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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
32/58

流星は巡り逢う


 空から降ってきた卵を孵す事を決めた数時間後。

 書庫から出た四人はパティの部屋に集まっていた。

 部屋に置いてある家具には花や動物をモチーフにした装飾が施されているものが多く、可愛い物が好きなパティらしい雰囲気を漂わせている。

 そして今、絨毯やテーブルの上には使い込まれた裁縫道具や型紙通りに切られた布などがこれでもかと散乱していた。


「よし! これで完璧だ!」

「……だから何でお前はこういう時、やたら仕事が早いんだよ」


 両手に腰を当て、満足そうな笑みを浮かべてうんうんと一人で頷くパティ。

 その傍らではケルトーが呆れ顔で呟き、サーヌは何とも言えずに苦笑を零している。

 

「でもこれなら、卵を冷やさないでいられます」


 そう言いながらラパンは自分の姿を見下ろした。

 前後逆に背負うような形のパティお手製の赤いリュック(白いリボンやフリルで飾られているのは恒例である)の中には、厚手の布に包まれた卵が入っている。

 卵を孵化させるには温め続ける事が必須条件だという事で、パティが僅かな時間で見事にこの卵用リュックを作り上げたのだった。


「有り難うございます、パティさん」

「これくらい朝飯前だ! でも本当に大丈夫か? 幾ら卵が軽いからって、ラパンちゃんがずっと持っていたら流石に疲れるんじゃ……」


 パティは使った裁縫道具を片付けながら心配そうに言う。

 それに対してラパンはふるふると首を振り、完成したばかりのリュックの中で輝いている卵を優しい眼差しで見つめた。


「いえ、私が孵したいって言い始めたんです。私がちゃんと温めます」

「……そっか、じゃあラパンちゃんに任せるよ。でも本当に疲れた時は私やサーヌに預けてくれて良いからな?」


 そのしっかりとした返事からラパンの意志の強さを再確認したパティは微笑む。

 と、その傍らでケルトーが僅かに眉を顰めた。


「おい待て、何で俺が頭数にいねえんだよ」

「だってケルトーに預けたら割りかねないだろ?」

「流石に割らねえよ。つか、あんな固い殻なら階段から落としたって平気だろ」

「そう言う事を考えるから預けられないんだ! 万が一ってこともある!」


 淡々としたケルトーと表情豊かに返すパティ。

 そんな賑やかな掛け合いを始めた二人をラパンとサーヌはくすくすと穏やかに笑いながら見守っていた。


 ***


 卵がラパンの胸に抱かれてから、数日が過ぎた。

 屋敷に来て間もない頃にケルトーと初めて並んで食事をした裏庭の木の下は、今ではすっかりラパンの好きな場所の一つになっている。


「よい、しょ」


 万が一にでも卵が地面へ転がり落ちないように、両手でリュックを下から抱えるようにしながらラパンは芝生にゆっくりと腰を下ろした。

 そうして膝の上にリュックを置き、そこで漸く落ち着いてふうと息をつく。


(重さは大丈夫だけど……動きにくいのは少し大変かな)


 そんな事を思いながらリュックの中を覗けば、布に包まれた卵は素知らぬ顔で輝いている。日光を浴びて光るその様子は何処となく気持ち良さそうに見えた。

 ラパンはそっと口元を緩めると卵を優しく撫でる。目を瞑れば日差しのぽかぽかとした暖かさを全身で感じられて、その心地良さに浸りながらふと思った。


(……お母さんも、こんな感じだったんだろうな)


 日に日に強くなる、眠っている小さな命と早く出逢いたいという気持ち。

 それに気付いた時のラパンの脳裏には、まだ両親と暮らしていた頃に母から聞いた言葉が蘇っていた。

 同じ村に住む女性が妊娠して、そこで初めて妊婦を見た幼いラパンは大きく膨らんだ腹に驚き、思わず母に問いかけた。


《お母さん、あの人はお腹が重くないの?》

《そりゃ重いわよ。だって赤ちゃんがいるんだもの》

《お母さんも、私がお腹にいた時は重かった?》

《ええ、とっても重くて大変だったわよ》

《……嫌じゃなかったの?》


 不思議そうに、そして少し不安そうに小首を傾げる娘に対し、母はくすくすと笑うと目線を合わせるように屈んではその小さな頭を優しく撫でた。


《そうね、嫌になる時もあったわ。……でもね、お母さんはそれ以上にラパンに逢いたかったのよ》

《私に……?》

《ええ、そうよ。だからねラパン、ーー》


 そこまで記憶を辿った時、ふと目蓋の裏の暗さが濃くなった気がしたラパンは閉じていた双眸をそっと開く。

 暗闇に慣れ始めていた視界に光が射し込んで一瞬だけくらりとしたが、その明るさを殆ど遮るようにして目の前に立っている姿をラパンは細めたままの目で見上げた。


「ケルトーさん」


 ごく自然に、その名前が唇から滑り零れた。

 ケルトーは返事の代わりに口角を上げると、当たり前のようにラパンの隣に腰を下ろす。

 

