Monster and Mobster(不可触罪人ズ:utb 5th)
halさんから頂きましたイラストです
左がシナガワ君で、右が飽浦くんです
halさんのページはこちらですっ!
http://mypage.syosetu.com/130938/
この小説は以下の小説のコラボ作品です
もし良ければおたちよりください!
タイトル:リリス・サイナーの追憶 嘘つき二人
http://ncode.syosetu.com/n6694bo/
作者:Reght
http://mypage.syosetu.com/282754/
タイトル:兎は月を墜とす
http://ncode.syosetu.com/n7030bf/
作者:hal
http://mypage.syosetu.com/130938/
「How’s goin’ your fuckin’ business , monster?」(調子はどうだ、化物)
あの時、彼は僕にこう訊いた。そして、僕はこう応えたものだった。
「I’m fuckin’ fine , mobster」(絶好調だよ、この悪党)
シナガワがドアを開いた。
相変わらずの不満顔。だが、ドアは蹴破らなかった。
重要な事なのでもう一度言おう。シナガワはドアを蹴破らなかったのだ。
何度も粉砕されてきた診察室のドア。また、蹴破られるだろうから、適当に補修しておいた。ドア枠などガタガタになっている。まさか、まともに開けてくれるとは思いもしなかった。
エクセレント。
人とは学習する生物。
シナガワもドアは壊すものではなく、開けるものだという事をようやく学んだようだ。
次のステップへ進もう。まず、バナナを天井から吊るす。そして、下に箱をいくつか置いて、シナガワを観察してみよう。
箱を重ねて、バナナを取れたら、実験は成功。
彼にも知能が存在しているという証明になる。
「ヘイ、飽浦。精神科医の飽浦先生様よ」
不満顔のシナガワ。だが、今日の僕はすこぶる機嫌が良い。
彼が診察室に居るのに、ドアは壊れていない。
全ては順調。僕の目の前にある交差点の信号は全て青。まるでハイウェイ。遮るものなど何もない。全ては思うがまま。
「なんだね? シナガワ君?」
僕は優雅な手つきで横髪を耳の後ろへ撫で付ける。輝くプラチナ・ブロンドの髪は絹の質感。余りの美しさに光の鱗粉が舞っている。細みの眼鏡の奥にはブルーの瞳。僕の美しさは罪深い。地獄的に表現すると第十階層。もはや光さえ僕の魅力から逃れられない。
「パーティーするぞ」
「ええ! 何それ? 意味が分からないよ。また、いきなりだね」
「そう言うな。もう決まった事だ。観念しろ」
投げ捨てるようなシナガワの言い草は殺伐としていた。彼の本質である冷酷さ。それが表に顔を出していた。
そもそも、彼はアンダーグラウンドの住人。僕も東欧から、この国へ来た時には色々と世話になったものだ。日本戸籍をもらったりだとか、精神科医のライセンスを偽造してもらったりだとか。まあ、色々。
シナガワの鋭い目つきは油断無く、風貌は少し荒んでいる。横に分けられた髪は黒で、酷薄そうな薄い唇は固く引き結ばれている。
まあ、男前の部類には入ると思う。
ただ、一言だけ言わせてもらうと僕には遠く及ばない。
「と言うか、事前に言ってくれなくちゃ。僕にだって予定があるんだよ」
「そう言うな。とにかく、これから城に行くぞ。事前に借りておいた。パーティーと言ってもティーパーティーだ。何も問題ない」
「しかし、もう少し早くに言って欲しいよね」
ノブが回される音がした。誰か来たらしい。
あれ?
ドアを強く押している。大きな音が室内にこだまし始めた。
枠に亀裂が入る。嫌な予感。誰かが僕のハイウェイに置き石していたようだ。
誰かがドアを蹴破った。
冗談だろ?
