月が欠けるとき
陰陽師、は出てきませんが……。 一応、みつきの物語です。
今はもう居ないわたし。
あのとき、わたしは、とにかくうれしかった。
だって楽しかった。
青空が、あんなに気持ち良いものと知ったのは初めて。
温もりが、あんなに心地好いと知ったのも初めてだった。
彼と共に青空を駆けるとき。
空高くそびえる雲を突き抜け、気が遠くなるほどの速度で飛びぬけるとき。
吹きすさぶ風と一緒に、彼の息吹も、そして同時に鼓動も感じられた。
空の蒼も、森の緑も、水の碧も、命の煌きも、全てを喜びと共に感じることができた。
一緒に過ごす瞬間は、全てが輝きと喜びに満ちていた。
よろこび。 その気持ちに初めて気がついた。
いや、思い出したのだろうか?
遥か、時の彼方のわたしには、そんな気持ちはあったのだろうか?
けど、その時のわたしには、受け継がれる記憶と、果たすべき使命しかなかった。
それでよかった。 不満はなかった。
けど、よろこび、は決して邪魔にならない、そう感じた。
どうしてって、よろこびがあれば、わたしの光は、ひと際輝きを増すことができた。
光で満ち、満ちる月となって、夜空で輝くことができた。
たとえ、他に光のない闇夜でも、わたしは満ち、てらすことができた。
与えられた名のとおり、満つる月となれた。
それは、彼と過ごすことができたから。
彼と共に過ごすよろこびを光に変えられたから。
彼と一緒の世界を守りたい、そう思うことができたから。
それでもやはり、それが許されないことと判ってはいた。
彼の存在そのものが大きすぎる。 強すぎることは知っていた。
そう解ってはいた。
けど、目を背けていた。
森の奥の湖。
湖には、大きな力を持つものが住んでいた。
その湖に、彼はいた。
彼の瞳は穏やかだった。
その瞳には、湖面の煌きに似た、優しい光が満ちていた。
わたしは、わたしの気持ちが怖かった。
何か未知のものが、わたしの心の中に生まれたような気がしたから。
けど、わたしは彼を怖れなかった。
彼が微笑んだように感じたから。
そして、一目見た瞬間、安らぎを感じたから。
けど、人は彼を怖れた。
彼は、人ではなかったから。
それが何だと言うのだろうか?
彼には心があった。気持ちもあった。
人であるはずのわたしより、ずっと豊かな気持ちを持っていた。
とにかく、共に過ごしたかった。
わたしは共に生きていきたかった。
それでも、彼は、わたしが守るべき世界に含まれるべき存在ではなかった。
それでも。 それでも、彼は優しかった。
分かり合える、そう信じていた。
人は彼と分かり合えない、そう知ってはいたけど……。
それでも、わたしは共に生きていきたかった。
わたしは分かり合えると信じたかった。
けど、どうなるのか。
どうすべきなのか。
わたしは知っていた。
ただ、そうしたくなかっただけ。
それでも、暫くは何もなかった。
不安のさざなみを抱えながらも、平和な、よろこびと共に生きる時間は存在した。
ただ、その期間が短く終わっただけ。
けれど、わたしがよろこびを知るのには十分な長さだっただけ。
とにかく、人は彼を怖れていた。
思い通りに、願い通りになると、人は彼に感謝した。
けど、すぐに忘れてしまった。
そして、願いは次第に膨れ上がっていった。
とても、分相応とは思えない、そんな願いでも、彼は必死で叶えた。
そんな願いでも、願い通りにならなければ、人は彼のせいだと考えた。
そして人は、そのことは忘れなかった。
わたしには、変えることなんかできなかった。
人々を止めることなんてできなかった。
だからって、受け止めることなんてできなかった。
あなたが居なくなることになんて耐えられなくなっていた。
もう、わたしはわたしではいられなかった。
取り戻した、手にしたよろこびを、失うことには耐えられなかった。
人として、わたしの使命としては、受け入れなければならないことだった。
けど、わたしには受け入れることなんてできなかった。
そして。
彼を奪った人たちを、許すことなんてできなかった。
記憶と使命と気持ちと……。
だから、わたしはわたし自身を引き裂いてしまうしかなかった。
だから、よろこびなんて、知りたくなかった。
でも、うれしかった。 止めることなんてできなかった。
もう、気持ちなんて持つのはやめよう。
でも、失いたくない。 忘れることなんてできない。
今はもう居ないあなた。
どこに行けば、もう一度、あなたに会える?
何を投げ出せば、もう一度、あなたと過ごせる?
わたしが投げ出したのは、それまでのわたし自身の証。
記憶と使命。
残ったのは、気持ち。
いや、投げ出されたのが気持ちなのだろうか?
けど、そんなことはどちらでもいい。
気持ち、以前のわたしにはなかったもの。
新しい私は、気持ちだけだった。
あなたが居ないことの苦しみ、あなたを失わせたわたしへの憎しみ。
あなたを追いやった、ひとへの怒り。
喜びは、怒りと憎しみに変わってしまった。
そんな気持ちのままにするしかなかった。
叫ぶたびに、憎しみがわきあがった。
手を振り回す度に怒りがこみあげた。
何かを引き裂くたびに、何かを失っていった。
もう、私は光に満ちてなどいなかった。
光を放つことなどできなかった。
光は失われてしまった。
そして月は、闇の奥深くに沈んだ。
えっと、後書きで言い訳しちゃいますが……。
詩、ということもあって、あまり具体的に描写するのもどうか、と思ったもので、ほとんどのがぼんやりとした表現をしてます。『わたし』の名前は『満月』と書いて『みつき』と読む、ある村の巫女です。転生を繰り返し、遥か昔からの記憶と使命を受け継いで村を守る存在です。そして『彼』は……。