「お前も此処、好きだよな」

「はい、暖かくて気持ちがいいので」

「昼寝するには最適だしな。……そういやそれ、どうだよ? まだ産まれそうにないか?」


 リュックの方に視線を向けて手を伸ばしたケルトーは興味深そうに卵を指先でつんつんと突く。

 真新しい玩具を触る子供のようなその微笑ましい様子に、ラパンは思わず頬が緩んでしまいそうになるのを堪えながら答えた。


「ええと、クレさんは早くても、あと半月は掛かるだろうって言ってました」

「ふーん……そうか。まあ気長に待つか」

「そうですね。でも、早く逢いたいです。早く産まれてこないかなあ……」


 胸に抱いた卵を穏やかな表情で見下ろすラパン。

 その横顔をケルトーは少しの間じっと見つめていたが、やがて静かに逸らすと青空を仰いだ。海よりも優しい青の空には白い雲が寄り添って浮かんでいる。


「……なあ、ラパン」

「はい?」

「その卵が無事に孵って産まれたら、お前は嬉しいか?」

「え? はい、嬉しいですけど……」


 不意に掛けられた質問の意図が分からず、ラパンはきょとんとしながらも思った事を素直に答える。

 しかし、ケルトーは空を真っ直ぐに見上げたまま黙っていて自分に視線を向けているラパンの方を向く気配は無く、そのうちおもむろに腰を上げて背中を伸ばした。


「やっぱ何でもねえ。今のは忘れろ」

「あ、あの、ケルトーさん」

「そういやさっき、パティが探してたぞ? マカロン作ったから一緒に食べたいってよ。多分食堂にいるから行ってやれ」


 じゃあな、と片手を挙げて振り向きもせずに立ち去っていくケルトー。


「……ケルトーさん?」


 呼び止める言葉を挟む間も与えられなかったラパンは一人その場に座り込んだまま、遠ざかっていくその背中を見送る事しか出来なかった。


 ***


 それから時は過ぎ、卵が屋敷にやって来てから丁度一月目となる日の夜。

 四人での夕食を終えたラパンはすっかり馴染んだリュックを胸に、自室のバルコニーに出て夜空を眺めていた。よく晴れた夜空には無数の星が瞬いている。


「今日で一ヶ月だね。……まだ、外は怖いのかな?」


 ラパンは優しく語りかけながら卵を撫でる。それに応えるように卵がふるふると震えたのを見たラパンの頬はふんわりと嬉しそうに緩んだ。

 最初の頃よりも動きの大きさや回数が活発になってきたのを見ると、恐らく孵化する日は近いだろう、というのは最近聞いたクレの意見である。


「早く貴方に逢いたいなあ……」


 銀色の髪が夜風に靡き、星明かりが絡んでは煌めく。

 さらさらと頬に触れるその髪をラパンがそっと片耳に掛けながら呟いた時、


「わっ……!?」


 胸元のリュックが今までで一番大きく揺れた。

 突然の事に驚いているラパンの目の前で真珠色の殻にぱきんと皹が入る。

 その光景を暫し見つめていたラパンだったが、はっと我に返るとおろおろと辺りを見回し、下手に動けないと判断すると意を決して息を大きく吸い込んだ。


「っ、誰かっ、来てくださーいっ!!」


 普段出し慣れない大声を出して喉が少しひきつった気がしたが、今のラパンにはそんな事を気にする余裕は無い。

 こほこほと軽く噎せてからもう一度叫ぼうと息を吸った時、廊下の方から慌ただしい足音が幾つか重なって聞こえてきた。


「ラパン、どうした!?」

「ラパンちゃん! 無事か!?」

「何かあったのかい!?」


 壊れてもおかしくない勢いで開いたドアから、豪雨に押し出された土石流のようにして三人が部屋に飛び込んできた。

 そんな三人の剣幕に呼んだ側のラパンすら一瞬怯むも、直ぐに気を取り直すと三人に向かってリュックを掲げてみせる。


「卵っ、卵に皹が! 産まれそうなんです!」

「何だって!?」

「へえ、遂に来たんだね」

「……何だ、驚かせんじゃねえよ」


 興奮しているラパンの言葉を聞いたパティは目を輝かせてリュックへと駆け寄り、サーヌも期待した様子でその後ろをついて行くが、ケルトーは落ち着きを取り戻して小さく溜め息をついた。

