兎は念う
「そういえば、ラパンちゃんに僕らの話はしてるの?」
大量の料理が漸く三分の一ほど消えた頃。
血のような赤ワインが入ったグラスを傾けていたサーヌは、向かい側でミートパイを頬張っているケルトーにふと問いかけた。
その質問を受けたケルトーは咀嚼以外の動きを止め、口の中に入っていたミートパイを飲み込むと「あー……」と呟いた。
「何も話してねえわ」
「……本当に思い付きだったんだね、ラパンちゃんを持ち帰ってきたの」
口端にミートパイの欠片を付けたまま、悪びれた様子も見せずあっさりと答えたケルトーに、答えを何となく予想していたサーヌでも苦笑を隠せなかった。
そんな二人のやり取りをパティの膝上(いつの間にか移動させられていた)で聞いていたラパンが小首を傾げれば、それに気付いたパティが甘い果実酒の入った杯を片手に笑った。
「ふふ、私たちはなー……」
「はぐれ者なんだよ。化け物のな」
「あー!? ケルトー! 何で先に言うんだ!」
「うるせえな。誰が言ったって同じだろ」
果実酒を飲んだ所為か大分テンションが高いパティの抗議を、ケルトーは心底鬱陶しそうに顔を歪めながら片耳を指で塞いで遮断する。
「……はぐれ者?」
化け物というのは正直予想していたので、あまり驚きはしない。けれど『はぐれ者』というのはよく分からない。
一体どういうことなのかとラパンが小首を傾げたまま考え込んでいれば、チーズの乗ったクラッカーを食べていたサーヌが優しい笑顔のままで話してくれた。
「化け物にも一族があってね。僕たちはそこから追い出された集まりなんだよ」
「……三人とも、ですか」
「うん、ケルトーは獣人の狼人族。僕は吸血鬼。パティは魔法使いの一族からね」
「…………」
そう説明されたラパンの視線が、自然と順番に三人を渡る。
生身の人間を噛み殺したケルトー。あっさりと傷を癒してみせたパティ。サーヌはまだこれと言った光景を見てはいないものの、よく観察すると穏やかな笑みを浮かべた唇からは時折鋭い牙が覗いている。
三人は本当に化け物なのだ。
「……そうなんですか」
しかし、そんな事はラパンにはどうでも良かった。
ラパンは三人よりもずっと化け物に近い人間達をこれでもかと知っていたから、何も怖くなければ嫌悪感も無い。
そんなラパンの思いを知っていたかのようにケルトーは大きく笑い、手近にあった皿に盛られていた焼き菓子を一つ掴んではラパンに差し出した。
「はは! やっぱ拾って正解だな。化け物に囲まれて平然としてるなんざ、そこら辺の魔物よりも度胸が座ってやがる。ほら、焼き菓子食えよ」
「あ、ずるい! 私がラパンちゃんに食べさせる!」
「君たちはもう少し気遣いとかさ……。あー……ごめんね、ラパンちゃん。とりあえずケルトーは君を気に入ってるみたいだから、怖がる必要は無いからね」
目の前で繰り広げられる賑やかで温かな光景。
それはラパンの遠い記憶をこっそりと擽っていったが、今のラパンはそれに気付く事も無い。
「……はい」
けれど、今はそれで良かった。
***
ラパンに与えられた部屋はケルトーの部屋から二部屋しか離れていなかった。案内してくれたサーヌ曰く「本当にお気に入りなんだね」らしい。
因みにパティは酔いとはしゃぎ疲れた所為で食堂のテーブルに突っ伏したまま寝ているし、ケルトーに至ってはいつの間にかいなくなっていた。それでもサーヌが平然としている辺り、これが此処の日常なのだろう。
「欲しい物があったら遠慮無く言ってね」
「有り難うございます」
「はは、ケルトーの我が儘に巻き込んでるんだ。気にしないで」
それじゃあと部屋を出て行くサーヌを見送ってから、ラパンは部屋の中を一通り見回してみる。置いてある家具はどれも何の支障も無く使えそうで、ベッドや絨毯も新品のように綺麗だった。
前に誰か使っていた事は無いのだろうかと一瞬思ったが、ふと先程の食事中にパティが「ラパンちゃんの部屋は私がばっちり綺麗にしたんだぞー!」と杯片手に公言していたのを思い出す。
(……あとで、お礼言わなきゃ)
腰を下ろしたベッドはふんわりと柔らかく、今まで草や土の上で寝ていたラパンは少し気後れしてしまう。
森にいた時は最低限の雨風を凌げる小屋を与えられてはいたが、ラパンはあの狭い空間がどうしても慣れなかった。
