記憶にございません
私は自分の誕生日に生まれてきました
いや、生まれてきたから誕生日が存在するのでしょう
ところが、生まれてきた瞬間の記憶がまったくありません
なので、生まれてきた瞬間に生きていると感じたことはないのです
これもまた、今現在は記憶がないだけかもしれません
少なくとも生きているということを感じたのは、生きているという意味が解ってからです
そしてその意味が解ってから振返って誕生日から生きているんだと理解したのです
でも、母胎内にいる時から心臓は拍動していたはずなので、さてどこから生きていたのか?となるとこれまた難しい問題ですし、今現在の私の場合は母胎内にいた時の記憶はこれまたまったくありません
この世に生を受けて、親に愛情をかけて育てていただき、今の私が形成されてきました
また、父親は他界しましたが、母親から私への愛情というのは母親が生きている限り存在するのでしょう
持って生まれたらしい性格とその後の家庭環境もそうですが生きてきた過程で人格は形成されてきました
現在の自分はその今までの集大成による作品です
その時々に、出会ったことについて全て記憶があるわけではありませんが、対応しながら生きてきた事実があります
何かしていたのでしょう(笑)
では、何故いろいろ記憶が無いのでしょう?
素朴な疑問です
生まれる時はとても苦しいから記憶に残らないように消されているということを聞いたことがあります
そうだとしたら一体それはどこからの配慮なのでしょうね
ここで思うのです
生きていくにあたって記憶があると具合がいいことと具合が悪いことがあり調整されているのではないか?
誰がどう配慮して調整してくださっているのか解りません
でも、実際記憶があることと無いことがあるのは事実だし、それを自分で全てコントロールしているわけではないとは理解しています
旧友と久しぶりに再会した時に「そんなことあったあった!」と思い出されることがよくあります
かつて行ったことのある場所に着くと思い出されることもあります
これらはすべて「きっかけ」によって記憶の辞書からページをくられて出てきます
この辞書はその記憶された当時の感情の強弱が並べられる順番となっていて、感情が強いほど前のページにあるように思っています
この辞書が優しいのは本当に思い出してはいけない記憶は封印されていることです
そう思っています
でも、封印されているのだからそんなことがあった事自体が無かったことになっているとも言えます
生きていくためには無いほうがいい記憶なのでしょう
パソコンのメモリーに保存してあるものはDELETEで消すことができます
元に戻らないのでそれはそれで誤った操作をしたら一大事です
人間の記憶はDELETEしようとすると、そのDELETEしようとしたという想いが記憶となって元の記憶に紐付けされてさらに強烈に記憶されます
人間には自分で記憶を消す力がないようです
配慮することができる大きな力のさじ加減次第のようです
都合が悪い時に「記憶にございません」との言い訳を聴くことがよくありますが、人間にはDELETEする力はないんですけどねぇ・・・
あら?人間にDELETEする力がないのなら、何故定期試験の時にいつも100点とれなかったのでしょうね?
答案用紙を目の前にして「記憶にございません」
と感じている矛盾した自分がいるのも事実です