 リュックの中では卵の動きと皹が徐々に大きくなっていて、安定した場所に置いた方が良いと思ったラパンは慎重に移動してリュックをベッドの上に下ろし、卵を中からそっと出してやった。


「……あっ!」

「い、今見えたのって、爪か?」


 卵を囲む四人の前で、皹の隙間から一瞬だけ白く尖った何かが見えた。

 そしてそれは内側から何度も殻を叩き、どうにかして皹を広げようとする、が。


「……弱いな」

「うん、ちょっと力が足りないみたいだね」


 ケルトーの呟きにサーヌが僅かに眉を寄せて頷く。

 それは二人の言う通りだった。空から落下した衝撃にも堪えられるべく硬質化した殻を突き破るにしては、目の前の卵にいる命の力は弱かった。

 その事実にラパンとパティも気付き、困惑と不安を浮かべた顔で卵を見つめる。


「こ、こういう時はどうすれば……?」

「手伝ってあげればいいんじゃないか? ほら、こうして殻を……」

「やめろ、パティ」


 卵に手を伸ばそうとしたパティを、ケルトーの強い声が強制的に引き留める。

 そして返ってくるであろう反論を予想してだろう、目を見開いたパティが口を開くよりも先に言葉を続けた。

 

「自分で殻を割るってのは生き残る為の最初の試練だ。それが出来ない奴は産まれたって弱すぎて生き残れねえ」

「で、でも!」

「此処で無理に生き残らせて、苦しい思いさせて死なせたいのか?」

「……っ」


 言い方こそ淡々としているが、その色は重かった。

 返す言葉を失ったパティは行き場を無くした手をゆっくりと下げ、複雑な表情で卵を見つめたまま唇を強く噛み締める。

 その様子でパティの答えを察したケルトーは目を細め、次に自分を見つめていたラパンに視線を向けた。


「……お前は、どうする?」


 静かに問いかけられて、ラパンは小さく息を飲む。

 そして未だに苦戦している卵の方に視線を向けて一瞬だけ苦しそうに顔を歪めたが、そっと睫毛を伏せてから再びケルトーと真っ直ぐに目を合わせた。


「……私は、手を貸しません」


 その声は少しだけ震えていた。それでもラパンはその言葉を言い切った。

 ラパンの答えを聞いたケルトーは表情を変えず、ふっと目を瞑る。


「じゃあ、見守っててやれ」

「はい」


 しっかりと頷いたラパンは揺れる卵と向き直る。

 先程よりは皹が広がってきているものの、それでも出てくるにはまだまだ足りない。内側から殻を突く爪の勢いも心なしか弱くなってきているように思えた。


「頑張って、頑張って……っ!」

「私達が待ってるぞ! 頑張れ!」


 両手を強く組んで必死に声を掛けるラパンと涙目になりながらも声援を送るパティ。傍に立つケルトーとサーヌも無言ながら、真剣な表情で卵を見守っている。

 そんな四人の気持ちを感じ取っているのか、卵の中に収まる小さな命は何度も何度もその爪を殻に突き立てていた。


 ***


「ーーんう……?」


 ふわっと柔らかな何かが頬を擽っていった気がして、夢の世界に旅立っていたラパンの意識がゆっくりと目覚めていく。

 そのまま数秒ほど動かずにぼんやりとしていたが、不意に意識が覚醒してハッと我に返ると、ベッドの脇に伏せていた顔をがばっと上げた。


(い、いつの間にか寝ちゃってた!)


 慌てて辺りを見回すと部屋の中は朝の日差しで既に明るく、直ぐ横ではパティが組んだ両腕を枕にして眠っていて、少し離れた場所ではケルトーとサーヌが椅子に座り、やはり静かな眠りについていた。

 

(た、卵は!? 卵はどうなって……!)


 一番大切な事を思い出し、あまりの動揺で顔色を青白くさせたラパンは卵の方に目を向ける。


「……っ!」


 そして視界に飛び込んできたその光景にまず言葉を失い、次に体を震わせ、深紅の瞳にじわじわと涙を浮かべながら震える両手で口元を覆った。


「ーーっ、ああ……」


 遂にラパンは堪えきれず、か細い声を漏らした。


 目映い朝日の中、きらきらと輝く真珠色。

 卵と同じ輝きを持つ赤子ほどの小さな体には、同じように小さな手足と金色の巻き角。首元を覆う柔らかな空色の毛は雲によく似ていた。額には一番星のように赤い石が煌めいて、深い藍色の瞳は宇宙を連想させる。

 

「産まれて、くれたんだね……」


 ぽろぽろと涙を零すラパン。

 そんなラパンをベッドの上に座って見つめる小さな命は、背中の翼をぱたぱたと軽やかに羽ばたかせながら、


「きゅうっ!」


 その産声を、高らかに上げたのだった。



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