトーは少し離れた場所から、前後逆に椅子に腰掛けて背もたれの部分に肘を置いて頬杖をつき、これでもかと苦い表情で眺めていた。

 そして時折アムールと目が合う度にその眼光を鋭くさせるも、それを受けたアムールが軽く肩を竦めたりウインクで受け流すと、表情の苦さはより一層強まった。


(何で俺がこんな面倒臭い事を……)


 聞こえてくる二人の会話を単なる音として捉えながらケルトーは小さく舌を鳴らす。

 昨日のパティの指示通り、ラパンと共にアムールの部屋に来たのは大体二時間ほど前になる。

 その間、ラパンはアムールの旅話を一瞬の飽きも見せずに聞き入っていて、ケルトーはそんな無防備なラパンにアムールが変な悪戯をしないようにずっと見張っていた。

 とはいえ、最初のうちは「流石にパティが過保護過ぎる」と思っていたし、現に話し始めた時は膝上に座らせたくらいだったので安心していたのだが、


「ああ……でもあの鬣も美しかったけど、お姫様の髪もとても綺麗だよ。こんな綺麗に煌めく髪の前では、どんな宝石も嫉妬すら忘れてしまうだろうね……」

「え、ア、アムールさん?」


 ーー……またかよ。

 ケルトーは内心で何回目かも分からない溜め息をつく。

 そう、アムールは時間が経つにつれてラパンに対して甘い言葉を紡いだり、やたら体に触れたりするようになったのだった。

 その度にケルトーはアムールを目線だけで咎めるのだが、止めるのは案の定その時だけで、時間を置いて懲りずにまた何かしでかそうとする。


(あー……苛々する、今すぐ出て行きてえ……)


 どんどんと高ぶる苛立ちをケルトーは片膝を揺らして紛らわせる。

 明らかに自分が遊ばれているのは分かっているし、今すぐ此処から立ち去るのも(後々パティに怒鳴られるのが些か面倒ではあるが)簡単だ。

 しかし、何故かそれに踏み切れないでいる。

 何度も何度も出て行こうと思うのに、目の前で楽しそうにしているラパンを此処に残していく事が出来ない。話に無理やり割って入って、強制的に連れ出すことも不可能ではないのだが、そうしたらラパンは確実に悲しむだろう。

 

(……くそっ)


 それを想像するとどうにも気分が悪くなる。なので結局ケルトーは今現在まで、こうして大人しく二人を眺めている事しか出来ずにいた。

 そんなケルトーの葛藤に気付くわけもなく、ラパンは年相応の無邪気さを露わにしながらアムールの話を聞き続けている。


「アムールさんはどうしてそんなに色んな場所へ?」

「それはね……真実の愛を見つける為さ」


 ふと思った疑問を投げかけてみれば、アムールは優雅な笑みを浮かべて答えた。

 その抽象的な返答にラパンは小首を傾げる。


「真実の愛……ですか?」

「そう、世界には愛が溢れているからね。その中から俺を本当に虜にしてくれる愛を探して旅をしているんだ」


 そう語るアムールの表情は変わらないものの、声色には今までの軽いものとは違って何処か真剣な色が帯びている。

 それを感じ取ったラパンはぱちぱちと目を瞬かせた後、頬を緩めてそっと頷いた。


「そうなんですか……見つかると良いですね」

「うん、有り難う。……でも今、目の前にいるお姫様が俺の真実の愛って事もあり得るんだよねー?」

「……えっ?」


 数秒前の真剣さがあっさりと消えたアムールに不意を付かれたラパンは、自分の頬に伸ばされた片手を受け入れてしまう。頬を包む美しい手は少し冷たかった。

 

「ねえ、試してみてもいいかな? 可愛いお姫様……」

「え、あ、あの、アムールさ、っ」


 戸惑う間にもゆっくりと近付いてくる端正な顔。

 其処から逃げようにも膝の上に座っているので動けず、体を後ろに引くにも限界がある。

 艶やかな色に染まった赤紫の瞳は真っ直ぐにラパンを見つめていて、逸らす事を許してはくれないようだった。


(も、もう、どうしたら、いいの……!?)