大きな物音を立てて、ドア枠が室内に倒れ込んできた。もうもうと粉塵が楽しげに舞っている。
フリーダム。壊れたドアの破片と埃は口々にそう叫んでいた。
粉塵で真っ白に曇った眼鏡を拭くと、そこには見覚えのある人影があった。
「久しぶりだな、飽浦。元気にしてたか?」
長身の男。目を凝らすと、そこにはヘクターが居た。
「ヘクター。僕の元気は今壊れたよ」
黒の眉毛は凛々しく明眸は爽やか。指にカール気味の髪を巻き付けている。鼻梁もはっきりとしており、横顔のラインは細いながらも野生味を感じさせる。
身体には均整の取れた天然のバネがあり、躍動感に満ち溢れていた。
ふむ、相変わらずの美男子振り。
あっ、言うまでもないが、僕には全く及ばない。
シナガワがヘクターに声をかけた。
「ヘクター、随分な登場振りだな。俺でさえがドアを開けたというのに」
「いや、建て付けがかなり悪かったらな。強く押したらこうなった。悪い事したかな?」
痛む頭を抱えながら彼らと話をする。
ヘクターは別の物語からやって来た。この前もこの世界へやって来て、随分と大騒ぎをしたものだ。基本的に彼は苦労人。苦労の国からやって来た。
今回は随分と暇ができたものだから、この世界に遊びに来たらしい。
恋人のダリアがどこかに連れて行けとせがんだのだそうだ。
「飽浦さん、シナガワさん、こんにちはっ!」
麦わら帽子を被って登場したダリア。その麦わら帽子には穴が空いていて、二つの兎耳が飛び出していた。時々、動く兎耳は可愛くて、正義とは何かを声高に主張している。
彼女の銀髪は輝いており、夜空に浮かぶ天の川のようだ。細い首筋から流れる曲線は優雅。艶やかで無邪気な彼女は春の木漏れ日だ。
「あっ、ダリアちゃん。久しぶりだね!」
「本当ですねえ」
久しぶりに会ったせいか、ダリアは少し緊張しているみたい。
胸の前に手は組まれ、モジモジとしている。きっと居場所がないのだろう。
「あれ? ダリアちゃん。兎耳伸びた?」
「えっ、本当? 伸びてないと思うけど」
麦わら帽子から出ている耳を撫でているダリア。彼女の注意は兎耳に向き、必然と強張らせていた身体もほぐれてくる。
僕は笑いながら言った。
「嘘、嘘。ダリアちゃん。今日もとってもカワイイね。麦わら帽子がとっても似合っているよ」
「嫌だなあ、飽浦さん」
僕とダリアが仲良くやっていると、向こう側からヘクターとシナガワの声がした。
「なあ、シナガワ。あいつって女癖悪かったりするのか?」
「どうだろうな? だが、飽浦には、俺も煮え湯を飲まされた。お前もせいぜい気を付けろ」
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城は郊外にあった。貸し切り。また、シナガワが書類を偽造したのだろう。
何も言いたくないし、聞きたくない。
どうせ、聞きたくない素振りを見せても教えてくれる。耳栓をしても無駄。そんな事したら、僕の頭蓋骨に鉄パイプを突き刺し、僕の脳に直接囁き始めるだろう。脳間通話。新しい特許が取れるかも、だ。
パーティー会場の城は西洋のもので、尖塔がいくつか天を突き刺すように伸びていた。屋根は青色で、壁は白みを帯びたクリーム色。気取った感じが心地良い。
周りは林になっており、地面も刈り揃えられた芝生が輝いていた。短めの緑毛はカーペットのようで、そこに地道が通っている。
ホテルのロビーに入る。愛佳と悠馬が既に到着していて待っていたようだ。白くて高い天井の下で、愛佳は退屈そうに床の模様を眺めていた。
