つま先の君に恋をした。
(……なんか、いる)
草むらの影に誰かのローブが落ちている。
――と思いきや、裾から足が生えていた。靴底の端しか見えないので、性別すら不明である。制服のローブを着ているので、この魔法学園ローズシティナの生徒であることは確かなのだが。
「もしもし。大丈夫ですか? 生きてます?」
とりあえずと言わんばかりに、その場にしゃがみ込む。茂みの中に上半身が完全に隠れてしまっているので、アージュン・ハイデリはつま先に向かって声をかけた。クラスメートが取り逃がした召喚獣を探しに学園内の中庭まで来ていたのだが、ちょうど探し飽きていたところだった。
声をかけてみたものの、返事はない。というより、アージュンにとったら返事はないほうがいい。ただ捜索をさぼる口実が欲しかっただけなのだから。
きっと自習時間か、それとも授業をスキップして昼寝でもしてるのだろう、そう結論付けてそれ以上声をかけずにドサッと腰を下ろした、そのとき。
「しーっ!」
「へ」
つま先の主が声を出した。
「静かに〜! いま、猫っぽいのが寝てるの!」
「⋯⋯」
アージュンはすん、と表情を消した。
(ツッコミどころがてんこ盛り⋯⋯)
まず、一番静かにしなければいけない本人が一番大きな声を出しているのだが、どうなんだそこんとこ。
それに、猫っぽいってなんだ。猫じゃないのか。ついでに言うと、寝てるならそっとしといてやれよ。
一先ず声の感じから、つま先の主の性別は女性ということだけはわかった。
「猫っぽいのって、何ですか?」
「猫みたいに見えるんだけど、耳が垂れてて目が三つあるから、たぶん魔獣の類っぽい」
「へぇ〜⋯⋯」
アージュンは特に意識せず普段の声のトーンで質問したら、向こうも同じくらいの大きさで返してきた。さっきの牽制は一体何だったんだ。
「ところで、あなたは何をしてるんですか?」
「この子、寝顔が超可愛いから、愛でてるの」
「⋯⋯」
そうかそうか、愛でてるのか⋯⋯
⋯⋯⋯⋯とはならない。全身をすっぽり茂みの中に潜らせないといけない位、奥まったところで寝ている猫っぽいものを、どうやって見つけたというのだろう。
「えーと、僕も見てみたいな」
「ごめ〜ん、私が先客だから。後にして」
「⋯⋯」
「後で代わってあげるから! 私、ちゃんと約束するよ」
いや、順番待ちしてまで見たいわけではない。
「そんなとこに寝そべってて、身体痛くないんですか?」
「実は髪の毛が枝に引っかかってて⋯⋯」
「そうですか」
「⋯⋯」
一瞬、ほんの少しだけ、つま先から冷えた空気が流れ出た気がした。
決して「取ってあげようか?」といったような、そんな親切なことは言わない。だってお願いされたわけではないから。仲間内からは「アージュンって人が良さそうに見えて、そういうとこあるよね」と言われたりもするが、知ったことではない。というより、身体を気遣ったのに、そっちかよ、という気持ちが湧き上がらなかった訳ではない。
(そう言えば、さっきから向こうはタメ口だけど、この人は何年生なんだろう?)
