21 イザイアの提案
冬が終わろうとする頃、イザイアの十八歳の誕生日会が盛大に開かれることになった。
フィオレンティア王家の血筋であるイザイアの誕生日会、それも即位可能となる十八歳を記念する会になるため、誕生会は王城で開催されるという。
「今のフィオレンティア王国は、国王と王太子が不在のため宰相閣下を始めとした重鎮たちでなんとか回している状態だ」
そうキアラに言うのは、この後で王城に向かうイザイア。
着替えは向こうに着いてから行うそうだが、何日も前から身だしなみに気をつけているようで彼の銀髪はさらさらのつやつやで、元々秀麗な貴公子だったのがますます美々しさを増しているように思われた。
「廃位となった国王陛下や王太子殿下は、北の離宮で幽閉されている。王太子妃殿下は王孫殿下を連れて祖国に帰られており、王子殿下と王女殿下は醜聞を避けるために王都を離れていらっしゃる。……これらのことは既に国民たちも知ることとなっていて、だからこそ僕の誕生会は盛大に行うべきだという話になったようだ」
「国民たちにとっては、沈んでいた気分を盛り上げるまたとない機会ですものね」
「ああ。そしてその場で僕は、即位宣誓を行う。誕生会には教会の大司教猊下もお越しになる予定だから、この時点でできる手続きなどは全て終わらせるつもりで父上は話を進めている」
さすが、息子のためなら何でもする公爵だ。
……なお、キアラは当然のことながら誕生会への出席はできない。イザイアはともかく公爵はキアラの存在を徹底的に隠したいようで、「おまえは一人寂しく靴を磨いていろ」と命じてきた。
なお、そんな公爵だが何だかんだ言ってキアラの靴磨きの出来には満足しているようで、毎日ご機嫌な様子で靴を履いているそうだ。
「……父上も案外、情に弱い人なんだよね」
ぼんやりと公爵のことを考えていたキアラだが、イザイアも同じだったようだ。
上着の袖口をいじっていた彼は、小さく笑っている。
「最初はいつ、僕の隙を突いてあなたを暗殺するのかと思っていたけれど、今では『靴磨きメイドとしてなら、これからも雇用してやってもいい』なんて言っているんだよ」
「えっ、公爵閣下がそのようなことを?」
「あなたの磨く靴を履くと、なんだかいつもより調子がいいそうだって」
それはさすがに、ないと思う。
……だが靴を磨きつつキアラは、「その気になれば、これに毒針を仕込むこともできるのに」と考えたりもした。
公爵だって、その危険性を分かっているのだろうにキアラに靴磨きを命じたのは……キアラのことを信じてみたい、という気持ちがあったからなのかもしれない。
「……そうですね。諸問題が終わったら私は一旦家に帰って、それからヴォルフを探しに行く予定でしたが……薬草師を廃業するようなことになったら、こちらのお屋敷で雇ってもらうというのも考えておきます」
「……。……そのことだけど」
ふとイザイアは袖をいじるのをやめて真剣な眼差しになり、キアラの方にやってきた。
「ヴォルフから聞いた話では、あなたたちは僕が即位すると婚姻関係を解消するとのことだな」
「はい、それがいわゆる私たちの契約期間の終了になりますので」
「その後、あなたは誰かと再婚する予定はあるのか?」
「……いえ、そのつもりはございません」
「では、僕はどうだ?」
嫌な予感がしつつもはっきりと言ったキアラだが、同じくはっきりとイザイアに言われてしまった。
――どくん、と心臓が鳴る。
だがそれはときめきなどではなくて、不安と戸惑いゆえの拍動だった。
キアラが、イザイアと再婚する。それはつまり――
「……あなたの妃になるということですか」
「結果としては、そうなる。僕がフィオレンティア王国国王、あなたが王妃となるな」
「……」
「あなたは、先々代国王陛下と王妃の間に生まれたエディッタ王女を祖母に持っている。一方の僕の曾祖父は、エディッタ王女の異母兄――妾妃の子だ。本来ならば、王妃の子であるエディッタ王女の方が継承順位が高くなっていた」
「……ですが祖母は、既に立太子されていた異母兄の邪魔にならないようにと王家から離れたのでしょう」
キアラの祖母であるエディッタ王女は、王太子より十二ほど年が離れていた。この年齢差があるため、キアラとイザイアとでは一世代分のずれが生じている。
「だが、そもそもあなたは王族として十分な血筋だ。今から五十年近く前にエディッタ王女が城を離れずむしろ兄王太子と敵対する道を選んでいれば、女王となっていたのはあなただった」
「違います。私の祖母は王女であることを捨てて祖父と一緒になったから、母が生まれた。母は薬草師の父と恋に落ちたから、私が生まれた。だから、祖母が女王となっていれば私が生まれることはなかったのです」
「もしも、の話だ。……そういうことで、エディッタ王女の孫であるあなたを王妃にしたとしても、反抗する者より賛同する者の方が多いくらいだろう。それに僕も、あなたのことが気に入った。父も……最初はあれこれ言うだろうが、あなたとヴォルフが白い結婚であることも証明されているようなものだから、最後には説き伏せられるだろう」
確かにあの公爵は潔癖な感じがするから、一度でもキアラがヴォルフに抱かれていれば息子の妃にするのは断固拒否しただろう。
だがそうではないし、さらに息子本人がキアラを気に入っているのならば、イザイアに甘い公爵は最後には折れそうだ。
真面目な顔で淡々と述べるイザイアを、キアラは静かに見つめ返していた。
イザイアは確かに、キアラのことを憎からず思っているのだろう。そして妃にしたからにはきっと、大切にしてくれるはず。
……だが。
「……申し訳ございません、イザイア様。私はヴォルフと別れた後も、誰とも再婚しないと決めております」
「……へぇ。それ、彼は知っているの?」
「まさか。……私は彼のことを大切に思っております。思うからこそ……彼を縛るようなことはしたくない。彼には彼の命の使い方をしてもらう。それが……初めて恋をした人に捧げられる、私の愛の形なのです」
自分でも、こっぱずかしいことを言っていると分かっている。だが、イザイアなら一笑に付したりはしないはずだと予想していた。
イザイアは小さく笑うと、「そうか」とつぶやいて視線を落とした。
「断られることは、想定済みだった。だが……ここまで熱烈な告白を聞くことになるとは。それも、他人に宛てたものを、ね」
「……本人に言う勇気のない私は、弱虫な女でしょうか」
「いいや。彼の自由を願って気持ちに蓋をするというのは、愚行ではないと僕は思う。それこそあなたが先ほど言った、あなたが彼に捧げる愛の表れなのだろうからね」
「……」
「変なことを言って困らせて、すまなかった。今のは、忘れてくれ」
「……イザイア様がそうおっしゃるのなら、忘れることにします。……あら? 私たちって今、何の話をしていましたっけ……?」
キアラがこめかみに人差し指を当てて小首をかしげつつ問うと、イザイアは小さく噴き出した。
「あなたのそういうところ、やっぱりいいな」
「何のことでしょうか?」
「なんでもないよ。僕たちが話していたのは……そう、今日の誕生会の予定についてだ」
「ああ、そうでした。……私はこちらのお屋敷でおとなしくしておりますので、どうぞご無事でいってらっしゃいませ」
「ああ、行ってくるよ」
キアラとイザイアは、互いの顔を見合わせて微笑み合った。
これだけで、もう十分だった。




