温もりに戸惑う
初めに感じたのは、じわりとした熱さだった。
次に感じたのは胸を詰める息苦しさだった。
「っ、かはっ……」
押し出すように息を吐く。頭では目覚めようと思っているのに、目蓋が上下で張り付いてしまったかのようになかなか持ち上がろうとしない。
それでも必死に意識する事でケルトーは漸く重たい目を開くことが出来た。
ぼんやりと焦点が合わない視界に真っ先に映ったのは、見覚えのある天井だった。
その景色を見て自分が『リーブル』の客室で横になっているという事を理解したケルトーは、実際には動かしづらい首の代わりに内心で小首を傾げる。
確か自分は噴水がある広場に居た筈だった。そして其処で街に侵入してきたキメラと戦って、それからーー、
(ーー……ああ、そうだ)
倒したと思っていたキメラの残骸が何故か広場に入り込んでいた親子に襲いかかっていたので、後始末をしようとして負傷し、毒を食らって気絶した。
その事実を思い出したケルトーは自分自身に対して呆れからの溜め息をついた。それと同時にふと気付く。
(そうだ、ラパンは?)
街中ではぐれてしまい、見つけたと思えばキメラに襲われていた同行の少女の存在を思い出し、ケルトーは自然と体を起こそうとした。
「……?」
途端、左手首に違和感を感じてつい其方に視線を向けようと顔を横に向ける。
そういえば大蛇に噛まれたのは此処だった、と思い出したケルトーの視界に飛び込んできたのは、
「なっ……!?」
白い頬に幾筋もの涙の跡を残し、すうすうと寝息を立てているラパンの寝顔だった。
しかし、ケルトーが上擦った声を上げた理由はそれでは無かった。思わず声が出てしまった原因はそのラパンの周囲と見た目にあった。
自分の枕元で眠るラパンの周囲には、乱雑に切られた黒髪が結構な量で散らばっていた。
そして、長さが腰の辺りまであった筈の銀髪が今では背中の中心辺りにまで短くなっている。
その光景を暫し唖然と眺めていたケルトーだったが、ふっとラパンと初めて出会った時の事が脳裏を過ぎり、無意識に言葉が口をついた。
「……もしかして、髪を?」
月が眠る夜に、初めて触れた銀色。
あの時も自分はそこそこ大きな怪我をしていたが、ラパンが己の銀髪を傷口に当てれば、傷はあっという間に塞がった。
そう、正に今と同じような状況だった。
目の前の光景に合点が行ったケルトーは、自分の左手首に視線を向ける。薄く傷跡は残っているものの、動かす事に支障は無く、軽い痺れが残る程度にまで回復しているようだった。
キメラの尾に生きる大蛇の毒は常に鍛えている者はともかく、常人なら即死する強さだと言われている。
体力も治癒力も高い狼男の自分ですら気を失うのだから、本来ならば五日は寝込んでいたに違いない。
けれど、窓の外が夕焼けに染まっているのと体の怠さの程度から予想するに、自分が寝ていたのは約一日程度で済んでいる。
(俺の回復力が土台にあるとしたって、この回復の早さはすげえな……)
向こうの方に見えるテーブルの上には、桶とタオルが置いてあるのが見えた。そして髪を切るのに使ったのであろう、床には鋏が一つ転がっている。
枕元で眠るラパンをよく見れば、目蓋はぽってりと薄紅色に泣き腫れてしまっていて、短くなった銀髪の毛先は不揃いの長さで並んでいる。
(…………)
自分が気を失って眠っている間、この少女はどれほど泣いて、どんな思いで自分の髪を切って、どんな気持ちで自分が目覚めるのを待っていたのだろうか。
それは、今のケルトーには分からなかった。
「……、……ラパン」
ケルトーの唇から当てのない声が零れ落ちる。
それが切っ掛けになったかどうかは定かでは無いが、その声がシーツの上に静かに落ちたと同時に、ラパンの長い睫毛がふるりと震えた。
痛々しく腫れた目蓋の下から眠そうな目が覗いて、その紅色にゆっくりとケルトーが映り込んだ時、
「っ、ケルトーさん……っ!」
「うおっ……!?」
とすん、と軽い衝撃がケルトーの胸にぶつかってきた。
咄嗟に受け止めて見下ろせば、銀色の小さな頭が胸元に埋まっている。
「よかっ、た、けるとー、さん……っ、もう、起きてくれないかも、って、ずっと、私……っ!」
途切れ途切れに紡がれる声はすっかり枯れていた。
そして背中に回された細い腕には目一杯の力が込められ、ケルトーの両腕に簡単に収まってしまう体は儚く震えている。
「…………」
自分の全てで、感情と想いをぶつけてくるラパン。
そんな彼女にケルトーは何かを伝えたくなったが、それをどんな言葉で紡げば良いか分からず、言葉をそっと飲み込んだその代わりに、
「……悪かった、ラパン」
そう呟いて、ぎゅうと抱き締め返したのだった。
***
「全く……。まさかとは思ったんだけど、本当に居るとは思わなかったよ」
「だから、偶然だったって言ってんだろ」
「それにしたってねえ……。ま、キメラも退治出来て、ガルーも無事に目が覚めた。結果オーライってやつかね」
そう言ってアルカはけらけらと笑い、ベッドの上で上体だけ起こしているケルトーに湯気を立てる木製の器を手渡した。
器と同じく木製のスプーンが添えられたそれには、細かく切られて塩で味付けされた肉と野菜が浮かぶ粥が入っている。