 此処で気の強い女性ならば平手の一発でも食らわせてやればいいのだが、どちらかと言えば大人しい上にこういった状況に慣れていないラパンにそんな考えが思い付くはずもなく。

 羞恥と混乱で頭の中が真っ白になったラパンは最後の抵抗にと、いつの間にか涙で潤んでしまった両目をぎゅうっと瞑る。

 二人の熱い吐息が混ざり合い、唇が触れ合いそうな距離まで近付いて、そしてーー、


「悪ふざけも大概にしろ、この腐れ夢魔」

「きゃっ!?」


 ごっ、と鈍い音がしたと思えば、体が浮き上がった。

 思わず目を開くと、直ぐ目の前には眉をつり上げて非常に怒った様子のケルトーの横顔と、少し離れた床ではアムールが初めて出会った時のように俯せで倒れていた。

 突然の展開に驚いて我に返りきれないラパンが、ケルトーに横抱きにされたまま逞しい腕の中できょとんと固まっていると、


「お前もだ、阿呆が」

「あうっ」


 横から軽く頭突きをされて、ラパンは其処で漸く我に返る。

 攻撃された箇所を擦りながらケルトーを見れば、先程より怒りの色は薄まってはいたが、それでもその表情はまだ険しさを残したままだった。


「ああいう時は殴れ。それとも嫌じゃなかったのか?」

「そ、それはありません!」

「だったら全力で嫌がれ。分かったな?」

「……はい、ごめんなさい」


 自分の迂闊さを思い知り、更にはケルトーを怒らせてしまったという事を実感したラパンは頭だけが重い岩にでもなったかのように深く頂垂れて落ち込む。

 そんなラパンの様子にケルトーは深く溜め息をつき、小さな体を抱き上げたまま部屋の出入り口に向かって歩き出した。


「分かればいいんだよ。ほら、焼き菓子でも食いに行くぞ」

「はい……」

「いつまでも落ち込むな。また頭突きすんぞ」

「そ、それは止めて下さいっ」


 会話を交わしながら部屋を出ていく二人。

 そうして器用に片足で閉められたドアの音が消えると、俯せで倒れていたアムールはむくりと顔だけ起こし、床に頬杖をついて二人が出て行った方向を見つめる。


「やれやれ……真実の愛に犠牲は付き物とはいえ、これはちょっと手厳しすぎやしないかなあ……」


 苦笑混じりにそう呟いたアムールは、ずきずきと鈍く痛む後頭部を撫でたのだった。


 ***


「じゃ、また来るねー」

「もう二度と来なくていいぞ」

「あはは! やっぱり酷いなあ、ケルトーは」


 見送る際の言葉としては辛辣なケルトーの言葉にも、アムールは見事なまでに輝かしい笑顔で返す。

 そんな二人のやり取りを小さな苦笑いを浮かべて見守っていたラパンにアムールはふっと目を向けたと思えば、視線を合わせるように屈み込んだ。

 

「……っ!」

「あ、ごめんね、お姫様。もう何もしないよー?」


 咄嗟に警戒して身を軽く引いたラパンを見て、アムールはひょいと両手を上げてみせる。そしてそのままの体勢と笑顔で言葉を続けた。


「あのさ、お姫様。良かったら一緒に来ない?」

「……え?」

「はあ?」

「ええっ!?」

「ア、アムール……?」


 思わぬ誘いに警戒するのも忘れるラパンと、その傍らで怪訝そうに眉を寄せるケルトー。パティに至っては軽く体を反らしてラパン本人よりも驚いていて、流石のサーヌも目を丸くさせている。

 そんな四者四様の反応に、アムールはにこにこと笑ったまま小首を傾げた。


「だってお姫様、俺の話を凄い楽しそうに聞いてたから。色んな物を見てみたいんじゃないかなって」

「た、確かにそれはあります、けど」

「じゃあ一緒に行こうよ。俺となら退屈させないよ?」

「あっ……」


 アムールの上げられていた手の片方がラパンに向かって伸ばされる。

 その手から逃れようとラパンが慌てて後退ると、ぽふんと柔らかな壁にぶつかった。


(……え、何?)

