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11 キアラの計画

「ヴォルフ、あなたに相談したいことがあるわ」


 キアラがそう切り出したのは、ヴォルフが負傷して帰ってきて五日後のことだった。


 治療後すぐは無理をさせられないので自宅で安静にしていたのだが、数日もすると彼は歩行の補助も必要としなくなるほど回復した。


 えぐられるような傷を負っていたにしては驚きの回復速度にキアラは「暗殺者をやっていて、体力もついたの?」と聞いてみたが、彼は「逆だ。人より体力や自己再生能力が高かったから、これまで生き延びてきただけだ」と、少し寂しそうに笑って答えた。


 そんな彼は今日の夕食も問題なく自分で匙やフォークを持って食べられており、食事の量も負傷前と変わらないくらいまで回復した。彼がモリモリと食べる姿を見られて、キアラもほっとしている。


 食後のお茶を飲んでいるときにキアラが切り出すと、向かいの席に座っていたヴォルフは表情を引き締めた。


「言いたいこと、ではなくて相談したいこと、なんだな」

「ええ。……私よりあなたの方が人生経験が豊富だから、私が考えたことについての意見を聞きたいの」

「内容にもよるが、よい意見を返せるように努力する」


 そう律儀に答えるヴォルフは、暗殺者という職業にしては意外なほど理論派だとキアラは思っている。

 考えなしに行動してしまう自分とは大違いで……大違いな彼だから、一生に暮らしていてバランスが取れて快適なのだと思う。


 ……そう、キアラは彼と過ごすこの時間を快適だと感じている。

 だが――


「……私、あなたが怪我を負って帰ってきてから、考えていたの。本当に、こうしてあなたに守られているだけでいいのかって」

「……そういう契約だろう?」

「あなたとの契約内容やあなたの働きぶりに不満があるわけではないの。……今回、あなたは私を狙う者と戦って大怪我を負った。あなたが強いのは分かっている。でも……このままだと私は、無関係の人まで巻き込んでしまうのではないかと思うの」


 暗殺者や公爵もいつか、キアラの側には凄腕の護衛がいるのだから彼女を狙うのは難しい、と思うかもしれない。


 ……だが彼らが、キアラの近くにいる人たちを狙ったら?

 キアラを脅すための道具とするために、カルメンたちに目を付ける可能性だって考えられる。


 キアラの言わんとすることを察したようで、ヴォルフはかすかに目を細めた。


「……あんたにとっては不快なたとえだろうが、俺の立場からものを言わせてもらうと――暗殺対象の警備が強固ならば、外側から崩す作戦を決行しようと考えるのは自然なことだ。あんたの場合、あんたを大切に思う町の連中を脅すか、もしくは『おまえが自分の命を差し出さないなら、町の人間を一日に一人ずつ殺す』という脅しをかけるな」

「……」

「さすがの俺も、護衛対象は一人で手一杯だ。……そして俺の契約上、俺はあんたを守るのが最優先だから、町の者たちが狙われても守ることはできない」

「……うん、分かっているわ」

「それで? あんたもここまで分かった上で俺に相談を持ちかけているんだろう?」


 ヴォルフに存外優しい声で問われたキアラは、ゆっくりうなずいてお茶入りのカップを持つ手に力を込めた。


 これが正しいかどうかは、分からない。

 それでも、キアラなりに考えたのだ。


「……公爵に直接物申すのはどうかしら」

「これまでのように隠れるのではなくて堂々と敵前に姿を現した上で、交渉を持ちかけるということか」


 ヴォルフの言葉に驚いたような響きはないので、彼もある程度のことは予想していたようだ。


 キアラの存在は、王国の上層部のごく一部の者にのみ伝えられている。それも、キアラの祖母が王位継承権を放棄する代わりに平凡な生を送ることを望んだため、記録に残されているのは一族の名前と生死の如何(いかん)のみ。


 その記録には、キアラの祖母は護衛騎士と共にフィオレンティア王国の「どこか」で暮らし、そこで娘を出産。娘は地元の男性と結ばれ、その娘であるキアラが生まれた。キアラの祖父母や両親は既に亡く、キアラは一人で暮らしている――ということだけが残っているはずだ。


 キアラの祖母は、異母兄の政敵とならないために自ら身を引いた。……そんな彼女に同情する貴族も多く、彼らの尽力もあって王女の行方は秘匿されていたのだった。キアラが国王と王太子の愚行によって王位継承権に変動が起こるまでは気楽に暮らせていたのは、そのおかげだ。


