2.神との約束
この空間、神と名乗る少女、少女の言葉、すべてにおいて紫音には現実味がなかった。死後の世界なのだとしたら、現実味がなくても当然なのかもしれない。夢なのだとしたら、最期の瞬間に望んだ通り、明晰夢で自由に夢を操っているのかもしれない。そう考えつつ、紫音は少女の次の言葉を待った。
「実は、あたしの世界のこと、あなたは少しだけ知っているの」
「そうなの?」
「ええ」
少女は微笑んでいるように感じるが、その詳細を話すつもりはないらしい。つまり、話せないのだ。深追いはするまい、と紫音は小さく頷いた。紫音の気遣いに気付いた様子で、少女はまた微笑む。
「あたしの世界には、あなたの絶対的な味方がいるわ。その子が教えてくれるはずよ」
「絶対的な味方?」
「会えばわかるわ」
それについてもここでは話せないらしい。神の言う「絶対的な味方」に懸けるしかないようだ。すぐに見つかるといいのだが、と紫音は祈らざるを得ない。
「あたしの世界はいま、再生を始めようとしているところよ。あなたの魂を送ることで、再生への歯車を回すわ」
「取っ掛かりが必要ってことなのかな」
「ええ」
「僕は何をすればいいの?」
「特にこれと言って」
あっさりと言う神に、紫音は拍子抜けしていた。世界の再生のための転生なのだとしたら、転生先でも何か役目があるのだろうと考えていた。そんな紫音の表情に、少女の声はくすりと小さく笑う。
「あなたは第二の人生を楽しんでいればそれでいいわ。あなたの絶対的な味方がそう望んだから」
とにかく取っ掛かりがあればいいということか、と紫音は考える。きっかけさえあれば、あとはこの神が世界を再生することができるのだ。紫音はその取っ掛かりのために転生する。その後の役目はあまりないのだろう。どんな世界の誰になるのかはわからないが、新しい人生を楽しむだけでいいのなら、まさに夢のようなことだろう。
「申し訳ないんだけど、あたしのチート能力は先のふたりに授けてしまったから、あたしからあなたに授けられる特別な力はないの」
「そう……」
転生と言えばチート能力。紫音は少しだけ期待していたため残念ではあるが、転生という稀有な経験をできるならそれで充分という気もした。
「チート能力には劣るけど、ひとつくらいなら能力を授けられるわ。何か望みはある?」
「うーん……魔法を使えるようになりたいな」
「いいわ。無双できるくらいの魔力を授けてあげる」
無双も異世界転生には付き物だ。チート能力とは違うようだが、新しい人生で魔法を楽しむことができることには心が躍った。魔法といえば、すべてのオタクの憧れ。それだけですでに恩恵を受けたようなものだ。
「あなたの魂の流入で、再生の歯車を回せるはずよ。あとはあたしの役目ね」
「きみの世界は荒れているのかな」
「取っ掛かりができれば、世界の中身も正常に動き出すわ。暮らす分には問題ないはずよ」
「そう」
この神の世界がどんな世界であるかはまだわからないが、神は「第二の人生を楽しんでいればいい」と言っていた。紫音の絶対的な味方がそう望んだからだ、と。きっと、捨ててきた人生に比べれば、どんな世界であろうと天国のようなものとなるだろう。
「あなたの絶対的な味方は、あなたから探さなくても向こうが見つけてくれるはずよ。あなたは、長篠紫音の名を消して、まったく別の者として、自分の望むように生きられる人生を楽しんで」
「……それこそ、僕の望んでいたことだな」
「よかったわ」
温かいものが手に触れる。両手を包み込む優しい温もりが、新しい門出を祝福しているようだった。
「長篠紫音。あなたにこの世界の命運を託したわ。どうか、あたしの世界を救って」
体がふわりと浮かび上がる。吸い込まれるような感覚に身を委ねているうちに、白い影が遠くなっていく。心地良い微睡が、紫音の体を浚っていく。
「また会えたら嬉しいわ」
温もりが手を離れ、夢に呑まれるように、長篠紫音の意識は溶けていった。
◇ ◇ ◇
とぷん、と水に落ちる感覚で意識を取り戻す。予想外の事態に、肺の中からすべての空気が抜けていった。このままでは息ができなくなる。
大きな手が襟首を掴んだ。流れに逆らう力強さが、一気に水面へと引き上げた。
『――、しっかりしろ!』
影が上から覗き込む。短い呼吸を繰り返しながら開いた瞼は、水底へ引き摺り込まれるように閉ざされていった。
『愛してるよ、――。きみが何者でも、何者でなくても』