 

 そう思って振り返ろうとすると、後ろから首元に見慣れた両腕が回ってきた。その腕が自分をぎゅうと捕まえてきたと同時に背中を心地よい温かさが覆う。

 ラパンが少しだけ心臓の鼓動を速めれば、頭上に何かがのしっと乗っかってきた。


「駄目だ、此奴は俺が拾ったんだ。やらねえよ」


 直ぐ真上から聞こえてきた言葉と声に、ほんの一瞬だけ、くらりと眩暈が起きた気がした。心臓がきゅうと締め付けられて熱くなり、頬が火照るのを感じる。

 ラパンは上を向いて確認したかったが、頭の上に乗っている物が何なのか見当がついている所為で動くに動けない。 

 おろおろとさ迷わせた視線の先では、驚いたように目を軽く見開いてラパンの頭上を見ているアムールの姿があった。


「……残念だな。でもまあ、花のように可憐で繊細なお姫様には、旅よりもこのお屋敷の方が似合うしね」


 そう言ってアムールは肩を竦めると屈めていた腰を伸ばし、玄関のドアをゆっくりと開けて一歩踏み出してから「ああ、そうだ」と笑顔で振り返った。


「ねえケルトー、愛というものは恥ずかしがり屋でね。此方から気付いてあげなきゃいけないんだよ」

「……は?」

「それじゃあ、またね」


 ばさりと大きな羽音がして、勢いのある風が吹く。

 それに四人が視界を遮られたほんの数瞬の間に、アムールは少しだけ開いたドアを残して消えていた。

 まるで夢を見せられたかのような空気に四人は暫し玄関を眺めていたが、最初に我に返ったサーヌが開いたドアを閉めに動いた。


「此処にいたのはたった二日なのに、アムールは本当、存在感が強いというか……」

「私はもう、半年は会わなくていい……」


 パティは心底疲れた様子でがくりと頂垂れる。

 今にも力尽きてしまいそうなその姿にサーヌは同情からの苦笑を向け、そしてケルトーとラパンに向かって声を掛ける。


「さて、僕らは夕食にしようか?」

「だな。あー……腹減った、つーか疲れた」

「あ……」


 するりと離れた腕と体温にラパンの唇からふっと声が零れ落ちる。

 しかしケルトーがそれに気付く様子は無く、パティ達と話しながら食堂へと向かっていく。


「今日は好きなだけ飲んでいいぞ、ケルトー。ラパンちゃんを無事にアムールから守ってくれたからな」

「そうか、じゃあ遠慮なく飲む」

「いや、遠慮なんかした事無いだろう、お前……」

「…………」


 ーー何だろう。少しだけ、寂しいような気がする。

 そんな事を考えながらラパンがその後ろ姿を立ち尽くして見つめていると、


「おい、どうした? 早く行くぞ」

「!!」


 足を止めて肩越しに振り返ったケルトーは玄関ホールから動く気配の無いラパンを見て怪訝そうに眉を寄せ、片手をひょいと差し出した。

 その動きはごく自然で、当たり前で、繋がるのが当然だと語っているようにラパンには見えた。思わず頬が緩んでいく。

 