器を受け取ったケルトーは早速それを口に運び、もぐもぐと咀嚼しながらアルカを見た。
「……つーか、よくお前一人で俺を運べたな」
「あっはっは! 宿屋を一人で切り盛りしてる女を舐めるんじゃないよ?」
豪快に笑うアルカから聞いた話によると、広場で気を失っていたケルトーを此処まで運んだのは、何とアルカ本人だったと言う。
あの夜、外が騒がしい事に気付いたアルカは大通りまで出て、そこらにいた適当な人物を捕まえて何があったのかを聞いた。
そこでアルカはキメラが街に侵入してきた事を知り、まさかと思って広場に行くと、其処では座り込んでいる親子と気絶して倒れているケルトー。そしてその傍らで泣きじゃくるラパンがいた。
話が出来る状態では無いラパンの代わりに傍にいた女性に何事かと話を聞けば、女性はケルトーが自分達を庇って怪我をし、そのまま倒れてしまったと言う。
そうしてアルカは気絶しているケルトーを背負い、どうにかラパンを宥めて一緒に宿まで帰ってきたのだった。
「しかしまあ、まさかフィーユが魔術師だったとはねえ……。急に『私に任せて下さい』って言った時は心配したけど、キメラの毒を一日で殆ど解毒してみせるなんて大したもんだよ」
「あー……まあ、な……」
感心しきった様子のアルカの言葉に、ケルトーは優しい味の粥を口に運ぶ事で適当に言葉を濁す。
どうやらラパンは自分が気絶している間、髪の事を隠す為に自らを魔術師だと偽ったようだった。
因みにあれからラパンはこれでもかと泣いた後、一気に気が抜けたのかケルトーの腕の中で再び寝てしまい、今は隣室のベッドに寝かされている。
「とにかく今は二人とも休んでおきな。焦って帰る必要は無いんだろう?」
「まあな。でも明日には動けるだろうし、何だったら俺だけで依頼受付所に行ってくる」
「そうかい、まあ無理しない程度に……っと?」
会話の途中でアルカがふっと廊下の方を向いた。
どうしたのかと問いかけようとした時、ケルトーの耳にもとんとんと軽い音が届く。その音は開けっ放しだったドアの外、階段の下から聞こえてくるようだった。
「来客なんて珍しいね。ちょっと行ってくるよ」
「おう」
不思議そうに小首を傾げて部屋を出ていくアルカ。ケルトーはそれを見送ってから残りの粥を頬張る。
直ぐに器は空になり、まだ腹が満たされていないのを感じたケルトーがテーブル上の小鍋に手を伸ばした時、階段を上がってくる音がした。
「ガルー、お前にお客さんだ」
「……はあ?」
帰ってきたアルカの言を聞いて、ケルトーは伸ばしていた手を引っ込めると怪訝そうに眉間を寄せる。
何処か楽しそうな表情のアルカが脇に退くと、その後ろからは、林檎が入った籠を提げた若い女性と愛らしい幼女が並んで姿を見せた。
「ああ、ご無事で良かった!」
その女性はケルトーの姿を見るなり、ぱあっと顔を明るくさせた。
一方のケルトーは状況が飲み込めずに数秒固まっていたが、目の前に並ぶ親子の姿がぼんやりと蘇ってきた記憶と重なった途端に「ああ……」と小さな声を漏らす。
「あん時、広場にいた奴らか」
「はい、そうです……! お陰で私達は助かりました」
「おにいちゃんがいたから、けがしなかったよ!」
込み上げる感謝の思いからか、目を潤ませて話す女性と無垢な笑顔で自分を見上げる幼女に、ケルトーは珍しく戸惑いの色を見せた。
「別にあれは後始末しただけだ。俺は何も……」
「いいえ、そんな事はありません」
歯切れ悪く放った言葉をきっぱりと遮られ、ケルトーは見開いて丸くなった瞳で女性を見る。
そんなケルトーに女性は涙目のままそっと微笑んで、床に着くのでは無いかと思うほどに深々と頭を下げた。
「私達を守って下さって、有り難うございました」
「ありがとう、おにいちゃん!」
「ーー……」
素直で温かい感謝の気持ちが込められた二つの言葉が、言葉を失っているケルトーの胸にゆっくりと優しく染み込んでいく。
そうしてろくに返事を返せないうちに二人はケルトーの体調を気遣って、アルカと数言交わすと早々に帰って行ってしまった。
「広場で宿の場所を聞いてきたから、教えておいて良かったよ。あんな別嬪さん二人に感謝されるなんて、ガルーも隅に置けないねえ?」
「…………」
二人を見送ったアルカは見舞いの品である林檎の入った籠を片手にからかうように言葉を掛けたが、ふとケルトーの様子が可笑しいことに気付いて片眉を上げる。
「ガルー、どうしたんだい?」
「……いや、何でもねえ。食ったら眠くなった」
はたと我に返った素振りを見せたケルトーは首を緩く振って静かにそう言うと、空の器をテーブル上に置いて横になってしまう。
「今日はもう寝る。明日の朝、適当に起こしてくれ」
「……分かったよ。おやすみ、ガルー」
アルカが投げかけた言葉にもケルトーは視線すら向ける事も無く、ただ毛布の隙間から片手を出して応える。
部屋を出てドアを完全に閉めるその瞬間まで、アルカは毛布に包まったケルトーを見つめていたが、ケルトーは微動だにしなかった。
そうして、ばたんとドアが閉まる音が部屋に響くと、其処には静寂が訪れた。
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