だから、見つかったら痛い目に遭わされるのを覚悟しつつ、余程酷い天気で無い時は小屋を抜け出して外で過ごしていた。
(そういえば……)
今頃、自分を捕らえていた彼等はどうしているのだろう。
初めて森に連れて来られた時に「森から一歩でも出たら両親を殺す」と言ってきた彼等は、--そこまで考えたラパンは小さく息をつく。
(……お父さん達が殺されていた事なんて、分かってたのに)
今以上に幼かったラパンを脅すために言ってきたのだろうが、他の子どもよりも賢かったラパンは何となく分かっていた。
自分を守ろうと抵抗した両親が殺されている事を。
だから、森から出ることは直ぐに諦めた。
必死になって森の外に出たところで、もう自分を見てくれる人も救ってくれる人もいない事を分かっていたから。
(ーー……だけど)
今はどうだろう。気紛れでいつ噛み殺されるかも捨てられるかも分からないけど、自分を見てくれる人が出来た。銀の髪ではなくてラパン本人を気に入ったと言ってくれた。
それを言ったのが狼男という、正真正銘の化け物でも嬉しかった。
ラパンはベッドからそっと立ち上がってバルコニーへと続く窓に近付く。外はもうすっかり暗い。あと数時間もすれば太陽の気配がするだろう。
「……決めた」
私は今この時から、ケルトーさんに全てを捧げよう。一瞬でも、気紛れでも、私自身を見てくれた彼に。
例え、突然「飽きた」の一言で噛み殺されたっていい。
少女のそんな決意を表すように、銀の髪がきらりと煌めいた。
***
とんとんと乾いた音が鳴った。
暖炉前のロッキングチェアを揺らしていたケルトーはドアの方を一瞥するも何も答えず、手に持っている酒瓶から直接酒を呷った。
焼け付くような熱さがどろりと喉を通って胸に落ちていくのを感じる。
「まだ飲んでるのかい?」
「あんなのは飲んだうちに入らねえよ」
部屋に入ってきたサーヌは酒瓶を持つケルトーを見るなり苦笑を浮かべたが、酒を飲むのを止めるつもりは無いらしく、ケルトーの傍まで行くと椅子を引き寄せて腰掛けた。
そして、今までは緩やかに上がっていた口角を引き締め、少し真面目な声色で問いかける。
「ラパンちゃん、どうするつもりだい?」
「…………」
「あの子の髪、普通じゃないだろう」
射抜くように自分を見つめるサーヌの視線を、ケルトーは僅かに細めた灰色の瞳で受け止める。大量の酒が入っているというのにその眼孔は鋭さを鈍らせてはいない。
「……っ」
問い詰めているのは此方側だというのに肌を焦がすような威圧感を感じて、サーヌは思わずごくりと生唾を飲む。
彼とは長い付き合いになるものの、逸らす事すら許されない程に全てを圧倒するこの瞳の強さに適う日が来るとは、到底思えない。
実際には数秒でもたっぷりとした間が流れる。サーヌが無意識に軽く噛んでいた唇が乾き始めた時だった。
「別にあんな髪なんざ、どうだっていい」
「……え?」
「俺を誰だと思ってんだ? 魔力なんざ今更いらねえよ。俺は彼奴が気に入った、だから連れて帰ってきた。ただそんだけだ」
ケルトーはそうあっさりと言い放った。
まるで「夜が明ければ朝になる」と当たり前の事を言うように返されて、サーヌは口を半開きにしたまま目を瞬かせる。続けて全身から一気に気が抜けたのを感じると、小刻みに肩を揺らしてくすくすと笑った。
「ふふ、そうだね。君はそういう奴だった」
「馬鹿にしてんのか」
「はは、違うよ、ごめん。君が誰かを連れ帰ってくるなんて初めてだったから、僕も気が動転していたみたいだ」
張り詰めていた気が緩んだ反動だろうか、なかなか笑いが止まらないサーヌをケルトーは怪訝そうな顔で眺めていたが、途中で飽きたのか再び酒瓶に口を付ける。
あまりにも普段と何も変わらない彼の姿に自分の考えが杞憂だった事を再確認したサーヌは、テーブルに乗っていたナッツを一粒摘んでから席を立った。
「寛いでいるところを邪魔して悪かったね。また明日」
そう言って部屋を出ていくサーヌを見送ることもせず、ケルトーはただ窓の方を眺めていた。夜空には無数の星が瞬いている。
ふと腰を上げて窓際まで近寄って見上げてみれば、世界を慈しむように微笑んだ半月が闇夜を淡く照らしていた。
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