「愛佳ちゃん! 元気にしていた? 久しぶりだね! それに、悠馬君も」
「待ったか? 先に来ているとはな。二人とも元気そうで何よりだ」
僕達の声に気付いたのか、愛佳と悠馬が顔を上げた。
この前見た時よりも身長が伸びていそう。
「遅い。飽浦、シナガワ。いつまで僕を待たせるんだ」
不満げな愛佳。
後ろに束ねられた髪は橙色。澄み切った夕焼けをそのまま切り抜いたかのよう。顎は細く、白い象牙の細首の上には整った顔。オートクチュールの精巧さと、品位の高さを感じさせる。
女性の気高さと優雅さは弓眉の下にある金色の目に現れている。薄く引かれたルージュは妖艶で、いつもより唇が紅く輝いて見えた。
「イル・モンド・ディ・ニエンテからようこそ。今日はお化粧してくれたのかな? 僕はとっても嬉しいよ」
僕の言葉を聞いた愛佳は少し眉を潜めた。そして、シナガワの方に向かってヒソヒソ話し始める。
「ねえ、シナガワ。飽浦って、女好きだったりする?」
「否定はできないな。愛佳ももう大人だからな。注意しろ」
愛佳の隣には、悠馬が立っている。茶髪にエメラルドの目。整った顔立ちをしていている。石灰で作られたような白い肌はまだ若々しく、夏場の葦のような伸びを感じさせた。筋肉は細いが骨組みはしっかり。これから伸びてゆくだろう。若草の新鮮な香りが、彼から漂ってくるようだ。
「悠馬。元気にしているか? 愛佳の足を引っ張ってないだろうな?」
「あったりまえだろ? 俺が居るから問題ねえってば」
「大した鼻息だね。悠馬君も背が伸びたなあ。来年は高校生だっけ?」
「そうなんだよなあ。勉強がヤバい。特に数学が超ヤバい」
大声で騒ぎだした悠馬。本当にヤバいらしい。この前の試験結果を思い出したのか、少し興奮気味のようだ。真夏のサイレンを聞いているような暑苦しさ。仕方無い。
「悠馬君、とりあえず落ち着こう。僕は精神科医だから、鎮静剤を持っているんだ」
「ありがとうございます。飽浦さん。折角なんで飲んでみるか」
近くにあった、ウォーターサーバーから水を汲んできた。並々と注がれた水は冷えていて、紙コップを掴んだ指先にも涼しさが伝わってきた。
悠馬はもう一度礼を言ってから錠剤を飲んだ。
横ではシナガワと愛佳が話をしている。混ざらなくては。
「愛佳、悠馬は数学ダメなのか?」
「シナガワ、悠馬の数学を見てやってくれないかい?」
「今日は遊びに来たんだろ? たまには仕事や勉強の事は忘れろ」
「そうそう、愛佳ちゃん。世の中、なるようになるもんだよ」
愛佳と悠馬はイル・モンド・ディ・ニエンテと呼ばれる世界から来たお客様。彼らも別の物語からやってきた。ヘクターやダリアとも違う物語からのお客様だ。
愛佳はそこで大変な目にあっている。静かにしていたくても、周りがそれを許さないのだそうだ。気が付いたら巻き込まれている。そんな毎日。フルストレス。彼女が時々、死にたいと漏らすのも分かるような気がする。
この所、彼女達の世界が停滞しているのだそうだ。暇だったから遊びにきたと言っていた。
「そうだったねえ。パーティーのお菓子は悠馬に作らせるから」
愛佳は少し疲れてそうだ。悠馬はちゃんとサポートしているのだろうか?
振り返って見ると、悠馬はソファーの上でだらしなく寝ていた。見ちゃいられない。思わず目を覆いたくなる。
「悠馬! そろそろ、ティータイムの準備だろう? いつまで寝ているんだい」
愛佳が悠馬を叱りつける。それでも悠馬は起きそうにもない。なんという寝汚さ。先が思いやられる。
待てよ?