「……はいっ」


 ラパンは差し出されたその手をしっかりと握ると、ケルトーの隣に並んで一緒に歩き出す。

 今にも鼻歌でも口ずさみ始めそうな軽い足取りで歩くラパンをケルトーは不思議な顔をして見下ろしていたが、やがて穏やかに目を細めると前を向いたのだった。


 ***


 その夜、アムールから聞いた旅話の興奮が冷めない所為で寝付けずにいたラパンは、薄手のショールを羽織って自室のバルコニーに出ていた。

 見上げた先に広がる夜空では、淡い光を纏った三日月が無邪気に瞬く星達と共にゆったりと浮かんでいる。


「おい、ラパン」

「ひゃっ!?」


 そんな静かな空気の中、突然無遠慮に何処かから呼ばれたラパンは大きく肩を跳ねさせて驚いた。

 そして声がした方向をよく目を凝らして見れば、裏庭からバルコニーの傍まで背を伸ばした木から伸びる太い枝の所に、闇夜に紛れて此方を見る姿を見つけることが出来た。


「ケルトーさん……?」

「おう、まだ寝てなかったのか」


 枝に腰掛けていたケルトーは未だ驚いた衝撃が抜けきっていない様子のラパンを面白そうに笑う。

 一方のラパンはどうしてこんな所にケルトーがいるのかが分からず、ショールを肩に羽織り直しながら小首を傾げて問いかけた。

 

「少し寝付けなくて……。ケルトーさんこそ、どうしてそんな所に?」

「俺は久々に月でも見ようかと思ってな。この木が居心地も景色も一番良いんだよ」


 そう言ってケルトーは夜空を見上げる。

 その答えに納得したラパンは「そうでしたか」と返し、夜風に靡く銀髪を時折耳に掛け直しながら一緒に三日月を眺めた。


「……なあ」


 そうして会話が無いままに少し経った頃、不意にケルトーが三日月から視線を外さずに口を開いた。

 

「何ですか?」

「お前さ、今日アムールに旅に誘われた時、俺が割り込まなかったら……」


 ケルトーはそこまで言うと一旦口を閉ざして黙り込む。

 バルコニーに立つラパンからは暗くてよく見えなかったが、その横顔は何か言葉を探しているというよりも紡ぐべきか迷っているように思えた。

 そんなケルトーに声を掛けるよりも先に、三日月を映していた灰色の瞳がふっと夜空からラパンの下へ降ってきた。


「……お前は、此処から離れてたのか?」


 その問いにラパンは直ぐに答えられなかった。

 何故ならその声があまりにも切なく、怯えるように弱かったからである。

 しかし、それを返答に迷っていると受け取ったケルトーは眉を下げて笑い、木の枝に立っているとは思えない安定感で腰を上げた。


「悪い、何でもねえ。あんまり夜更かしすんなよ?」

「あ……」


 まるで引き留められる事を避けるかのように、ケルトーは身軽な動きで木から降りていってしまった。誰もいなくなった其処に夜風が通り抜けていく。

 その場に残されたラパンは困惑した様子で立ち尽くしていたが、ぐっと唇を噛み締めるとバルコニーの手摺りに駆け寄って身を乗り出した。


「ケルトーさん! 私、此処から離れたりなんかしません!」


 真っ暗な裏庭にケルトーの姿は見つからなかった。

 それでもラパンは何処かで聞いてくれている事を信じて、出し慣れない大声を精一杯張り上げた。


「だって私、此処が、ケルトーさん達が大好きなんです! だから絶対に、此処から離れたりしませんからねーっ!!」


 バルコニーから落ちるのではと思う程に身を乗り出して叫んだラパンの思いは、ゆっくりと夜の闇に溶け込んでいく。

 軽く息を乱したラパンは大きく深呼吸して落ち着くと、ふふんっと満足げな様子で踵を返して部屋の中へと戻っていった。

 それを少し離れた木陰から見送ったケルトーはその木の幹に背中を預けてずるずると座り込み、熱くなった額に片手を当てて夜空を仰いだ。


「……大好きとか、其処まで聞いてねえよ、馬鹿」


 擽ったくてむず痒い胸の内を誤魔化すように舌をちっと鳴らしてみる。

 それでも顔の熱は引く気配を一向に見せず、ケルトーは暫くの間、木に寄りかかって夜風に当たっていたのだった。



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