28 冬を越えた先にあるもの
そこでヴォルフは、瞳に少し不安な色を載せてキアラを見てきた。
「……あんたは、こんな俺のことを軽蔑するか? どうあがいても地獄から這い上がれない俺のことを、醜いと思うか?」
ヴォルフに問われたキアラは、いつの間にか喉の奥がヒリヒリしていたことに気づいた。
ヴォルフの考えを聞いて、泣きそうになっている。
それはヴォルフの哀しい決意を感じたからでもあり……そしてはからずも、自分の「答え合わせ」ができるのではないか、と歓喜しているからでもあった。
「……思うわけ、ないじゃない……」
「キアラ……」
「もしあなたが死んだとしても、私が神様に必死にお願いするわ! この人は一生懸命生きてきたのだからどうか、地獄には連れて行かないでください、って」
「やめておけ。あんたまで地獄にしょっ引かれる」
「え、ええと、じゃあ……天国と地獄の中間あたりにとどめてください、ってお願いするわ」
「天国と地獄に、中間があるのか……?」
「なければ私が作って、そこをあなたの居場所にするわ! ついでに私も、そこに居座るから!」
キアラがむちゃくちゃな理論と決意を振りかざすと、ヴォルフは耐えきれなかったとばかりに噴き出した。
「……本当に、あんたには調子を狂わされっぱなしだ」
「あ、ごめん。話の腰を折って……」
「いいや、そういうあんたがいいんだよ」
ヴォルフは笑顔でそう言うと、自分のパンツのポケットに手を入れた。
「そういうあんただから……俺は、あんたに惹かれたんだろうな」
ヴォルフは、「見てくれ」と言い、ポケットから出した右手をテーブルの上に置き、その中に握っていたものを置いた。
かすかな金属の音を立ててテーブルに置かれたのは、二つの指輪だった。
同じシルバーだが、サイズが明らかに違う。
――どくん、どくん、と指輪を瞳に映すキアラの胸が、高鳴る。
これは、もしかして、もしかしなくても……。
「ヴォルフ……」
「キアラ、あんたと契約を結び直したい」
ヴォルフは指輪のうち小さい方をそっと指先で摘まみ、キアラに向けた。
「俺はこれからもずっと、あんたの側にいてあんたを守りたい。報酬は……あんたの愛情をくれないか。たった一つの、俺だけに向ける愛情。それだけが、俺の望むものだ」
「っ……あの、それは……!」
「愛している、キアラ。……婚姻関係でありながらこれを言うのはおかしいと分かっているが、どうか俺と結婚してほしい」
キアラははっと、口元を手で覆った。
ヴォルフから、プロポーズされた。
それも、キアラを守るための契約ではなくて――キアラの愛を求めるという、本当の意味での求婚だ。
まさか「答え合わせ」を貫通してここまで飛んでくるとは思っていなくてキアラが呆然としていると、ヴォルフは少し目をさまよわせた。
「……指輪を用意して迫るなんて、やはり少し重いか? それに、あまり上質なものではないから不満かもしれないし……」
「……そんなことないわ」
頬が、熱い。
嬉しくて、胸が震える。
キアラは自分にできるめいっぱいの笑顔で、左手を差し出した。
「ありがとう、ヴォルフ。……私からも、お願いします。どうか私と結婚してください。あなたが私を愛してくれるのと同じくらいの愛を、あなたに贈ります」
「っ……! ありがとう、キアラ……!」
いつも冷静なヴォルフらしくもなく声を裏返らせ、ほんのり頬を染めた彼は恭しい手つきでキアラの左手を取り、薬指に指輪を通した。
「ぴったり……きれいだわ」
「あんたと手を握ったときのことを思い出してサイズを予測したのだが、合っていたようで何よりだ」
「さすがね。……そっち、私が付けていい?」
大きい方の指輪を示してキアラが言うと、ヴォルフは照れくさそうに笑って自分の右手を差し出した。
「……ありがとう。よろしく」
「じゃあ、失礼しますっと」
キアラは自分のそれより一回り大きくて分厚いヴォルフの右手を取り、その薬指に大きい方の指輪を通した。そして二人は何も言わずともそれぞれの指輪が嵌まった手を上げ、そっと手のひらを重ねる。
フィオレンティア王国では、男性は右手、女性は左手の薬指に、結婚指輪をはめる。
それは、夫婦が向かい合って手のひらを重ねると指輪もふれあうようにするためで、愛を確かめるためにこうして指輪を重ねるのだと言われている。
「……きれいだな、キアラ」
「そうね。サイズもぴったりだし、素敵なものを本当にありがとう」
「どういたしまして……だが、俺がきれいだと言ったのは指輪ではなくて、あんただ」
「……え?」
さっと手を引っ込めたキアラを見て、ヴォルフは不敵に笑った。
「さっき俺、言ったな。あんたにちゃんと伝わるように話すと。……俺を地獄から引っ張り上げてくれるあんたのことを、何よりも愛している」
「ひっ、あ、あの……?」
「……ああ、そうだ。せっかく両思いになれたのだから、寝室の模様替えをしないとな」
「えっ?」
「今日から一緒に寝るんだろう?」
え、とキアラは絶句する。
(ま、まあ確かに、両思いになったし、元々夫婦だし……でも!)
「わ、私、寝相悪いわよ!」
「俺は気にしない」
「それに、寝顔はきっと不細工だし……」
「あんたはどんな顔でも最高に可愛い」
「ひっ!? でも、ほら、あなたが熟睡できないかもしれないし……」
「あんたの隣なら俺は秒で寝られる。……そういえば俺たちが最初に会ったとき、あんたは寝間着に着替えている途中だったな」
「え? ……ああ」
そういえばそうだったな、と思い返していると、ヴォルフは小さく笑った。
「あのときは着替え中に悪かった。……いずれ、あんたが着替えをするときにもずっと側にいられるようになればいいな」
「な、何のためになのよ!」
「ん? それはもちろん、着替え中という無防備なあんたを守るためで……」
「絶対違うでしょ!?」
もう、と拳を固めるキアラだったが――きらり、と左手の薬指を飾る光が見えた途端、怒る気も失せてしまった。
それにヴォルフも気づいたようで楽しそうに笑い、椅子から立ち上がった彼はキアラの隣に来て軽く身をかがめた。
「……こうしてこれからも、あんたと笑っていたい」
「……」
「キアラ……俺を光差す場所に連れて行ってくれた、愛しい人。これから、よろしくな」
ヴォルフの右手が、キアラの頬に触れる。
温かくて、たくましい手のひら。
この手で、ヴォルフはずっと生き延びてきたのだ。
きっと、辛い思いをして……それでも生き延びるために、必死になっていた。
ヴォルフにはまだ語っていない過去があるのだろうが、きっと遠くないいつか、キアラにもそれを聞かせてくれるだろうと信じている。
そしてそれを聞いてもなお、キアラは死後に彼を天国と地獄の中間らへんにあるどこかに連れて行くつもりでいる。
「……こちらこそ。ヴォルフ……愛しています」
重なった唇は、先ほど飲んだ紅茶の味がした。
それは、冬を越えて春を迎えようとしている二人にふさわしい、甘く優しい味だった。
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