7 穏やかな時間
ぎこちないながら、キアラとヴォルフの同居生活が始まった。
結婚してすぐはヴォルフがキアラの家の隅っこで暮らしているような雰囲気だったが、日用品を買ったり彼用の部屋を準備したりするとようやく、「同居」しているという雰囲気が出てきた。
「あの、本当にこれでいいの?」
「いい。半年でいなくなる夫に立派な寝具など不要だ」
一階の奥にある空き部屋をヴォルフに貸すことにしたのだが、その出入り口に立ったキアラはむう、と眉根を寄せた。
ヴォルフはその職業柄か私物をほとんど持っていなくて、彼用の部屋もがらんとしている。
ベッドや寝具も、客用として置いていたものを使ってもらっているのだが――シーツも上掛けカバーも枕も、花柄だった。
「男の人なんだし、もっとクールで格好いい柄のを買う?」と提案したのだが、ヴォルフは「わざわざ買う必要はない」の一点張りだった。
聞いたところ彼の年齢はキアラより一つ上の二十一歳とのことなのに、花柄寝具やフリフリのレースカーテンの部屋で寝させるなんて申し訳ないのだが、新調するのは断られた。彼はそもそも、身の回りのことには無頓着らしい。
このままだとキアラが「これしかないから、着て」とくまさん柄の寝間着を渡しても、おとなしく着そうだ。そこはさすがに、もう少しこだわってほしいのだが。
ということで、キアラの仕事の手が空いている日に二人で近くの町に買い出しに行った。王都の方が品揃えはいいが、さすがに敵の本拠地にわざわざ乗り込むのはまずい。日用品なら近隣の町や村で、十分買いそろえられる。
案の定、町の人々は並んで歩くキアラとヴォルフに興味津々だった。
「……いらっしゃ……えっ!? キアラ、そのイケメン誰!?」
カウンターから身を乗り出して大声で尋ねてきたのは、雑貨屋の娘であるカルメン。
彼女とは同い年ということもあり、キアラは幼い頃から彼女と仲良くしていた。どちらかというと地味でインドア派のキアラとアクティブな金髪美人といった感じのカルメンだったが、案外相性はよかった。
……カルメンを始めとした町や村の人々は、キアラの血筋を知らない。当然、彼女らにヴォルフと契約結婚をしていることも言えなかった。
「こんにちは。……彼は、ヴォルフ。父さんの遠い知り合いなのだけど、春になるまでの間、うちで手伝いをしてくれることになったの」
「……どうも」
彼との関係は適当に濁してそう説明すると、ヴォルフも軽く頭を下げた。
公爵令息イザイアの誕生日は冬の終わりで、その後に即位となるといろいろなことが終わるのは春頃だろう。秋の終わりから冬にかけては雪下ろしなどで人手が求められる時期なので、女の一人暮らしをするキアラが知人を住まわせているというのはそこそこ説得力がある。
カルメンは少し居心地悪そうなヴォルフをじろじろと見てから、豊かな胸を腕に乗っけるような姿勢になって笑った。
「見れば見るほど、いい男じゃん。……なに、キアラ、もしかして結婚を前提とした同居をしているとか?」
「そ、そういうのじゃないから!」
……実際には結婚しており、半年後には離婚予定である。
ヴォルフの方はにぎやかなカルメンが苦手のようでむっつりしてしまったので、キアラは彼には店の入り口で待ってもらい、カルメンと話をしながら日用品を買うことにした。
その中には男性用の身だしなみ品もあり、カルメンはくくっと笑った。
「……何だかんだ言っているけれど、今のキアラ、旦那の日用品を買う若奥様にしか見えないよ?」
「だから、そういうのじゃないってば」
「分かってる分かってる。あー、でも虫除けにもなっていいかもよ? キアラは気づいていないみたいだけど、あんたを狙っている男は結構いるんだから」
「えー、そんなの嘘でしょ」
華やかな美人であるカルメンならばともかく、泥まみれになって野菜を収穫したり鶏の糞を踏みながら鶏舎掃除をしたりちまちまと薬草の調合をしたりするだけのキアラが狙われるとは思えない。
(でも……なるほど。男性と同居している、というだけで少し心強くはなれるわね)
王位継承問題絡みでキアラを狙ってくるのは王族や公爵たちだろうが、日常的な面でも警戒をするに越したことはない。そういう点でも、ヴォルフの存在はありがたい。
買うものを決めて会計をした後で、商品の入った袋を渡しながらカルメンがカウンターから身を乗り出した。
「……お父さんの知り合いとかなら大丈夫だろうけれど、あの人だって若い男なんだし、警戒はするのよ?」
「警戒って……」
「ああいうタイプは、何を考えているのか分からないことが多いのよ。いいこと? 知人だからって油断せずに、いつ自分の胸や尻や唇が狙われるか分からないってことを心の片隅にメモしときなさい」
