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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
31/58

零れた星屑

 


「何か今日、やたら暗くねえか?」


 四人での夕食を終えてまったりと寛いだ空気が漂う食堂で、温かな牛乳が湯気を立てるマグカップを片手に持ったケルトーが窓の外を眺めながらふと言った。

 それを聞いたパティは同じく窓の方を見た。ティーカップの中で透き通った琥珀色がゆらゆらと揺れる。


「そりゃそうだ。だって今夜は『月眠り』だからな」

「ああ……もうそんな頃か」


 その答えに納得したケルトーは頷き、マグカップに口を付ける。

 静かに啜れば心地良い牛乳の甘みと共にラム酒の香ばしい風味が鼻を抜けていき、そっと口を離すと独り言のように言葉を零した。

 

「……早いもんだな」

「何がだ?」


 言葉を拾われたケルトーはホットミルクの余韻に浸るような、落ち着いた表情で宙を眺めながら自分の記憶をぼんやりと遡る。


「ラパンを拾ってから、結構経つんだなと思ってよ」

「……そうだな。あっという間だな」


 微笑みを浮かべながら感慨深げに目を細めるパティ。

 ある日突然、この屋敷に連れてこられた少女。最初はどうなるかと思っていたが、いつの間にか自分達の日々に居ることが当たり前になっていた。

 そして今では、大切な存在になっている。


(私にとっては、だけどな)


 そう内心で付け足したパティは紅茶を飲むふりをしながら、向かい側に座っているケルトーをこっそりと盗み見る。

 平然とした顔でマグカップに口を付けているこの男が、一体あの少女をどう思っているのか、それは魔法使いであるパティの魔法を使っても分からないだろう。


(というか、使う気も無いけど……)


 他人の気持ちを覗き見るなんて悪趣味は、普通の魔法使いならともかく『はぐれ者』のパティには無い。

 それに少なくとも、ケルトーがラパンに対して好意的なのは目に見えて分かっている。今のパティにとってはそれだけ分かっていれば充分だった。


「そういや、彼奴はサーヌと何処に行ったんだ?」


 そんな事をパティが考えているなんて知る由もないケルトーは、ふと思い出したようにパティに訪ねる。

 不意に話題を振られたパティは盗み見ていた事がバレたのかと一瞬焦ったが、そうではないと分かると内心でほっと安堵し、なるべく平静を装いながらお茶請けのクッキーを摘んだ。


「さっき言ってたじゃないか。今夜はスティレア草が咲きそうだから花壇を見てくるって」

「スティレア草? ……ああ、あの面倒な花か」

「面倒って言うな! 神秘的って言え!」

「だって三ヶ月に一晩しか咲かないんだろ?」

「だからこそ神秘的なんじゃないか! ああもう、お前にこういう話題を振った私が馬鹿だったよ……」


 口をへの字に曲げて本当に面倒臭そうな表情で話すケルトーに、反論する気すら失せたパティはがっくりと肩を落とす。

 それから長い溜め息をついて顔を上げると、今頃は庭園の花壇で今夜の楽しみを今か今かと待ち望んでいるであろう少女の姿を想像し、ふふっと優しい笑みを零したのだった。


 ***


 スティレア草。

 それは三ヶ月に一度、夜にしか咲かない不思議な花だと有名な植物だった。

 更に特徴として一つ一つの花はとても小さいものの、絨毯一枚分ほどに集まってその根を下ろすというものがある。

 種はどうやって何処から来るのか、何故集まって咲くのか、そして何故夜にしか咲かないのか、全てが謎に包まれた植物。

 そんなスティレア草の開花をラパンとサーヌは煉瓦で囲った花壇の前で待っていた。


「まだですかね……」

「うーん……もう少しかな? でも本当に運が良いよ。まさかスティレア草がこの屋敷の庭に来てくれるなんて」


 そう話すサーヌの横顔は彼にしては珍しく無邪気な子供のようで、隣に立つラパンは微笑ましく思いながら問いかける。


「そんなに珍しいんですか?」

「うん、別名で『零れた星屑』なんて言われるくらいだからね。いつ何処で生えるか分からないんだ」


 サーヌの解説を聞いたラパンは「へえ……」と思わず感心から声を漏らすと、視線を花壇の方に戻して三ヶ月前の事を思い出していた。

 