「あの、あなたは何年生なんですか?」
「一年だよ」
まさかの年下だった。
そうと分かればこちらも敬語でなくとも問題無いはず――そう思ったアージュンはタメ口に切り替えて質問を重ねた。
「一年生なんだ。学科は?」
「魔法学科。学年名乗った途端にタメ口ってどんだけ〜」
(それを言うなら初対面の人にその口調ってどんだけ〜⋯⋯)
面倒なことになりそうな気がしたので、決して口には出さず心の中で呆れ混じりのツッコミを入れる。
それにしても、魔法学科の一年生だとは。この学園の魔法学科は入学も狭き門ながら、カリキュラムもとんでもなくスパルタなことで有名だ。特に一年生はその厳しさ故に、学期途中でも転科や転校をするものが後を絶たず、"脱落組"と呼ばれている。
――こうして授業をサボっているこの子は、脱落組へ真っしぐらなのでは、と余計な心配をしてしまうのは、余計なお世話だろうか。
「そっちは?」
「え? 僕?」
なんと。つま先さんが自分に質問を入れてきたではないか。一問一答のやりとりからの脱却に、この子への興味が急速に広がっていく。
「僕は召喚科の三年だよ」
「⋯⋯」
(なんで黙るのさ)
残念ながら、向こうはそれほど自分に興味を持ったわけでは無かったらしい。
魔法学科に比べると、自分の所属する召喚科は俄然緩い。出席日数さえ揃っていれば、どれだけ赤点だろうが進級可能だ。
けれども、魔法学科も召喚科も、他の学科と違って入学前に実施される適性検査に受からなければ受験すらできないので、双方ともに難易度は高かったりする。そして魔法学科の者が契約獣を持ちたいときは召喚科の生徒に相談に来ることが多いので、自分と知り合っておいて損は無いと思うのだが。
「私、あと一、二時間くらいはこの子を愛でると思うから、そこで待ってても暇なだけだよ?」
「いや、順番待ちしているわけではないんだけど」
「じゃあ尚更、何やってんの、こんなところで」
それをおまえが言うか。
この台詞を音にせず飲み込んだ自分は大人だと思う。つま先を茂みから出して猫っぽい魔獣の寝顔を授業をサボってまで眺めているなんて一体何やってんだ、である。
「僕はクラスメートが逃がした召喚獣を探してるんだよ」
「そうなんだ。あれ、召喚獣って、召喚者から逃げ出したりするの?」
「レベルを見誤ったら、もしくは相性がすこぶる悪かったらね。よくあることだよ」
召喚術で幻獣を呼び出す際、術者より幻獣のレベルが桁違いに高かったり、魔力の相性がよくない場合は召喚しても幻獣は暴走してしまう。
今回召喚獣を逃がしたクラスメートは「図鑑からビジュで選んで呼び出してみた」なんて適当な召喚をしてしまったがために、速攻で脱走されてしまった。大人しい種類なので特に悪さをするわけではないが、魔力をガンガンに吸われるため早く見つけ出してお還りになってもらわないと最悪命にかかわる。
「ふーん」
「微塵も興味なさそうだね」
(あ、うっかりした)
つい反射的に口にしてしまった。おそらくつま先さんは目の前の猫っぽい魔獣に全ての意識を持っていかれてる。さっきから話しかけてくる自分に対しては、とりあえず返事をしているに過ぎない。
「だって他人事だし」
「おっしゃる通りで」
なんだろうか。このつま先さんに果てしなくシンパシーを感じるのは。自分は自分、他人は他人、それ以下でも以上でもない。それがアージュンのモットーなのだが、ほんの数ラリー会話をしただけで、彼女からは自分と似たような気質を感じた。
「逃げた子、早く捕まえたほうが良いんじゃない? あなたこんな所でサボってていいの?」
「授業をサボってる人には言われたくないなぁ」
まだ一年生なのに堂々と授業をサボって魔獣を愛でている奴にだけは言われたくない。
「残念、サボりじゃないです〜。私のこれ、一応授業の一環なんだけど」
「え?」
「魔法学科の実技授業で、これまで習った魔法を駆使してかくれんぼするっていう授業」
「マジか。楽しそうだね。というか、僕、もしかして邪魔した?」
「ううん。認識阻害と防音魔法かけてるから、クラスの子たちからは見えてないと思う。端から見たら、あなたがずっと独りで喋ってるように見えるんじゃない?」
「えええー⋯⋯」
全く気がつかなかった。意外にも彼女は優秀な部類らしい。阻害魔法は高度なもので、一年で習うようなものではない。ただ、自分には彼女の魔法が通用しなかったので、精度はまだまだのようだが。
(面白いな)
「じゃあ、これは独り言。魔獣を愛でるのをちょっとやめて、こっちへ来て一緒にサボらない?」
「独り言なら、私は関係ないからいいかな〜」
秒で誘いを断られてしまった。だがここで引き下がるようなことはしない。どれだけ煙に巻かれても、彼女は返事をきちんと返してくれるので、アージュンは押しまくってみることにした。
「じゃあ名前教えてよ」
「私の名前、高いから」
「いくら?」
「プライスレス」
「値段設定面倒になったの?」
「あは、バレた?」
つれない返事に心の中で高速で思考を巡らせる。
それと同時に、加速度的にどうしてもつま先さんのことが知りたくなっている。
(懐かない猫というか、なんというか⋯⋯)
例えるなら、餌付けしたのに触らせてくれないあの感覚に近い。食べてくれたのに、するり。彼女の場合、返事は返してくれるけど、するり、といった感じだ。
(うーん、どうやったらお近づきになれるのか⋯⋯)
そうして出した結論は。
パンッと両手を合わせ、契約獣のうち地属性のものを召喚してみた。そこそこ大きな蛇型の契約獣が瞬時に姿を現し、『ヨウケンハ』といつもの調子でアージュンに語りかけてくる。
「君はほんとに合理主義だね。最初くらい挨拶か世間話とかしようよ?」
『ヨウケンハ』
一切デレ無い彼を、アージュンは「ツン」と、そのまんまやないかい、な命名をしている。このやりとりも毎度のことで、どれだけ彼を多用しても一向にデレる気配が無いところはいっそ清々しい。
「ツン、この目の前の茂みの葉っぱを丸裸にして」
『ショウチシタ』
真っ黒のモヤがアージュンの周囲を囲むようにして広がる。そして瞬きの間に、つま先さんが隠れていた茂みの葉が一斉に枯れて地面へとハラハラと落ちていく。
「!?」
「はは、これで姿も丸見えだね」
「すんごい力技!」
どうとでも言ってくれ、だ。仲間内からはこれまた「アージュンって基本笑顔なのにめっちゃ短気だよね」と言われたりするが、これも知ったことではない。
(さて、と)
早速つま先さんのご尊顔を拝ませてもらおうかと視線を落ち葉の中に向けたのだが――
「――あれ?」
(無い!?)