ふと、思う事があって、悠馬にあげた錠剤を手にしてみた。
まずい。
超短時間用の睡眠薬。鎮静させすぎた。
悠馬の頬が叩かれる音を聞きながら、僕はそのリズムに遭わせて口笛を吹く事にした。
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キッチンでお菓子を作る。本来、全て悠馬がやるはずだった。
しかし、その悠馬は熟睡状態。もはや、耳元で核爆弾を炸裂させても起きそうにもない。
代打で僕達がやる羽目になってしまった。
シナガワは黒いエプロンをしている。下の方にはポケットが付いていて、不貞腐れたように手を突っ込んでいた。ご不満のようだ。
「面倒な事になったものだ」
「まあ、仕方がないよ」
僕も黒のエプロン。少し伸ばした髪が邪魔なので、後ろで括る事にした。
三時になったら、軽くティーパーティーを開く。それまでに準備しなくちゃいけない。まだ、余裕は十分にある。
ただ、チョコレートは作らせてはくれなかった。愛佳が言う事には、最後を決定付けるチョコレートは特別なものらしい。
レシピは悠馬の頭の中。
しかし、肝心の彼は名誉の昼寝。
仕方なく愛佳が担当する事になった。かなり本気だ。
このままでは愛佳は疲れ果ててしまう。ちょっとだけ声をかけてみる事にした。
「愛佳ちゃん、すごい迫力だね」
答えてくれない。
捨てられた子犬の気持ちがわかったような気がした。
愛佳は集中している。チョコレートにかける情熱はただ事ではない。
今更ながらに、愛佳のチョコに対しての情熱には頭が下がる。
カカオの匂いが香しくキッチンを漂う。きっと美味しいものになるだろう。
寝ぼけ眼で起きてきた悠馬。まだ頭がフラフラしている。
「起きたか」
「あっ、シナガワさん? 俺、どうしてココへ?」
僕は優しく彼に言ってあげた。色々と思い出されては面倒な事になる。
「可哀想に、悠馬君。疲れていたんだろう? 長旅は疲れるものだからね」
半分閉じられた目で悠馬が頷く。袖で目を擦っている。
「後は愛佳のチョコレートを待つだけだ。悠馬、疲れているなら休んでおけ。三時にティーパーティーだ。俺は適当に散歩してくる」
シナガワがエプロンを解き始めた。少し気になって、ドアの方に頭を向けると、前を通り過ぎる影があった。
誰だろう?
僕は一人で城内を歩き回る。表で見たよりも中は随分と狭い感じ。螺旋階段を上ってみたり、展望台に上がってみたり。
正面のバルコニーで太陽の光を浴びていると気持ちが良い。伸びをしていると身体から凝りが飛び去って行く。
気が付くと、いつの間にか三時近くなっていた。
ついでにヘクターに声をかけておく事にした。
途中でキッチンの前を通り過ぎる。もう、準備は終わっているだろう。
直感があった。虫の知らせとでも言うのだろうか。口では説明できない何か。
「飽浦。何をしている?」
背後から声がかかった。振り返ったら、いきなりシナガワ。思わず驚いてしまった。
「びっくりしたじゃないか。今からヘクターの所に行くんだよ」
「それなら俺も行くか。ん、何を見ている?」
「いや、何でもないんだ」
キッチンの奥で何かが笑っている。いや、嗤っているのかも知れない。
部屋に入るとヘクターが本を読んでいた。随分と神妙な顔をしている。
「よお、ヘクター」
無遠慮に声をかけたのはシナガワ。相変わらずの傍若無人さ。
「何だ、お前達か。今、本を読んでいるんだ。後にしてくれ」
すげない返事を投げて寄越すヘクター。彼は本が好きなのだろう。追い払うように手を払い、活字の世界に戻って行った。
白い窓枠の外にはそよ風が吹いており、並んだ木々は緑を震わせ、囁き声を奏でていた。静けさが僕達の間を通り抜ける。近づくな。そう言っているかのようだ。
「ねえ、何の本を読んでいるの?」
僕が訊くと、ヘクターがぼんやりとした口調で答える。心は本の中にあるようだ。
「よく知らない。机の中に入ってあった」
「机の中?」
「そうだ。最初にアブラハムが父親で、その息子が誰の父親だとか、どうだとか」
「ああ、聖書だね。あまり面白くないよ、ソレ」
「読書中なんだ。邪魔しないでくれ」
よくもまあ、聖書なんかを読めるものだ。僕にはとても受け付けられない。繰られたページを見てみると、読み始めたばかりらしい。
どうしよう?
