25 とんでもない問題
ヴォルフと一緒に皆に説明しに行こうとしたキアラだったが、起きていた使用人が一階廊下の割れた窓ガラスやその周囲に付いた足跡に気づいており、ちょっとした騒ぎになっていた。
そこにさらに全身黒ずくめのヴォルフが現れたものだから「おまえが侵入者か!?」と縄を掛けられそうになり、キアラが必死に皆を止めた。
バルドは捕らえられ、本日は城に宿泊する予定だったフィーニ公爵親子も戻ってきた。
親子もバルド脱走の話は遅れて聞かされていたようで、彼らは屋敷にヴォルフがいるのを見てもわずかに目を細めるだけだった。
廃太子となったバルドの狙いは、王家の娘であるキアラを手込めにして子どもを産ませること。
彼としてはキアラに子ができるのを一番の理想としていたようだが、「王家の姫を自分が抱いた」と喧伝することに一番の意味があったようだ。
……冷静になるとキアラも、キアラを抱くことでバルドの名誉が回復するどころか余計に悪化して一発斬首刑になってもおかしくないことなのだが、バルドもバルドで少々精神状態が怪しかったようだ。
窓ガラスを派手に割っていたのも、退路を全く考えずにキアラ目当てで突撃してきたからだった。
バルドの処遇については、イザイアが「毒杯しかないね」とあっさり言った。
一度は息子の愚行を見逃した国王も今回ばかりは庇いきれなかったようで、「司法に任せる」とだけ言ったそうだ。兄がさらに愚行を重ねたことになる王子王女たちも嫌悪感をあらわにし、庇護の手を一切差し伸べなかったという。
……ちなみにイザイアが、「処刑は確定しているけれど、バルドの顔がやけにボコボコだったのが気になるね……」とちらっとヴォルフの方を見つつ言っていた。
当時ヴォルフは「その場にいない」扱であるため、キアラは「私は逃げるのに必死で、覚えておりません。勝手に足を滑らせたのでは?」と空とぼけておいたし、イザイアも「うん、そうだね、そう言っておくよ」と全てを知ったような笑顔でうなずいていた。
バルドが公爵邸に侵入してきた件について、国の上層部が出した答えは「イザイアの即位妨害を目論んだバルドが、公爵家親子不在の間に侵入して引っかき回そうとした」というものだった。
もちろんこれは間違いだが、他でもない公爵がキアラの名を伏せるようにと厳命したのだった。
国民たちに虚偽報告をすることにはなるが、真実を明かせばたとえ後に除名するとしてもキアラの存在を公開することになり、今後の彼女の生活を制限してしまう。……それはあってはならない、と公爵が主張して上層部を説き伏せたそうだ。
バルド本人は捕らえられており、真実を明かすことはできない。国王たちも了承したため、バルドの処分と事件の経緯の公表についての方針が固まったのだった。
――バルドの襲撃という事件はあったものの、イザイアの誕生会自体は無事に終わった。
公爵は「……もうこれ以上不祥事があってはならない」と険しい顔で言い、イザイアの即位までキアラをがっちり保護することにしたようだ。
やはり今回もヴォルフは守備範囲外だったが、彼は「全てが終わったら、迎えに来る」と約束してくれた。
「イザイアが即位して、あんたが王家の名簿から除名されるまで……最短でもあと一ヶ月、というところか」
夜。公爵邸二階にある、キアラの部屋。
元々は二階の角部屋だったのだがあそこはバルドに襲われかけた忌ま忌ましい場所だからと、イザイアが別の部屋を与えてくれた――が、実際に部屋の移動を提案したのは公爵らしい。
イザイアは、「父上は、絶対に自分が提案したと知られるなっておっしゃっていたよ」と笑顔でばらしていた。……あの公爵も彼なりに、キアラの扱いについて考えてくれているようだ。
新しい部屋の窓辺に腰掛けたヴォルフが言ったので、キアラはうなずいた。
「ええ。……ヴォルフ、本当に迎えに来てくれるの?」
「ああ。報酬や契約について、改めて話をしないといけないだろう?」
ヴォルフが真顔で言ったため、あ、そうか、と勝手に浮上していたキアラのテンションがすっと下がった。
ヴォルフは恋愛的な意味で迎えに来てくれるのではなくて、当初の予定どおり契約期間を終了させられるのだからその話をするためにも、キアラを家に連れて帰る必要があるのだ。
(……金庫の鍵も預かったままだし、バルドに襲われたときに助けてくれたのだからお金もきちんと払わないとね)
勝手にるんるんとしていた自分を叱咤し、キアラは笑顔でうなずいた。
「それもそうよね。それじゃあ、次に会うのはまた一ヶ月後ね」
「ああ。前みたいに嘘をついて姿を隠したりしないから、信じて待っていろ」
「ええ、よろしくね」
「あんたに会えない一ヶ月は死ぬほど辛いだろうが、これも俺たちの未来のためだ。……そういうことだから、行ってくる」
……最後にヴォルフは、とんでもないものを投下した。
笑顔を凍り付かせたキアラに気づくことなくヴォルフは背を向け、ベランダからするっと降りていった。普通に出て行けばいいのに怪盗のような去り方をするのは、「こっちの方が早いから」だという。
ヴォルフが足音を立てずに去っていった後、開け放たれたままの窓の前に呆然と立っていたキアラは、そっと自分の頬に触れた。
『あんたに会えない一ヶ月は死ぬほど辛いだろうが、これも俺たちの未来のためだ』
「……どういう、こと?」
震える声で、キアラはつぶやいた。
「あんたに会えない一ヶ月は死ぬほど辛い」というのは……キアラだけでなく、ヴォルフもまた彼女と会えない時間を寂しく思っているということなのだろう。
ただしあまりにもあっさり言われたので、本当にそんな甘い意味が含まれているのかどうかの自信がない。
それから、「これも俺たちの未来のためだ」の方。
単純に考えれば、キアラを迎えに来て契約についての話をするという意味になるのだが、その前に「あんたに会えない」云々の台詞があったのでどうしても、さらに突っ込んだ読み取りをしてしまう。
(それに、契約の話だったら「俺の未来」でいいはず。それなのに「俺たちの未来」って言うのは、つまり……つまり……?)
「……キアラ嬢?」
「ふわぁい!?」
下の方から名を呼ばれたのでひっくり返った悲鳴を上げると、ベランダの下からこちらを見上げる私兵の姿があった。
手に持つカンテラを高く上げた彼は、ぽかんとした顔でこちらを見ている。
「あの、何かありましたか?」
「い、いえ、何でもありません!」
「さようですか。……真冬も終わったとはいえ夜はまだ冷えますので、お風邪を召されないようになさってください」
「ええ、ありがとう。そうします」
どうやらベランダの前で悩むキアラの姿は、下から見るとかなり不審だったようだ。
窓を閉めて寝室に向かったキアラは、ベッドに腰掛けてふうっと息をついた。
(……そうよね。いくら考えても肝心のヴォルフはいなくて、答え合わせができるのは一ヶ月後。……悩んでも仕方がないわよね)
寝よう、とキアラは寝間着に着替え、ベッドに潜り込んだのだった。