顔が、ない。
というか頭が見当たらない。
枝の隙間から見えたつま先さんの全身は、ローブがすっぽりと被さっているのだが、明らかに中身が無かった。ただ、地面にローブが落ちているだけに見える。――つま先を除いて。
「なんでつま先だけなんだ⋯⋯」
「だから、認識阻害の魔法かけてるって言ったじゃん」
いや、それなら全身にかけろよ、という言葉を寸でのところで押し込んだ。
「⋯⋯君、変わってるって言われない?」
「? 可愛いはよく言われるけど」
「冗談でしょ」
「ほんとほんと」
透明人間の彼女との軽快なやり取りが続く。
「顔見せてよ」
「やだよ、バレるじゃん。見つけ役に見つかったら減点なんだから」
「ちょっとの間魔法を解除するくらいならバレないよ」
「だからヤダってば。ほら、私もあなたの顔一切見てないから、お相子でしょ」
「ええー⋯⋯」
姿が透明なので気付かなかったが、どうやらつま先さんはこちらを振り向いてもいないらしい。
アージュンは自身の容姿にそれなりの自信を持っていた。南国出身の祖母の血が色濃く出たらしく、顔立ちはこの国の住人より彫りが深い。その色彩は、褐色の肌に赤銅色の髪、砂漠の砂のような茶金の瞳という派手なもの。人目を引く外見と、一見人が良さそうに見える気質から、初対面の女子への受けは最強だったりする。
が。
こちらを振り向きもしてない女子には何の効果もない。
「ねぇつま先さん」
「誰。んん? もしかして私のこと?」
「君以外にいないでしょ。頭隠して足隠さずな人」
「そうかなぁ? 世界のどこかにはいるんじゃない?」
「範囲広いね。じゃなくて、僕つま先さんとお友達になりたいんだけど。そこにいる猫っぽいやつより可愛い幻獣を召喚してあげるからさ」
こうなったら直球勝負だ。自分でも気付かなかったちっぽけなプライドを捨てて、猫っぽい魔獣のように可愛いらしいものが好きそうな彼女に餌を与えるようにして誘いを持ち掛ける。
「うわー魅力的。けど、私第三学年の人って信用してないから〜」
「なにそれ」
(学年を理由に断るだと?)
「第三学年の人になんかされたの?」
「うん、この前異学年交流授業で、第三学年の魔法学科の先輩方と一緒に授業したんだけど〜⋯⋯この紅一点の可愛い私をボッコボコにしてきたんだよ? それになんか恥ずかしい二つ名持ってる人だらけだし」
「ボッコボコ⋯⋯二つ名⋯⋯」
授業でボッコボコにされるとは、どんな授業を受けたんだろうか。
「ちなみに、二つ名って?」
「え? 有名だからあなたも知ってるんじゃない?