 いつものように庭園の手入れを手伝っていたところ、庭園ではどうにも見覚えの無い植物が集まって生えているのをラパンが見つけたのが事の始まりだった。

 そして、それを異常事態だと思ったラパンがサーヌに報告し、その光景を見たサーヌがクレの元へ行って本で確認したところ、それがスティレア草だと判明したのだった。


「早く見てみたいですね」

「うん、楽しみだね」


 期待に逸る気持ちを堪えきれず、つい笑顔を浮かべながら開花の時を待つ二人。

 そうして待つこと数十分、不意に屈み込んだサーヌがスティレア草に顔を近付けて確認するように見つめたと思えば、傍らに立つラパンを嬉しそうな顔で見上げた。


「ラパンちゃん、もう間もなくだよ」

「本当ですか?」

「うん、蕾が膨らんできた。きっともうすぐだ」


 込み上げる興奮を抑えているのか潜めた声で告げられた言葉に目を輝かせたラパンは、すかさずサーヌの隣に屈み込んでスティレア草の様子を見ようとする。

 しかし吸血鬼であるサーヌは夜目が利いているらしかったが、人間であるラパンには月明かりが無い所為でよく見えない。ーーが、それは直ぐに解決した。


「わああ……っ!!」


 最初はほんの数粒だった。少し目を逸らしたら見失ってしまいそうな程に小さな光の粒が、控え目にぽつぽつと闇夜に浮かんだ程度だった。

 けれどそれは一瞬で、その光の粒はぱあっと一気に広がっていき、感動と驚愕に目を見開く二人の前であっという間に目映い光の絨毯を広げたのだった。

 

 その光景は例えるなら、星の海。


 あまりの美しさに二人は言葉を無くす。

 穏やかな夜風に吹かれて静かに揺れるスティレア草は、まるで星がきらきらと瞬いているようだった。


「……綺麗ですね」

「うん……これは予想以上だよ。凄いなあ……」


 二人は夢でも見ているかのような気分で、目の前の幻想的な光景から目を離さずにそっと言葉を交わす。

 そうして数十分ほど経つと、淡く輝いていた光達がぽつりぽつりと消え始めてしまった。それに気づいたラパンは寂しそうに眉を下げる。


「あ……」

「これも噂通りだね。スティレア草は数十分しか咲かないんだってさ」

「そうなんですか……。……残念ですけど、だからその分こんなに綺麗なんでしょうね」

「そうだね……うん、きっとそうだよ」


 そんな会話をしている間にも、星の海はゆっくりと消えていく。

 

(まるで夜空に星が帰って行くみたい……)


 ふとそんな事を思って、ラパンは夜空を見上げる。

 今夜は『月眠り』なので其処に月の姿は見当たらず、代わりに星が瞬いている様子がよく見えた。

 普段だったら『月眠り』の日は夜空が寂しいのであまり好きではなかったが、今回は寧ろ丁度良いタイミングだった。ラパンが何気なくそう思った時、


「……え?」


 それは、流れ星だと思った。

 しかし淡い七色に輝いているその丸い物体は、確かに真っ直ぐに此方に向かってきていて、呆気に取られているラパンにどんどん近付いてくる。

 そうして謎の発光体が目の前まで迫って来たところで漸く我に返ったラパンだったが、その時にはもう避けるにはとっくに遅かった。


(ぶつかる!)


 せめてもの抵抗として、両腕を顔の前に翳してぎゅっと目を瞑るラパン。

 が、どれだけ待っても予想していた衝撃がやって来ず、恐る恐る目を開いた。


「あっぶねー……何してんだよ、お前……」

「ケ、ケルトーさん……」


 若干焦りを残した呆れ顔で自分を振り返っているケルトーと目が合って、一気に気が抜けたラパンはその場にぺたりと座り込む。

ケルトーの手には大きめの三角帽子があり、頭を入れるべきその空間には、七色に淡く光る人間の赤子ほどの大きさをした玉が収まっていた。

 