シナガワに目で尋ねると、彼はしばらく考えて、こう言った。
「ヘクター、その主人公、最後には死ぬぞ」
「ネタバレかよっ!」
なるほど、ヘクターは異世界からやってきた。どうやら、オチを知らなかったようだ。
信じた所で殺される。
ヘクターが椅子から立ち上がった。少し怒っていたようだが、手にした本を見直し、まあ良いかとばかりに閉じてしまった。
「まあ、良いさ。大したコトは書いていなさそうだったしな」
彼は引き出しの中に本を仕舞った。
「そろそろ、ティーパーティーなんだけどね。ところで、ダリアちゃんはどこに行ったの?」
「俺にも分からない。さっき出て行って戻ってこないんだよな」
ヘクターは詰まらなさそうに呟く。
この部屋は洗練されたデザインで、家具やアメニティも良い趣味をしている。快適な空間。
しかし、だからとは言え、一部屋に男が三人もいるのはどうかと思う。
いくら僕が完全以上に美しいと言っても、流石にこれはむさ苦しい。自然と心も荒む。窓際に咲いてる花も枯れ果てて、その内、コバエが喜んで飛び回る事だろう。
「あれ? どうしたんですか?」
後ろからダリアの声がした。振り返れば、そこにはチョコレートの匂いをさせたダリア。彼女は驚いたような顔をして立っていた。
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ティーパーティーの幕開け。
愛佳が言った。
「誰がチョコレートをつまみ食いしたんだい?」
皿に盛られたチョコレート。綺麗な形をしている。茶褐色のお菓子はカカオの匂いをさせて、楽しそうに銀盆の上に身体を並べていた。愛佳の言葉を聞いて、よく見てみれば、確かに何個かが欠けているようだ。
視線を戻せば、愛佳は少し笑っていた。
これは良くない笑い。相当に怒っているご様子。爛々と輝く瞳が何よりの証拠。
これは起爆スイッチが押されたという事だ。爆発の時が迫っている。緊急事態。僕の頭の中でアラーム音が鳴り出した。
「この城には俺達以外に誰もいない」
シナガワが愛佳の言葉を引き継いだ。まるで舞台の上に立たされている気分になった。
「シナガワ、それはこの中に犯人が居るって事か?」
ヘクターが状況把握しようとしている。落ち着いた声だったが、その声には緊張が混じっていた。鷹の目を左右に動かしている。
「そういう事だ、ヘクター」
沈黙の帳が降りて来た。重々しい空気。世界が暗転した。
誰かがチョコレートを食べた。この中の誰かがチョコレートをつまみ食いした。その事実が皆の肩に重くのしかかる。
疑心暗鬼。収縮をし始める空間。もはや針一本落とせない。
窓の外から雷鳴が聞こえてきても不思議ではない。部屋の中に満ちるは黒い霧。
暗鬱とした雰囲気は、心の底に隠したはずの闇を呼び起こす。
これは良くない。かなり良くない。何より全く楽しくない。
僕達は可能な限りハッピーエンドを目指すべきだ。
物事はポジティブに考えなくては!
「なるほど、犯人がわかった」
シナガワが言い切った。澱んだ空気を切り裂くようだ。切れ長な目が鋭く輝いている。彼は堂々と指差した。そこには威厳すら漂っていた。
「悠馬、お前が犯人だ」
「えっ? 俺かよ!」
悠馬がたじろぐ。狼狽ぶりはただ事ではない。しかし、シナガワは怯まない。むしろ、自信を深めたようだ。そう言うだろうと思っていたとばかりに頷いている。
「俺は食べちゃいない! 絶対に食べてない!」
少年の精一杯の主張。だが、シナガワは一顧だにしなかった。
「食べていない? 馬鹿を言え。お前には食べた記憶があるはずだ。良く思い出してみろ」
しばしの沈黙。
素直な悠馬は天井を眺めた。自分の記憶を辿っているらしい。しばらくして、彼は意識を戻し、間違いないといった表情をした。
「いや、やっぱり。俺は食べていない」
「いいか。悠馬。お前は半覚醒状態でフラフラしていた。犯行時刻はその辺り」
「ええっ、マジかよ!」
「人間の記憶は簡単に忘れられる。都合の悪い記憶は特にそうだ。脳の働きでそうなっている。自我を保つのに危ういと脳が判断した場合は、いつの間にかその記憶は忘れられる」
「そんな馬鹿な!」
悠馬が嘘を言っているようには思えない。
彼は素直な性格。嘘をつくのであれば、挙動が変わる。彼の身体から発せられる信号は、彼の犯行を明確に否定していた。
シナガワはそういった信号を分析するのが得意。それが彼の仕事の一部だからだ。
そのシナガワが犯人は悠馬と断言している。