『炎の申し子』
『チートくん』
『ワンコの下僕』
『歩く下半身』
あとはなんだっけ⋯⋯」
アージュンは目頭を押さえ頭を抱えたくなった。というのも、二つ名のほとんどが彼の友人だったから。
「あと、召喚科にもいるんでしょ? 二つ名もち。『スマイル幻獣キラー』だっけ。笑顔で幻獣を陥落させてえげつない量の契約獣を持ってるっていう変態」
「⋯⋯」
彼女の声には揶揄いが含まれており、 冗談混じりに言っているのがわかる。
けれども、アージュンは頬を引き攣らせ内心気が気でなかった。
(なんで一年生まで知ってるんだ⋯⋯)
まさか自分の二つ名が一年生の、しかも他学科の生徒にまで浸透してるとは思いもしなかった。
本人から二つ名を名乗ることほど寒いものはない――しかも変態とまで言われてしまっている。
アージュンは絶対にそれが自分だと悟らせまいと心に固く誓った。と、ちょうどそのとき。
リーン、ゴーン⋯⋯
予鈴の音が辺りに鳴り響いた。
「あ、予鈴だ。捜索を切り上げて教室に戻らないと」
逃げたクラスメート総出の召喚獣探しはこの時間までで、予鈴が鳴ったら打ち切りで次の授業に行けというのが先生からのお達しだった。
見つかったら通信魔法で先生から生徒に連絡すると言っていたが、来なかったので誰も授業時間内に見つけることができなかったのだろう。
「僕はもう行くけど、つま先さんも教室に戻る?」
「ううん、残念ながら、私は次の時間もかくれんぼ続行なの」
「わお。それは本当に残念」
アージュンの口からでたのは本心からの言葉だった。
せっかく面白い子に出会えたのに、彼女のことを何もわからないまま別れるのは非常に名残り惜しい。
(⋯⋯このまま別れるのは嫌だな)
いつもだったらアージュンは幻獣以外の物事に執着しない性質だ。にも関わらず、珍しく人に興味を示していることに、彼自身も不思議な感覚になっていた。
「じゃあさ、僕は君のつま先と声を覚えてるから、次に会ったときは声かけるね。君も、僕の声を覚えたでしょう? もし魔獣と契約したくなったら、僕のところにおいで」
「つま先って、私が靴変えたらわかんなくない?」
「大丈夫。変態だから」
「あは、自分で言った」
「――別にいいでしょ。あ、次の時間は場所移動したほうがいいかもね。ここだけ葉っぱがないの不自然で目立つし、ローブが落ちてるように見えるのも目立つと思うし」
「ご忠告どうもありがとう。あなたが行ったら私も移動する」
途中まで一緒に、なんていう選択肢は彼女にはないらしい。本音を言うと後ろ髪を引かれまくっていたが「じゃあ、またね」とさらりと告げて、その場を後にした。
――きっとまたすぐに会えると期待を胸にして。
***
(いや、すぐ会えるとは思ったけどさ)
放課後、クラスメートの逃がした召喚獣探しで居残りとなったアージュンは、午前中と同じく学園の中庭に来ていた。茂みの端に誰かのローブが見え、もしやと思って近付いてみると。
「何この既視感」
裾から見えたのは、見覚えのあるつま先。
ただ、一つ違うのは、ローブの上には頭がついていて、ピンクブロンドの長い髪が地面に広がっていたこと。
「――つま先さん?」
呼びかければ、うつ伏せだった身体がゴロンと向きを変えて空を仰いだ。
紫水晶のような瞳が、こちらを捉える。その腕には、三つ目の猫っぽい魔獣が抱えられていた。
(めっちゃくちゃに、ドストライク)
可愛いとよく言われるというのは、真実だったことが嫌でもわかった。そしてそれ以上に、アージュンは自分の好みに合致し過ぎていることに戸惑っていた。
チョロい、チョロ過ぎるぞ自分。
赤くなりそうな顔を気付かれないよう視線を逸らし、ぶっきらぼうに告げる。
「――今、その子体勢的に潰してなかった?」
「潰してません〜。私の身体、羽根のように軽いんで」
「⋯⋯そ、そう」
アージュンは口に手をあてて空を向いた。
(なんだよ、つま先だけ見えたときは面白いっていうだけだったくせに)
寝転んだまま口を尖らせている姿すら、可愛いと思ってしまう自分はきっと重症に違いない。
ふと、足元にフワッとした感覚がして視線を下へ向ける。いつの間にか、三つ目の猫っぽい魔獣が彼女の腕をすり抜けてアージュンの足元にやってきて、身体をスリスリとこすりつけていた。
「うわ、フワフワだね、おまえ」
アージュンがしゃがみ込んで猫っぽい魔獣の頭をよしよしと撫でてやると、彼女は「なんでぇ!?」と抗議の声を上げた。
「ええ!? 何、なんで!? めっちゃ懐かれてるじゃん! 私が触ろうとしたらガルガル威嚇して逃げるから、ガッチリ拘束してたのに! あー拘束魔法解除するんじゃなかった!」
