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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
3/58

歓迎会

 

 結局、風呂から出たラパンが廊下に出れたのは一時間後だった。

 丁寧にブラシを掛けられて、薔薇色のリボンで綺麗に結い上げられた銀髪のツインテールは、歩くリズムに合わせてきらきらと煌めきながら揺れる。

 太股まで覆う真っ白な長い靴下と、つま先が丸く愛らしい赤色の靴は、今まで裸足で生きてきた所為で少し違和感を覚える。

 それでもラパンは嫌がる事もせず、素直に身につけていた。


「大丈夫か? 歩くの早いかな?」

「いえ……」


 隣を歩くパティは、部屋を出たときからずっとラパンの手を握っている。

 嬉しそうなその様子にラパンは内心で小首を傾げながらも、温かなその手は心地良く、抵抗する気にはならなかった。

 長い廊下を歩き続けて階段を上がり、また廊下を歩いて幾度目かの角を曲がると、他のドアよりも立派な造りのドアが突き当たりに見えた。

 パティはラパンと手を繋いだまま、空いている方の手でドアを軽く叩き鳴らす。


「ケルトー、ラパンちゃんを連れてきたぞ」

「おう。入ってこい」


 ドアの向こうから返事が来たのを聞き、パティはドアノブを回した。

 

「さ、ラパンちゃんも」

「……はい」


 パティの笑顔につられてラパンも中に入る。

 小さなシャンデリアが照らすその部屋の第一印象は──殺風景だった。

 テーブルと椅子が一組。タンスにクローゼット。少し古くも大きな天蓋付きベッド。壁の半分を締める本棚に並ぶ大量の書物は、うっすらと埃を被っている。

 そして、火の付いていない暖炉の前に置かれたロッキングチェアに、この屋敷の主は長い足を組んでゆったりと座っていた。


「お、少しはマシな見た目になったか」

「女の子を連れて帰ってくるなら前もって言ってくれ、ケルトー。そしたらもっと可愛い服とか用意できたのに……」

「うるせえ。もういいから飯作ってこい」

「うう……分かったよ。ラパンちゃん、好き嫌いはある?」


 パティに小首を傾げて尋ねられたラパンは、一度だけぱちりと目を瞬かせ、それから少し考える素振りを見せた後に答えた。


「……虫は、ちょっと」


 一度、数日ほど食事を忘れられた時に、地面から出てきた虫を食べた事がある。

 ころころと肥えていたので栄養が摂れそうだと思い、他はあまり気にせず口に運んだのだが──その何とも言えない食感と味を思い出して、ラパンは緩々と首を振った。

 

「むっ……!?」

「ははっ! 虫か! 虫は俺も嫌いだから出ねえよ、安心しろ。パティ、虫無しのスープでも作ってやれ」


 目を真ん丸に見開いて固まってしまったパティと、ロッキングチェアを揺らしながら大笑いするケルトー。


「……?」


 そんな二人の反応を見て、ラパンは頭上に疑問符を浮かべる。

 数秒置いて我に返ったパティが「待ってて、ラパンちゃん! すっごい美味しいご飯を作ってあげるから!」と慌ただしく部屋を出ていくのを見送ると、ケルトーは笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を拭いながら言った。


「はー……笑った笑った。さて、んじゃとりあえずこっちに来い」

「……はい」


 ちょいちょいと手招きされてラパンは素直に近付く。

 そうして、目の前まで来た少女の姿を上から下まで確認するように見たケルトーは、ふんと鼻を鳴らして片手を伸ばす。


「さて、俺は回りくどいのは嫌いだからな。……お前は何なのか教えろ」


 伸びた手が、垂れた銀髪を掬い上げる。

 断ることは許さないという威圧が籠もった問いかけに対しても、ラパンの真っ赤な瞳に恐怖が浮かぶ気配は無い。

 互いにただ真っ直ぐ見つめ合うこと少々、ラパンは薄い唇をゆっくりと動かし始めた。


「私の髪は、強い魔力が流れているみたいなんです」

「……へえ?」


 ケルトーの片眉が興味あり気にぴくりと上がる。

 それに気付きつつ、ラパンは自分が知る限りの「自分」について淡々と話し続けていく。


「私の世話をしていた人は、とても貴重だから隠す必要がある、と言っていました」

「ふん、成る程な……」


 ケルトーは話を聞きながら、触り心地の良い銀の髪を掌中で弄んで予想する。

 大怪我をたちまち治してしまう程の魔力が流れる不思議な髪。

 そんな髪を持つ少女がいると知れ渡れば、欲深い者達は奪い合うに違いない。

 何らかの理由でラパンの存在を真っ先に知った人物が、彼女を独占するために、人が寄り付かないあの森に閉じ込めていたのだろう。


(扱いの酷さは、大方コイツから自我を奪って抵抗する気を無くす為、か……)


 ラパンを連れ出した時の光景を思い出すと同時に不快感も蘇り、思わずケルトーは眉を寄せる。

 しかし、ラパンはその表情は自分に向けられたものだと思い、髪と同じ色の長い睫毛を数回瞬かせるとそっと頭を下げた。


「……ごめんなさい」

「は? どうしてお前が謝るんだ?」

「気分を悪くさせてしまったようだった、ので……」

「ああ、別にお前の所為じゃねえよ。……しかし、なあ」

 