「ケルトー! 人の帽子を網みたいに使うな!」

「仕方ねえだろ。急だったし、他に無かったんだからよ」

「全く……まあ、ラパンちゃんが無事なら良いか。大丈夫か?」

「は、はい……」

「ご、ごめん、ラパンちゃん……。僕もびっくりして動けなかった……」


 地面に座り込んだまま呆然としていたラパンだったが、遅れて駆け寄ってきたパティに手を借りて立ち上がる。

 傍にいたサーヌもそこで漸く我に返り、それでもまだ驚きが抜けきっていない様子で申し訳なさそうに眉を下げたので、ラパンは慌ててぶんぶんと首を振った。


「し、仕方ないですよ、気にしないで下さい」

「なかなか帰ってこないから様子を見に来たんだけど、正解だったな。……しかし何なんだ、これ?」


 自分の三角帽子の中を覗き込みながら首を傾げるパティ。

 其処にすっぽりと収まった球体は真珠に似ていて、きらきらと薄い七色の輝きを放ち続けている。突然危ない事を起こしそうな気配も見当たらない。


「宝石……みたいですけど」

「いや、石にしては軽いぞ?」

「じゃあ何なんだ?」

「うーん……」


 三角帽子の中で物言わずに輝き続けている謎の球体を四人は揃って同じような困り顔で見つめる。

そうやって暫く悩んだ末に、


「……ま、とりあえずクレに聞くか」


 ぱっと顔を上げたケルトーが、残りの三人の頭にも何となく浮かんでいた結論を代表して、あっさりと口に出したのだった。


***


 壁も床も本で埋まる書庫内に大人三人と少年少女が集まれば、それは窮屈で仕方がない。

 そんな狭い空間の中心に座るクレは相変わらず本を手元に開いたまま、普段は乏しい表情を僅かにむすりとしたものに変えていた。


「……何か最近、ラパン以外に書庫に顔出す人、多くない?」

「気のせいだ。良いからさっさと調べろ」

「お願いします、クレさん」


 人に物を頼む態度ではないケルトーにクレの顔は険しさを増したが、直ぐに横から入ってきたラパンの申し訳なさそうな声に絆されて溜め息に変わる。

 そして、傍らに置かれた三角帽子の中で淡く輝いている七色の球体を一瞥したクレは手元の本をぱらぱらと捲っていく。

 流石と言うべきだろうか、数分もしないうちにクレは本から視線を上げて、自分の行動を見守っていた四人に向かって口を開いた。


「これ、多分『流星竜(エトワールドラゴン)』の卵だよ」

「卵なのか、これ!」


 クレの答えに、真っ先にパティが驚きの声を上げた。

 他の三人も同じ感想を抱いていたらしく、それぞれが目を見開いて三角帽子の中身を見つめている。


「そもそも『流星竜(エトワールドラゴン)』って、初めて聞くけど……要は魔物なのかい?」

「まあね、でも害は無いよ。月明かりを食べて世界を飛び回っているだけだから」

「……本当に魔物かよ、それ」


 あまりにも幻想的且つ平和的な『流星竜(エトワールドラゴン)』の生態を聞き、魔物と言うと血の気が多いというイメージが強いケルトーは思わず呆れ気味に呟いた。


「でも、卵がどうして空から……?」

「今言ったように奴らは年中飛んでるからね。卵も空で産むんだ。触ってごらん、多分すっごい固いよ」


 小首を傾げたラパンの問いに、クレはさらりと答えながら三角帽子ごとラパンの方へと向けてやる。

 散らばる本達を踏まないようにして傍まで行ったラパンは、少し緊張しながらも好奇心には勝てず、卵だというその輝く球体にそっと手を伸ばした。


「わ、本当だ……!」


 掌でぺたりと触った表面はとても滑らかで、そして鉄のように固かった。

しかし、そのままそうっと軽く持ち上げてみても大した重さは感じられない。

 生命が、しかも竜が入っていると言うならばもっと重量があっても可笑しくはない。

 不思議に思ったラパンが卵を三角帽子の中に戻しながらそう思っていると、その考えを読んだかのようにクレが言った。


「その卵、普通のに比べて小さいよ」

「えっ?」

「本によると、本来なら人間の子供くらいあるみたい。でもそれは赤ん坊くらいだよね。下手したら無精卵かもしれない」


 淡々としたクレの説明を聞き、ラパンは思わず卵を見下ろした。

 本来なら尊い生命を宿している筈なのに空っぽかもしれないと言われると、その姿は何処か寂しそうに見えてしまう。

 

(……何だか、悲しいな)


 ラパンが小さな胸をちくりと痛めた、その時。


「……ああっ!?」

「おや……?」

「あ? 今、動かなかったか?」


 パティとサーヌの声が重なり、更にケルトーの言葉が続く。

 それに応えるかのように三角帽子の中で卵がふるりと、本当に僅かにだが動いたのを確かに見たラパンは、一気にぱあっと顔を明るくさせて三人を振り返った。


「この卵、私、孵したいです……!」


 その言葉にラパン以外の四人が顔を見合わせる。

 今までラパンからの自己主張が無かったわけでは無いが、一番強い意志を感じさせるその発言に驚きを隠せなかった。

 誰も咄嗟に答えを返せず、書庫に静寂が訪れる。

 その間もラパンは三角帽子ごと卵をそっと抱き締め、顔を見合わせている四人を不安を浮かべた瞳でおずおずと見回していた。


「……ま、拾っちまったなら今更捨てらんねえだろ」


 静寂を断ち切ったのは、屋敷の主だった。

 その一言に残りの三人も頷く。


「だな! それにドラゴンだなんて珍しいし!」

「これも何かの縁だろうしね」

「危険性も無さそうだし、良いんじゃない?」

「……!」


 次々に上がる賛成の声を聞き、不安そうだったラパンの顔に再び明るさが戻る。

 そして嬉しそうに細めた目で三角帽子の中を覗き込むと、静かに輝いている卵の滑らかな表面にそっと頬を寄せた。

 

 偶然巡り会った小さな命。

 それは、あの時の自分と彼に何処か重なって。


(……無事に孵らせてあげるからね)


 そんなラパンの思いが聞こえたかのように、七色の卵はまた微かにその体を揺らしたのだった。



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