そう言うカルメンの表情は、真剣そのものだ。昔から異性から人気で恋人が途絶えることもなかったカルメンだからこそ、知っていることもあるのだろう。
「……うん、分かった。ありがとう、カルメン」
「どういたしまして。……何かあればいつでもあたしに言ってね。あんたがあいつに泣かされるようなら、うちの父さんや兄さんたちを派遣するから!」
「あはは……ありがとう」
ちなみにカルメンの父や兄たちは皆そろいもそろってゴツいのばかりで、早くに両親を亡くしたキアラのことも気に掛けてくれている。
ヴォルフが彼らの鉄拳の餌食になることはないだろうが、離れたところから自分を見守ってくれる存在がいるというのは嬉しいことなのだと、改めて気づかされた。
「ヴォルフ、お待たせ」
「……持とう」
店を出ると、腕を組んで立っていたヴォルフが腕を差し出してきた。確かにキアラは買い物袋二つを持っており、それなりの重さになっている。
「いいの? でも、護衛はこういうのって……」
ヴォルフはキアラの身辺警護のためにいるのだから、彼の手が塞がっていたら本末転倒ではないか。
そう思ってこそっと言ったのだが、彼は首を横に振った。
「俺は右利きだから、左手だけなら荷物を持っていても平気だ。それにいざとなったら、持っている荷物を武器にすることもできる」
「器用なのね……」
本当にできるのかは分からないしせっかく買ったものが台無しになるのは悲しいので、襲撃は起きてほしくない。
とはいえ彼が申し出るので、軽い方の荷物を渡した。だがヴォルフは「違う、そっちだ」と重い方を指定し、それをひょいと左手で抱えてしまった。
キアラが利き手の右手で持ってもやっとだった荷物を、ヴォルフは事もなげに抱えている。
「あなた、意外と筋肉があるのね」
「あまりにも筋肉が付きすぎたら動きにくいが、あんたよりはあるはずだ」
確かに、俊敏さを求められる暗殺者に必要以上の筋肉は重りになるだけだろう。キアラの父の遺品であるコートに包まれた腕の太さはここだと分からないが、やはり男性だけありそれなりに太いのだろう。
彼と話をしながら買い物をして、ヴォルフのことを尋ねられたらお手伝いの期間同居中だと教えておく。
「……キアラ、先ほどの魚屋の男と青果店の若い男は警戒しておけ」
「なんで?」
一通り買い物を終えて家に向かっているところでヴォルフが硬い表情で言ったので、彼の顔をのぞき込む。
いろいろ買ったが結局キアラの方が圧倒的に荷物が少なく、ヴォルフは買い物袋を全て左腕一本で持っていた。
「あの人たちは年齢が近いから、昔はよく遊んだりした仲だけど」
「……あいつらは、あんたを狙っているようだった。あんたのことを熱っぽい目で見ていたし、俺のことをにらんできたから間違いない」
それは知らなかった。
魚屋の息子も青果店の息子も、年齢一桁の頃は川や草原で遊んだりした。そのうち男女で遊びの種類に違いが生まれ、キアラはカルメンたちと一緒にいるようになった。
それでも、お互い大人になってからも町で会ったら挨拶をしたり雑談をしたりするし、彼らもキアラの薬を依頼しによく家に来るのだが。
……と説明すると、ヴォルフの眉間に皺が寄っていった。
「……あんたが意識していないだけで、あいつらは気があるはずだ」
「そんなこと一言も言われていないんだけどね……」
「……それならもういい」
ヴォルフは会話を終了させ、「さっさと戻るぞ」と足を進めた。
ヴォルフは町の男性よりも若干身長が低めだが、それでもキアラより背が高い。そして彼はおそらくだが、身長と対比して脚が長い。小柄でかつ脚が長いというのは、戦闘を得意とする暗殺者にとっては有利な体型だろう。
それなのに、キアラはいつもどおりの歩き方で彼と歩調をそろえられている。
……つまり、ヴォルフの方がキアラに歩みを合わせてくれているのだ。
「……今日はヴォルフが好きなものを作ろうかな」
「なんだ、いきなり」
「なんとなく、そんな気持ちになったの。何がいい?」
「……今日買ったばかりの肉をあぶったものを食べたい」
「いいねいいね! 特製のソースがあるからそれを絡めてじゅわっと焼いて……」
「やめろ、あまりにもうまそうで周囲への警戒がおろそかになる」
ヴォルフは真剣な顔でそう言うが、これもきっと彼なりのジョークなのだろう。
(……ヴォルフとの生活、うまくいきそう)
ふふ、とキアラは笑いをこぼした。
――だがそんなのんきなことを考えていたのはキアラだけだったのだと思い知らされたのは、二人が契約結婚をして四ヶ月ほど経ち、冬の寒さがピークに達している頃のことだった。