そこから、導き出される答えは一つ。
シナガワは犯人をでっち上げようとしている。
彼とは長年の付き合い。流石に何を考えているのか分かるようになってきた。
僕はすっかり名探偵気分。鋭い推理力。自分の隠れた才能に惚れ惚れしてしまう。芸術的だとも言えるだろう。
「お前が今日このホテルの玄関に入った時、右足から入ったか、左足から入ったか、どっちになる? 言ってみろ」
「ええー。そんなの覚えていないよ! 覚えている訳がないじゃないか!」
「バカを言え。俺は覚えている。俺は右足から入った。飽浦、お前は?」
シナガワのアイコンコンタクトを受けて、僕は頷く。
なるほど、そういう事だね。
「僕は左足から入った。普通は覚えているよ、悠馬君」
僕の返事に、我が意を得たりとばかりにシナガワが頷いた。
素晴らしいチームプレイ。称賛に値する。思わず誰かに言いふらしてやりたくなる。だが、ここは我慢のしどころだ。
「ええっ! マジかよ!」
悠馬が驚く。それはそうだろう。そんなの一々覚えていたら、頭はきっとパンクする。
シナガワがテーブルを激しく叩く。余りの激しさにテーブルの上に置かれた花束が震えた。悠馬も一緒になって震えている。
「そうだよ。悠馬。お前がやった。お前は忘れているだけなんだよ。ここではなく、今までチョコのつまみ食いを経験した事はあるか?」
「う、うん。何度かつまみ食いした事はある、かな?」
「そうだろう。そうだろう。繰り返される動作は特に忘れやすい。答えてみろ。靴を履く時はどっちの足を先にする? ドアを開く時はどっちの手を使う?」
呆然とした悠馬。彼は震えるように言った。
「そんなの覚えている訳無いじゃないか!」
「いいや、俺は覚えている。飽浦もそうだ」
そんなもの覚えている訳がない。
でも、僕はしっかりと頷いた。
「当然だよ。普通は覚えている。って言うか忘れる方がどうかしているよね」
事件を早期解決して、皆でハッピーになりたい。目標はそこだ。
大多数の幸福を守る為には、少数の犠牲は目を瞑らなくてはならない。
悠馬は自分を疑い始めているようだ。目から輝きが消えていた。頭がグラグラ動いている。後もう一息。
「俺がやったかもしれない」
「馬鹿を言え。やったかもしれないじゃないんだよ。やったんだ。お前はチョコレートを食べたんだよ」
悠馬はガックリと肩を落とした。もはや、命の火が消えてしまいそうだ。
「俺がやりました」
うなだれる悠馬。囚人の顔をしている。何もかもを失えば、このような表情をするのだろう。口から魂が出てきそう。彼の口元で手を叩いてやれば、好奇心を滲ませた悠馬の魂が出てくるかもしれない。
愛佳の方を振り返る。事件は解決した。爆発は未然に防がれた。
だが、愛佳は言った。
「チョコの半分以上がなくなっているんだよね。犯人は複数犯のはずだよ」
愛佳の表情は薄笑いを消していない。柳眉を逆立て、金色の目は輝きを帯びていた。導火線の火は消えていない。これはマズい。
シナガワが言った。
「おかしいな。俺は一つしか食べていない」
探偵が突然に犯人に変わった。思わぬ展開。
僕は目を丸くした。色々予想外過ぎる。
「お前が食べたのかよっ!」
ツッコミを入れたのはヘクター。いつもより大声だった。過剰な反応。いや、過剰過ぎだった。
僕とシナガワは視線をヘクターに投じた。彼に注いだ僕達の視線は露骨にこう聞いていた。
『食べたのか?』
視線に気付き、ヘクターは冗談ではないと頭を振る。無言だが、彼は空気の読める男。僕達が何を言わんとしているか、察したようだ。
そういえば、ヘクターがチョコを摘んでいる時間は無い。
僕達が部屋を訪れた時、ヘクターは聖書を読んでいた。繰られたページから考えると、チョコレートを食べる時間などありはしない。
そうなると。
視線は隣にいるダリアに注がれる。僕達の視線の移動に気付き、ヘクターの横顔に脂汗が浮かび始めた。
なるほど、そういう事か。
ヘクターの部屋に行った時、ダリアはいなかった。そして、現れた時、彼女はチョコレートの匂いに包まれていた。
容疑者発見。
暢気そうにしているダリア。皆の視線が集中する。何を勘違いしたのか、ダリアがその視線に照れた。兎耳が逃げ場所を捜してキョロキョロ動いている。顎を引いて白い頬を真っ赤に染めていた。
かわいいな。
僕の頭上に花畑が広がった。平和そうに蝶がゆったりと飛んでいる。
彼女を犯人にすべきではない。ヘクターに押し付けてしまおうか?
