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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
10/58

良薬心に甘し 後編

 長い廊下をパティは早足でぱたぱたと行く。

 本当は今すぐにでも走ってしまいたいのだが、両手に持ったトレイがあるのでそれは出来なかった。トレイの上には温かなスープの入った小鍋と空の食器、調合したばかりの薬が入った瓶が乗っている。


(ああもう! 何でこういう時に限って材料が足りないんだ!?)


 サーヌが採ってきてくれた薬草は充分だったのだが、他に配合しなくてはいけなかった材料が幾つか足りず、さっきまで森に行ってきたパティの苺色の髪には木の葉が付いている。

 しかし、今のパティの思考は寝込んでいるラパンの事でいっぱいなので気付かない。

 どうにか転ばずにラパンの部屋までたどり着いたパティはトレイを落とさないようにしつつ、中で寝ているであろうラパンを起こさないようにと、気持ちだけ勢い付いてドアを開ける。


「……な、っ」

 

 ドアを開け放った体勢のまま、ぴしっと固まった。

 そして、ベッドの方を凝視したまま数秒して、


「ななな……何してんだ! ケルトーっ!!」


 病人を抱き枕代わりにして寝ている屋敷の主を怒鳴りつけたのだった。


 ***


「馬鹿かお前は!」

「うるせえな……眠くなったんだから仕方ねえだろ」

「だからって、だからって!!」

「あの、わたしなら、だ、だいじょうぶです、から……」


 あれから直ぐにラパンからケルトーを引き剥がしたパティは、皿にスープを注ぎながら怒濤の勢いでケルトーを叱り続けていた。

 しかし、叱られている当の本人は全く悪びれた様子も無く、寧ろ睡眠を妨害された所為で少し不機嫌そうに顔をしかめている。

 そんな二人のやり取りに、ラパンはベッドから申し訳なさそうに言葉を挟む。

 先程よりも少し具合が良さそうなその姿に、パティは怒りを落ち着かせてほっと安心した。


「ごめんな、ラパンちゃん……。はい、スープ飲めそうか?」

「俺も腹減った」

「馬鹿! ラパンちゃんが先だ!」


 パティに背中を支えられながら上体を起こしたラパンは差し出されたスープ皿を受け取る。

 ほわほわと湯気を立てているスープは透き通った琥珀色で、添えられていたスプーンで一口飲めば野菜の優しい甘さと僅かな塩味がゆっくりと舌上に広がった。素朴ながらも栄養と旨味が詰まったその味は美味しかったーーけれど。


「ん……」

「だ、大丈夫か? 不味かったか?」

「いえ、おいしいです、けど……、……ごめんなさい」


 飲み込んだ後に少しだけ詰まるような不快感に眉を寄せたラパンに、パティは「無理しなくていいぞ?」と心配しながら背中を撫でてやる。

 食欲不振は風邪の典型的な症状の一つなので仕方ない。しかし、何も胃に入れないで薬を飲むのは体には良くない事だと知っているパティはどうしたものかと悩む。


「ラパンちゃん、他に何か食べられそうな物ってあるか?」

「えと……」

 

 問われたラパンも咄嗟に思いつかず、口をもごもごと動かすだけ。

 そうして二人で悩んでいると、勝手に鍋からスープを啜っていたケルトーが立ち上がって部屋を出ていこうとしたので、パティは思わず声を掛ける。


「どこ行くんだ?」

「食えりゃいいんだろ」

「え? あ、おい!」


 いまいち噛み合っていない返事だけを残し、ケルトーはさっさと部屋を出ていってしまった。残された二人はケルトーの考えが分からずに顔を見合わせる。

 そして数分後、ケルトーは何かを包んだ小さな布を片手に提げて帰ってきた。

 

「ほら、これならいつも食ってんじゃねえか」

「……いやお前、病人にこれは無いだろう」

 

 ベッドの端に腰を下ろしたケルトーは布を広げて中身を見せた。それを見たパティは何ともいえない微妙な表情をする。

 布に包まれていたのは、いつもラパンが食べているガレットだった。

 香ばしく甘い匂いを漂わせる焼き菓子は食べ応えも充分で、誰がどう見ても病人が口にする物としては不釣り合いである。

 

「何でだよ? 好きなもん食った方がいいだろ」

「いやまあ、確かにそうなんだけど……」

「じゃあ問題ねえだろ。ほら、食ってみろよ」

「あ、こら!」


 パティの反応の意味が汲み取れないケルトーは怪訝そうにし、きょとんとしているラパンの口元へとガレットを近付ける。

 それを見たパティは慌てて止めようとした。消化の良いスープですら食べ淀んだのだから匂いだけで気分が悪くなってもおかしくはない。

 そう思って不安になるパティだったが、ラパンは差し出されたガレットを少しの間だけ黙って見つめた後、


「お、食えたじゃねえか」

「えーっ……」


 かぷ、とガレットに口を付けた。

 そして、そのままケルトーの手からガレットを直接食べ進めていく。その表情は特に無理をしている様子も無く、どうやら本当にすんなりと食べられるようだった。

 予想外の結果に唖然とするパティとは対照的に、ケルトーは何処か面白そうにしながらラパンにガレットを食べさせていく。


「まだ食うか?」

  

 結局、ラパンはガレットを一つ食べ切った。しかし、流石に一つで充分らしく、ケルトーの問いかけにはふるふると首を横に振って答える。

 その反応にケルトーも「そうか」とあっさり頷けば残りのガレットを布に包み直し、トレイから薬瓶を手に取った。


「じゃあ薬飲め。それで寝ろ」

「はい……」

 