 ケルトーは視線を指先に絡めた銀髪から、覗うように自分を見るラパンへと移す。

 

「……話してくる事は髪の事だけ、か」

「え?」 

「まあいい。訳分かんねえ髪の事がはっきりしたから気は済んだ。さ、腹減ったし飯食いに行くぞ。ついてこい」


 銀の髪を手放してロッキングチェアから腰を上げたケルトーは、自分を見上げているラパンの頭を軽く叩いて部屋を出ていこうとする。

 しかし、廊下に出る手前でふと足を止めて振り返った。

 

「そういやお前、親とかいんのか」


 その問い掛けにラパンは僅かに体を強張らせる。

 少し口ごもった後、目を伏せて言った。


「……お母さんとお父さんは、私が六歳の時に殺されました」


 漸く、ラパンの声音に感情がちらついた。

 少女が告げるには重すぎる過去。普通なら何かしらの感情を抱くその答えにも、ケルトーは「そうか」と特に気にする様子も無く返す。


「じゃあ、お前を此処に置いても面倒事にはなんねえな」

「…………」

「どうした?」

 

 一瞬だけラパンの瞳が揺らいだ気がして、ケルトーは体ごと向き直る。 

 すると、今まで操り人形のように動いていたラパンが、自分の胸の前で小さな手をぎゅっと握り締めた。


「……どうして私を、此処に置こうと思うんですか?」


 俯いた顔は前髪に隠れている。

 けれど、微かに震えている細い声と幼い体が、ラパンの感じている戸惑いを充分過ぎるほどに表していた。

 しかし、そんな少女に対してケルトーは心配も哀れみも向ける事は無く、更には眉一つ動かすこともせずに平然と答えを返した。


「俺がお前を気に入ったからだ」

「……!」

「行くぞ。パティの事だから、さっさと行かねえとどんどん飯作っちまう」


 ──アイツ、張り切ると面倒くせえんだよな。

 そんな事をぼやきながらケルトーは今度こそ部屋を出ていく。

 その場に残されたラパンが明らかに驚きの表情を浮かべている事に、彼が気付いているかは分からない。

 けれど、ラパンにその表情があったのも一瞬で、


「……私、を」


 色の無い表情に戻ったラパンは噛み締めるように呟くと、ケルトーの後を追いかけるべく小走りでその場を後にした。


 ***


「どうだ? ラパンちゃんの歓迎会だし、張り切ってみたぞ!」

「──……」


 四人で使うには広すぎる食堂。

 大きすぎるテーブルに並べられたのは、どう見ても食べきれない量の料理の数々だった。

 照りのあるソースが掛かった巨大な肉の丸焼きや、こんがりと焼けた木の実入りのパイ、大きな器にたっぷり入った温かな乳白色のスープには肉厚の茸が浮かび、銀の器に盛られた瑞々しい果物は如何にも食べ頃である。

 他にも白身魚のソテーや大皿を埋め尽くす大きな蒲公英色のオムレツ、バターの香りが食欲をそそる柔らかく焼き上げられたパンなどもあるが、あまりにも豪勢な料理を前にしたラパンはどれを見ていいか分からず、ひたすら目を瞬かせて固まっていた。


「……あー、やっぱな」

「パティ……君って、一度エンジンかかると凄いよね……」


 一方、ケルトーもサーヌもこの光景は慣れているらしく、充実感に満ち溢れた様子のパティを半ば諦めた様子で眺めている。

 パティはその視線に気付くと少しバツが悪そうな顔をしたが、ふとラパンを視界に入れると優しく頬を緩ませた。


「ラパンちゃん、どうだ? 食べられそうか?」

「えと、どれも見慣れなくて……」

「じゃあ気になったものから食べてみて、それで気に入ったのがあったら教えてくれ。幾らだってお代わり作るからな!」

「こんなにあんのに更に作る気かよ……」

「まあまあ、折角の歓迎会だし。冷めないうちに食べよう?」


 綺麗に磨かれたワイングラスに芳醇な香りを漂わせる赤ワインを注ぎながらのサーヌの言葉に、ケルトーも「……そうだな」と納得して頬杖を外す。

 そして、自分の隣に座らせていたラパンの方をちらりと一瞥すると、サーヌが予め赤ワインを注いでおいたグラスを軽く掲げた。


「んじゃ、とりあえず乾杯」

「かんぱーい!」

「乾杯。今日から宜しくね、ラパンちゃん」


 自分に向けられた歓迎の気持ちを受け取って、ラパンの胸が心地よい何かでふんわりと詰まる。

 こんな事になるなんて昨日の自分は想像もしなかった。予想しなかった事ばかりで今が現実なのか夢なのかも疑わしい。

 だからラパンは、テーブルの下でこっそりと自分の太股を抓ってみた。


「……っ」

「あ、どうした?」

「……いえ、今日からよろしくお願いします、ケルトーさん」

「おう。まあ好きにやってくれ」


 肉汁が滴る骨付き肉をかじりながらそう答えるケルトーの横顔を、ラパンは無意識に目を細めて眺める。

 そして、自分の薄い腹が小さく主張した事に気付くとテーブルの上を見回し、まずは唯一見慣れているパンにそっと手を伸ばしたのだった。


 ぽつりと赤い点を残した太股の痛みに、心の片隅で安堵しながら。


 

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