ヘクターはダリアに何かを訊きたそうな顔をしている。だけど、手をわななかせるばかりで口からは何も出てこない。それを見てダリアが不思議そうな顔をした。
「どうしたの、ママ?」
「いや、何でも無いよ。何でも無い。疑う事は良くない事だよね、ダリアちゃん」
ヘクターの顔が引きつっていた。
その一部始終を見ていたら、シナガワが口を開いた。
「飽浦、正直に白状しろ」
まさかの裏切り。
背後からバッサリ殺られた気分。パックリと背中が割れて、新しい僕が生まれてくるかもしれない。
「バレてしまっては仕方がない。よくわかったね、シナガワ」
自分で言いながらなんだけれども、よくわかったも何もあったものじゃない。
シナガワと一緒に食べたのだから。
嫌な予感の原因。それを調べようとキッチンに入ったら、不幸にもチョコレートがあった。これが真相。
「僕は一個だけ食べた」
「お前も食べたのかよっ!」
ヘクターのツッコミが入った。流石は戦士。ツッコミの切れ味が違う。
悠馬はと言えば、下を向きながら何かを呟いている。目には影が落ち、ネガティブな単語がいくつか聞こえてくる。
まあ、良いか。聞かなかった事にしておこう。
意識をチョコレートに戻す。
愛佳は言った。チョコレートの半分以上が無くなっていると。
僕とシナガワが食べたのは二個だけ。つまり、そうなるとダリアが何個か食べてないと、説明がつかない。
ダリアは相変わらずに気楽そうで、大きな目を開いて、皆の様子を伺っている。不思議そうな表情。それでいい。彼女は汚れた罪悪から遠くに居るべきだ。隣にいるヘクターの汗はますます激しいものになる。
僕とシナガワはヘクターに視線を送り続ける。
『言ってしまえ、ヘクター。俺がやったと言ってしまえ』
ヘクターに流れる誇り高き血が偽証を許さないのか、握った拳が震えていた。僕達はヘクターに無言で要求する。目力二倍増し。僕達から出てくる視線は熱光線のようだろう。
『言ってしまえ、ヘクター。俺がやったと言ってしまえ』
ヘクターは空を向いて、遠い目をした。自分を捨て去る決意をした修行僧の目つき。そして、彼はダリアの横髪を軽く撫で、穏やかに話かけた。
「安心してくれ。ダリアの罪は俺の罪」
言い終わるとヘクターは正面から叩き付けるように言い放った。天上に居る神に挑戦状を突きつけるようだった。
「そうだ! 俺が食べた! 俺がチョコレートを食べたんだ! これで良いかっ!」
シナガワが歓迎するかのように両手を広げて、ヘクターの言葉を受け止めた。
「素晴らしい、ヘクター。これでお前も仲間だ」
「最悪だっ! お前達に仲間扱いされるなんかっ!」
「いやだなあ。染まってしまえば同じだよ。これで僕達は友達になれるね」
僕達三人の間で歪んだ友情が芽生えようとしていた時、ダリアが不思議そうに首を傾げて言った。
「あれ、愛佳ちゃん。チョコレートが無くなったのは二個だけでしょう? 私も一緒に作った時に数えたけど、二個だけしか減ってないよ?」
なんと言う事。ダリアは愛佳と一緒にチョコレートを作っていたらしい。彼女がヘクターの部屋に居なかったのも、チョコレートの匂いをさせていたのも、これで説明がつく。僕がキッチンを出る時に見た影がダリア。
そんな事を考えていると、愛佳がダリアの質問に応えた。
「ダリアさん手伝ってくれてありがとね。でもまあ、自首をうながそうと嘘で誘ってみたら、まさか犯人の方が多いなんてね。無くなったチョコレートは二個だけだよ」
そういう事か。
ギロチンの音が聞こえた。まんまと引っかかってしまった。
握手をしようとしていた手は引かれ、変わりに互いの思惑が交錯した。
芽生えかけた友情に亀裂が入った。愛佳は言葉を続けた。
「まあ、悠馬は食べちゃいないと思うけどね、それほど大胆な事はしない子だから」
何かが壊れた。
地獄で苦しむ亡者達。そこにクモの糸を下ろしてみる。すると、どのような図になるか、想像して欲しい。
想像できただろうか?
