第0話 王と王子―ヴェルニアにて 2
謁見の間を出た3人は、そのまま執務室へと向かった。
執務室には、書類や資料などで雑然としていた。
「椅子も用意できなくてほんとにごめんな。どこか適当な所に座ってくれ。」
「あ、ああ。全然気にしないでくれ。」
「陛下、床にでも座れというのですか?」
「あ…。」
(座るとこないじゃん…。)
山のようにある紙の束は、机や椅子の上に置かれ、床には足の踏み場もないほど紙くずや使い道のないようなガラクタが転がっている。挙句の果てに、何日も掃除が十分にされていないのか、綿屑が歩くたびに舞い上がった。
ウィリアムにとって、王となってからは何日も缶詰になっていた場所だ。自分が未熟ということもあるが、王の仕事はなかなか減らず、食事の時間も削りながら籠っていた場所だった。
「ご、ごめん。今片づけるよ。」
慌てて、近くの椅子の上にあった書類をどけるが、どこに置くべきかわからなくなってしまった。
「…。」
「…。」
「…陛下、私がお手伝いいたしましょう。」
宰相は、着ていた緑色のマントのどこかから、長い杖を取り出し、
「『光』と『風』の精霊よ、部屋を清浄に、我が願いを聞き届け」
と呪文を言い、杖を一振りした。
すると、窓がガタガタと鳴り、戸が開いた。窓からは雪解け水のような匂いと少し甘い匂いが混ざった風が吹きこんで、部屋に積もった、たくさんの綿ぼこりと書類を浮き上がらせた。ウィリアムの手の中にあった書類も一斉に逃げだし、宙に浮いた。同時に、あっちこっちに移動していた椅子や机も本来あるべき場所に戻ったようだった。やがて天井の隅にあった蜘蛛の巣も、綿埃やゴミも、全て柔らかい風に包まれて窓の外の向こうに吸い込まれるようにして消えていった。書類は、きちんと整頓され、机の上に整列している。
(最初から魔法を使えばよかったかな…。)
ウィリアムは、少し気まずくなってしまった。
(宰相なんて絶対、白い目で見てるし…。)
…風で簡単に吹き飛ばせない汚れは、光魔法で落としているらしい。その証拠に、カルロの着ている汚れた服には、白い光が瞬いている。なかなか光は消えないらしく、カルロは真っ赤な顔でうつむいている。
「…。」
「…。」
「…カルロ様は先にご入浴された方がよろしいかもしれません。その間に、何かお召し物のご用意をしますから、どうぞ遠慮なく。」
「…ありがとう。」
「…じゃあ、その間に少し仕事を片づけようかな…。」
宰相が呼んだ侍女の後について行きながら、カルロはちらっとウィリアムを見た。ウィリアムもそのことに気付いたが、彼に目を向けなかった。
(カルロは王になった俺のこと、どう思ってるんだろう…。)
カルロは執務室に戻り、ウィリアムと2人で食事を取ることにした。食事を勧めた宰相は、一度部屋を退室するそうだ。部屋を出ていった彼の背中を見送りながら、カルロは、先ほど感じた寂しさに思いを馳せていた。
(もう昔には戻れないのか…。)
半年前までは、お互い同じ王子として会っていた。
そして、ウィリアムが王になったと聞いたのは、ヴェルリアに向かって、追手を交わしながら逃げて行く途中の道中でだった。信じられなかった。あの優しかった王や、王妃、王女がそろって行方不明になり、残されたウィリアムが王になり、ヴェルニアを引っ張っていく。王子という身分がなければ、傍にいて支えていたかった。不可能だと分かりつつも、つい考えてしまう。
謁見の間で彼の顔を見たとき、愕然とした。その顔を見られぬ様、顔を伏せたが、心の中でさざ波が立つのを感じた。ウィリアムは一言で言うと、ひどい顔をしていた。だがそれよりも驚いたのは、彼が大人びた表情を浮かべていたことだった。この2週間で彼はこんなに変わってしまった。そんな彼にこれ以上の重圧を背負わせていいのだろうか?
だが今は、シ―リアの運命が懸かっている。なんとしてでも力を貸してもらわなければ―
「―カルロ?」
「っ!!…陛下、どうかいたしましたか?」
(しまった!何か話しかけられていたか…?気を緩めたらお仕舞いだ。)
「…。」
「あの陛下?」
ウィリアムは話しかけた後、握っていたフォークをテーブルに置き、下を向いて黙っている。表情が見えないせいで、王が何を考えているのかわからない。
「もう駄目なのか?」
「えっ?」
(王は何の事を言っているのだろう。父上たちのことだろうか…。)
「…これから一生、そんな他人行儀なのか?」
「…。」
(あ…、そういうことか。…だが、この国に頼みごとをしている時点で、今まで通なんて、もうできるはずない。)
「陛下、そればかりは…。」
「…。」
「…。」
何を思ったのか、ウィリアムは突然杖を取り出し、
「…『精霊』よ、我に力を、彼ものを…吹っ飛ばせっ!!」
えっ?
ちなみに、執務室の扉が吹っ飛んだ爆音は、城下町まで届いたという…。