 瓶の中にはどろりとした濃い緑色の液体が入っていた。如何にも薬らしい苦い匂いが鼻を突いて、甘い物を好むラパンは思わず顔をしかめてしまう。

 それでも飲まないわけにはいかないと分かっているので、意を決して瓶口に唇を付けた。


「うっ、けほっ……」

「が、頑張って! ラパンちゃん!」


 まったりとした重い液体が喉を通っていく感覚と予想通りの強い苦味にラパンの体が強ばる。

 パティの声援を聞きながら息を極力止めて流し込んでいき、何とか飲みきったラパンは瓶から口を離した途端、背中を丸めて盛大に噎せた。


「ラ、ラパンちゃん! 大丈夫か!?」

「けほっ、う……」

「おい、口開けろ」

「んう、っ?」


 パティに背中を擦られながら涙目になっているラパンに声を掛けたケルトーは、返事も待たずに持っていた物をすかさずラパンの口に突っ込んだ。

 目の前で突然起きた強行行為にパティは「きゃあああ!?」と絶叫するが、ラパンは目を瞬かせながらもごもごと口を動かして一言。


「……あまい」

「え?」

「さっき焼き菓子取りに行った時、サーヌが『ラパンちゃんが薬飲んだら食べさせてあげて』とか言って渡してきたんだよ」

 

 舌の上で転がる触感は固くて丸い。どうやら飴玉らしかった。

 あれほど苦味で充満していた口の中が、あっという間に薔薇の香りと蜜の甘さで上書きされていき、ラパンは安心したようにふうと息をつく。


「よ、良かった。ケルトーの事だから、何か得体の知れない虫とか食べさせたのかと……。薬も飲めたし、あとはゆっくり休むだけだな!」

「はい……いろいろ、ありがとうございます……」

「さて、じゃあ片付けてきちゃうか。ケルトーも行くぞ! お前がいたら、またラパンちゃんが休むどころか抱き枕にされかねないからな」

「うるせえな……っ、と?」 


 トレイを持って部屋を出て行こうとするパティにそう言われ、ケルトーもベッドの端から腰を上げようとする。が、つんっと軽く何かに引っかかったような気がして動きを止めた。

 そして、自分を引っ張ってくる方を向いて、灰色の目をきょとんと見開いた。


「……どうした?」

「え、……あ」


 布団の隙間からちょこんと出た小さな手が、ケルトーの服の裾を掴んでいる。

 思わず問いかければ当の本人も無意識だったらしく、裾をしっかりと握っている自分の手とケルトーを交互に見て、そして明らかに動揺した様子で裾から手を離して布団の中に引っ込めた。


「ご、ごめんなさい……」


 ラパンは口元まで布団に埋もれ、申し訳なさそうに上目遣いで謝る。ケルトーはそんなラパンの心境を探るようにじっと見つめる。

 そんな二人を部屋の出入り口前で眺めていたパティは、ふうと何処か微笑ましげな溜め息をついてから言った。


「ケルトー、ラパンちゃんと寝ててあげてくれ」

「は? 駄目とか言ったのはお前だろ」

「いいから! あ、でも抱き枕は駄目だぞ? あくまでも添い寝だからな!」

「……わーったよ」

「あ、あの、っ」

「じゃあおやすみ、ラパンちゃん。ケルトーが邪魔になったらベッドから突き落としてもいいからな?」


 そう言ってパティは茶目っ気のあるウインクを一つ飛ばして、部屋を出ていってしまう。

 バタンと閉まったドアの向こうからは遠ざかる足音が聞こえてきたので、どうやら本当にラパンの事をケルトーに任せたようだった。


「じゃ、寝るか」

「え、あ、はい……」


 展開に追いつけず固まっているうちにケルトーが隣に潜り込んできてしまったので、ラパンは我に返りきれないまま場所を空けた。

 ベッドは広かったので二人で並ぶと丁度良いくらいだったが、肩が触れ合う程の距離にラパンの体は自然と緊張する。

 しかし、ケルトーはそんな事を欠片も気にする様子は無く、大きな欠伸を一つすると両腕を頭の後ろで組んで目を瞑った。

 

「何かあったら起こせ。隣で死なれたら困るからな」

「わ、わかりました……」


 ラパンは横を向けず、天井を見つめて返事をする。それから数分ほど経つと寝息が聞こえてきたので、ラパンは極力動かないようにしながら目線だけを隣へ向けた。

 するとそこには普段の鋭さを潜め、無垢な寝顔を晒しているケルトーがいた。

 その寝顔はあまりにも無防備で、緊張していたラパンの全身からすっと余計な力が抜けていく。そして代わりにこみ上げてきた安心感に微笑んだ。


(……少しだけなら、いいかな?)


 空いている距離を埋める為にラパンはそっとケルトーの方に体を寄せる。ごく自然に広い胸元へ頬を擦り寄せてみると、穏やかな心音が聞こえてきた。

 とくんとくんと一定のリズムが心地よくて、ラパンはそっと目を閉じる。そうするとまるで二人の心音が共鳴している気がした。


(こんな事、思ったらいけないけど……)


 ーー風邪を引いて良かった。

 

 そうして心が温かい気持ちでいっぱいに満たされていくのを確かに感じながら、ラパンも優しい夢の世界へと意識を手放したのだった。



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