地獄の中に更なる地獄が発生した。
シナガワがヘクターの逃げ道を塞ぎ始めた。
「ヘクター、お前は言ったな? 疑う事は良くない事だと。まさか、ダリアを疑ったなどと、同じ口から出るハズもない」
「恋人は疑うなど、あってはならない事だよね。でも、君がダリアちゃんを疑ったのだとしたら、彼女の心は傷つくだろうなあ」
「お前らっ! 表に出ろ! この悪魔共!」
ヘクターの牙が剥かれている。かなり本気。
「飽浦、行ってこい」
「ええっ? 僕だけなの?」
机が大きく叩かれた。銀盆は怯えたように表面を震わせていた。
「お茶会を始めよう!」
愛佳の一言。それを合図にお茶会が始まった。僕達は円卓の席につき、何もなかったかのように、チョコを摘む。
美味しいなあ。
思わず頬を押さえたくなる。口の中に広がる甘みと苦み。絶妙なハーモニー。ヘクターから強い視線を感じたが、この際、どうでも良い。
何事もポジティブに考えなくては。
「飽浦とシナガワは一つずつ少な目だからね」
「えっ、そんな、愛佳ちゃん! できれば、もうちょっと食べたいなあ」
「愛佳の判断が妥当だろう。残念だが仕方無い。足る事を知れと言うからな」
「飽浦、シナガワ。お前ら、やっぱり我慢ならない!」
「ママ、どうしたの! チョコレート美味しいよ」
「俺が食べたんだ。俺が食べたんだ。俺が食べたんだ……」
とりあえず、ハッピーエンドには到達できたようだ。
チョコレートは本当に美味しかった。
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色々と大騒ぎがあったけれども、囁かなパーティーは幕を閉じた。
僕達はそれぞれの物語に帰る事にする。
次に会える日は何時になるか分からない。
だけど、たまにはこういう大騒ぎも悪くないものだ。
楽しい時間も終わりがくるもの。僕達は自分達の世界に帰る事にした。
闇の心臓から送られる、闇の滴。
無の心臓から送られる、無の滴。
世には贖罪を願えど、涙を流せないモノも居る。
それらが落とせる滴は血しかない。
ヘクターとダリアは彼らの世界、ヨルドモ王国へ戻り、
愛佳と悠馬は彼女達の世界、イル・モンド・ディ・ニエンテに戻った。
「ふう、今日も大騒ぎだったよね」
「そうだな」
笑みを漏らすシナガワの横顔を見ながら言ってみた。過ぎた日を思い出して。
「調子はどうだい、この悪党」
「絶好調だよ、化物」
二人で笑い合った。誰も居なくなった城にその笑い声が反響する。屋根裏まで響いただろう。城が笑っている気がしたぐらいだ。
「飽浦、俺はそろそろ行かなくちゃならない」
「そうか。元気でね、シナガワ」
シナガワはシナガワの世界へ戻っていった。
さあ、僕は僕の世界に戻らなくては。
城を歩いていると片隅に影が落ちていた。
僕はそこへと足を進め、姿を消す事にする。
闇は闇にあるべきだ。
僕は僕の世界に戻る事にする。
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