「拘束してたんだ⋯⋯」
勢いよく立ち上がってローブについた草埃をパンパンと叩く彼女の手には引っかき傷が、制服の袖には噛み跡があり、よく見ると足にも細かい傷があり、二人の間に激しい何かがあったのを物語っていた。
「私、その子と従属契約を結びたいんだけど、召喚科のあなたならできる?」
「うん、できるけど。できるんだけどさ⋯⋯」
アージュンの足元にいる魔獣は、彼女の方を見てブンブンと勢いよく首を横に振っている。四足歩行のくせに、前足をアージュンの足に巻き付かせ、ガクブルと震えている始末だ。
「⋯⋯めちゃくちゃ相性悪そうだから、契約しても言う事聞いてくれないと思うよ?」
「え〜ヤダぁ!」
ヤダと言われても、こればかりはどうしようもない。というか、午前中は寝顔を見て穏やかに愛でていただけだったのに、何があったんだ。
「どうにかできない?」
「うーん、全力で嫌がってるからなぁ」
「そんなことないよ。私優しいよ〜。ほら、『スマイル幻獣キラー』の変態さんからも説得してよ!」
「ちょっと待て」
ごく自然にさらりと言われたが、聞き逃すことなどできなかった。なぜ彼女があの恥ずかしい二つ名の持ち主が自分だとわかったのだろうか。
「え? 合ってるでしょ? スマイル⋯⋯」「恥ずかしいからほんと止めて⋯⋯」
ほとんど被せるようにして続きを遮らせてもらった。
昔からやたらに魔獣、幻獣、なんなら昆虫にまで好かれる体質で、それが嬉しくて彼らと契約しまくっていたら、いつの間にか『スマイル幻獣キラー』なんて小っ恥ずかしい名前で揶揄されるようになっていた。
ちなみに「スマイル」というのは通常時でも口が弧を描いている表情をしていることからついたらしい。そんなにいつでも笑っている自覚はないのだが。
「私、入学仕立ての頃に二つ名の人たち全員の顔と名前をチェックしてたんだよね〜。どんな顔してるんだよっ!て興味津々で。
まー、みなさん漏れなくイケメンなことにびっくりしたわ〜。だから二つ名なんてついてるのねって。
それで、召喚科の三年って聞いてもしかしてーって思ってはいたんだけど、まさか本当に変態さんが二つ名持ちの張本人だったとは」
彼女は感心したような表情を浮かべ、足元の魔獣と自分を交互に見やるのだが、何だかその視線が居た堪れない。
(自分のこと知ってくれてたのは嬉しいけどさ。って、うん? 嬉しいのか?)
思考が迷宮に迷い込みそうになったアージュンは、一度リセットしようと魔獣との契約に話を戻した。
「――君と契約は厳しそうだけど、僕とこの子が契約したら、いつでも呼び出しできるよ」
「ええっ、あなたとその子が従属契約結ぶの? さすがキラー⋯⋯」
「しつこいね君も」
実を言うと、これは悪あがきだ。
おすすめはしないが、彼女とこの魔獣で従属契約を結ばせることはできる。ただ、それだと彼女との縁がそこで切れてしまうと思った。この魔獣と自分が契約を結べば、これからも彼女と会う口実ができるという打算が多分に含まれた提案だった。
「私と契約できないのは残念だけど、まあいいか〜。契約獣に毎日魔力持ってかれるの大変だし」
意外にもあっさりと引き下がった彼女だが、そう思ったのも束の間、アージュンに一つの条件を提示してきた。
「でも、一つ約束して」
「ん? なに?」
「週一回以上、私にその子を会わせること」
真剣な表情で言う彼女に、アージュンの口元が上がる。
「――いいよ。週一と言わず、何度でも」
そう言うと彼女は特大の笑顔をこちらに向けて、「ありがとう」と柔らかな声で告げた。
彼女のとびきりの笑顔に、アージュンはまたもや囚われそうになり、慌てて彼女の足元へと視線を移す。
そのつま先は土で汚れていて。
「ねえつま先さん。契約の前に、僕は君の名前が知りたい」
「? あれ、名乗ってなかったっけ」
「うん。なんなら僕もまだ名乗ってない」
「はは、変態さんとつま先さんだもんね」
あっけらかんとして彼女がまた笑う。
「いいよ、私の名前は――」
彼女の名前を知った自分が、すぐに他人から顔見知りに昇格し、お友達となるのに時間はかからなかった。
――のだけど。
そこから猛アタックを彼女の天然で華麗に交わされ、彼女の恋人を名乗れるのに一年以上かかることは、このときの自分は知る由もなかった。
(おわり)
恥ずかしい二つ名の他の面々は
『恋とはどんなものですか』と『再会した先輩は心が壊れていました。』に出てきます。
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