 ……しかし継承権のバランスが崩れた今は、貴族たちの思惑も揺れ動いている。


「だが、身一つで王都に乗り込んでもさっくり殺されるだけだ」

「ええ。……だから、公爵が私を殺せないように強力な後ろ盾を先に見つけておくのがいいと思ったの」

「ほう。その目星は付いているのか?」


 ヴォルフに問われたので、キアラはごくっとつばを呑み――ある人物の名を挙げた。

 それを聞いたヴォルフは一瞬目を丸くし、そして口元に手を当てて小さく笑った。


「ふっ……なるほど。俺の妻は案外、肝が据わっているようだな」

「か、からかわないで。……それで? 旦那さんとしては奥さんの意見について、どうお考え?」

「……あんたもからかっているじゃないか。……後ろ盾候補としては、この上ない相手だと思う。だがまあ、相手を口説き落とせたら、の話だがな」

「そうよね……」

「……ということで。その役目は、俺に任せてもらおうか」


 とん、と自分の胸元を叩いたヴォルフが明るく言うので、キアラはえっ、と顔を上げた。


「あなたが? 私じゃなくて?」

「あんたがのこのこ出て行くわけにはいかないだろう。……要するに、あんたを助けることの合理性を説明して公爵から守ってもらえるように頼み込めばいいんだろう?」

「そんな簡単に言って……」

「じゃああんた、できるのか?」

「……」


 ここで言い返せないのが、キアラの弱いところだった。


(確かにヴォルフの方が口が達者だし、臨機応変に対応できそう。でも……)


「……さすがにここまでになると、百万ディンでは足りないような」

「追加料金が発生したとしても、後払いで結構だ。……そう不安そうな顔をするな。俺は勝算のない戦いは挑まない主義だから、きちんと手柄を持ってあんたのところに帰ってくると約束するよ」

「本当に?」

「本当に。……だから」


 ヴォルフが席を立ち、キアラの隣に立った。

 なんとなくキアラも立ち上がろうとしたがヴォルフは「そのままでいろ」と言ってキアラの背後に回り、両肩にそっと手を乗せてきた。


「あんたは、俺を信じて待っていろ。……あんたが待っていてくれると思うとそれだけで、俺はいつも以上に頑張れるんだ」


 ――まっすぐな言葉と眼差しに、キアラの胸が震える。


 キアラの手より一回り大きくて硬い、ヴォルフの手。

 この手がこれまで、キアラを守ってくれたのだ。


 そっと右手を伸ばし、キアラは自分の左肩に触れるヴォルフの手の甲に触れた。


「……私、あなたに頼ってばかりだわ」

「あんたは遠慮なく俺に頼れ。いつもうまい飯を作ってくれるし安心して寝る場所も貸してくれるのだからむしろ、これくらいでもしないと護衛として不十分だ。それに……」

「それに?」

「あんたの笑顔が見られるのなら、ちょっとくらいの無茶ならしてもいいと思える」

「えっ」


 気のせいだろうか。


(今、なんだか、すごく情熱的なことを言われたような……!?)


 キアラが首をひねって振り返ろうとすると、「待て」とやや厳しい制止の声が飛び、ヴォルフの右手によってキアラの首の動きが阻止された。


「今は、こっちを向くな」

「なんで」

「……。……頼むから、向かないでくれ」

「恥ずかしいから?」

「分かっているのなら言うな!」

「ごめんごめん」


 キアラは小さく笑い、後ろを向くのをやめて肩の力を抜いた。ヴォルフも背後でほっとしたように息をつき、「……格好付かないな」とぼやいた。


「……まあ、いい。例の作戦についてだが……いつ公爵が次の手を打ってくるか分からない以上、早めに行動した方がいい。幸い俺の怪我も塞がったから、明日にでも出発したい」

「……うん」

「できるだけ三日以内には戻れるようにするが、念のためその間は町の誰かのところに泊めさせてもらった方がいいかもしれない」

「皆を巻き込むかもしれないわよ?」

「いや、依頼を受けた暗殺者ならば想定の場所に暗殺対象がいなければ、一旦依頼主のもとに報告に戻るのが筋だ。ベテランほど深追いはやめて、正確に仕留められるように立て直すからな」


(……ヴォルフが言うからか、説得力があるわ)


「……分かった。それじゃあ、カルメンあたりに相談してみるわ」

「あのでかい父親や兄がいる女のところか。……あそこなら、身を寄せる場所として最適だろう。あの店は、町の中心にある。あんただけを仕留めるように依頼されているのなら、人気の多い場所にいるほど狙いにくくなるからな」

「……うん」

「安心しろ。交渉が終わればすぐに、次の段階に移れる。カルメンたちがターゲットになる前に片を付ければいい話だ」

「……うん。ありがとう、ヴォルフ」


 ……本当のことを言うと、怖い。


 カルメンたちを巻き込みたくないのにカルメンのところに転がり込むのは、矛盾していると言われてもおかしくない。


 だが今は、ヴォルフを信じたい。

 キアラの周りにいる人たちが誰も傷つかない未来を手に入れるために、彼を信じたかった。

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