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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
2/58

霧の屋敷の住人達

 とある森は、霧の森と呼ばれていた。

 其処は奥に進んでいくと何処からともなく濃霧が視界を包み、気が付くと森の入り口まで帰ってきてしまっているという不思議な森だった。

 興味を持った学者や探検者が何人も足を踏み入れたが、誰もが謎を解明出来ずに終わった。それに別に奥まで行かずとも狩りに支障は無いので、近辺の住人達は特に近付こうともしなかった。

 

 だから誰も知らなかった。

 霧の森の一番奥に、それは大きな屋敷が建っていることを。


 ***


 ラパンを抱えたケルトーが着いた先は、蔦が外壁に絡んだ古屋敷だった。


「よっと……」 


 装飾が施された重い鉄の門をあっさりと片手で開けたケルトーは、ずかずかと我が物顔で敷地内へと入っていく。

 すると、今の今まで周囲をあれほど白く霞ませていた霧が突然晴れ、美しく手入れされた庭園が現れた。咲く季節が重なる筈の無い花々が色鮮やかに咲き乱れて、緑が美しい木々には様々な果実が撓わに実っている。

 そんな夢のような光景にもラパンはぼんやりとしたままで、精々見せた反応と言えば目の前をひらひらと飛んでいく蝶々を目だけで静かに追いかけたくらいである。

 しかし、そんな彼女をケルトーも特に気にせず、屋敷のドアをぐいと押した。

 屋敷の中は古びた外見とは違って明るかった。とはいえ派手な装飾品があるわけでもなく、豪華なシャンデリアが下がっているわけでもない。置かれた家具は豪華さは無くとも年季の入った価値のある物だと一目で分かる物ばかり。良い落ち着きのある雰囲気、というのが一番しっくりと来るような内装だった。


「おい、サーヌかパティ。どっちでも良いから来い」


 玄関ホールにケルトーのよく通る声が響く。

 そして、その声が空間に消えないうちに、二人の前にはいつの間にか一人の青年が現れていた。


「どうしたの、ケルトー……って。……何を持って帰って来たの?」


 白い燕尾服と赤いベストに身を包み、美しい金髪を左耳の少し後ろで束ねたその青年は穏やかな表情を浮かべていたが、ケルトーの肩に大人しく担がれているラパンを見た途端、それを怪訝そうなものに一変させた。


「今日から此処で飼う。ラパンだ」

「いや……飼うって、その子は人間だろう? 何処から連れてきたんだい?」

「森で犯されそうになってんのを持って帰ってきた。汚ねえから綺麗にしてやれ。そんで俺の部屋連れてこい」

「え? いや、ちょっ……うわっ!?」


 状況が飲み込めず狼狽えている青年に向かって、ケルトーはまるで荷物を託すようにラパンを放り投げる。

 そんな突然のパスでも青年はラパンを何とか受け止め、さっさと階段を上がって二階に行ってしまったケルトーの背中を呆れ顔で見送った。

 そして、自分の腕の中で先から表情一つ変えずに平然としている少女を苦笑しつつ見下ろす。


「……ええと、ラパンちゃん、だっけ?」

「はい。ラパンです」

「うーんと……ケルトーが言ってた事は本当かい?」

「間違いありません」

「……そっか」


 幼い声でしっかりと受け答えをするラパンの小さく丸い頭を、青年は優しく微笑みながらよしよしと撫でる。それから、ラパンの身体を抱き直して屋敷の中を歩き始めた。

 柔らかな赤い絨毯が敷かれた長い廊下の途中には幾つも部屋があり、けれどどの部屋も使われている気配は感じられない。


「ああそうだ、まだ自己紹介していないね。僕はサルドワーヌ。サーヌでいいよ」

「サーヌさん、ですか」

「うん。あとパティって子もいるから後で紹介するよ……っと、到着だ」


 気が付けば目の前には廊下ではなく、一面が曇り硝子の大きなドアがあった。

 サーヌの腕から降ろされたラパンは裸足の裏に絨毯の温かな感触を感じながら、繊細な彫り物が施されたそのドアをきょとんと見上げている。


「……此処は」

「お風呂だよ、身体を綺麗にする場所。使ったことある?」

「はい、大丈夫です」

「良かった。じゃあ分からない事があったら言ってね」


 そう言うとサーヌはラパンの頭を軽く撫でてから、廊下に続くドアの向こうへと消えていく。

 そうして、一人残されたラパンは閉じられたドアを暫し見つめた後、自分の身体を辛うじて覆っていたボロ布を脱いだ。


「……広い」


 曇り硝子のドアを開けた先に広がっていたのは、白と灰色を基調としたタイル張りの浴室だった。

 小さなラパンなど頭から爪先まで余裕で入ってしまうような大きな浴槽には清潔な湯がたっぷりと入っていて、よく見ればそこには小さな花を咲かせた香草が浮かんでいる。鏡の前には幾つかの硝子瓶が並べられ、ラパンがそのうちの一つを恐る恐る傾けて掌に出してみれば、薔薇に似た甘い香りを放つ液体がとろりと出てきた。


「……蜜?」


 一瞬舐めてみようかとも思ったが、置いてあった場所を考えると食べ物では無いだろうと判断してその硝子瓶を元の位置にそっと戻す。

 掌に出してしまった分は適当に身体に塗り付けると、ラパンはまず近くにあった白い壷で浴槽の湯を汲んで全身に浴びた。


「あったかい……」


 知らないうちに身体中に出来ていた細かな傷に少し染みた気もしたが、それ以上の心地よさにラパンは目を細める。

 そして、何度か湯を浴びて多少の汚れが落ちたのを確認すると、次はその小さな身体を浴槽にそっと沈めた。


「…………」


 ふわふわと立ち上る湯気を眺めながら、ラパンは今までの事を振り返ってみる。


「……何を求められてるのかな」


 湯船に漂う銀髪をぼんやりと眺めながら呟く。

 此処に来るまでのケルトーの様子を思い出してみるが、彼がこの髪を目当てに自分を連れてきたわけでは無さそうだった。

 ならば食べるためかと一瞬思ったが、湯船に沈んでいる貧相な自分の体をちらりと見下ろして、それも無いかと思い直す。


「でも、じゃあ、何で……?」


 疑問を持つことが何時ぶりかも気付かない少女の呟きは、優しい湯気と共に浴室に消えていった。


 ***

 

 浴室から出ると脱ぎ捨てておいたボロ布は消えていて、代わりに肌触りの良い大きな布と綺麗に折り畳まれた服が置いてあった。

 ラパンは薄く薔薇色に染まった身体から湯気を立たせながら少し考えた後、大きな布を手に取って身体中の水滴を丁寧に拭き取っていく。

 しかし、長い銀髪──男達に切られたとはいえ長さは腰辺りまで残っていた──からは次々と湯が滴り落ちて、終わりが無さそうな状態にラパンが悩んでいると、


「あの……」


 キイ、と小さな音がして廊下側のドアが開いた。

 その隙間からおずおずと顔を覗かせたのは、甘い苺色の髪をした女性だった。


「君が、ラパンちゃん、か……?」


 下がった眉の下で蜂蜜色の丸い瞳が自信なさげに揺れる。

 そんな彼女の問いにラパンがこくりと頷けば、彼女は「良かった……」と羽毛のような吐息を漏らして、漸くドアの隙間から室内に入ってきた。

 菫と同じ色をしたローブの裾を少し引きずって歩くその女性はどちらかと言えば小柄で、それでもラパンよりは背が高い。


「私はパティだ。えっと……ラパンちゃんの敵じゃないから怖がらないでほしい。初対面だから難しいかもしれない、けど……」


 豊満な胸の前でもじもじと指を組んでそう話すパティの姿は、正に人畜無害と呼ぶに相応しかった。

 そんな目の前の人物を安心させるように、ラパンはこっくりと頷いてみせる。


「ラパンです。パティさん、宜しくお願いします」

「……! う、うん、宜しく、ラパンちゃん!」


 途端、周囲に花が舞い散りそうな笑顔を浮かべるパティ。

 しかし、次の瞬間にはハッとして慌てた様子でラパンから大きな布を取り上げ、きょとんとしているラパンの髪や身体を素早く且つ丁寧に優しく拭き始めた。


「ゆ、湯冷めしちゃうよな! 私、ラパンちゃんの手伝いに来たのに……ごめん!」


 涙目になって心底申し訳なさそうにしながらも作業を続けるパティの手際は良く、気が付けばラパンの髪や身体はすっかり乾いていた。

 気弱そうな物腰には似つかわしくない手際の良さにラパンが戸惑っていると、不意にパティが「わっ」と小さな悲鳴を上げて手を止めた。


「ラ、ラパンちゃん、身体中が傷だらけじゃないか!? ああ、痛いだろう……可哀想に! すぐ治してあげるからな?」

「え……?」


 まるで自分の事のように悲しそうな顔をしてパティは指を鳴らす。

 すると、突然現れた淡い光がラパンの身体を抱き締めるように優しく包み込んでいき、あれよあれよと言う間に無数の細かい傷を消していく。

 そうして光が完全に消えた時には、ラパンの肌は磨かれた玉のように美しくなっていた。


「よし、これでもう大丈夫だ!」


 そう満足げに頷いたパティは水分を吸って重たくなった布を籠の中に放り込むと、続いて畳まれていた服を手に取った。


「本当は可愛い服があれば良かったんだけど……今日はこれで許してな? 明日にはもっと可愛い服、作っておくから!」


 そう意気込みながらパティが服を広げてみせる。が、それはもはや服と言うよりは桃色のドレスだった。可愛らしい丸襟やふわりと広がる袖口は純白のフリルが縁取り、胸元と腰には薔薇色のリボンが揺れている。スカート丈は膝より少し上くらいなので歩く際に踏むという事は無いだろうが、それでも動くのに適しているとは到底思えない。


(……これが、服?) 


 今まで自分が身に付けていた服が粗末な物だということは知っていた。それでもあまりにも違いすぎる目の前の服にラパンは赤い瞳をぱちぱちと瞬かせる。

 その間にもパティはあっという間にラパンにそのドレスを着せていき、仕上げに腰のリボンをきゅっと結び直せば満足げに笑った。


「よし、出来たぞ! あとは髪か……うーん、長さがちょっと不揃いだな? こんなに長くて綺麗なのに勿体ない……。とりあえず結んでおこうか」

「あ……えと……」

「リボンは何色だろう? ラパンちゃんは白くて可愛いからピンクかな? ああでも赤も似合いそうだ!」


 どうやらパティは自分の世界に入ってしまったらしく、ラパンを部屋の隅にあった鏡台の前に座らせると鏡越しにラパンを見つめながら思考の海に潜ってしまった。その顔にさっきまでの気弱さは見えない。


「…………」


 心から楽しそうな彼女の様子にラパンは何も言えず、最終的には大人しく身を任せることを決めたのだった。



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